酸っぱいブドウの話をご存知でしょうか。
イソップ寓話のひとつです。
キツネが高いところにあるブドウをみて、取れないので、「どうせあのブドウは酸っぱいに違いない。食べてやるもんか」と捨て台詞を吐いて去っていく、という寓話なのですが・・・
自分には手に入らないと思うものに関しては、人間はその価値を低く見ようとする傾向があります。
「学歴なんてただの飾りだよ」
「彼がいると自由がなくなって面倒でしょ?」
「お金を持つと、ろくなことがない」
その考え方が心に定着すると、今度は自分を縛ってしまいます。
たとえば、学歴を「飾り」「不要なもの」と自分で決めてしまった人は、必要が出てきて学校に行かなければいけなくなったときにも、抵抗を感じてしまうのです。
彼といると自由がなくなる、と決めてしまった人は、彼氏がなかなかできなくなります。
お金を持つとろくなことがない、と決めてしまうと、お金に縁遠い人生を歩みます。
いずれも、あるときの自分の状態を肯定するために、自分が持っていないものの価値を低く見積もってしまったために、自分の人生の可能性を狭くしてしまったのです。
ところが・・・
彼といると自由がなくなる、と決めてしまった女性でも、やはり彼がほしいと思うようになったとします。人生経験を積んで、自分を変えてみようと思ったのです。
すると、今までは、別に何もうらやましいと思えなかった、彼氏がいる女性を見ると、うらやましく感じたり、嫉妬を感じたりするようになります。
そうです。
酸っぱいブドウの話は、自分が無力感や焦り、嫉妬などを感じないために心の中で、「それは価値がないから、自分にはいらない」と、自分の人生から除外するための心の働き(専門的には「防衛機制」)なのです。
人生を変えてゆくときには、一旦、本当の気持ちを感じる必要があります。今までフタをしてきた無力感や焦り、嫉妬などを感じるからこそ、前に進めるのです。
今までずっと「あれは酸っぱいブドウだ」と言ってきた人が、現実を直視するようになったとき、始めは嫉妬をたくさん感じることがあるかもしれません。無力感や焦りをたくさん感じるかもしれません。
でもそれは、必然的な成り行きであり、むしろ歓迎すべき、前向きの変化なのです。