この際、男女産み分けも公認すればいいじゃないの。

 

先日、読売新聞に、医療情報部の加納昭彦氏の記名記事で、男女産み分けに関して「倫理置き去り」とする記事が掲載されていました。あまりに残念な記事なので、ここに今の考えを書いておきます。
 
私は、読売新聞を愛読しているんですが(というほどでもないですが)、まあ、よく読んでいるコーナーが人生案内と将棋の欄だけだというのは、いいのか悪いのか、という話なんですが。
 
その記事の中には、タイで90組の日本人夫婦が男女産み分けを実施していたことが分かった、女児を望む親が多い(男女産み分けの9割ほど)、という話と、そうやって男女産み分けをするのは「親のエゴ」であるので、それは認められない、という話が書いてありました。
 
 
一見まともな意見に見えますが、これはひどい話だと思いました。よく全国紙で書けたものだと思いました。10年後にご本人がこの記事を読み返したら、恥ずかしくて破りたくなるんじゃないかと思うんですが…
 
明らかにひどい意見なら、だれでも心の中でツッコミを入れられますが、一見まともに見えるひどい意見というのは、一番厄介ですね。だまされちゃう人もいるでしょう。
 
 
私の論点はこうです。
親のエゴで、女児を望んだら、何がいけないのでしょうか。
 
 
親のエゴという言葉で、この記者が何を表現したかったのか、そこまで深く書いてなかったので、詳細は不明ですが、まあおそらく、一般的な文脈として受け取るなら、親が自分の希望だけで、社会的な意義などを考慮せず、男の子がほしい、女の子がほしい、と言うのはけしからん、とまあ、その程度の意味だと思われます。
 
 
でも、それなら、
 
子供を作るか、作らないか。
 
これだって、親のエゴ(自分の感情が中心の決定)ではないのでしょうか。
 
 
そもそも、子供を産むか生まないかという話は、親の自由意思(これって要するに親のエゴってことでしょう?)に任されていて、男女産み分けになったときだけ、親のエゴだからけしからん、て論点は、はっきり言って、筋が通ってないです。
 
カトリックの国のように、そもそも、避妊も積極的なもの(コンドームとか)は倫理に反する、セックスをしたら自然に子供が授かる、そういう形が倫理的であり道徳的である、という話が始めにあって、
 
子供を持つか持たないか、ということすら、自分で決めちゃったら、親のエゴだ。
同様に、男女産み分けも、親のエゴだ、という話なら、筋は通っています。
 
(ちょっと堅苦しい考え方だとは思いますが、まあ、筋は一応、通っています)
 
 
しかし、日本では、避妊も(中絶さえも)自由意思で行われていますし、コンドームを使おうなんて話は、むしろプラスのこととして報道もされています(病気を防ぐという文脈で語られることの方がおそらく多いですが)。
 
その一方で、男女産み分けだけ、親のエゴだというのは、まったく筋が通っていないでしょう。
それとも、人たるもの、義務感から子供を産め、とでも言うのでしょうか、この記者は。
 
 
第一、
 
男の子でも女の子でもほしい
  ー女の子(男の子)ならほしい
    ー男の子でも女の子でもほしくない、
 
は、一連の考えのはずです。両端は倫理的にOKで、中間はNGというのは、明らかに自己矛盾です。
 
それで、私の、男女産み分けに関する考え方ですが、
この少子化のご時世、女児だったらほしい、という、条件付きではあるけれど、子供をほしいし育てる気もあるという親は貴重な存在ですから、むしろ公認したらいいと思っています。
 
もちろん、倫理的に、微妙な問題をはらんでいるという点について、異論はありません。
そこは、大いに議論したらよいと思いますが、その場合でも私の立場は、推奨せよ、です。
 
 
その一番の根拠なんですが、これは、あまり倫理的とは言えない根拠ではありますが…
少子化の解消に少しでも役立つから、です。
 
 
社会のルールというのは、必ずしも倫理的かどうか、道徳的かどうかだけで決まるわけではないですよね。
 
たとえば、女性が家のことをやり、子供の教育や親の介護なども担うべきだ。
これも、今となっては、そろそろ捨てた方がいい考え方になってはいますが、日本はそういう考えでやってきました。そして、そのために、専業主婦であるサラリーマンの妻は年金を自分でかけなくても掛けたことにしてくれるという制度があったりして、バランスを取ったわけです。
 
最近のテーマで言えば、太陽光発電を1KW時あたり40円で買い取るなんて、著しく経済合理性に反しているので、結果的に公平性にも反しているし、すでに太陽光発電利権を手にして、エコ目的じゃなくて儲け目的で、一山当ててやろう、なんて輩も出てきています。それでも、国として、そういう問題にうまく対処しつつ、一部は黙認しつつ、自然エネルギー推奨という大義のために、軸足をそちらに移して頑張っている、ということですよね。
 
ここでは、年金制度の是非や、自然エネルギーの買い取り制度の是非を議論するつもりはありませんが、若干公平性やバランスを欠くルールであっても、社会にとって必要と判断すれば、それを採用する。それは、どんな社会でも行っていることです。
 
 
そうやって考えた場合、
多少の倫理的問題があったとしても、今の日本では、
男女産み分けであっても、子供をほしいと言ってくれる親はありがたい!!!
 
そういう方向に軸足を移すべきではないかと、思うわけです。
 
 
そもそも、産むか産まないかの時点で、親のエゴが認められているこの日本で、新技術にだけ罪をなすりつけるのは公平ではないと思います。
 
まあそんなわけで。
男女産み分け、いいじゃないの。