なぜ、あの人は、自分の問題と向き合わないのか?

 

こんにちは、あづまです。
 
色々相談を受けていると、
まあ、このパターン、よくあるんですよね。
 
「彼は、自分の起こした問題を、ちゃんと見ていない。
 それどころか、自分はちゃんとしていると思っている。」
 
みたいな話。
 
それで、
そのことを、
 
分からせてやろうとして、
あれこれコミュニケーションをとろうとして(要するに説教して)、
 
逆ギレされたり、
引きこもられたり、
 
あるいは、
 
「おまえのそういう態度が我慢ならない。別れる。」
 
と言われたり、してしまって、
 
 
「なんで???」
 
 
と、なる。
 
 
起きる問題の種類は、
・子供の教育に向き合ってくれない、
・仕事ばかりで、家にいない、
・趣味には力が入るのに、家族のことは考えない、
・浮気している、
・私(妻)ではなく、親族の味方ばかりしている、
 
などなど、様々ですが、
 
 
「なんであなたは、自分の問題をちゃんと見ないの!!!」
 
という部分では、共通しています。
 
 
 
結局のところ、判断はケースバイケースになってしまうので、
この記事を読んで即断、は危険だよ、ということは、あらかじめ申し上げておきますが、
 
 
まあ、あちこちのサイトを読むと、
最近は、人格障害的な問題について、
色々書いてあります。
 
 
ね、人格障害の人は、
自分の問題を、客観的に見ることが出来ない
(問題起こしてるのに、自分は正しいと思ってる)
まあそういう風に書かれてますよね。
 
 
でもね、
 
 
あのね、
 
 
人は、
そもそも、
 
他人の問題については、
 
内的・安定・全体的
 
な原因に帰属するものなの。
 
 
たとえば、誰かが階段から落ちたとしますよね。
 
不注意な性格だから、と、
 
内的(不注意というネガティブな資質)で、
安定(性格なので、不変)で、
全体的(性格なので、ほかの場面でもそうだろう)に、
 
帰属しがちなんですよね。
 
 
一方、同じ階段を、自分が落ちたときには、
 
外的・不安定・状況特殊的
 
な原因に帰属する傾向があるんですね。
 
 
具体的に言うと、
 
階段が急だった(外的)
階段にものが置いてあった(外的で、今回限りの不安定な要因)
だから、階段の問題だ(つまり、状況特殊的で、仕事とか料理とかには関係ない)
 
という風に、自己弁護する傾向があるって事。
 
 
 
どんな、精神的に健康な人でも、
他人の問題は、より本人の責任、
自分の問題は、より他人や状況の(不運な)不可抗力、
という風に、帰属する傾向が、
 
そもそもあるのが、人間なんです。
 
 
それを考慮しないで、
「あなたは、自分の問題と向き合ってない」
 
なんて言い始めたら、
そりゃ、ケンカにもなるし、
同意するポイントなんて、見いだせるわけないし、
 
 
そもそも、その、
「あなたは、自分の問題と向き合ってない」
 
という風に、私の目からは、そう見えた、
ということだって、
 
他人の問題は、より本人の責任に見える、
という、
 
人間の、しょーもない傾向が、
かけ算されて、何割増しか、何倍かになってるわけですから、
 
言われた方は、
自己弁護バイアスがかかっている解釈をしていたところに、
何割増しかの、責任を乗せた解釈を押しつけられそうになり、
 
必死で抵抗するに、
決まってるじゃない。
 
 
いま、私が熱心に読んでいる、
クリティカルシンキング、という本は、
ロジカルシンキングの本なんですが、
まあ、そういう、人間の、心理的傾向のことまで書いてあって、
とても、面白いと感じています。
 
それで、その本には更に、
こうも書いてあるんですね。
 
 
抑うつ傾向の人は、
自分の身に起きた、悪いことを、
 
自分の内的で、安定的で、全体的に、
原因帰属しやすい、と。
 
まあ、先ほどの、階段から落ちた話でも、
抑うつ傾向の人は、
 
自分の不注意のせいで(内的)、
私はいつもこうなる(安定的)、と考え、
どんな場合でも、自分の不注意な性格が問題を起こしている(全体的)、
と、解釈しやすい、ということです。
 
 
但し、その解釈がゆがんでいるとか間違っているとか、
そういう話でもないんですね。
 
ある研究によれば、抑うつ傾向の人の方が、
より、ロジカルにものを見ていて、解釈が正確だそうです。
 
 
これって、なんだか、
人間の業というか、限界というか、性というか、
そういうものを、表していると思いませんか?
 
 
まとめるとね、
 
 
人は、自分の身に起きたことは、
外的・不安定・状況特殊的に、つまり、
今回たまたま状況が悪くてそうなった的に、
自己弁護的に解釈するもので、
 
他人の身に起きたことは、
内的・安定・全体的に、つまり、
その人の性格とか能力の問題に帰属するもので、
 
 
しかも、
 
自分の問題を、
より正確に認識する人の方が、
抑うつ傾向を持っている、
 
 
となれば、
 
 
そもそも、人間にとって、
物事をまっすぐ見るって、
苦痛なんじゃないの?
 
という話になるわけですよ。
 
 
 
でも、このように整理してみると、
確かにそうかもなーって思います。
 
 
人間にとって、
物事をまっすぐに見るって、
苦痛なんですよ、やっぱり。
 
 
だからね、
 
自分の周りの人が、
問題から逃げているように見えるとき、
 
 
あれ、私って、
ものごとを、生真面目に、まっすぐ見ようとする傾向が強くて、
抑うつ傾向のある人のパターンをやっているのかも。
 
って、自分を省みて、考えてみてください。
 
そのこと自体は、
まっすぐ見ているのだから、悪い事とも言い切れないのですが、
 
 
やり過ぎると病んじゃうパターン、
とも言えるわけだから、
 
 
真面目なのはいいけど、
休み休みやろうか。
 
と、思ってみることも、必要ですよね。
 
 
そして、自分が自分の課題について、
真面目に捉えすぎることを、少し降りて、
 
ま、人のせいにしてもいっか。
自分で背負わないで、逃げるときがあってもいっか。
 
 
と、
 
健康に生きている人の、自分勝手さ、いいかげんさを、
ちょっとだけ、マネしてみるの。取り入れてみるの。
 
 
大丈夫。
 
もともと真面目なんだから、
あなたがイイカゲンで無責任な人になるまで、
何年かかるか、分からないから(笑)
 
 
 
そうやって、自分自身を、少しゆるめてみると、
 
そう、あなたの、いいかげんなパートナーが、あなたにとって、どう見えるか、
その、見え方も、変わってくると思うんだよね。
 
 
そこまで自分をゆるめてみたときに、
それでも、
 
コイツ、あり得ないぐらい無責任だ、
やっぱり無理だ、
 
って思ったら、
 
たぶん、その解釈は、正解です。
 
そのときは、
どうしようか?
 
別れます?
 
 
まあ、色々な事情があるので、
最終的には、その場その場で、ベストの判断をしていくしかないですが、
 
 
判断の前提となる、
物事のとらえ方が、
 
(若干いいかげんなところもある)健康な人のパターンに近づいてきたら、
きっと、後悔しない判断が出来ると思います。
 
 
まじめに、逃げずに捉えることと、
適当に、背負いすぎないように、いいかげんに解釈することと、
 
両方うまく使い分けられると、
いいですね。
 
 
ではでは!