相手を動かし、影響力を発揮していくためには、まず自分が批判されたときに、簡単にぐらつかないことが大切です。
人から何か言われたら、すぐにぐらぐらしてしまい、その内容が正当であっても、不当であっても、振り回されてしまうとしたら、人を動かすどころではありません。まず、自分がどっしりと「動かない」ようにならなければいけません。
人から影響を受けてしまう場面は色々ありますが、コントロールするのが難しいのが、批判を受けたときではないでしょうか。生きている以上、何の批判も受けずに生きることはできません。ですから、批判に上手に対処できることは、必須のスキルです。
まず、右の図を見てください。
批判には、大きく分けて、必要であれば受け入れるべき「正当な批判」と、受け入れる必要のない「不当な批判」があります。
正当な批判は、自分の「考え方」「行動」「態度」「言い方」などに関わるもので、たとえば、
「昨日のあなたの発言は『何でそんな簡単なこともできないわけ?』と相手を追い詰める一方で、具体的なアドバイスがなかったよね。気持ちは分かるけど、それじゃ伝わらないよ。具体的に教えてあげて、少しずつ指導していこうよ。」
など、この場合で言えば「言い方」について具体的に何をどうしたらよいのかまで言及しています。
一方で、不当な批判というのは、同じことを言うのであっても、
「あんたさぁ、昨日○子に『何でそんな簡単なこともできないわけ?』ってえらそうに言ってたけどさ、単に相手を追い詰めたいだけじゃん。自分の指導力のなさを棚に上げて、部下を責めるなんて、最低のマネージャーだね。」
というように、この場合であれば相手の「人格」を攻撃しています。
このような、不当な批判は、キッパリと否定することが大事です。
「えっ?そうなの?びっくりしちゃった。(少し間を取る)あなたはそう思っていたのね。私は責めていたつもりはありません。それから、最低のマネージャーという言い方は悪口だから取り消してください。ただ、もしも私の指導の仕方で○子さんを追い詰めているように感じるところがあったとしたら改めたいから、具体的に言ってくれると助かるな。」
こうして、相手の発言の中から、受け取るべきところは受け取り、不当な批判と感じるところはキッパリと否定し、できれば、正当な批判の領域に押し戻して(具体的に言ってくれると助かるな、など)対応することができれば、相手の物言いが多少キツくても、いちいち傷つくこともなく、関係を切る必要もなく、なんとか関係を維持していくことができます。
これは、この記事を読んだからと言って、今日からできるといった類のものではありません。富士山の登り方を本で読んだから、富士山に登れるようにはならないのと一緒です。トレーニングが必要な分野です。
まずは、相手の批判的な物言いを、正当な批判と不当な批判に分けて考えられる。そこを目指してみることが大事だと思います。
その後、不当な批判に関しては、相手を変えようとせず「私はそうは思いません」などの言い方で「自分は受け取らなかった」ことをキッパリ伝えるようにするとよいです。
あづまさん、はじめまして。
正当な批判と不当な批判を今まで区別する事が出来ず、
相手に中傷されてもこちらに非があれば、すべて受け入れなければと思って来ました。
その為、世の中どこに行っても居場所の無いような気持ちになり
人と接したり仕事に行くことが苦痛で仕方ありませんでした。
つい先日も実家のことで、他の親戚にひどいことを言われました。
聞いたときは屈辱を感じつつ、原因を作ったのはこちら側かと、
抗議も出来ずいたたまれない気持ちで一杯でした。
あづまさんの記事を読んでから、考え直してみたところ、
彼らの言葉のうち、正当な批判や助言2割、中傷や人格否定が8割だったのでは?
そう思えてきました。
8割はなんとか記憶から流しつつ、
2割について、対処をしていこうと思います。
(2割といっても、事柄的には重いのですが)
親自身が正当な批判と不当な批判との区別がついておらず、結果ただ、
抗議してきた相手を非難するばかりで必要な事への対処は放置して来ました。
私もそうした親の元で育ち、現実は怖いものという認識しか持てず、
かといって親の甘さをそのまま受け継いでしまい
逃げるばかりで余計世界が狭まり、辛かったです。
こちらの記事を読んでやりようを知ることが出来、救われました。ありがとうございます。
だいちさん
コメントありがとうございます。
そうですか。
正当な批判と、不当な批判。
区別ができるようになるだけでも、ずいぶん違いますよね!
気づいたら、あとはどんどん変化が進んでいきます。
きっといい方に進んでいかれると信じています。
では。
こんにちは。
小さい頃、些細なことでよく家族に「意地悪な子」「性格の悪い子」って言われていました。
今考えると、夫婦関係がうまくいっておらず、いつもさみしくて、自分の心の痛みをわかってほしくて、家族を困らせるような行動をしていたように思います。
でも、返ってくるのは、人格への批判でした。
「泣けば良いかと思って」「ひどい顔、鏡で見てくれば」と言われて、人前で感情を出すことができなくなっていきました。
そして、自分は悪い子なんだ、という意識が育って、人に自分を知られることが怖く、常に自分を守ろうと構えるようになりました。
家族を困らせるようなことをしていたのは私だから、そういう風に言われても仕方がなかった、自分が悪いんだ、ってずっと思っていました。
でも、この記事を読んで、家族がしていたのは不当な批判だったんだな、って気付きました。
そしてそれは、決して子供に対してしてはいけないことだったんだな、って…。
そうわかると、なんだか家族に対して怒りが沸いてきましたが、
この怒りも、私が「わかってほしかった、気付いてほしかった、さみしかった」
と思っていた…ということだから、その自分の気持ちをちゃんと自分で受け止めてみようと思います。
家族に頼るでもなく、他人に頼るでもなく、自分で自分の感情を昇華させられるようになれば、怖いものがぐっと減りそうです。
レモンさん
コメントありがとうございます。
そうですね。
自分が悪い、という一面的な思い込みは、もう手放しましょう。
そして、怒りがわいてくるのも、自然な反応ですから、それにもOKを出し、そう、怒りの下にある「わかってほしかった、さみしかった」などの気持ちも自分で受け止める…
100点満点です!
但し、ここを読まれた他の方のためにも、ちょっと解説しておきますが、
方針の立て方としては完璧ですが、人間そんな風に、理想的に解決に向けて進めるとは限りません。
その途中では、誰かの助けを借りたり、他人に気持ちを受け止めてもらったりすることも、必要かもしれません。自分一人で抱えるクセを変えるよいリハビリにもなりますしね。
基本的に、考え方は合っていると思いますので、ぜひ、解決していってくださいね。
応援しています。