恋愛の問題や人間関係の問題といった、表面で起きている出来事と、心の内面の関係を考えるとき私は、4つの愛の形に沿って考えていきます。
1.母親的な「包む」愛
2.父親的な愛のうち「ほめる(長所を認める)」働きかけ
3.父親的な愛のうち「叱る・諭す(欠点を直す)」働きかけ
4.見守る(手出しをせず自立を促す)愛
1.については、母親的な愛の必要性と、足りない場合の補い方をご参照下さい。
母親的な愛というのが、わがままや理不尽なことを言っている子供でも、無条件に受け入れることであるのに対して、父親的な愛というのは、むしろ、社会の規範をしっかり教え込むこと、子供が自分勝手に行動しているときに、良い行動と悪い行動をきちんと教え込むことです。
しつけという言い方をしても良いと思います。
一見のびのびした心を曲げるような感じもしますが、実際に社会に出たときに通用しない習慣を身につけたまま大人になってしまえば、苦労するのは本人です。やはり、将来を考えれば、その子のための行動、愛情と言えるでしょう。
父親的な愛のひとつ目は、ほめる(長所を認める)ことです。
良いことをしたときに「よくやったね。」
結果を出したときに「がんばったね。」
能力を発揮したときに「すごいね。」
他人のために行動できたときに「えらいね。」
などなど。
ある基準を満たしたときに、ほめる。
これが、父親的な関わり、ということです。
※生物学的父親が、それをすべき、という意味ではありません。
子供には「父親役」をする身近な誰かが必要だ、という意味です。
父親的な関わりというのは、子供を社会に適応できる人間に育てるために「導く」ということです。これがないと、子供は、自分の中に善悪の基準が出来ず、軸がなくてぐらぐらして、いつも目の前の人の顔色をうかがう人間になってしまいます。
母子家庭だったり、父親が忙しくて不在の場合、父親的な関わりが不足する場合もありますが、実は母親が「立派に育てよう」と肩に力が入ってしまい、十二分に父親役をやった結果、むしろ「母親役が不在になってしまう」ことが多いように思います。
父親がいなかった結果、母親的な愛情に飢えている子供が育つ。
そういうことも、あるのです。
父親的な愛情のうち「ほめる」が欠けているかどうかは、子供の頃にほめられた経験があったかどうか思い出してみると良いと思います。また、大人になった今、ほめ言葉を受け取るのが苦手だという場合、子供の頃にほめられることが少なく、なれていない可能性があります。
さて、父親的な愛情のうち、ほめられること、長所を認められることが欠けているとき、それを補う方法です。実はシンプルで、ひとりでも取り組めます。
大人になれば、他人から「ありがとう」を言われることが結構あるはずです。
その「ありがとう」をしっかり受け取ることです。
実は自分の長所を自分で認めていない人は「ありがとうを受け取る」ことが苦手です。ついつい「いえいえいえいえ(汗)(汗)」とリアクションしてしまったり(つまり「私はそんな風に言われるのにふさわしい人間じゃありません」と思ってしまうのですね)、なかなか、心から相手のほめ言葉や「ありがとう」を受け取ることが出来ません。
やってみると、意外と受け取っていないことに気づくと思います。
なお、この行動課題の目的は、自分の心に「私って、こんな素敵なところがあるんだよ」と教えることです。「ありがとうを受け取りましょう」という課題だけが一人歩きすると、「せっかく言ってもらっている『ありがとう』を受け取らないなんて、言ってくれた人に失礼だ」という別の動機にすり替わってしまうことがあります。それでは効果も半減です。
ほめ言葉や感謝の言葉を心から受け取って、自分の素敵なところを一つ一つ宝探しのように見つけていく作業。子供の頃に親からそれをしてもらえなかったとしても、大人になってからでも、十分取り組むことが出来るのです。
もしも、受け取ることに、どうしても抵抗がある場合、それは父親的な愛情が足りない状態の前に、無条件に自分を受け入れること(=母親的な愛情)が足りない場合が多いです。そちらから先に取り組む方が、結果的に近道です。
ありがとうを受け取って、あなた自身の心に「私にもこんないいところがあるんだよ」と教えてあげて下さい。
話は、では「叱る・諭す」が足りない場合は? 父親的な愛の必要性と、足りない場合の補い方(2)へと続きます。