心理学を少しでもかじったことのある人、あるいは心理学系の人のコラムを少しでも読んだことのある人なら「他人は変えられない」という言い方を必ず目にしていると思います。
そして、おそらく多くの人が、それに続いて、精神的に(あるいは魂が)成長することが必要、という言葉を目にしているかと思います。相手に変わってもらおうとするのではなくて、自分が成長することが必要、という話です。
しかし、その、「成長」っていったい何なんでしょうか。
漠然と、「子供っぽく振る舞うのをやめること」ぐらいに思っている人が多いのではないでしょうか。
確かに子供っぽく、自分の感情のままに、相手に不平不満をぶつけ、自分に責任が及ぶと逃げる、という態度が良い態度とは言えません。
では、自分の感情にフタをして、我慢して、衝突を回避して、その場を収めたら、精神的に成長したということなのでしょうか?それは単なる問題の先送りなのでは?
そうやって考えていくと、精神的に成長するって、いったいどういうことなんだろう?と、分からなくなってしまって当然だと思うんですね。実際正解のある問題ではないですし。
一つのガイドラインになるのが、自我の発達モデルに即して考えるということです。
・初期の自我
・中期の自我
・後期の自我
・成熟した自我
初期の自我というのは、2歳頃、いわゆる「反抗期」「イヤイヤ期」に現れるものです。それ以前の子供は、まあ言ってみれば目の前にものに「反応」しているだけで、自分の意思をはっきり持っているわけではないんですね。
じゃがりこをもっとくれと泣く子に、子供だましを試みて「ほらアンパンマンだよ」と言っても「それじゃない」ときちんと意思を表示する。それが自我です。
但しこの時点の自我は、自分の都合のみです。食卓で隣の人のお皿においしそうなものが置いてあったら、手を出して食べてしまう。まだ、他人の立場を理解するには至っていません。
中期の自我というのは、他人のものに手を出したら「相手が怒る」「親に叱られる」ということを経験して、自分が思ったことを全部やっていい訳ではないんだと理解する段階です。
分かりやすく言うと「顔色をうかがう」ということ。相手の顔色をうかがうことが出来るようになったら、子供も進歩している、ということなんです。
但しこの時点の自我は、基本的に損得勘定と、顔色伺いのみです。気が弱い相手がいたとして、その相手が「いいよ」と言ったら、相手のお皿から食べてしまう。そういうことです。
後期の自我というのは、たとえ相手が「いやだ」と言うのが苦手だったとしても、基本的なルールを自分の中に内在化して持っていて、いけないことは、相手が怒らないとしても、やらない。それが出来る段階です。
大体早い子で小学生のうちに、ここまで発達すると考えられているようです。実際、小学生でも学級委員でしっかりした子とか、いますよね。
しかし、大人であっても、実はこの後期の自我まで発達していない人がいるのです。自分の中に善悪の基準とか、行動の規範とか、そういったものが内在化できず、常に相手の顔色伺いの中で生きている人は、実は大人でありながら、中期の自我から先に成長していない、ということになります。
カップルの間でのもめ事が多かったり、職場でのトラブルが多い人というのは、自我の発達に照らして考えると中期の自我ぐらいの人が多いんですね。
行動の規範がしっかりしていないから、周りから見ていると行動が場当たり的で、よく人とぶつかるので、周りも困るわけです。
つづく。