月別アーカイブ: 2016年4月

冷やしごはんダイエットって・・・(爆)

あづまです。こんにちは。

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 Photo by Yasushi Azuma

最近、冷やしごはんダイエットなるアホラシイダイエット法が静かなブームになっていることを知りました。このブームの賞味期限は1年以内でしょう。化けの皮がはがれるまで、とも言います。

曰く、

ごはんを炊いたあと、冷蔵庫で冷やすと、デンプンが「レジスタントスターチ」に変わるので、カロリーが低くなる。

というもの。
果たして真偽のほどは・・・

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婚外恋愛について反論が来ました。であづまはどう答えるのか?

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Photo by Yasushi Azuma

あづまです。こんにちは。

先日、夫公認で妻が婚外恋愛。それをあづまが円満夫婦と呼ぶ理由。 という記事を書きまして。
それに対して、反論が来ました。

短文なので、全文載せておきます(編集なし)。

仮にSさんとしておきます。女性の方だと思います。

はじめまして。
どうしても一言お伝えしたくメール致しました。

婚外恋愛は、倫理に反します。
どんな理由があっても、今の日本の社会倫理と結婚制度では倫理から外れています。
たまちゃんだかなんだか分かりませんが、人前にだけは出さないで下さい。
婚外恋愛に真実があるなら、日本では隠しながら大切に育てて下さい。
そうやって育てている友人が私にもいます。

婚外恋愛をすべて否定はしません。
ただし、公の場に出ることは間違いだと思います。

ここは日本です。

よろしくお願い致します。

論点は、
「どんな理由があっても、婚外恋愛は今の日本の倫理からは外れている」
「それでも婚外恋愛するなら、公の場に出ないで、隠して行え」

ということですね。

えーと。割と予想していた反論でしたので、
むしろ、ありがとう、と思っています。

では、この点について、あづまがどう考えているのか、
それについて、書いてみたいと思います。

まず、そもそも論として、

夫婦円満を目指すのは、もちろん、当然ではあるのですが、
努力しても、やっぱり、この人とはムリ、って思うこと、ありますよね。

男性の方は、分からない人もいるかもしれませんが、
女性の方は、「この人とはセックス無理」って思う感覚、
よく分かるんじゃないかな。

そこまで至ってしまった夫婦は、どうしたら良いのでしょう?

日本の倫理に照らしたら

これが、あづまの、一点目の疑問です。

一応、離婚理由としてセックスレスは、正当な理由とされています。
というわけで、そこまで至ったら、婚外恋愛する前に離婚しましょう。
というのが、今の日本の倫理であり、法律だと、私は解釈しているのですが。

これなら、倫理に反していないし、不法行為(犯罪とは言えないが、法律的に間違っているとされる行為)でもありません。でも、子供もいるわけだし、それで円満解決ヤッター、とは行かないはずです。

というわけで、往々にして、親は子供のために我慢して、結婚という形を維持せよ、という話になりがちです。本当にそれで良いのでしょうか? 私のもとには「お母さんが【子供のために】離婚しないで我慢していたために、私(相談者)は結婚生活に暗いイメージを持つようになってしまった」という相談が、それなりに多く来ます。親が自分を殺して生きることは、次世代にマイナスの遺産を受け継ぐ行為です。

現状の日本では、要するに【離婚する】【我慢する】の二択しか「倫理的な道」はない、のが社会常識であり、社会の道徳・倫理ですよね、本当にそれでいいんですか? と、私は問うているのです。

私は基本的に、倫理とか道徳というのは、(一定の意味・意義は認めますが)前の世代が作った遺物だと考えていまして、大抵の場合、倫理や道徳は時代遅れなもの、だと感じています。

だからといって、軽んじていいと言っているわけではありませんが、社会の「常識」とされているような倫理や道徳というのは、全然万能ではなく、むしろ、極めて限界の低い代物であると、見なしているわけです。

いま、同性愛の人を、倫理に反するとか、不道徳だとか、そういう言葉で責めたら、「言っているあなたがおかしい」と言われるでしょう。でも、それが社会の常識だった時代もあるのです。

倫理や道徳は、前の世代が作った社会の遺物。
一定の敬意や配慮は必要だけど、基本的に時代遅れだし、万能でもなく、極めて限界の低い代物である。

時代に、適合しなくなってきた倫理は、新しく作り直していくしかない。
それもまた、常識となった頃には、また、時代遅れになっていくのだと思いますが、
その繰り返し。ずっと、新しく作り続けていくしかない。

では、
「不倫は悪である」という倫理観が時代遅れだとしたら、
あづまは、新しい倫理観とは、どういうものであるべきだと考えるのか。

それを、書いていきたいと思います。

新しい倫理観が、
「不倫もOKだよね♪」
だったら、最悪です。私は大反対です、こういうの。

ここから先は、少し時代を先取りしすぎているというか、勇み足の部分はあると思いながら、書いています。

新しい倫理観とは、たとえばこういう基準であるべきです。
「自分の気持ち、そして、相手の望みに、とことん誠実に向き合ったか?」

では、用語が長くなりそうなので、
ふたつの倫理観にAとMという記号をふって、考えてみたいと思います。
Aは「不倫は悪」的な倫理観。これを守っているのがA○、破るのがA×。
Mは「自分、相手と向き合う」倫理観。同じく守るのがM○、破るのがM×。

A○ :婚外恋愛はしない
A× :婚外恋愛をしている
M○ :自分の気持ち、そして、相手の望みに、とことん誠実に向き合う
M× :自分の気持ち、そして、相手の望みに、誠実に向き合わない

A○ かつ M○ が問題ないのは、だれでも同意することだと思います。
A× かつ M× だと、問題多すぎ。ちょっとこの夫婦、大変そうです。

議論が分かれるのは、

A○ かつ M×  と  A× かつ M○ の場合でしょう。

少し、例を挙げてみたいと思います。

 

A○ かつ M×
:婚外恋愛はしないが
自分の気持ち、そして、相手の望みに、誠実に向き合わない

こういう夫婦、結構いるんじゃないでしょうかね。
たとえば、夫は自分の素直な気持ちを表現するのが全然下手くそ。
おかげで、主婦の奥さんが友達との集まりで出かけて「今日はごはん自分でよろしく」って言ったら、義務を放棄しているだとか、あれこれ難癖つけたりして。

こういうとき、ひとこと「寂しい」って言えれば自分も癒されるし、奥さんも「そうだよね、ごめんね♪」ってハグして、で、気持ちよく出かけられるのに。

もうひとつ例を挙げると、もう少し、相手の望みに向き合わないケース。
ちょっと、夫婦仲がだいぶ傾いていて、奥さんの方は、旦那との夜の生活が既に苦痛になっている。やんわりと何度も伝えたが、相手の望みに、誠実に向き合わない夫は、当然の権利とばかりに夜の生活を要求してくる。妻も「結婚という形を維持すること」が優先で、自分の気持ちと向き合うことをあきらめ、嫌々夫婦関係を続けている。

この両方とも、現状の日本の倫理には、(若干微妙だとは思うが)反していないことになります。
少なくとも、法律的には、生活の相互扶助の義務はあるが、相手を「愛する」義務は規定されていませんから、この夫たち、法律的には、まったくもって、正しい人たちなんですね。

私が「社会常識となっている倫理観は、実は時代遅れ」と言うのは、こういう話になってしまうからです。

 

で、一方、

A× かつ M○
:婚外恋愛はするが
自分の気持ち、そして、相手の望みに、とことん誠実に向き合う

そしてこれが、たまちゃんの夫婦の話。
夫公認で妻が婚外恋愛。それをあづまが円満夫婦と呼ぶ理由。

現状、やはり、法律的には「不法行為」にあたるわけです。
婚外恋愛している側が、夫婦破たんの理由を作ったと見なされます。

但し、自分の気持ち、相手の望みに誠実に向き合い続けていって、
やっぱりこういう形でいくしかないのかな、って結論を出せたとしたら、

Aの倫理観に基づくと×だけど、
Mの倫理観に基づくと○になる。

私は、要するに、
不倫したかしないか、というような、マニュアル的、チェックリスト的、ロボット的な判定基準に基づく倫理観は、いずれ時代遅れになっていって、

本当に自分の気持ち、相手の望みに、誠実に向き合い続けたかどうか、というような、極めて人間的で、深いレベルの倫理観に、時代が移行していくと考えているのです。

先ほどの、AとMの記号でまとめると、

 

現状、社会の常識というのは、

A○M× (不倫したかしないか、の倫理観を優先)

A×M○ (誠実に向き合ったか、の倫理観を優先)

であれば、前者の方が、確かに、常識だと思います。

ですが、社会が豊かになり、寿命も延び、夫婦生活も長丁場になり、という現在の社会状況の中、前者の倫理観は、限界を露呈しつつあり、時代遅れになってきている、

とも感じています。

そして、不倫は悪、という倫理観に変わるルールは、
不倫も善、ではないことは、先に述べたとおりです。
それではダメなのです。

前の時代の倫理観を、単に裏返すのでは進歩ではありません。
前の時代の倫理観を、超越していかないと、意味がない。

で、どのように超越するのかというと、たとえば、先ほどから書いている、

自分の気持ち、そして、相手の望みに、とことん誠実に向き合う
ことが善。

これです(あ、これは一案ですので、必ずこうでなくてはいけない、というものではないです。但し、表面的な判定基準よりも、もっと、内面や動機を問うものになるべきだ、という点は大事だと考えています)。

さて、私の持論を展開したところで、
二点目の「それでも婚外恋愛するなら、公の場に出ないで、隠して行え」
にお答えしましょう。

もし仮に、たまちゃんの姿勢、動機、行動が単に、
「不倫は悪」→「不倫は善」としたいだけだったとしたら、
私も、「そういう婚外恋愛は、隠して行ってください」と言うでしょう。

でも、たまちゃんの姿勢は、こういう批判を食らうことも覚悟の上で、
「不倫は悪」(Aの倫理観)から、
「向き合うことが善」(Mの倫理観)への、

パラダイムシフトを起こそうとしている行動なのです。
次の時代の、新しい倫理観に向けてのチャレンジです。

もちろん、とても大変すぎるので、
私は、自分の身で、社会実験するのはごめんです。
ほんと、あづまは、無理です。
(してないですが)もし不倫してても、たぶん隠します。

だれかが、身を削って、
新しい倫理観に向けてのチャレンジをする。

賛否両論を浴びながらも、前に進んでみる。

その価値は、私はよく分かります。
自分では大変すぎてできないとしても。

だから、たまちゃんを応援しているんです。

そういうことです!

ではでは!