大人って何だろう。
一般的には、感情に流されないとか、理性的とか、経済的に自立しているとか、他人に依存しないとか、そういうことが大人と見なされる条件のような気がしますね。
確かに、感情のままに行動したり、経済的に他人にべったり依存したり、他人に生活面や精神面で依存したりしていれば、それは大人ではありませんね。
しかし、もう一つ大事な要素を忘れています。
自分の感情に、自分で責任を持てるということです。感情は本来自由で勝手なものです。だから押さえ込むことで対処する人が多いのですが、これは積もり積もって鬱になったり、他人に当たる迷惑な人間になる、その元を作っているようなものです。だから自分の感情を解放して日々穏やかな心で過ごすことが大切だと分かっていて、かつ実践している。それが大人であることだと思います。
もちろん、大人であるからには自分の感情で相手を振り回すような、「感情をぶつける」行為は慎まなければなりません。感情を解放することと相手にぶつけることは違います。なぜかというと、自分の感情は自分のものであるけれど、相手の感情は相手のものであって、あなたがどんなに怒っていたり寂しかったとしても相手をそれに巻き込んではいけないからです。
この、自分の感情と相手の感情の間に一線を引くことを「境界線」といいます。大人同士の間では、自分が相手の境界線に進入して「感情をぶつけて、おしつける」ことはルール違反です。もちろん、相手が境界線から進入して感情をぶつけてきたときも、自分が振り回される必要もないのです。きっぱり拒絶してかまわないんです。
更にもう一つ大事なことは、境界線の内側、自分が感じる感情はできるだけ自由にしておくことが幸せに人生を生きる上でとても大切だということです。社会で生きていく上では、他人に対して感情を自由に表現して生きることができない局面も多いです。その中で、いかに感情的に自由になるかということが、人生においてとても重要なチャレンジなのです。
不愉快な思いをさせられた相手には、仕返しして、不愉快な思いをさせてやりたいと思ったりするかもしれません。あるいは、相手を後悔させたいと思って、「あなたのおかげで私はこんなに不幸になっています」ということを周りにアピールしたくなるかもしれません。でもどちらの作戦も、「嫌な相手のことを年中考えて、なおかつ自分が不幸な状態で過ごす」という、冷静に考えれば不毛な人生以外の何物でもありません。
逆に私が考える豊かな生き方とはこうです。自分で自分を幸せにする生き方をして、自分の周りにいる人にも幸せをちょっとだけ分けてあげる。そうやって幸せに生きる人の輪を周りに作って生活をしていれば、嫌なヤツが来ても、縁を切ることが最大の復讐になるのです。「私の周りにいる人は、みんな幸せに生きていいよ。でもあなたは来ないで。」てなもんです。実際こういう生き方をしてみると、わざわざ冷淡にしなくても不幸なオーラをしょっている人が自ら、幸せな人の輪から自然に外れていくものです。
まとめると、感情面で大人であるということは、
「境界線の内部(自分の心の中)では、感情を抑えつけず自由である」
「境界線の外部(他人の心)には侵入しない(他人に感情をぶつけたり押しつけない)」
「外部からの侵入は敏感に察知し、心を守り、真に受けない」
「自分が幸せを分けることで、幸せな人の輪をつくることができる」
ということだと思います。
こんにちは。
以前、Eメールをお送りしたことのあるものです。
ココヘル100回記念の記事に関する内容でした。
「自分の感情に責任を持つ」
今回の記事を読んで、少し耳が痛かったです。
「だって、私の場合は...」
というような言葉で、言い訳している自分が、心の中にいたりして。
実は、この言葉は、彼からも言われた言葉です。
感情をぶつけるのではなく、落ち着いて、穏やかにその時の自分の傷ついた気持ちを話してほしい。と。
悲しい感情や、悔しい感情でいっぱいいっぱいになって、心の叫びを表していても、相手には雑音としか聞こえないのでしょうね。
ミルさん
コメントありがとうございます。
感情が暴れることがあるのですね。他人にはなかなか理解してもらえなくて辛いですね。
私たちの感じる強い感情の9割は過去の感情だと言われています。小さい頃に感じた悲しみや悔しさが、大人になってからも何かのきっかけで出てくると言うことです。これは、過去の経験を共有していない人間には理解しがたいことです。
ミルさんにできることは二つ。
まず、自分の心の叫びは過去の感情が9割であり、目の前の相手の責任は1割であることをしっかり理解すること。だから湧いてきた感情は日記や「出さない手紙」に自分の気持ちを綴ったりして解放するよう努力すること。
そしてもしも、そんな心のくせを持った自分を変えたいと思うのであれば、セルフセラピーの書籍などを当たったり、心理療法のセラピストを訪ねて、心のくせを変えてゆくことです。
こんには、私が持っている、大人のイメージですが、
どうも世間からは、厳しすぎると言われます。
自分の感情に、責任を持つ。
それと同時に、自分の行動にも、責任を持って対処する。分をわきまえる。などが付け足されます。
完全な人間がいないことも判っています。
不完全だからこそ、努力し良い方向に向かおうとする。
これが大切だと思っています。
経済的に自立していなければ、大人ではないとも思っていません。
どうしても、非生産的な用事はあります。
時には、それをしてくれる人がいなければ困る事も有ります。
数年前、専業主婦は、パラサイトだなどと言った女性がいましたが、経済以外は、パラサイト見たいな人も結構いるのではと、思いました。
物事を、多方面から考えられないのも、大人ではないと、思うのですが・・・。
と、生意気な事を言っている私じたい、日々悩み、努力しなければならない小さい人間ですが。
やちゃさん
コメントありがとうございます。
確かにおっしゃるとおり、行動にも責任を持つことが必要です。
ただ、他の読者の方に誤解を招かないように念を押しておきたいことがあります。
それは、自由と責任はペアだということ。
自分のやりたいことを自由に実現するのが大人。
だから、その行動には責任が伴う。
自分の行動の結果起きた結果には、自分にとって不利益なことであっても自分で責任を持つ。
それは、当たり前のことです。
と こ ろ が !
なぜか、親のいいなりに行動して、その責任だけ負わされてしまったり、
なぜか、旦那のいいなりに行動して責任だけ取らされるような人がいるのです。
そういう人が「悪い」と言いたいのではないのです。
自分の望む人生を実現してはいけないという観念を持つに至った経緯は同情に値するものなのだと思いますし、これまで必死で生きてきた結果なのだと思います。
ただ、行動の責任を過度に強調すると、
他人の責任まで負わされてしまうような人が実際にいるということを知ってほしかったのです。
ということで、大人とは、行動面で言うと、
自分の行動には責任を持つ。
他人の行動の責任は、その本人のものであると考えることができる。
こう言えるでしょうね。
はじめましてこんにちは!!
検索からたどり着きました。
ココヘルの作者さんのサイトなんですね。
実はココヘルは以前購読しておりました。
いつの間にか解除してしまったのですが(すみません・苦笑)、これを機にまた購読を再開したいと思います。
※今読者登録いたしました。
さてこの、大人って何?の記事ですが、大変勉強になりました。
そこでぜひ聞きたい事がございます。
よく、
「自分の世界を持つ」
って言う事が言われますよね?
自分の世界を持っている事はかっこいいと。
でも、同時に、
「自分の世界にとらわれるのはダメ」
とも言います。
特に自分の世界にとらわれている人は「子ども」であり、もっと大人になりなさい。
そうじゃないと社会で生きていけませんよと。
うん?どっちだ?
これってどう考えればよろしいですかね?
よろしくお願いします!!
こんにちは、なんだか、親の言う通りにして、責任だけとらされる。
まるで私のことみたいです。
だんなは、私に対して、こうしろとは、言わない人なのでピンとはこないのですが、後始末など結局私に回ってくるんです。
なにしろ、考えるだけでちっとも答えが出ない人だから、
結局考えていないのでしょうけど、
今の所最後の借金は、少し助けるだけで自分で返してもらっています。
もう甘やかすもんかと思い、助けた所は、返済の後きっちりと、利し付けてかえしてもらいます。
考えて見れば、私は親の言うつりにして、責任は私が取っていました。
親いわく、進めはしたが、決めたのはあんたでしょ。です。
でも言う通りにしないと、後が怖い・・・。
やっと親と離れられ、自分の意思で何でも出来る事が、
どんなにうれしかったか・・・。
親元にいるとき、唯一自分の意思で決めた事、それが、旦那との結婚です。
親元にいたとき、私は親にあんたほど身勝手な、自分の思い通りにしか動かない人間はいないと、言いつづけられていましたが、それが不思議で仕方ありませんでした。
自分的には、親の言う事を気にしできるだけやってきたつもりなのにと・・。
もう少し、身勝手になってもいいのでしょうか?
すごくいい言葉だね