見守る愛が足りないケースとその対処法

 

恋愛の問題や人間関係の問題といった、表面で起きている出来事と、心の内面の関係を考えるとき私は、4つの愛の形に沿って考えていきます。
 
1.母親的な「包む」愛
2.父親的な愛のうち「ほめる(長所を認める)」働きかけ
3.父親的な愛のうち「叱る・諭す(欠点を直す)」働きかけ
4.見守る(手出しをせず自立を促す)愛
 
1.については、母親的な愛の必要性と、足りない場合の補い方、2.については父親的な愛の必要性と、足りない場合の補い方(1)、3.については父親的な愛の必要性と、足りない場合の補い方(2)をご参照下さい。
 
 
見守る愛が足りないというのは、どういうことかというと、
・いつも包んでくれた。
・ほめてもくれた。
・叱ってもくれた。
 
30歳になった今でも、私は子供扱いされている気がする…
親はいつまでも、私に関わろうとしてくれていて、それは嬉しいようなめんどくさいような…
 
 
こういう関係は、健全とは言えないんですね。
 
実は、見守るというのは「働きかけをしない愛」ということです。
愛することの最終段階では、親が何か手出しをするのではなく、子供の自主性に任せて、何かあったときに戻ってくる場所と、助言を求められたときに答える心の準備だけしておいて、あとは放っておくことが必要です。
 
 
見守る愛が欠けているかどうかを判定するには…
実は、親に「見守る」意識が欠けているかどうかは、あまり問題ではありません。
 
自問すべきことは、自分で決めて、自分で行動し、自分で責任を取る、という姿勢が身についているかどうかです。何かあったときに、必ず親に相談して、親の意見に従って決めるのが基本、となっているなら、親から離れて、自分で決められるように成長しなければいけません。
 
親が過干渉で、こちらは自立したいのに、ずっと口出ししてくる、というケースもあります。
 
 
いずれにしても、大人になったのに、親がいつまでも干渉してきて、「見守る」関係になっていない場合、物理的に、あるいは精神的に距離を取ることが必要です。
 
ひとり暮らしが、親の影響下から離れて、自分で考え、自分で決めて、自分で行動し、自分で責任を取る習慣を身につける第一歩になることは多いようです。親の過干渉がひどい場合は、私は親と別居することを勧める場合が多いのですが、大抵相談にいらっしゃる前にひとり暮らしを始められている方が、実は多いです(自分に必要な行動が直感的に分かっているんですね)。
 
 
こういう状況下に居続けることが、心と体に与える悪影響の大きさを考えたら、寮のある会社に仕事内容は問わずに就職したり、シェアハウスのような家賃の安い借家に移るなどの方法を採ってでも親元を離れた方がよい(=逃げた方がよい)と、私は思うのですが(なお、親元から逃げるための結婚は、夫と新たな共依存関係を作りがちなので、お勧めはしません)、どうしてもひとり暮らしが不可能というなら、精神的な距離を取る努力をするしかありません。繰り返しますが、こちらの方が難しい道です。
 
精神的な距離というのは、簡単に言えば、断り上手になるということです。相手の要求に、全部応えようとするのではなく、私の幸せは私の責任、あなた(たとえば母)の幸せはあなたの責任、という原則に照らして、相手の干渉を、不要だと思ったらきっぱり断る、ということです。
 
こうして、相手からの影響を受けなくなれば、それはひとり暮らしの代わりに、十分、自分で考え、自分で決めて、自分で行動し、自分で責任を取るという大人の行動習慣を身につけるための、役に立ちます。
 
 
なお、過干渉な親で、嫌だと思っているのに、ひとりになるのが怖くて家を出られない。
そう感じる場合、根本的な問題は、見守る愛が足りないことではありません。
 
根本的な問題は、ひとりで生きていくことが出来ない、心の弱さです。
そして、その原因は、母親的な愛の欠如および、父親的な愛の欠如です。
 
ここに当てはまる場合、自分ひとりで取り組むことは、極めて難しいのではないかと思います。母親的な愛情を補う段階、父親的な愛情を補う段階などの、始めの段階ぐらいは、セラピストの助けを借りた方がよいと思います。