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性癖を直す(5)上|恋愛ドクターの遺産第2話

「その体験は、今この場で話せますか?大丈夫ですか?」
「えぇ、大丈夫だと思います。」

その後、まいくんが話した内容は、かなり生々しかった。曰く、まいくんは小学生の頃、少し気が弱くて、クラスの女子からもあれこれ命令されるような、そんな児童だったのだそうだ。6年生ぐらいの頃、近所の、ちょっと不良っぽい中学生の女子グループに、下校中によく話しかけられるようになって、始めのうちはからかわれたりするぐらいだったのだが、あるとき、公園の裏の、ほとんど誰も来ない工場跡地に呼び出されて、裸にされて観察されたのだそうだ。
女子の方も、ひとり上半身裸になり、露わな胸でまいくんを抱きしめた・・・もちろんこれは、まいくんの反応を見て楽しむためだったのだが・・・という、当時小学生だったまいくんは、衝撃的な体験をしたのだった。

「その先輩(まいくんはそう呼んでいた)の、私から見て左側だから、右の鎖骨のところに、くっきりと大きなほくろがあったんです。」

「なるほど。ところで、今思い出した、その過去の出来事の中で、その『先輩』に対して感じた感覚と、最近不倫相手に対して感じた感覚、あるいは奥さまと出会った頃に少し感じた感覚・・・えぇと、「吸い込まれそう」とおっしゃってましたっけ・・・それは、似ていますか?」

「はい。全く同じです。」
「なるほどね・・・では、どうやら、まいくんのほくろフェチの『ほくろに吸い込まれるような感覚』の正体は、その、小学生の時の出来事から来る、未解決の感情だったようですね。」

「なるほどですね。こうやって解明してもらえると、納得です。確かに同じ感覚です。」

「その時のことを、誰かに話しましたか?」
「いえ、当時は恥ずかしくてとても言えませんでした。」
「じゃあ、ずっと、胸にしまって生きてきた?」
「いや、大学生ぐらいの時に、男子同士の飲み会で話したことがあったんですけど・・・」
「もしかして『お前うらやましいぞ』的な扱いだったとか?」
「そう!そうなんですよ先生!私としては、凄く恥ずかしかったし、ちょっと怖くもあったし、それでもその・・・アソコが勃ってしまった自分が情けなくてアホみたいで・・・そういうことは言えませんでした。」
「そうですよね。ずっと抱えていて、苦しかったですね。」
「今思うと、そうだったのかもしれません。」
「その苦しさを、フタして分からないようにした・・・無意識にですが・・・そのストレスが、ほくろフェチという形で表に現れてきたのだと思いますよ。逆に言えば、そこをちゃんと治してあげると、ほくろフェチの問題も、収まっていくはずです。」
「先生、これで治るんですかね?」

性癖を直す(4)下|恋愛ドクターの遺産第2話

休憩時間は、皆、無言だった。なつをが持ってきた温かい麦茶をすする音だけが聞こえていた。
休憩後、再びセッションが始まった。ここでなつをは、なぜ休憩を挟んだのか、その意味がよく分かった。やはり先生はクライアントの負担を考えたのだ。

「あの、先ほどのお話の中で思ったんですが、ほくろのある女性を『好き』というのとは、何か違うな・・・と感じたんですよね・・・」

「えぇ、言われてみるとそうかもしれません。ステキだな、好きだな、という感覚とは、確かに違っています。なんと言うか・・・引き込まれる、吸い込まれる、あ、そうそう、視界が狭くなる感じもあります。」
「へぇ、そこに引き込まれて、吸い込まれて、視界が狭くなる・・・と。」
「はい。」

まいくんは、しばらく天井の方に目を向けていた。そして、こう言った。
「カミサンと出会ったときも、少しだけそういう感覚がありました。今関係を持って・・・いや、今はもう別れているんですが・・・その女性との時は、この感覚です。かなり吸い込まれる感じでした。」

「何か気になりますね、その感覚。」

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性癖を直す(4)上|恋愛ドクターの遺産第2話

「まいくんが、鎖骨のほくろに興奮するときの感覚を、できるだけ詳しく、言葉にしてみてほしいんです。」
ドクターは言った。

「えぇと・・・」五十代半ばのまいくんが、少し恥ずかしそうにした。
ドクターはその変化を見逃さず、すかさずこう付け加えた。
「もし・・・不倫相手とか、そうですね、一般的には不適切な関係のことをどうしても扱わなければならない場合でも、この場では「何を言ってもいい」というルールでやりますし、守秘義務は守りますので、ぜひ、心に一番正直になって、話して下さい。」

「はい。実は、そうなんです。最近ほくろに興奮したのが、その相手なので・・・」
「このセッションの中では、何さんとお呼びすればよいですか? イニシャルなどでも構いませんが。」
「みちこ・・・なのでMでお願いします。」
「では、Mさんですね。いままいくんは何を思い浮かべていましたか?Mさんの鎖骨のあたり?」
「はい。そうです。そこにほくろがあって・・・手を触れて・・・」
「そう、そのときに、どんな感覚がありますか? 今度はまいくん自身の感覚を探って下さい。」

まいくんは、目を閉じて、自分の感覚を探っているようだった。
「まず、意識がほくろのところに『ぎゅーっ』と吸い込まれるような、引き込まれるような感じです。そこに吸い付きたくて、食いつきたくて、居ても立ってもいられないような感じ・・・あ、この感じは、遠足の前の日にそわそわしてしまうときの感じを100倍ぐらいにしたみたいな感じです。」
「その、そわそわする感じは、体のどの辺で一番強く感じますか?」
「ええと・・・胸のあたりかな・・・ですね。あっ、それと、腰のあたりというか下腹というか、この骨盤の中のあたりなんですけど、じわーっと、独特の気持ちよさというか温かさを感じます。言うのはお恥ずかしいですが『勃ってくる』ときに感じる感覚と言いますか・・・」
「なるほど。結構頑張りましたね。なかなか、上手に表現したと思いますよ。」
「ありがとうございます。」

(でも結局、ほくろに興奮する、という話じゃないの)なつをは思った。ほくろに興奮するのが彼の性癖なのだったら、もうそれは、変えられないものではないのか。先生は細かく色々訊いているけれど、それを訊いたからといって、何かが解決できるとは思えなかった。でも、先生が考えている道筋は、今まで、大抵の場合正しかった。つまり今も、先生は何か考えているはずなのだ。それが何なのか、なつをには想像もつかなかった。自分と先生の観察力、洞察力の差があまりに大きいことに、なつを愕然とした。

「ちょっと5分ぐらい休憩しましょう。」ドクターが言った。

珍しいな。なつをは思った。セッション中に先生が休憩を提案することは珍しい。先生は思考能力が高い人だし、根性も持続力もある。先生自身が疲れて休憩する、ということは見たことがない。(もしかすると、クライアントの負担を考えたのかもしれない)なつをはそう思った。

(つづく)

恋愛ドクターの遺産(8)現実と夢

こんな時間か・・・ノートを閉じて時計を見たゆり子は、時間が随分経っているのに気づき、少し慌てた。

(幼稚園にお迎えに行かなきゃ・・・)

お迎えの自転車を漕ぎながら、ゆり子はまだノートの中の話を反芻していた。自分もサンドバッグになるイメージをして、相手の話を聞いたら、修復できるのだろうか・・・少し想像してみて、あまりに苦しいのですぐにやめた。
(あのこばやんという人は、とりわけ意志の力が強い人なんだよね、きっと。)
ゆり子はそう思って、自分とは関係ない世界の話にしようとしたが、ゆり子の意思に反して、ノートの中の出来事はずっと心に引っかかっていた。

「さくら、お待たせー。」

さくらはゆり子の一人娘だ。幼稚園の黄色いスモックを着て、髪はふたつ結びにしている。最近の子らしく、ドラえもんに出てくるしずかちゃん、というよりは、どこか初音ミクっぽい結び方だ。子どもを家に連れて帰る途中も、どうしてもノートの中のことが引っかかっていて、「ママ、今日ね・・・」と話しかけてくるさくらの話も、どこか上の空で聞いていた。

「・・・ママ、ママ、起きてよ!」

さくらの声で目が覚めた。
(もう4時半か・・・)ゆり子は壁の時計を見てそう思った。どうやら帰ってきて寝てしまったらしい。2時間ほど寝ていた計算になるか。でも、ゆり子は不思議な感覚に包まれていた。

(私、本当に寝ていたの・・・?)
先ほど、さくらに起こされたとき・・・いや、起きたというより、別世界からこちらの世界に「呼び戻された」という感覚だったが・・・ゆり子は、ドクターのセッションルームにいた。いや、そんなはずはないから、ドクターのセッションルームにいた夢を見ていた・・・と、一般的には言うのだろう。
(でも、リアルだった。生々しかった)

どうやら、夢の中で、あの世界に行ってきたみたいだ、とゆり子は思った。目の周りが濡れていた。どうやら、夢の中で涙を流したらしい。

そう、先ほどまで、ゆり子が体験していたのは・・・

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恋愛ドクターの遺産(6)「変化」−3

「では今度は、現在のあなたのまま、当時の世界に入っていく、とイメージしてみましょう。椅子を立って、向かいの椅子にいる、当時のあなたに近づいていってください。」

先生が誘導すると、こばやんが椅子を立ち、向かいの椅子の前に立った。

「私がこれから言う言葉を、今実際に声に出しながら、当時のあなたに伝えてあげてください。」

「はい。」

「呼びかけの言葉は『こばやん』でいいですか?」
ドクターが確認した。
「はい。」

「では、いきます。『こばやんは、悪くないでぇ』」
ドクターはこのときだけ、関西弁になってそう言った。

こばやんは、すぐには言葉を発しなかった。言おうとしているが言えない、そんな感じだ。頭が小刻みに、不規則に震えている。しばらくして、はぁ、とため息をついた。

「言えないもんですねぇ。」

なつをは、あぁ、ゆるしのワークを実践しているんだな、と思った。空椅子を置く「エンプティーチェア」のワークは一般的なセラピーの技法だが、いま先生は一般的なエンプティーチェアのワークをしているのではない。形だけエンプティーチェアの形式を借りているが、ゆるしのワークという別の技法だ。「悪くないんだよ」とゆるしの言葉を、自分を責めてしまっている過去の自分に対してかける。これは先生が編み出した技法だそうだ。

「もう一回やってみたら、言えるかもしれません。」
ドクターは続けた。
「こばやんは、悪くないでぇ。」

「こばやんは、悪くない・・・。」
こばやんの喉から、うっうっ、と嗚咽が漏れる。このワークは、自分を強く責めているほど、例のせりふを言うときに反応が出る。こばやんはどうやら、自分を無意識にかなり責めていたようだ。

「次は、この言葉を言ってあげてください。『よう頑張ったな』」
「よう頑張ったな・・・ほんと、よう頑張った。よう頑張ったな。」

こばやんの目から涙が落ちた。
ふとみると、表情が随分穏やかになっている。というより、笑っているようにも見える。大きな心の負担を抱えて苦しんでいた人が癒されていくとき、独特の明るい表情を見せる。以前、先生が「多くの人は負の感情を怖がって感じないようにするが、ため込んでいた負の感情を出すというのは、喜びに近いものだ」と言っていたのをなつをは思い出した。

そのあと、同様にいくつかのせりふを言ってもらって、ゆるしのワークは終了した。初めのせりふが一番の反応を引き出したようだ。感情が激しく動くと疲れるものだ。こばやんは少しぼうっとしているように見えた。

「最後に、確認のために、もう一度最初のように、当時のあなたになったとイメージしながら、そちらの椅子に座ってみて下さい。」

「はい。」

「当時のあなたになってみると、世界の明るさは、明るいですか暗いですか?」
「明るいです。」
「空気の温度は、暖かいですか、肌寒いですか?」
「ふつうやけど・・・少しぬくいです。」
「空気の重さは、軽いですか?重いですか?」
「あっ・・・重くないですね。軽いですわ。」
最後の質問に答え終わったあと、こばやんは「にっ」と笑った。

「先生・・・不思議ですね。あんなに重うて苦しかったのに・・・消えてしまいました。」

「そうですね。もう終わったことなので、こういう問題は解決が早いです。」
「そういうもんですか。」

ドクターはそれにはあまり答えず、まとめに入った。
「今日のセッションのポイントなんですが、これは、会社の危機に対して、十分に力を発揮してそれを救うことが出来なかったという罪悪感や無力感が、ずっと心にのしかかっていて負担になっていた、ということだと思います。」
「確かに、それはありました。ずっと不安で、苦しくて、でも業績は一向に良くならんし。ほんまに苦しかったですわ。あの頃は。」
「その時期に、みんなの期待に応えられず、十分に力を発揮できず、会社を救えず・・・となっていた自分自身を、徐々に責めるようになってしまったのだと思います。」

「そうですね。納得です。その通りだと思います。」
こばやんは、セッションに納得していたようだった。そして、大事な質問をした。
「先生、私のこのストレスが、夫婦仲がうまく行かなかった原因だった、ということなんですね?」

こばやんはそう尋ねた。なつをが「あぁ、このセッションもこれでまとめに入るのだな」と思ったそのとき、ドクターが意外なことを言いだした。

「いや、実はそうではないかもしれない、と思っているんです。
幼少期の愛情飢餓問題。そのことで、少し相談があるんですが。」

(えっ! なんと!)

なつをは心底驚いた。先生がなつをに対してあれほど明確に否定した愛情飢餓説を、クライアントを前にして堂々と言ってのけたのだ。

恋愛ドクターの遺産(6)変化−2

なつをは、こばやんの表情がみるみるこわばってきたことに気づいた。心理セラピーにおけるワークは、想像の世界で、ある意味、虚構の世界ではあるが、それが本人にとっては、相当のリアリティーのあるものだったりする。この場合も、すでに過去の出来事なのに、その当時のような緊張感がよみがえってきている。
こばやんの表情がこわばるにつれて、その場の雰囲気もピリピリと張り詰めたようになってきた。そんな中でもドクターは特に表情を変えることなく、相変わらず、穏やかな調子で指示を出していく。

(こういうところ、ホント先生はスゴイ・・・)

「こばやん、当時のあなたは、どんな服を着ていますか?」
「えと・・・スーツ姿です」
「髪型はどんなですか?」
「今と近いですけど・・・すこしボサボサな感じです。」

こばやんは髪のボリュームのあるタイプだ。髪が少しカールしているせいかもしれない。なつをにも、そこにはいないはずの、少し髪がボサボサな、当時のこばやんが見えたような気がした。

「どんな表情をしていますか?」
「かなり張り詰めた感じです。深刻そうな表情をしています。」

「では、当時のあなたになってみましょう。実際に椅子を移動して、そちら側に座ってみてください。」

ドクターが手で、向かいの空椅子の方を示して、こばやんを促した。こばやんが椅子に座る、絶妙なタイミングで、こう続けた。

「その椅子に座ると、当時のあなたになる、とイメージしてください。」

(意外とすんなり座るものだな・・・)
なつをは、以前このワークを勉強のために実践したことがある。大抵、向かいの空椅子には、自分にとって心地よくないものを座らせるため、空椅子に移動するときには、ものすごく心理的抵抗がある。なつをは一度「できません」と断ったことがある。その時も誘導役はドクターだったが、「そっかー、できないよねー。何か抵抗あるみたいだねー。」「はい。」「あ、でも、もう一回やってみたらできるかも。」「えっ!・・・」こんな感じで押し切られて、「えいっ!」と座ったのだった。座ってみると先ほどまでの抵抗感は急に消えていた。あれは本当に不思議な体験だった。
でも、こばやんは、はた目には、特に抵抗もなく、すんなり座ったように見えた。それがなつをには意外だった。

こばやんは、相変わらず厳しい表情をしている。ドクターは質問を続ける。

「世界の明るさはどうですか?」
「全体的に、薄暗く、グレーな感じです。」
「空気の温度は、温かいですか?肌寒いですか?」
「ふつう・・・ですかね。」
「空気の重さは、軽いですか?重いですか?」

これは先生必殺の質問法だ。空気の重さをきくと、その本人の持っている罪悪感の重さが分かるのだ。そもそも、罪悪感は非常に重たく、感じることに苦痛を伴う感情なので、人間は罪悪感を感じないように生きている。
先生は「罪悪感は感じない感情です」とよく言っている。感じないからない、のではなくて、感じないけど、潜在的にはそこにある感情、と禅問答みたいなことを言われたことがある。その、なかなか感じなくて、捕らえどころのない罪悪感を、質問一発であぶりだすことができる、先生の発明が「空気の重さは?」なのだそうだ。以前「どこの心理学の教科書にも書いてないけど」と自慢げに説明してくれた時の先生の得意げな表情を、なつをは今でも鮮明に思い出せる。実は友達が自分を責めて落ち込んでいるようなとき、なつをはこっそりこの質問を使っている。

「空気は・・・重いです。」

空気だけではない。こばやんの表情も、体も、全てから「重い」感じがにじみ出ている。

「ほんと・・・重そうですね。」

こういうとき、先生は、驚くほど軽い言い方をする。なつをには、その軽さが、クライアントの深刻さとミスマッチなようで、いつも気になる。先生自身が重い空気感に呑み込まれないために意識的にやっていることなのか、それとも、これも何かの、セッションの効果を高めるための「発明」なのか・・・一度聞いたことがあるが、そのときは適当にはぐらかされた。

「では一度、現在のあなたに戻ってきてください。」

ドクターは、先ほどまでこばやんが座っていた方の椅子・・・現在は逆に空椅子になっている方・・・を手のひらで指し示した。こばやんがゆっくりとそちらの椅子に戻る。

「当時の世界に入ってみて、どんな感じがしましたか?」
「えらいびっくりしました。ものすごい暗くて、重苦しゅうて・・・当時の感覚が全部よみがえってきましたわ。」

(つづく)