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踊るセラピー(9)|恋愛ドクターの遺産第4話

「やっぱり、ここから先は、自分で考えないといけないんだろうなぁ・・・」ゆり子はつぶやいた。

・・・

それから数週間、ゆり子は苦しんでいた。何に苦しんでいたかというと、自分の感覚を幸雄に理解できるように表現する方法について、である。
そもそも、ゆり子は、多くの人がそうであるように、自分の感覚を言葉にすることをそれほど努力してきていない。だから結局、相手に対する命令みたいになってしまうのだ。
たとえば、ある日、ふたりで食事をする約束があったとする。デートという言葉を使いたくないのは、長いこと、二人の食事が楽しくなかったからだ・・・出会った当初を除いては。それで、約束の時間に、幸雄が仕事で来られないことになった。まあこのぐらいなら、社会人として時々あることだし、がっかりはするが、この程度でいちいち腹を立てたりするゆり子ではない。ところでゆり子は先のことを色々考えて、気を回して、という行動を、女性の平均ぐらいには、する方だ。当然、そのレストランのことも調べてみるし、店の雰囲気に合った服装のことも考えておくし、どんな会話をするのか想像もするし、そして、料理の内容が事前に分かるなら、料理の話題についても、下調べをすることがある。
そして、これは実際にあった話なのだが、幸雄が突然、レストランを代えると言ってきたのだった。少し遅れてしまうので、コース料理が慌ただしく出てきてしまう、ということで、時間に余裕が取れる別のお店に代えると、当日に、言ってきたのだった。幸雄の言うには、「より良い店にしたんだから、問題ないじゃないか。」ということなのだが。肩すかしを食ったゆり子の気持ちは、何とか伝えようとしたのだが、結局話は平行線で、全く伝わらなかった。
その時にゆり子が言ったのは、「急に代えないでよ。」「せっかくそのお店にしたのに。」といった言葉。幸雄は「おまえ別にキャンセル料払ったわけでもないし、意味が分からない。」「遠回しに俺が遅れたことを責めてるのか?」という反応。
たとえばそんなとき、合理的に考えている幸雄と、気持ちの準備をして臨んでいて、その気持ちが肩すかしを食って、もっと高いレストランになるとしても、残念だったり、ため息が出るような気持ちを感じているゆり子の、感覚の違いを伝える言葉は、あるのだろうか。
ゆり子が悩んでいるのは、そういうことだ。本当に難問だ。本当に答えはあるのだろうか。

ここ数日、同じこと、つまり自分の感覚は幸雄さんには感覚が違いすぎて伝わらないのではないか、ということで悩んでいたゆり子は、ふとあることに気づいた。
(私の気持ちを、分かってもらえるかどうか、ということばかりで、悩んでいたなぁ。では私は、幸雄さんの気持ちをちゃんと分かっているのだろうか・・・)そう、あのレストランの一件で、確かにゆり子ががっかりする対応をした幸雄に、一般的な意味で言えば問題はあるだろう。女性の気持ちを分からな過ぎなのだ。でも、ゆり子なこんなことも考えていた。私の方から見て「意味分からない」「なんでそういうことするの?」とは、確かに感じたが、では、一体なぜ、お店を代えることがいいと思ったのだろう。私とは違うどんな感覚で、その選択肢が一番いいと思ったのだろう。逆にゆり子には、その幸雄の感覚が、まったく分からなかった。

(私も、幸雄さんのこと、ちゃんと分かってないんだなぁ・・・)ゆり子はそんなことを漠然と考えていた。

(第4話 終)

(つづく)

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踊るセラピー(8)|恋愛ドクターの遺産第4話

第五幕 ゆり子のVAK

 
(私は、視覚、聴覚、体感覚、どれなんだろう?)ノートを閉じて、ゆり子は考えていた。(そして、幸雄さんは、どれなんだろう?)今日もまた、ノートに教えられた。コミュニケーションは愛情の深さや真剣さがあれば通じるものと信じ切っていたゆり子にとって、そもそも視覚・聴覚・体感覚、という得意なチャンネルがあり、チャンネルがずれていると通じにくい、という要素があるなんて、脳天をなぐられたような衝撃的な気づきだった。

(私と幸雄さんも、単にチャンネルがズレているから通じないのだろうか・・・だとしたら、別居を決めてしまったのは時期尚早だったのかしら・・・)ゆり子は、夫の幸雄に一方的に別居を申し渡したことを思い出していた。あの時は真剣に考え抜いて出したと思っていた結論が、実は早まった行動だったのかもしれない、という考えが湧き上がっていた。そのことを考えると、胸のあたりがずーんと重くなる。そして娘のさくらの人生も含め、家族の人生がかかった決断を、自分はあまりに無知な状態で下したのかもしれない。そう思うと背筋に冷たいものを感じ、体中から嫌な汗が出てくるのを感じた。

「今それを考えても仕方ない。」ゆり子はひとりごとを言った。祖父の残したノート「恋愛ドクターの遺産」を読むようになって、色々自分の至らないことや、無知なことに気づかされることも多いが、実は一番プラスになっているのは、こうして、今考えても仕方ないことを、棚上げにすることができるようなったことだった。
人生は難問の連続だ。お金のこと、仕事のこと、人間関係のこと、とくに濃密な人間関係である恋愛や家族の問題は難しい。気にし始めたら、いくらでも気になることがあるし、完璧な安全、完璧に問題が起こらない状況を望んだら、それこそどれだけエネルギーをつぎ込んでも足りはしない。
ゆり子はノートを読むようになって、ノートの中の登場人物がいつも、自分と重なるような気がした。読み終わると必ず自分と重ね合わせて考える習慣が出来た。ノートの中に書いてあることそのものよりも、こうして自分のことを客観的に考えるクセがついたことの方が大事なのかもしれない。明確に言葉に出来たわけではないが、ゆり子は、漠然とそんなことを考えた。

「そう、今、そのことを考えても仕方ない。」ゆり子は再び自分に言い聞かせるようにそう言った。ノートを読んだ成果がこれだ。今考えても、人生にプラスにならない考えに、ぐるぐる囚われ続ける・・・これは以前別の心理学講座で学んだ「自動思考」というものらしいが・・・その自動思考の無限ループから抜け出すのが早くなった。その時にゆり子が自分を方向付けるために考え出した言葉が「いま、それを考えても仕方ない。」であった。

ゆり子自身は割と論理的なタイプだ。どこかの心理学講座に出たとき「まあいっか」と言う言葉を言って、細かいことに囚われることから抜け出そう、みたいに教わったことがあった。ゆり子も早速実践してみたが、始めの数回は良かったが、なんだか嘘くさいと思うようになってしまい、次第に効果が無くなってきて、やめた。そして、例のノートを読みながら結局自分でこの言葉にたどりついた。
たどり着いてみて思うことは、「まあいっか」はどこか、永久に棚上げするようなニュアンスがある。そこが嘘くさく思えてダメなのだ。講座で隣に座っていた女性は「すごく役立つ!」と言っていたが、ゆり子は元来、先のことをきちんと考えるタイプである。心の中に「永久に『まあいっか』とか言って放置して良いわけないでしょ!」という声が湧いてきて、その言葉では棚上げする気分になれないのだった。それで結局、「今は」という言葉を入れて、「今はそのことを考えても仕方ない」という、論理的に矛盾がない言葉にしてようやく、ゆり子自身の心に届く言葉になったわけだ。

では、今は何を考えるときなのか。ゆり子は、一旦、幸雄と自分の「チャンネル」について考えてみることにした。そういえば幸雄は、ノートの中の和義に少し似ている。「見える」「見通し」といった視覚的な表現をよく使うし、思考も早い。少し着心地が悪そうだがデザイン的にはとても良い服を、頑張って着ている。
(幸雄さんは、視覚派だ・・・)ゆり子はそう思った。そして、自分はどうだろう、と考えてみた。服は肌触りが大事だし、英子さんのようにコミュニケーションで自分の「感覚」を伝えたくて仕方なくなる。でもそれを表現する言葉が足りなくていつももどかしいのだが。
(私はやっぱり、体感覚派かも・・・)ゆり子はそう結論づけた。(そう考えると、英子さんと和義さんの関係は、私と幸雄の関係に似ているのかもしれない)ゆり子はノートの中の出来事が、またしても今自分が直面している問題に酷似していることに、驚いた。
(ただ、私は英子さんのように踊りは得意ではないけれど・・・)タイプは似ていても、やはり細かい部分で人は違う。そして、解決策も同じではない。踊って伝えるなんて、そもそも自分に出来るとは思えなかった。

「やっぱり、ここから先は、自分で考えないといけないんだろうなぁ・・・」ゆり子はつぶやいた。
(つづく)

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踊るセラピー(7)|恋愛ドクターの遺産第4話

「二人の関係が、もう少し『こんな風に』なったらいいな、と思っています。そうしたら楽しく、長続きする関係になると思います。英子より。」
この「こんな風に」のところには、二人の針金人間が描かれていて、手足が波打っている。見ているだけでも吹き出してしまいそうだが、描かれている本人(?)もいかにも楽しそうだ。ふたりのコンニャクたこ踊りをしている針金人間。

「いいじゃないですか。私も視覚派の人間ですが、何が言いたいのかものすごくよく伝わってきますよ。」ドクターが言った。

「あぁ、よかった。コミュニケーションって、言葉以外にも色々あるんですね。ここに相談に来て、それが分かったのがよかったです。」英子は心底ほっとしたような、朗らかな笑顔を見せてそう言った。

「そうですね。まあ、言葉にする、というのが基本ではあるのですが、あまりそこにこだわりすぎると、かえって本質を見失ってしまいますから。本質はとにかく『伝わる』ということですから。この絵入り文章は、言いたいことがよく伝わってきますね。」
「はい。先生にそう言っていただけると自信が出てきました。」
「さて、簡単に今日のまとめをしておきますが、」ドクターは少し真面目な声に戻って言った。
「はい、お願いします。」
「人間には、視覚派、聴覚派、体感覚派がいます。そして、英子さんは体感覚派。彼は視覚派ですね。」
「はい、そうでした。」
「前回やったように、まず、自分が得意なチャンネルを上手に使って表現する、これが第一ステップ。英子さんの場合は踊って表現する、というのがそうでした。」
「はい。」
「そして、次のステップは、今度は、相手の得意なチャンネルに訴えかける、ということ。」
「はい。」
「その、ひとつの案として、絵入りの文章で伝える、ということを英子さんが考えてくださいました。」
「はい。そうですね。」
「他の方法も、もし思いついたら、やってみてもいいと思いますよ。但し、あなたが体感覚派、彼が視覚派ということを念頭に置いて、発想するのがポイントです。」
「そうですね。」英子は、メモを取りながら返答した。

「そして、まあ、これは、若干蛇足かもしれませんが、これまでうまく行かなかった理由。」
「えっ!? あ、それ、知りたいです。」
「それは、お互いに聴覚は苦手分野なのに、お互いの苦手分野である聴覚、つまり言葉だけに頼ってコミュニケーションしようとしていたからです。」
「あっ!」英子は、ハッとした表情になった。「そうですね!確かに、私も彼も、どっちも苦手な方法でコミュニケーションを取ろうとしていたんですね!それじゃあうまくいかないですよね!今すごく腑に落ちました!」

「先生、ありがとうございました。」
「ありがとうございました。うまく行くといいですね。」

お互いに深々と頭を下げて、セッションは終わった。
(つづく)

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踊るセラピー(6)|恋愛ドクターの遺産第4話

第四幕 躍る文字

「失礼します。」前回よりもずっとカジュアルに、Gパンとサーモンピンクのカットソーを着て、英子が入ってきた。ダンスで鍛えているからか、スタイルの良い英子にはシンプルな服もよく似合う。

今日は、英子のセッションの日。たしか前回は、彼に対して言いたいことを「踊って伝える」という課題で終わったのだった。

「それで、その後どうですか?」ドクターが尋ねる。
「そう、先生、それで、彼に踊って伝えてみたんですよ。」
「お、やりましたね!どうなりました?」
「私自身のことを言えば、今まで言えなかったのが、とにかく表現できたことは大きかったと思います。とにかく、踊れば伝えられる、ということが分かりました。」
「それはよかった。」
「ただ・・・」
「ただ・・・?」
「彼は『なんとなく言いたいことは分かる』って言ってはくれたんですけど、そんなにピンと来てはいないようでした。」

「なーるほど。じゃあ、今回は、そのあたりを、もっとうまく伝えていく方法を一緒に考えていきましょう。」
「はい!お願いします!」

「ところで、彼の口ぐせって、何かありますか?」
「口ぐせ?」
「そうです。口ぐせです。」
「えぇと・・・」英子は考え始めた。しばらく沈黙があったが、不思議と前回のような重苦しさはない。
「そういえば、彼にはよく『お前は物事が俯瞰できていない』と怒られます。」
「なるほど、『俯瞰』ですね。」そう言いながら、ドクターはホワイトボードに『俯瞰』という文字を書いた。「『俯瞰』という字は、なかなか難しいですね。」
「そうですね。」
「ほかには、ありますか?」
「あ、彼が何かに気づいたとき、ひらめいたときよく『見えた!』って言います。」
「なーるほど。」ドクターは、ははあ分かったぞ、という得意げな表情になってそう言った。
「彼は読書は早いほうですかね?」
「はい。」
「話すのも早いほうかな?」
「はい。彼はとても頭の回転が早くて、話すのも早いですね。」
「彼が、見た目を気にするのはどんなことですか?自分の見た目という意味意外にも、カバンは機能性より見た目で選ぶとか、どんなことでも。」
「えぇと、彼はコーヒーカップをデザインで選ぶことが多いです。取っ手が持ちにくいとか言いながらも、この絵柄が気に入ってるんだよね、みたいなことを言って、結局使っています。」

「あの・・・」なつをが口を挟んだ。あとで怒られるかな、とは思ったが、どうしてもこの会話が脱線した雑談にしか聞こえなかったのた。「この話と、英子さんの悩みと、どう関係しているのでしょうか?」

「そうそう、そうでした。」ドクターは機嫌がいいままだ。なつをは少しほっとした。「説明していませんでしたね。失礼しました。」英子の方を向いてドクターは言った。「実は、英子さんは前回のセッションでVAKで言うとKのタイプだと分かったんですが、彼がどのタイプなのかを知りたかったんです。」
「Kのタイプ・・・?」
「VはVisual 視覚です。AはAuditory 聴覚。そしてKはKinesthetic 体感覚と訳しますが、運動の感覚や触覚のことです。」
「はい・・・」
「人によって、どの感覚が鋭敏か、違っているんですね。そして、違っていると、コミュニケーションが取りづらいことが多いのです。」
「あぁなるほど!分かってきました。ええと・・・K・・・なんでしたっけ?」
「体感覚ね。」
「あ、体感覚の私に対して、彼はつまり、視覚、ということですね?」
「そうそう。そういうことです。」
「確かに彼は、いつも視覚的だと思います。俯瞰とか見通しとか『見えた!』とか、視覚的に物事を捉えていると思います。頭のいい人はみんなそうなのですか?」
「いや、頭の良し悪しとは、直接関係ないはずですよ。ただ、学校の勉強は視覚的に学ぶことが多いですから、視覚派の人の方が学校での成績は良いことが多いみたいですけどね。」
「なるほど・・・それで、私は、体感覚の人、ということですね。」
「そうですね。ダンスやヨガが好きな人は、体感覚派のことが多いです。そして、今日着ていらっしゃる服も、ビジュアル的なデザインよりも、おそらく体にフィットしているかどうかとか、着心地とか、触覚的な基準で選んでいらっしゃるのではないかと思うのですが。」
「あ、はい、着心地100%で選んでいます。」

「さてそろそろ、話の核心に戻りたいのですが、」
「はい、お願いします!」
「英子さんと、彼氏さんの間で、話が通じにくい理由ですが、前回は英子さんがかなり体感覚優位の人なので、その豊かな感覚・感情を、うまく言葉に出来ない。そこで、言葉にはせず、体の動きで、そう、感覚は感覚のまま表現してみよう、という方針を立てました。」
「そうですね。ありがとうございました。」
「今回は、少し上級編になりますが、彼の感覚が視覚なので、英子さんも少し頑張って、視覚的に表現することにチャレンジしてみましょう、という方針を考えています。」
「あぁ、なるほど。彼に伝わるように・・・ええと、話す?いや、踊る?どうやって伝えるのでしょうか?」
「そう、そこがポイントなんですよね。どうやって伝えるか。それは今日ここで、一緒に考えていこうと思っていまして、私もまだ、決めているわけではありません。どうやって視覚派の彼に、分かりやすく伝えていきますかね?」
「えぇと・・・どうすればいいのでしょう?」
「一般的には、図を書いて視覚的に説明する、話し始める前にきちんと箇条書きにして整理しておく、といったことが、視覚派の人に何かを伝えようとするときには有効です。」
「なるほど・・・踊って伝えるのと混ぜてもいいですか?」
「たぶん、大丈夫です。どうやるんですか?」
すると、英子は、ドクターからペンを借りてホワイトボードに絵を描き始めた。いや、絵なのか字なのか分からない。ドクターは嬉しそうにニコニコしながらそれを見ている。

以下、英子が書いた・・・いや、描いた文章はこうだ。英子が読み上げる。
「和義さん、最近、私達が以前より『こんな感じ』で過ごすことが増えてきたと思います。」英子は「こんな感じ」と読んだが、ホワイトボードの該当する位置には、針金人間が二人書かれていて、目は点、口は真一文字、そして吹き出しが書かれていて、その中は「・・・」だ。一目見て、気まずい沈黙、険悪な空気、的な表現だと分かる。

「私はあなたの、正義感が強いところや、問題を放置せずきちんと対応するところは、尊敬しています。ただ、ときどき、そのことで『こんな感じ』に感じることがあるのです。」
今度の「こんな感じ」の部分は、やはり針金人間が書かれている。今度は一人だ。英子自身を描いたのだろう。気をつけをしていて、いかにも緊張しているように見える。

「二人の関係が、もう少し『こんな風に』なったらいいな、と思っています。そうしたら楽しく、長続きする関係になると思います。英子より。」
この「こんな風に」のところには、二人の針金人間が描かれていて、手足が波打っている。見ているだけでも吹き出してしまいそうだが、描かれている本人(?)もいかにも楽しそうだ。ふたりのコンニャクたこ踊りをしている針金人間。

「いいじゃないですか。私も視覚派の人間ですが、何が言いたいのかものすごくよく伝わってきますよ。」ドクターが言った。
(つづく)

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踊るセラピー(5)|恋愛ドクターの遺産第4話

「なつを君、なぜ踊ってもらったか、それは分かりますか?」
「えっ!? そこに目的というか、意図なんてあったんですか?」
「ありますよ。もちろん。」
「お願いします。教えてください。」

やはり、先生には意図があったのだ。踊るという方向に持っていった意図が。なつをはまた、自分と先生の経験の深さに、あまりに大きな隔たりがあることを感じ、愕然としていた。

そんななつをの様子にはお構いなしに、ドクターは語り始めた。

「なつを君、VAKって知っていますか?」
「はい。人には得意なチャンネルがある。VがVisual、視覚。AがAuditory、聴覚。Kがキネ・・・なんでしたっけ?」
「KはKinesthetic、通常は『体感覚』と訳しますが、触覚や運動の感覚のことです。」
「あぁ、そうでした。」
「英子さんは、ヨガやダンスをしているとのことでした。このような、体を使う趣味を持っている人は、大抵、VAKのK、体感覚が優位のことが多いのです。」
「そうなんですね!」
「えぇ。そして、体感覚派の人は、自分の感情を体の感覚として感じてみる、といったときに、非常に豊かな感覚を持っているわけです。」
「なるほど・・・」
「そして、一方で、その豊かな感覚を、十分に言葉で表現できるか、といったら、必ずしもそうではない。」
「英子さんは、言葉による表現は苦手、ということなんですね。」
「いや、そのニュアンスは、少し違います。」
「えっ・・・?」なつをはだんだん分からなくなってきた。いま先生は、英子さんはVAKのKだと言った。一方でそれを十分に言葉で表現できない、とも言った。だがしかし、言葉による表現は苦手、ではないと言う。禅問答のようだ。
ドクターは続けた。「言葉による表現は『苦手』なのではなく『人並み』なのだと、私は思いますよ。但し、感情の感じ方、体の感覚の感じ方が、人一倍繊細で豊かなので、その豊かな感覚を表現するには、語彙が足りない、ということが起こるのではないかと思います。」
「あぁなるほど、体感覚が豊かすぎるから言葉に出来ない、ということなのですね。」
「えぇ、そうだと考えました。」

「それで・・・?」なつをは先が知りたかった。
「そう、それで、踊って表現してもらおうというのは、私のその場の思いつきなんですが、」ドクターはさらりと言いのけた。
(えっ!あんな大事な展開が「その場の思いつき」とは・・・この人、真面目なんだかイイカゲンなんだか、理詰めで考える人なんだか、直感で突っ走る人なんだか・・・分からなくなってきた)
なつをが当惑するのをよそに、ドクターは話を続けた。「実際にダンスをやったりして、自分で表現をしているわけです。英子さんは。だったら、その、いつも使っている『ダンス』というチャンネルを使って、表現してもらったら、何か面白い表現が出てくるかもしれない、まあそう考えたわけです。」

なるほど、聞いてみれば納得の説明だ。なつをは思った。それにしても先生、それをその場で思いついて実践できるのがスゴイ。

そういえば、なつをはもうひとつ思い出していることがあった。何年か前、先生が「自分の感情が分からない」と主張するクライアントのセッションをしているときだった。そのクライアントは公認会計士で、日頃は企業の「健康」を会計の数字で診断していく、そんな仕事をしている人だった。頭に偏った仕事をしているからなのか、自分の気持ちを感じる、ということについては、からっきし苦手なクライアントだった。そして、やや無理をして元気を取り繕う、そんな傾向があった。
そのクライアントに対して先生は、「自己資本比率ってありますよね?」と切り出したのだった。当然相手は企業会計の超専門家、知らないはずはない。釈迦に説法のような話を始めて大丈夫なのかとなつをがヒヤヒヤしながら聞いていると、先生は平然とこう続けた。
「それと同じように、『自己元気比率』を考えてみてはいかがでしょう。いま、あなたが表面的に持っている元気が、資産の部だと思って下さい。企業会計でも、流動資産・固定資産、と表面的に持っている資産がありますよね。そして、一方で、負債の部もありますね。短期借入金があって、長期借入金があって、そして本当に自分の持ち物になっている分が、資本ですよね・・・と、会計の細かい話はいいんですが、それと同じように、今アナタが表面的に持っている元気を、借入金みたいな「カラ元気」と、資本に相当する「自己元気」に分けてみて下さい。直感で、このぐらいかなぁ、と判定すればそれでOKです。」
「なるほど。自分がいま持っている元気を、仮の、いや、借りの元気と、自己資本の元気に分けて考えてみる、ということですね。企業会計で、自己資本比率を月次でチェックするように、自分の元気を・・・」
「毎日チェックして下さい。」
「なるほど、毎日ですね。」
なつをには、会計の話はイマイチピンと来なかったが、そのクライアントには響いたようだった。そして、数回のセッションの後、そのクライアントは自分の気持ちをちゃんと感じる習慣を身につけたのだった!

そのとき先生はこう言っていた。「彼は、日頃から企業会計について考えるという頭の使い方をしています。自分の気持ちを探る、という頭の使い方には、慣れていないのです。慣れていないことを『とにかくやれ』とやらせるのも、ひとつの考え方ですし、それが間違っているとは思いません。ただ、彼が日頃から「会計頭」を使っているのなら、同じ「会計頭」を自分の気持ちを探るためにうまく活用できれば、少ない労力で、今直面している問題を解決できるのです。」
「そういうものですか?」なつをはあまりに明確な方針を先生が立て、堂々と語るので、圧倒されてしまった。

その当時から、先生の方針は一貫している。相談者の持っているものを如何に上手に引き出して問題解決に当たるか。使えるものは何でも使う、という方針だ。ただ、踊るセラピーはインパクトがありすぎた。なつをは「このセッションは一生忘れないだろうな」と思った。

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踊るセラピー(4)|恋愛ドクターの遺産第4話

「なるほどね。では、ちょっとセッションのやり方を変えてみましょう。」
「はい・・・」
「私は、先ほどと同じ質問をします。でも、英子さん、あなたは、言葉で答える代わりに、答えを体の動きで表現してください。」
「えっ!? あ、はい、分かりました。」

「では行きますよ。今の彼との関係を、どう感じていますか? 体の動きで表現してください。」
「はい。」
英子は椅子から立ち上がり、直立不動、かなり力の入った「気をつけ」の姿勢になった。
「ああなるほど、こうね。」ドクターも、着席したままだったが、「気をつけ」の真似をして体に力を入れた。「なんか、とても緊張して、苦しい感じが伝わってきますね。」
「そう!そうです!緊張するんです!」英子は今日一番大きな声を出してそう答えた。声も先ほどよりずいぶん明るい。

「では、彼との関係が、どうなったらいいと思いますか? また、体の動きで表現してください。」
「はい。こんな感じに。」
今度は、英子は体の力を抜き、腕をだらんと下げ、そして体を左右にぐにゃりぐにゃりと曲げた。
「なるほど、ナイスなたこ踊りだ。」ドクターは笑いながらそう言い、今度は椅子から立ち上がって、自らも同じ「たこ踊り」を踊った。
「あははは、そう、そういう感じです!」
「あはははは、こういう感じですね!よく分かりますよ!」
なつをもつられて笑ってしまった。

「もう一回やってみましょう。こんな感じ!」ドクターは、今度は自らたこ踊りを踊った。
「あははははは、こんな感じです!」英子も踊った。
「あははははは」なつをもつられて、大笑いしてしまった。

「はい、では、なつをさんもやってください!こうです!」ドクターは今度は、なつをにもたこ踊りをやるよう指示した。
「はい。」なつをは少し遠慮がちに体を左右に揺すった。
「いや、まだまだです。こうです!」ドクターはさらに大げさに体を左右に揺すって、ぐにゃりぐにゃりとたこ踊りを踊った。
「えーっ!」そう言いながらも、なつをは今度は思い切って、ぐにゃりぐにゃりと体をくねらせて、今日一番のたこ踊りを踊った。
「わははははは。」
「わははははは。」
「わははははは。」
三人とも、腹の底から笑った。

「さて。」少し落ち着いてきて、着席しながらドクターが言った。「つまり、力が抜けて、自然体の自分で居られるようになりたい、そういうことですね?」
「はい!そう、そうなんです!その言葉が出てきませんでした。私、英語の先生なのに、うまく言葉が出てこないんですよ。」
「そうなんですね。楽しい先生ですね。」
「えっ?そうですか?」
「いいじゃないですか。体で表現すれば。生徒もついてきますって。」
「あ、そうですね。そういえば、それ、よくやっています。」
「でしょう? では、本題に戻りますが、さっきやった、こんな感じ」そう言いながら、ドクターは少し体を左右に揺すって、続けた「その感じになるには、具体的には、彼との関係で、何が出来たらいいですか? あるいはどうなったらいいですか?」

「そうですね・・・思っていること、言いたいことが言えたらいいな、と思います。」
「あぁなるほどね。もしかして、今日この場で起きたみたいな、言えなくて沈黙、みたいなことが、彼との間でも起こることがある、ということですか?」
「そう!そうなんです!」

「じゃあ簡単だ。彼にも、踊って伝えればいいんですよ。」
英子となつをは同時に吹き出してしまった。

その後、このセッションでは、英子が彼に自分の気持ちを伝える際、踊って伝えてみるという行動課題が設定され、とくに、今日話した「今の二人の関係は息苦しい」「自然体になりたい」というポイントを(もちろん踊って)伝えることにチャレンジする、という重点課題も決まった。

「重点課題を決める」と言いながら、完全に楽しそうに作戦会議をしている英子とドクターを見て、なつをも一緒に楽しい気分になった。そして、自分が学んだ「カウンセリングの基礎」などの真面目な方法論が、カウンセリングのほんの入口に過ぎないことを改めて痛感したのだった。

(奥が深いなぁ)なつをは心の中でそう言った。

・・・

例によって控え室では、なつをがまた、ドクターを質問責めにしていた。
「先生、なんでセッションの時間に、踊るみたいなことを始めたんですか?」
「え? まあ、それで先に進んだじゃないですか。何か問題でも?」

「いや、先に進んだという点では、異論はありませんけど・・・でも、そんなの、カウンセリングの教科書にも書いてないし、あまりに変じゃないですか?」
「あぁ、確かに『あまりに変』ですね。」ドクターはニヤニヤしながら答えている。「でも、『あまりに変』なやりかたが、結果的に停滞していたセッションを動かしたのですから、結果オーライじゃないですかね?」

なつをは、自分の「常識」からあまりにかけ離れたセッションで「うまくやった」ドクターに対して、何と説明していいか分からない、混乱した気持ちを持っていた。だから、質問も的を射ていない。

「なつを君、なぜ踊ってもらったか、それは分かりますか?」
「えっ!? そこに目的というか、意図なんてあったんですか?」
「ありますよ。もちろん。」
「お願いします。教えてください。」

やはり、先生には意図があったのだ。踊るという方向に持っていった意図が。なつをはまた、自分と先生の経験の深さに、あまりに大きな隔たりがあることを感じ、愕然としていた。

そんななつをの様子にはお構いなしに、ドクターは語り始めた。
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性癖を直す(9)上|恋愛ドクターの遺産第2話

第五幕 妻

それから一週間ほど経って・・・

「先生、どうして解決したのに、まいくんの奥さまがいらっしゃるんでしょうか?」
「さぁ。解決したというのは、こちらの勝手な思い込みなのではないでしょうかね。」
「では、何かまだ問題があるということでしょうか。一体何が?」
「なつを君、それはご本人がいらっしゃったときに聞けば済む話です。聞けば済む話を勝手に推測しない!」

また怒られた。なつをは思った。勝手に妄想して、勝手に推測して、ついつい先生に色々質問してしまう。いつもの悪いクセだ。先生のこの落ち着きを、1割でも自分にほしい、そう思った。

「なつを君、そろそろみきさんがいらっしゃいますよ。」
「みきさん・・・えぇと・・・」
「まいくんの奥さまです。」
「あ、そうでした。」

ノックの音がして、みきさんが入ってきた。本名は舞鶴美紀。ドクターは親しげに「みきさん」と呼んでいる。

「こんにちは。」みきさんは小柄で可愛らしい感じの女性だ。服装は全体的に地味だ。ダウンの入ったコート、というかジャケットを着ているが、落ち着いた茶系の色なので、街ですれ違っても、とくに記憶には残らないだろう。
コートを脱いで、壁のハンガーに掛けた瞬間、その印象は大きく変わった。胸の大きく開いた服を着ているのだ。冬でも鎖骨が見えるようにしているのだろうか。なつをはついそんなことを思ってしまった。

ドクターとみきさんが着席して、セッションが始まった。

「みきさん、本日はご相談ありがとうございます。」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。」

「今日こうして、ここにいらっしゃって、この時間を使って頂いたことで、何がどうなったら、今日は相談に来た甲斐があったな、と思いますか?」

これはスターティングクエスチョンだ。なつをは思った。セッションの始めに、今日の終わりにどうなっていたいのか・・・これを「ゴール」と呼ぶのだが・・・、それを問うことで、お互いに無駄な時間を使うことなく、有意義なセッションを行うことが出来る。これは、カウンセリング、とくに解決志向ブリーフセラピーという短期療法の教科書には必ず書いてある技法だ。でも・・・なつをは以前、先生に質問したことがある「セッションの方向性をきちんと決めるために、スターティングクエスチョンをするんですよね?」と。

先生の回答はこうだった。「まあ、教科書的にはそうです。なつを君も、始めのうちはそういう目的でスターティングクエスチョンを使って下さい。」と。なつをが「では先生は今は違うんですか?」と尋ねたら、「そうですね。今は少し違うかもしれません。なんと言うか、儀式ですよ、儀式。白衣を着ると気持ちがシャキッとするでしょう?そういうのと同じ。この質問をすると、さあ今からベストのセッションをするぞ、というモードに入るんです。そう、スポーツ選手でも毎回同じ動作をする人、いるでしょう?そういうのと同じですよ。」ベテランは言うことが違う、となつをは思ったものだった。

(づづく)

性癖を直す(5)下|恋愛ドクターの遺産第2話

「先生、これで治るんですかね?」

「今日のセッションだけでも、随分軽くなるはずです。でも、これだけだとまだ十分じゃないと思っています。」
「はい。」
「まず、あと、残りの時間で、『ゆるしのワーク」をやりましょう。」
「はい。」

ドクターは、なつをに椅子を持ってこさせると、ゆるしのワークを始めた。
「悪くないんだよ」
「よく頑張ったね」
「優しい子だね」
の三つのゆるしの言葉を、過去の自分にかけてあげるワークだ。
まいくんは、あの、小学生の時の衝撃的な体験をした、過去の自分に、何度も何度も、ゆるしの言葉をかけていた。

「先生、随分軽くなりました。こういう根っこを抱えていない方って、こんな風に軽い気持ちで毎日生きているものなんでしょうか?」

「私も、全ての人の感覚が分かるわけではないですし、他の人の感覚って、知るのが難しいですから、何とも言えませんが、たぶん、そうだと思います。」

「これで、治りますかね?」

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性癖を直す(3)|恋愛ドクターの遺産第2話

そろそろ今日も、まいくんが来る時間だ。

・・・

「こんにちは、先生。」
「まいくん、こんにちは。」

お互い穏やかに挨拶をして席に着いた。

「まいくん、今日はまいくんの『フェチ』・・・つまり現在夫婦問題の中心課題になっているそれですが・・・それについてお話をしたいと考えているんですが・・・」
「はい。私もそうして頂きたいと思います。」
「ですが、その前にひとつ、確認したいことがあるんです。」
「何でも聞いてください。」
「それは、もしまいくんが、女性の鎖骨にあるほくろに興奮するのでしたら、奥さまの鎖骨にもほくろがある、ということなんでしょうか? だとしたら、なぜ奥さまのほくろには反応しなくなったのか。逆に、ほくろがない、ということでしたら、じゃあどうして、奥さまのことを好きになったのか、という疑問が湧いてくるわけです。」

なつをはちょっと赤面してしまった。いきなり生々しい会話が始まった。ほくろに興奮するかどうかの話だ。なんだか、自分の鎖骨も見られているような気がして恥ずかしくなってしまった。もちろん白衣を来ているし、その下にも色々着込んで隠れているので、実際には見られるはずがないのだが。

「実は先生、妻の鎖骨には、結婚前にはほくろがあったんです。でも、いつの間にか薄くなっていって、今ではほとんど見えません。その頃からですね。他の女性を求めたくなってしまったのは。」
「なるほど。まいくんが魅力を感じていた「ほくろ」を、奥さまは、かつては持っていた。でも、次第に消えてしまった。なかなか悩ましい展開ですね。」
「そうなんですよ。自分でも、こんな風になるなんて、想像もしていませんでした。」
「奥さまは、まいくんがほくろフェチであることをご存知なのですか?」
「はい、知っています。知っているからこそ、自分のほくろが消えてしまったことに責任感を感じてもいるようで・・・でも、ほくろなんて頑張っても濃くできるものでもありませんし、責任を感じる必要はないのですが・・・」
「そうですね。でも、現実問題、ほくろがないと、まいくんが自分に・・・この表現が適切か分かりませんが・・・『女』を感じてくれない。その事実は、重くのしかかっているわけですよね。」
「はい。お互い辛いけれど、どう解決していいのか分からないんです。」

なつをがここで割って入った。
「つけぼくろをしてもダメなんですか?」
ドクターとまいくんが同時になつをの方を見た。

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性癖を直す(2)|恋愛ドクターの遺産第2話

「先生、これって、治るものなんですか?」
なつをは相変わらず、恋愛ドクターAに食ってかかるような口調で質問していた。
「それはまだ分からない。」

「性的な嗜好は変えられない、と、先生が薦めてくれた本に書いてありましたよ!」
「だからまだ、分からないと言っているじゃないか。そもそも、君はいつも、クライアントを見ていない。本の内容ばかり振りかざす。その姿勢はダメだと、前も言ったばかりですよ。」
「いや・・・だから・・・その・・・」
なつをは口ごもった。また言ってしまった。どうしても自分は思ったことを口に出さずにいられない。自分だって先生が言っているような、まだハッキリとは分からない、ということは、分かっているはずなのに、先生の態度を見ているとどうしても口を出さずにいられなくなる。そして毎回先生とこういう不毛な議論になるのだ。

今回のクライアントは、先生が「まいくん」と呼んでいる男性だ。舞鶴研一。研くんとか研ちゃんのほうが普通の呼び名のようだが、苗字が珍しいせいか、昔からまいくんと呼ばれているらしい。親しく呼ぶのが好きな先生は迷わず「まいくん」と彼のことを呼んでいる。「くん」付けだが、彼は50代半ばだ。短く刈っている髪にはだいぶ白いものが混じっている。
まいくんも、妻と離婚しそうだということで相談に来た。まいくん自身が浮気をしてしまったため、妻と別居中とのことだった。

実はまいくんの妻は、浮気自体には、比較的寛容な考えの持ち主だ、ということがまいくんの話から分かった。もちろん、家庭を壊すような浮気は困るけれど、いっときの気の迷いや、夫婦二人でずっと向き合い続けていく息苦しさから、一旦外に目を向けるようなことは、積極的にしようとはさすがに思っていないが、必要悪、ぐらいには捉えているようだった。
にもかかわらず、まいくんが離婚の危機に直面している理由は、まいくんの、ある、性的な嗜好にあった。まいくんは「ほくろフェチ」なのだ。女性の鎖骨のあたりにほくろがあると、とても興奮して、その女性と関係を持ちたくなってしまう(し、実際にそうしたことで、今の問題が起きている)。逆に、鎖骨のあたりにほくろがない女性には、あまり魅力を感じないのだ。

「先生、ほくろフェチを治そうなんて、本当に出来るんですか?」
なつをは先生に向かって、そう質問した。

「はぁ・・・」ドクターはため息をついた。

「前も君には言いましたが、『ほくろフェチ』について君はどれだけ分かっているのですか? 問題がどういうものなのか分からないうちから解決策を考え始めて、いい案が出てくるわけないでしょう? まいくんのほくろフェチとは、どういう感覚の症状のことを言うのか、君は、どれだけ理解しているのですか?」

また言われてしまった。なつをは思った。そうなのだ。私は単に鎖骨のあたりにほくろがある女性を好きになるという、まいくんのパターンだけを見て、分かった気になっていたのだ。でも、実際まいくんがどんな感覚でほくろのある女性を見ているのか、逆に、どんな感覚でほくろのない女性を見ているのか、全く知らなかった。

「知らないことは罪ではない。」これは以前先生に言われた言葉だった。そう、どんなに性格が似ていても、どんなにそれまでの人生経験が似ていても、他人は他人。他人の考えや感じ方が分からないことは、ある意味仕方がない。でも、無知であることを認めて、知ろうと努力をすることが大事なのだ、と先生は常に言う。全くその通りだと思いながらも、いつもまた、こうして先生に指摘される展開になる。

「全然分かっていません。でも、どうしたら分かるんですか? 私、なんとかフェチとか、自分にはあまりないと思うんです。だから、なんとかフェチの人の気持ちが分かりません。」

「訊けばいいんですよ。本人に。訊けば済むことを勝手に推測するなんて、百害あって一利なしです。」

なつをは以前、自分の悩みが深かった頃、色々なカウンセラーのところにも通ったし、スピリチュアル系のいわゆる「ヒーラー」と名乗る人にもお世話になったし、占い師の先生も何人もはしごした。その結果、色々な相談業を比較できるほどの経験を得た。その中で、ひとつ言えることがある。この先生は、本当に、占い師的な「天の啓示が降りてくる」的なことを一切しないのだ。占い師は、相談者には見えない何かが「見え」て、それを教えてくれる人、というイメージがある。全ての占い師がそういう意識なのかは分からないが、少なくとも受けに行く側は、自分には見えない何かを見てもらうという意識があるだろう。カウンセラーやセラピストと名乗る人にも、そういった、自分は「見える」ということを標榜し、受けに行く側もそれを期待している、という人は多い。でも、先生はどこか、そういった「見える」ことを見下している感じを持っている。以前「それで?見えたからどうだというんですか?」と明確に否定していた。そして今回も、本人に訊けばいい、と。
そろそろ今日も、まいくんが来る時間だ。

(つづく)