私は、人間関係の問題を考えるときに「自我の発達モデル」を中心に据えて考えています。
浮気を繰り返す、依存症から抜けられない、などのトラブルが多い人は、自我の発達という観点で見ると問題を抱えている場合が多いからです。
人間の自我の発達は、4段階で進むと考えられています。
初期の自我
初期の自我は、いわゆる「イヤイヤ期」「反抗期」の頃に芽生えるものです。
それまでは、自我がないのかというと、ないのです。ただ目の前にあるものに反応しているだけです。
2歳頃になると、自分の意思が出てきます。やりたいことを主張したり、それができないと泣いたり、自己主張が始まるわけです。これが、初期の自我です。
但しこの初期の自我、まだ自分のことしか分かりません。他人の立場を理解できるわけではないのです。だから、目の前のお皿においしそうなお菓子があったら食べるし、隣のこのお皿においしそうなお菓子があったら、それにも手を出してしまいます。
中期の自我
中期の自我というのは、自分の思い通りになんでもできるわけではない、ということを学び始めた段階です。分かりやすく言うと、他人の顔色をうかがうようになる、ということです。
自分のやりたいこと(たとえば隣の子のお菓子が欲しい)と、怒られるのが嫌だ(これも結局自分基準)とが葛藤している段階です。
実は大人でも、この段階のまま生きている人がいます。たとえば、
・おとなしくて文句を言えない人を、うまく利用する。
・ばれなければ浮気をしてもいい、と考える。
・威圧や経済力で「モノを言わせない」体制を作り、自分の思い通りに振る舞う
などの行動は、「相手から怒られたり文句を言われたりしなければ、何をしてもいい」というルールが共通しています。この「怒られなければ何をしてもいい」「見つからなければ何をしてもいい」というルールが、中期の自我に特徴的なルールです。
後期の自我
後期の自我まで成長するというのは、どういうことかというと、相手の顔色をうかがうのではなく、自分の中に行動の規範つまり、やっていいこととダメなことが内在化された状態です。
つまり、
・おとなしくて文句を言えない人であっても、利用したり踏みにじったりしない。
・ばれなくても、浮気はいけないことだ考えられる。
・自分と相手を入れ替えても納得できる行動をする
ということです。
普遍的なルール、道徳、倫理観などが自分の中にあり、目の前の相手が、たとえ気が弱くて何をしても文句を言わなそうな人であっても、だましたり利用したり、相手に不利な条件を強制したり、そういうことはしない、という自分の行動の軸、規範を持っている状態です。
これは別の言葉で言うと、精神的に「自立した」「ひとり立ちした」段階と言うことが出来ます。
社会の中でうまく生きていくためには、最低限この段階まで成長しないと、生き辛いことになります。
但し後期の自我の段階は、ある意味「ケチ」な状態です。
自分が本当にやりたいことを「いけないことだから」「ダメなことだから」と我慢している状態なので、中期の自我の人などが、その、「ルール破り」をしていると、かなり腹が立つし、責めたくなります。
自分の基準を、他人にも強制したくなるのです。
他人を許したり、受け入れたりすることが、まだ難しいのが、この段階です。
成熟した自我
成熟した自我は、本来のありたい自分と、社会に合わせて作ってきた仮面の自分が、統合されて、自分の意思で、社会に合わせた行動を取ることも出来るし、自分の責任で、あえて自分の主張を通すこともできるようになった状態です。
この段階まで成長した人は、たとえ自分の欲求に反した行動をとらなければいけない場合でも、それが社会で生きていくために「自分に必要なこと」と理解し、自分の責任でその行動を取るわけですから、人のせいにすることがありません。
また、道徳、倫理観などを身につけていない中期の自我の人を見ても、「ルールを守れないヤツはけしからん」などと憤慨することなく、それがその人の今の段階だと理解することが出来ます。
この段階は、別の言葉で言うと、自立を超えて、「人を育てる段階」に至ったと言えると思います。
自分自身は成熟した精神をしっかり持っていて、
自分はあくまで、道徳、倫理観などの行動の規範・軸は持って行動できる。
まだ自分の内側に行動規範を持っていなくて「顔色をうかがっている」人に対しては、
自分と同レベルをいきなり強要することはないけれど、
安易な妥協や迎合もせず、相手が成長して、内側に規範を持つよう願うことが出来る。
そんな段階です。
相手に成長して欲しい!そんなときどうすれば?
自分が成熟した自我の段階、つまり「人を育てるレベル」まで成長することが、まず大事です。
成熟した自我を持った人と接していると、相手も良い影響を受けて、変化し始めることがあります。逆に言うと、成熟した自我を持った人と接する機会を持てなかった人は、中期自我ぐらいで止まったままになっている場合もあると言うことです。
相手に要求するのではなく、自分がまず成長し、生きる姿勢、姿で相手を導いていくことを考えて下さい。
もちろん、いい歳になってまだ中期の自我(他人の顔色をうかがっている段階)の人の成長をうながそうという場合、子供をひとり育てるような、相当の根気が必要です。そこまでする覚悟を決められるかどうか。それが一番始めに必要な決断かもしれませんね。
私は、ペンネームキティです。私は、小さい頃から、あまり落着きがないとか、人の話を聞いてないと、周囲から言われます。私は、人の考えがまったくって、言っていいほど、理解ができません。周りの空気も、読めません、 前に、周囲の中の人たちを見て、思ったんですが。私は、みんなよりもあまりにも、言葉の理解ができません、
これは、精神的な事に、関係があるのでしょうか。私もいつも疑問があって、親と話しするときは、声が小さくなります。なぜなのか、自分でもわからなくて。悩んでいます。
後は、他人と話をするときには、声が大きくなります。テションが高いから声とか。トーンがとても、高くなります。なぜなのか分からず、悩んでいます。あまりにも注意をされることが多くて、頭が痛いです。これは、精神的なことなのでしょうか。教えてください。 幼いころに、言葉の事でいじめを受けたことがあり、言葉に対して。コンプレックスを持っています。言葉の理解力があまりありません、人の話を理解する力がなくて困っています
キティさん
コメントありがとうございます。
…正直、その自覚症状だけでは、何とも言えません。
何かの先天的な発達障害があるのかもしれませんし、幼少期の親子関係の感情のもつれからくるものかもしれません。
これは、私の専門外の領域です。あまり有効な回答ができなくてごめんなさい。
発達障害関係に関して、専門家に診てもらった方が、よい指針が得られるのではないかと思います。
但し、いま社会生活を送っていらっしゃるのであれば、お医者さんに診てもらうと、「発達障害ではない」と診断されることもあり、すると苦しさは解決しないままでしょう。
このようなことを総合的に判断できる専門家は、なかなかいないのですが、私の知り合いのセラピストさんでスズキケンジさんという方がいます。
彼はADHD(落ち着きのない子供)であったのですが、今ではそれを強みにしつつ人の相談に乗っています。
先天的なものであっても、親子関係などのトラウマから来るものであっても、どちらも対応できる方ですので、ご紹介しておきます。
なお、ここをお読みになった他の方に向けて書いていますが、この回答は、自我の発達という本コラムの主旨とは、直接関係ない話です。あしからず。
またのコメントすみません。お忙しいというのに。
しかしどうしても書いておこうと思って。
「成熟した自我」に触れて成長する、というので「名言」を思い出しました。
私は尊敬できる大人というものに出会ったという自覚はないのですが、中期の段階「自分のやりたいこと(たとえば隣の子のお菓子が欲しい)と、怒られるのが嫌だ(これも結局自分基準)とが葛藤している段階」のその葛藤に苦しんでいた時、道を指し示してくれる希望の光になったのが「名言」でした。
本だけでなくブログやメルマガなどに、名言を集めたものがあります。
苦しいとき、迷った時、その名言を頼りにがんばっていました。
そして徐々に名言を必要としない心になったのです。
それは成熟した自我に触れる、という経験だったのですね!
今は後期の自我の、ルール違反を認められない葛藤を、あと少しで乗り越えられそうなところにいます。
(無条件の自己承認を自分にしてあげることが必要なのだと心の底から理解しているから、相手が悪いとは思っていないけれどまだイライラする。という状態です)
名言に触れることで、成熟した人に出会うのと同じ効果が期待できるのでは、ということを書いておきたくなりました。
すでにご存知でしたら残念ですが、本当に勇気と活力を得られるので、実践するかは別にして、まずは多くの人に知ってほしいと思いました。
それでは。
このはさん
コメントありがとうございます。
名言を見て、尊敬できる大人と触れることの代わりにしてきた。
えらい!すごい!素晴らしい!
親がやってくれなかったから、みたいにふて腐れる道ではなく、逆に、自分で自分を成長させていく道ですよね。それこそ、大事な姿勢だと思います。
但し、一応、ここを読まれた他の方のために補足しておきますが、
ある程度の存在承認(私はここに居ていいんだ)を得ることができて、自分が中期〜後期まで成長できた人の場合、名言は素晴らしい心の栄養になると思います。
しかし、どんな状態の人にも効果があるわけではなく、名言が、自分の心の体力に見合っていない場合、さらに自分を苦しめてしまうこともあります。
活かす場合は、あくまで、今の自分の状態に合っているかどうか、よく自分の心と相談しながらやってほしいと思います>ここを読まれた多くの方へ
では。