あづまです。
このサイトの記事にも、幼少期の環境のことなど、過去の「事実」に関する問いかけ記事が多数ありますし、その問いかけには大事な意味があるのですが、
・私の両親は、不仲ではなかった
・暴力はなかった
・両親は離婚していない
でも、なんだか恋愛がうまく行かない、どうしてか分からない。
そのようなご意見をいただくことがあるので、もう少し深く突っ込んだ、あづまの見解を記事にしようと思います。
実は、これだけ過去のことをサイトの記事に書いておきながら、こう言ってしまってはミもフタもない感じがすると思うのですが、本質を言うと、過去の事実は、現在の問題とは直接関係ないのです。
過去の事実が、現在の問題と関係しているわけではない、ということ。
もう少し説明すると、「過去の事実として記憶していること」と「現在の恋愛傾向」が関係あるわけではない、ということなのです。
では、現在の恋愛傾向や、人間関係で繰り返し起こる問題の傾向と、関係している「本質」は何なのか、というと、それは、今のあなたの「セルフイメージ」と「ワールドイメージ」です。
セルフイメージというのは、自分がどんな人間なのか、
自分で思っているイメージのこと。
ワールドイメージというのは、こちらはあづまの造語ですが、
今自分が生きているこの世界がどんな場所なのか、
自分で思っているイメージのことです。
セルフイメージも、ワールドイメージも、
心の深いところに置いてあって、日頃は直接意識することは、あまりありません。
でも、何かを体験したときに、その体験をどう「解釈するか」という段階になると、裏で強力に糸を引いてきます。
一例を挙げましょう。
A子さんが「自分はバカだ」というセルフイメージを持っていたとします。
B子さんは、そのような自己否定的なセルフイメージは持っていないとします。
ふたりとも、それぞれ、自分の彼氏とクイズ番組を見ていました。
彼氏が、平坦な調子で「この問題の答え、分かる?」と聞きました。
B子さんは、「あぁ、彼はこの問題の答えが分からないから、私に聞いたんだな」と解釈。
A子さんは、「え!? 私がバカかどうか、テストされてるんだ!」と解釈。
こんな風に、自分が、自分に対して持っているセルフイメージによって、ほとんど同じ体験をしたとしても、その体験の受け止め方が大きく変わります。
と、ここまでは、セルフイメージの説明として、どこかで聞いたことがある話かもしれません。
この記事の本題は、ここからです。
実は、人間は、自分自身に対して「セルフイメージ」を持っているのと同様に、
自分を取り巻く世界に対して「ワールドイメージ」を持っています。
(注:ワールドイメージはあづまの造語ですので、他では通じない言葉です。なお、心理学用語では、「良いワールドイメージを持っている」ことを「基本的信頼がある」と表現します。)
C夫さんは「この世界は基本的に安全で、信頼するに値する」というワールドイメージを持っています。
D夫さんは「この世界は安全ではなく、他人は常に警戒していなくてはならない」というワールドイメージを持っています。
C夫さんは、世界(つまり自分以外の他人)を、根っこの部分で信頼していますので、まず他人に対して、信頼する形から関係を作ろうとします。
他人からの親切は、素直に嬉しい出来事として受け取ります。
ときには、ひどい相手から傷つけられることもありますが、それはC夫さんにとって「例外的な、嫌な出来事」として処理されます。したがって、しばらくしたらその「例外」は忘れて、また、信頼できる世界観を取り戻します。
D夫さんは、世界を、根っこの部分で信頼していません。人間不信なのです。だから、他人に対して、心を開きません。形だけ、あいさつしたり、問題を起こさないように決まり切ったマナーは守るようにしています。もちろん、その動機は、相手に隙を見せないため、相手から攻撃されないためです。
他人からの親切は、D夫さんにとって「例外的な出来事」として処理されます。したがって、しばらくしたらその「例外」は忘れて、また、信頼できない世界観に戻っていきます。
こんな生き方ですから、ひどい相手を引き寄せたり、他人とぶつかることも多くなります。他人から傷つけられることも、もちろんあります。するとそれは、「やっぱり世界は安全な場所ではない」「他人は信用できない」「油断したらやられる」という、D夫さんの基本的な信念を強化する材料になります。
愛情表現をしてくれない夫、
言葉がモラハラ的である夫、
実際に暴力をふるう夫、
何を考えているのか分からない夫、
お金に異常に執着する夫、
などなど、夫婦関係を破壊する行動が多い夫に関して相談を受けていると、
結構高い割合で、その夫が、「ネガティブなワールドイメージ」を持っていることが多いことに気づかされます。
そのような人の場合、
他人を「信頼するかしないか」という、意志や努力の問題ではなく、
他人が「油断ならない相手に見えてしまう」という無意識の問題なのです。
本人に、意識的な努力を求めても、効果が低いのです。
では、ネガティブなワールドイメージは、どうやってできるのか、というと、
子供時代の生育環境が、自分にとって、安全な場所と感じられる環境であったのか、そうでなかったのか、ということが大きいのです。
・私の両親は、不仲ではなかった
・暴力はなかった
・両親は離婚していない
だとしても、
親自身が、ネガティブなワールドイメージを持っていたりすると、
・世間の目を異常に気にするので、子供も常に緊張することになる
・子供の成績のことで、親が異常に不機嫌になったりする
・子供の健全な「わがまま」を、親が「自分に対する否定」と受け取り、怒るので、
子供が自由な感情を表現できない「空気」が家の中に蔓延する
・親の関心事が「生活の安定」にのみ集中していて、
お互いの気持ちに関心を持ち合い温かい言葉を交わし合うことはない。
というように、子供の感情面で、安全・安心を感じられない環境ができあがったりするわけです。
自分は、世界(他人)に対して、基本的に信頼できる、という感覚、つまり「よいワールドイメージ(基本的信頼)」を持っていると思うか?
それとも、世界(他人)に対して、基本的に信頼できない、という感覚、つまり「悪いワールドイメージ」を持っていると思うか?
まずは、そのことを考えてみることが、大事なのだと思います。
そして、悪いワールドイメージを持っている場合、人生のどこかに、そのイメージを持つだけの、十分な理由があったはずなのです。それは大抵は、とても小さい頃のことです。
場合によっては、2、3歳の、記憶に残らない頃の出来事かもしれません。
過去の出来事(事実)を頼りに、自分のメンタルな課題について考える方法は、一般的には有効なのですが、このように、記憶に残らないような過去の影響の場合、あるいは、記憶に残りにくい、「空気のような」過去の影響の場合、
過去の出来事を一生懸命思い出そうとすると、疲れるだけになってしまいます。
過去の出来事を思い出すというやり方は、あくまで、手段です。
その手段が、比較的効果的な人は、その手段で行けばいい。
その手段が、やってみて難しい人は、別の手段を使った方がいい、その程度の話なのです。
本質はまず、自分がポジティブなワールドイメージを持っているか、ネガティブなワールドイメージを持っているか、そこに気づくことだと思います。
(ちなみに、もう周知の話なのでこの記事では強調はしませんが、ポジティブなセルフイメージを持っているか、ネガティブなセルフイメージを持っているか、という点も、当然ながら重要です)
子供時代の環境について思い出すことに疲れてしまった方は、少し視点を変えて、ワールドイメージという観点で取り組んでみると、解決の糸口が見えてくるかもしれません。ご参考になれば。