痛み止めではなく、治療薬を選択する意志を持つこと

 

私は、人の行動や考えに「よい・わるい」はないという信念を持っています。そして、心理学の世界では人は常にベストの選択をしている、などの言い方が大事にされています。
 
しかし、そのことと、人に去られる怖さを紛らわすために同時に何股もかけてしまったり、奥さんと向き合うことが怖くて、問題が起きるとすぐに距離を取ってしまい、終いには浮気に至ってしまうような「問題行動」をしているひとをどう受け止めるのか、という課題の間には、通常、葛藤があります。
 
何股もかけている浮気男がベストの選択をしていて、悪くないという考え方は、どこかおかしいと感じるのではないでしょうか。
 
私は、人の行動には、人格的に成長し、より幸せに、豊かになる方向に向かう行動と、成長を止め、刹那的にその一瞬は楽になるかもしれないけれど、長い目で見ると人生をあまり豊かにしない行動があると考えています。
 
物事がうまく行っているときにはあまり意識しなくて済むのですが、何か問題が起きたときには、どちらの対応をするか、決断を迫られることになります。
 
人格的に成長する道は、いわば「苦い薬」。治療薬を選択し、多少困難や苦痛が伴っても、長い目で見て自分の人生をより豊かにする道を選ぶ、というものです。
一方、その対極に位置するのは「痛み止め」。痛みが一過性のものならそれもアリなのですが、自分の考え方や人生に対する構えの問題によって、現在の問題が起きているとき、そこから逃げるように「痛み止め」ばかり使っていては、人生の中で何度も何度も同じ問題に直面することになります。
 
人に去られる怖さを紛らわすために浮気を繰り返しているような人のケースでは、
何股もかけて、孤独感や捨てられる恐怖などの、心の痛みにフタをしようという行動が「痛み止め」
自分の心と向き合い、一人でも生きていけるように心の痛みを癒す道を選ぶのが「治療薬」です。
 
私は、既に使っている痛み止めは、否定しません。
たとえそれが、浮気という形であっても、既にそこに依存していますから、急にやめると禁断症状が出るわけです。だから、「しばらくは痛み止めとして使い続けても構わない」という主旨のことを伝えています。
但し、痛み止めはあくまで痛み止め。それをきちんと認識してもらいます。「今の状態でいいんだ」という開き直りは厳禁で、いつか卒業しなければいけないもの、という認識を持ってもらいます。
 
また、新たに痛み止めを使い始めるかどうか(不倫を始めるかどうか、など)に関しては、私は決して肯定しません。「やめておいたほうがいい」という意見です。
 
 
既に痛み止めを使っている人には、痛み止めを使った状態でいいので、
治療薬(セラピーを受けてもらう)も使って、根本的な問題を解決することを勧めます。
まだ痛み止めを使っていない人(不倫になりそうなので相談に来た人)には、
痛み止めはやめようと言い、かわりに治療薬(セラピー)を勧めます。
 
 
このコラムは、私の治療観を書いたものですが、
人生の中で、多くの「それは不毛だなぁ」「依存しているなぁ」と感じる出来事に出会うはずです。そんなときにも「この人は『治療薬』を選択しているのか、『痛み止め』を選択しているのか」という目で見てみると、冷静で客観的な物の見方ができると思います。
 
痛み止めも、きっとその人にとっては必死の選択なのです。
そのような、思いやりのある見方ができると、生きるのも、人間関係も楽になると思います。
 
 
■さらに具体的には「恋愛セラピー手法」の一覧などをご参照下さい。


 

「痛み止めではなく、治療薬を選択する意志を持つこと」への2件のフィードバック

  1. お疲れ様です。
     
    痛み止めと治療薬。
    治療薬には大きな決断と癒しが必要ですね。
    1年後ぐらいに振り返ったときに、きっと「治療薬を選択」した自分を誇れると思います。
     
    治療薬を選択したのは、自分の意思では内容に思いますが、自分の運命に従ったんだと思います。
     
    手探りで大きな決断をしたけど、こんな風に捉えると自分を誇れるんだなと思いました。
     
    今は癒しの道の途中です
    でも確実に少しずつ、「自分らしさ」に近づいているようです。

  2. りんごさん
     
    コメントありがとうございます。
    治療薬には、決断が必要、その通りだと思います。
     
    おっしゃるとおり、振り返った時に誇らしい道ですね。
    応援しています。

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