ちょっと、日本語の話をします。
日本語には「れる・られる」で表現される「受け身」の表現があります。
Aさんは私に声をかけた。
↓
受け身にすると
↓
私はAさんに声をかけられた。
まあここまでは、国語のお勉強。
ところで、日本語には、日本語独特の受け身表現があるのをご存知ですか?
その名も「被害の受け身」。
浮気された
先に行かれた
先にやられた
夫にごはんを先に食べられた
なんて文章、無理に英語にしようとすれば、
I was eaten by…
私が夫にぱくりと食べられてしまうような英文に・・・
「夫が私より先にご飯を食べた。」だと、そこに事実があるだけで、被害のニュアンスが出てきませんね。本来それがそのままの出来事です。
さて、そんな「被害の受け身」をよく使うのが日本語なわけですが、
被害の受け身ばかり使っていると、思考も主体性がなくなり、振り回されている感じがして、被害者意識が強くなります。言葉の影響は、計り知れないほど大きいものです。
ちょっと試しに、
Aさんがあなたを叩いた、というシチューエーションを想定して、次のふたつの文を音読して、どっちが痛い感じがするか、想像してみて下さい。
(1) 「Aさんが私を叩いた」
(2) 「私はAさんに叩かれた」
たぶん、(2)の方が生々しくて痛い感じがすると思うんですね(私はそうです)。
私は、だから、カウンセリングをしているときに、相談者の方が「被害の受け身」の表現を多用する人の場合、その人は生々しい痛みを感じながら話をしているんだなと想像します。
しかし、悩みの中にどっぷり浸かっていると、解決できなくなってしまいますから、相談者を少し客観的な視点に導きたいわけです。但し「あなたは客観的じゃない」などと指摘してもよい結果を生みません。
カウンセラーの先生からダメ出し【された!】と、被害者意識がひとつ増えるだけです。
そこで、ここからがプロのテクニックなのですが、こちらがその話題に触れるときには、さりげなく被害の受け身を止めて、能動表現に直したり、間接的な言語に変えて表現します。
たとえば、
相談者:「夫に叩かれたんです」
カウンセラー:「ご主人さんが○○さん(相談者)を叩くという出来事があったんですね」
あるいは、
相談者:「夫に勝手にお金を使われちゃうんです」
カウンセラー:「そうですか。ご主人さんが○○さんに相談なくお金を使ってしまうのですね」
悩みの中にいて、自分が被害者の位置に、心理的に入りやすい人は、出来事を客観的に見ることが必要で、でもそれが苦手なんですね。
「客観的に見ればいいじゃん」と言われてできるぐらいなら、もうやっています。
だから、ちょっとサポートしてあげるんですね。
とても小さな事だけれど、被害の受け身表現が出てきたら、能動表現に直して伝え返す。
これは、カウンセラーでなくても、身近に被害の受け身をよく使う人がいたら、できるサポートです。ぜひ、あなたの大切な人に、客観的な視点という能力をプレゼントしてあげてください。
最後にもういちど、被害の受け身を使わないように伝え返した場合と、
被害の受け身を使って伝え返した場合を並べておきます。
被害の受け身を使わないように伝え返す場合
相談者:「夫に勝手にお金を使われちゃうんです」
カウンセラー:「そうですか。ご主人さんが○○さんに相談なくお金を使ってしまうのですね」
被害の受け身を使って伝え返した場合
相談者:「夫に勝手にお金を使われちゃうんです」
カウンセラー:「そうですか。ご主人さんに勝手にお金を使われてしまうんですね」
どちらかの表現が絶対的に正しいというものではありません。
常に客観的すぎる人はむしろ、主観的になって自分の気持ちをしっかり感じてみることだって大事です。ですが、このコラムで伝えたかったことは、こんな小さな言葉遣いひとつでも、視点を変えることができるということです。
どう活かすかは、あなたにお任せします。
あづまさま、こんばんは。
いや、びっくりしました。私、無意識にけっこう「被害の受け身言葉」を
使っていました!
話している本人も聞いている方も聞き流してしまうような意識にひっかからない
言葉にも、心のくせって出ているのですね。
人の表現する言葉や身体の動き(行動も)がいかに意味深いかをあらためて
学びました。
そしてこのコラムで自分を見つめる新たな視点を得る事ができました。
あづまさま、どうもありがとうございます☆☆☆
(しかし、無意識ってほんとうにコワイですね。。。)
まじるさん
コメントありがとうございます。
そうなんです。
人によって、物事を見ている視点が違っていて、それが言葉遣いにも現れています。
逆に、言葉遣いの方を変えてみると、物事を見る視点も変えることができるんです。
何か新たな視点を得られたようですので、ぜひ、活かしてみてくださいね。
では。