人生がパターン化するとき(禁止令と人生脚本、つづき)

友達に「もう別れなよ」と言われる恋愛パターンの、交流分析的説明【禁止令と人生脚本】からのつづきです。それで、禁止令があると、本来すべき行動なのに、取れない行動が出てくるわけ。それを避けて【他の方法】で何とかならないか、試行錯誤し続けるんだけど、本来すべき行動が、とても重要なもので、本質的なものだったりすると、何ともならない、ってことがあるわけ。

友達に「もう別れなよ」と言われる恋愛パターンの、交流分析的説明【禁止令と人生脚本】からのつづきです。
 
それで、
禁止令があると、本来すべき行動なのに、取れない行動が出てくるわけ。
 
それを避けて【他の方法】で何とかならないか、試行錯誤し続けるんだけど、本来すべき行動が、とても重要なもので、本質的なものだったりすると、
 
何ともならない、ってことがあるわけ。
 
 
たとえば、上記の記事の例を使うと、
 
自分の気持ち、自分の決定に自信を持ち、
他人と意見が対立しても、自分の意見を言う、
結果、相手との距離が離れても、
その結果を引き受ける(=誰も責めない)。
 
という行動パターンがあれば、
 
もう終わってる恋に、いつまでもしがみついたりしないものなんですが、
 
この行動パターンがないものですから、
いつまでも、いつまでも、いつまでも、
ずるずる行っちゃうわけ。
 
 
あ、ちなみに、いま、
「そうそう、ズルズル行っちゃうなんてやめたほうがいい!」
って強く思った人は、逆に、
 
いつも、バッサリ切っちゃう方ばかりやっていて、
粘り強く相手との関係を育てる、
という行動の方にブレーキがかかっている可能性があるから、
そっちはそっちで、要注意ね。
根っこに「所属するな」「愛するな・近づくな」の禁止令があるかも。
 
 
で、話を元に戻しますと、
 
他人と意見が対立しても、自分の意見を言う、
というような部分って、結構勇気と、
心のエネルギーと、
 
日頃からの、自分の安全な居場所が、
必要ですよね。
 
 
で、難しいから、
それを避ける。
 
 
ずっと(多くの場合無意識に)避けている行動があると、
人生がパターン化するんです。
 
 
起こりがちなシナリオを、
単純化して書きますね。
ここでは、自分が女性だという前提で書いています。
 
 
上記の記事で書いたように、
・私は存在してはいけない
・但し「他人を喜ばせ」ている時だけ、存在してもよい
という複合指令があるとします。
 
 
するとたとえば、以下のようなパターンが出現します。
 
 
【順調のステージ】
(1)基本的に、相手の気持ち中心で日頃から行動している
(2)気持ちを分かってほしがっている男性が現れると、
   どうも、気になってしまう。
(3)相手から「オレに興味あるの?」と思われる
(4)(「自分の気持ちに従って自分から男性を誘う」こと
   はしない、という行動パターンも手伝って)
   そういう男性から、言い寄られることが多い。
(5)相手から求められる(=期待される)ことが、
   自分の存在理由なので、相手の期待に応え続ける
【黄色信号のステージ】
(6)でも、ずっと続けるとしんどくなってくる
   しんどくても、相手の期待に応えることが自分の
   存在理由なので、さらに頑張って期待に応える
【どんでん返しのステージ】
(7)限界を超えたときに、「どか〜ん」と爆発、
   突然自己主張を、極端な形でする。
(8)相手は「ぽかーん」または「えぇぇぇっ!?」
   結局真意は伝わらず、ガス抜きにはなるかもだけど、
   ふつうはこじれるし、本質的には何も解決しない。
【絶望のステージ】
(9)自己嫌悪に陥る。相手のこともめんどくさくなる。
(10)一旦、落ち着くかもしれないが、結局いつか、
   (5)あたりに戻って、繰り返す。
   いよいよ別れたとしても、結局(1)から同じパターン。
 
 
それで、
人生脚本というのは、
こういう風に進行すると、考えられているんです。
(厳密に言うと、大きな人生脚本を徐々に進行させる、
 小さな脚本(=ミニスクリプト)の説明です)
 
上の、(1)〜(10)も、
 
【順調のステージ】(但し実は無理をしている)
 (私:OK、あなた:OK、と、表面的には感じている)
   ↑ここでの「私はOK」は「他人の期待に応えている」からOK
    というような、条件付きのOKであることに注意。
 
【黄色信号のステージ】(無理が限界に)
 (私:OKではない、あなた:OK。限界になってくる)
 
【どんでん返しのステージ】(相手を責める)
 (私:OK、あなた:OKではない。限界を超え相手を攻撃。)
 
【絶望のステージ】
 (私:OKではない、あなた:OKではない。
  絶望と自己嫌悪にひたる。何も信じられない)
 
 
人によっては、どんでん返しのステージ(正しくはVC:反抗する子供、といいます)
を飛ばして、簡単に絶望のステージに「どーん」と毎回落ち込む、
というような場合もあります。
 
あるいは、黄色信号と、どんでん返しの間を、
何度も行ったり来たり行ったり来たりして、
いよいよ限界を迎えると、絶望のステージへ、
というパターンもあります。
 
 
ここで、お伝えしたいことは、
 
・そもそも、自分に出しているOKが、かなり「条件付き」である
・相手に意見をちゃんと言う、と言っても、平常心では言えず、
 いよいよ煮詰まったときに(どんでん返しのステージで)、
 極端な形で言っている
 
というパターンがあるとき、
それは、安定した人生にならないパターンだよ、
ということです。
 
この例では、相手に意見をちゃんと言う、ということが、
「自分の中で、できない行動」になっているパターンを紹介
しましたが、
これは「他人を喜ばせよ」という指令があるときのもの。
 
他にも、特に典型的なパターンをあと4つ挙げておくと、
・完全であれ    (そのときだけ存在して良い)
・頑張れ、努力せよ (そのときだけ存在して良い)
・強くあれ     (そのときだけ存在して良い)
・急げ       (そのときだけ存在して良い)
 
「完全であれ」は、いわゆる完璧主義的なもの。
 
「頑張れ」は、努力至上主義者。
 自分が頑張っているかどうかが、なぜか基準になっちゃうの。
 楽して結果が出る「効果的な方法」なんて、目が行かない。
 
「強くあれ」は、怖い、寂しい、悲しい、みたいな弱々しい
 感情を出してはいけない、という意味。怒るのはOKのことが多い。
 
「急げ」は要するに「時間を無駄にするな」ってこと。
 ちょっと異常な感じがするときはこの指令があるのかも。
 
 
このように、指令(別の言い方:拮抗禁止令、ドライバー)に従っている
ときだけ、自分は存在していい、なんていう複合指令を持っていると、
それを、やめられないんですね。
 
 
だから、
その指令をやめようとするのではなく、
 
なぜその指令に従うことをやめられないのか。
やめたら、何と直面しなければいけないのか。
 
そこを、ちゃんと探ること、
そこに、ちゃんと向き合うことが大事なんです。
 
 
大もとの根っこ。
 
指令に従っているときだけ、
私は存在して良い(そうでないなら、存在価値なし)
みたいなルールを、自分の中に持っているかどうか。
 
それを、ちゃんと見つけること。
 
そして、大もとの方を癒す取り組みを、
コツコツすること。
 
それこそが、
パターン化した人生のパターンを変えること、
になるのです。
 
 
まあ、セラピストの中には、
 
無理矢理その行動をやらせる
 
というような、荒療治が好きな先生もいるようですが。
(それはそれで、ポリシーなので否定はしませんが)
 
 
私はあくまで、本質的な変化が起きれば、
行動の変化は、無理なく起こるもの、
という前提に立って考えていますので、
無理矢理ってのは、避けています。
 
そして、本質は何か、そこに常にフォーカスする、
本質的な変化をしっかり促すことを考える。
 
そういう方針で、解決の道を作ります。
 
 
ちょっと難しい話でしたかね。
ひとりで取り組むのが難しいときは、
セラピストを頼ってみてくださいね。
 
 
そもそもね、
「他人を喜ばせよ」や
「頑張れ」
「強くあれ」
「完璧であれ」の
指令を持っている人って、
(上に上げたものの、ほとんどですが)
 
他人に頼ったり、迷惑かけたり、
他人にゆだねたり、
他人に自分のダメなところを見せたり、
他人に自分の弱いところを見せたり、
することが苦手なんですよね。
 
セラピーで、他人に頼る体験をする。
そのこと自体が、今までのパターン破りになります。
(特に、人に頼るのが苦手な人の場合)
 
 
パターン化した人生に、
変化をもたらしましょう。
 
その場合、結局いつか、
自分が苦手としている行動に取り組むことになります。
 
 
結局いつか、ね。
 
いつやるの?
 
 
今、、、ですかね?
 
強制はできないけど。
一応聞いてみた。
 
 
ではまた!
 
 
参考記事:
 
人生脚本の書き換え方(提案)
人生脚本 【じんせいきゃくほん】
 
 

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友達に「もう別れなよ」と言われる恋愛パターンの、交流分析的説明【禁止令と人生脚本】

 

こんにちは。あづまです。
 
友達に相談すると「もう別れなよ」と言われてしまうような、
そんな恋愛がやめられない、あるいは、繰り返している。
 
自分でも何となく、変だな〜、幸せに向かってないな〜、
と思いながらも、でも、続けてしまっている。
 
そんなときに、深層心理では何が起きているか、交流分析から、ある概念をひもといて、説明してみたいと思います。
 
 
まず、なぜ別れられないのか、
その理由を考えてみてください。
 
・別れたら(私が)寂しいから?
・別れたら(彼が)かわいそうだから?
 
・そもそも、バッサリ切るなんて、人間のすることじゃないでしょ?
 
あるいは、
 
・そういう選択肢は、そもそも私の中にはない、と思う。
 (だって、彼は「別れたくない」と言ってるから。
  大事な決断はいつだって、彼の言うことに従っているから)
 
 
さて。
 
全ての人が、このパターンに当てはまるわけではないと、思います。
ただ、知っておくと役に立つと思いますので、
 
【禁止令】

【人生脚本】
 
という概念をひもときながら、
こじれた恋愛なのに別れられない理由について、
考えていこうと思います。
 
 
 
禁止令というのは、
言葉を覚えるより前に、
潜在意識に入り込んでいる、
養育者からの(悪)影響のことです。
 
交流分析の創始者、エリック・バーンは12の禁止令を挙げていますが、
ここでは、一番強烈な「存在するな」があると仮定します。
 
存在してはいけない、つまり、生きている価値なし、
ということです。
 
赤ん坊の頃に、ずっと泣いていてもケアしてもらえないとか、
親が共感的でなくて、ぜんぜん関心を持ってもらえなかったとか、
 
そういう、潜在意識レベルで、存在を肯定しないような関わりを
受けることで、
 
「私はここにいてはいけない」という思い込みを持ってしまう、
そういうことがあるわけです。
 
 
ところが、この禁止令、
あまりに重たいために、意識に登らせながら生きるのは、
むずかしいわけです。
 
かといって、解除することも、本人の力では容易でない。
 
そこで、人は、
【複合指令】を作り出します。
 
 
複合指令の出来かたは、こうです。
 
・元々「禁止令」がある
・条件付きで、禁止令を解除しても良い、という条件をつける
 
上の恋愛の例で説明します。
 
 
もともと、自分はこの世界にいてはいけない、
そういう【禁止令】を持っていました。
 
でも、親の期待に応えたときだけ、
母親は喜んでくれました。
 
そこで、
「他人を喜ばせよ」という別の指令が潜在意識に入りました。
(これを【拮抗禁止令】や【ドライバー】と呼びます)
 
 
すると、心の中で、
 
・元々「私は存在してはいけない」という禁止令がある
・「他人を喜ばせよ」という指令を守っているときだけ、
 元々の禁止令を、一時的に解除して良い。
 
という複合指令が出来上がります。
 
 
他人を喜ばせて、
他人の期待に応えて、
他人の顔色をうかがって、
他人の気持ちだけを大事にして(自分の気持ちを無視して)
 
そうやっているときだけ、
 
「私は存在していい」
 
それができないなら、
 
「私は存在してはいけない」
 
 
という複合指令が、心に入り込んでしまっているとき、
 
 
友達の目から見たら、
 
「もうその恋愛、終わってるから、別れなよ〜」
 
って思うような状況であっても、
 
 
相手の気持ちを無視して、
自分の都合で、別れを選ぶことは、
 
そう、
 
いままで、他人の期待に応え続けることで、
ずっと、向き合わなくてすんでいた、
 
「私は存在してはいけない」
 
 
という禁止令が表面化してくることなのです。
 
 
だから、
 
やめられないんです。
 
 
だから、
 
別れられないんです。
 
 
大もとの、
私は存在してはいけない、
という、根っこの方の禁止令が解除できるまでは。
 
 
さて。
 
これまでの人生で、
あなたは、
 
相手の期待に応えられなかったこと、
相手に迷惑をかけたこと、
ダメな自分が出ちゃったこと、
 
絶対ありますよね?
 
そのとき、
周りの人の反応はどうでした?
 
「おまえなんか存在価値なし!」
 
って反応だった?
 
(そういう反応する人も中にはいますけどね)
 
 
意外と、ふつうに受け入れてくれたんじゃない?
 
 
つまりね。
 
 
他人を喜ばせることができないなら、
私は存在してはいけない、
 
というのは、
小さい頃にできた、非現実的な思い込み、てこと。
 
まずは、そこに気づくことが、
抜け出す第一歩です。
 
 
ただ、
こういう潜在意識レベルの話は、
感情と共に「がちっ」と固まってしまって、
頭で考えただけで解除できるわけじゃないから、
 
一人で取り組むなら、
出てくるたびに、繰り返し繰り返し、
「これは思い込み」
「『私は、存在していい』という方を、私は選択する」
 
と、自分に言い聞かせる、という、
地道な取り組みが必要です。
 
スピードアップしたい場合は、
そうですね。
 
 
・仲間を実際に作る(「存在して良い」というメッセージを実際にもらう)
・セラピーで過去の感情や思い込みを開く
 
こういう取り組みができると、
解決が加速すると思います。
 
 
物事はね、
根っこから取り組んだ方が、
結局は近道なので。
 
検討してみてね。
 
ではでは。
(次の記事に続く)
 
次の記事:
人生がパターン化するとき(禁止令と人生脚本、つづき)
 
参考記事:
人生脚本の書き換え方(提案)
人生脚本 【じんせいきゃくほん】
 

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なぜ、イケダン(イケてる旦那)育てに失敗するのか

 

仕事・家事・育児、どれもできる旦那のことをイケダンと呼ぶのだとか。
 
まあ、名称は呼びたいように呼べばいいと思いますが。
 
 
イケダンの育て方、みたいな記事が、
Y売新聞の記事に載っていました。
 
その内容は、著作権の問題もあるので、資料を当たって頂くとして。
 
方法として、書いてあったことが、大体、
・「困っている」と率直に頼む
・夫の得意な家事を頼む
・一連の作業は一括して任せる
・「やり方」には口を出さない
・「今から家事」って言って、みんなでやる時間にする
・家事や育児をする男の人ってカッコイイ、と持ち上げる
 
そんな感じ。
 
 
記事を読んでいて、
行動面、テクニック面では、確かにその通りだと思いましたが、
 
逆に、ある意味当たり前のことばかりが書いてあって、
 
「出来てる人は、元から出来てるし、
 出来ない人は、これを読んでも、やっぱりうまく行かないんだろうなぁ…」
 
なんて感じました。
 
 
で、ダメ記事じゃん。
で終わりにしたら、学びがないので、
 
なぜ、行動面、テクニック面だけ考えてもダメなのか、
それを考えてみました。
 
 
しばらく考えてみて、浮かんできたのは、
 
「よろしくおねがいね(にっこり)」
「ありがとう。助かったよ(にこにこ)」
 
あるいは、
「これ、大事だから、ちゃんとやってね(きっぱり)」
「ありがとう。おかげで問題解決(きっぱり)」
 
前者は、笑顔のパターン、
後者は、真顔のパターン、
 
どっちがいいとかじゃなくて、
どっちも大事だし、
臨機応変に使い分けられるのが大事なんですけど、
 
どちらにも共通している要素があるんですね。
 
 
それは、内面的要素で、
 
・自分に自信がある
・家事を切り盛りし、「家族を幸せにするという大きな目的」にコミットしている
・その視点から、堂々とお願いし、堂々と感謝している
・自分が夫に承認を与えている
 
まあ、家庭内における、頼れる女社長的立ち位置を持っているってことですね。
 
 
これを持っているかどうかが、
大事なポイントなんだな、と思いました。
 
 
逆に言うと、
・自分に自信がない
・夫が家事に関わってくれないと「自分が否定された」と感じてしまう
・夫が家事に関わってくれないと「孤独感」「見捨てられ感」を強く感じてしまう
・夫の家事参加が、「私が愛されているか」の指標になっている
・自分の寂しさ、空虚感を埋めることが、本当の動機になっている
 
という状態の時に、
同じテクニックを使っても、
きっとうまく行かないだろうと思います。
 
 
人は、子供時代に、大抵何かしらの承認不足や傷付きを抱えて、
3割ぐらいの人は、大人になっても、解消せずに心の内側に持ったままです。
 
自分の内側を、自分の責任で満たし、
内面的に充実した自分になる。
 
そのような取り組みをして、本当の意味での問題解決をすることが、
イケダンを育てる際にも、生きるのだと思いました。
 
 
この記事を書こうと思ったのは、
私も、ココヘルチームを引っ張っていく立場になって、
言わば、「自信のない新米社長」みたいな状態になったときに、
堂々と「頼むよ」「ありがとう」と言ってない自分に気がついたりして、
 
そういう、内面的な事って大事だな、ってすごく思った経験がありまして。
 
やはり、人を動かすには、
まず、自分の内面的自信。
これを充実させることが必須だ。肝要だ。
 
そう思ったわけです。
 
もうひとつは、自分が大きな目的にコミットして、
そのために、みんなにお願いしているんだよ、という感覚。
決して、自分ひとりの都合じゃないよ。エゴじゃないよ。
(まあ、エゴだって大事なんですけど。人を動かすときは、という話)
そういう意識を持っている、ということ。
 
 
私のひと言で、周りの人(夫とか)が全然動いてくれない。
そう感じるあなたは、
自分の内面の自信と承認を充実させることから始める。
 
そういう視点で取り組んでみるのが、いいんじゃないかと思います。
 
 
表面的な行動やテクニックで行き詰まったときには、
思いだしていただけると嬉しいです。
 
 
ではまた。

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恋愛セラピスト、この歳で恋愛する気持ちが分かった(爆)

 

恋愛セラピストのあづまです。
 
最近、いろいろ変化と気づきがありまして。
 
実は、恋愛で、依存して頼る側と、自立して頼らない側ができるとき、
私は割と、自立して頼らない側でした。
 
依存して頼ってしまう側の気持ちは、正直、実体験として十分分かっていたかと言えば、答えはNO、だったと思います。
 
さらに、自立して頼らない側の人が、どんな風にして、そのパターンを抜け出していけばいいのか、それも、これまでは、怪しいものだったと思います。
 
最近、実体験ベースで、こういうことか、と分かったことがあるので、
記憶が新鮮なうちに、ここに記しておきたいと思います。
 
 
題して、
恋愛セラピスト、この歳でようやく、恋愛する気持ちが分かった(爆)
 
 
おいおい。
 
 
さて(コホン)、
 
 
どうしても、依存して、人に頼ってしまう人は、
今の自分の精一杯で生きているんですよね。
だから、これ以上無理、って感じることも多い。
 
無理めの課題が、いっぱいやってくれば、それは、失敗することにもつながり、自信を失う怖さと、常に直面し続ける、ということになる。
 
そんなときに、誰か味方がいたら、自分の気持ち、存在、信頼を、預けて、委ねて、寄りかかれる誰かがいたら、頑張れる。もう一歩前に出られる。
 
そんな気持ちで、生きているんですよね?
 
 
一方、自立して頼らない人は、一般的に、一人で何とかやっていく能力があることが多い。
でも、自分を開いて、頼って、委ねて、ということが、実は怖いの。私はこっちだった。ずっと。
今もかな。
 
女性で、自立して頼らない生き方をしていると、自信がなくて依存的な男性とペアになってしまったり、その後結婚生活になったら苦労したり、というパターンになりやすいので、頼りましょう、なんてアドバイスをしてきたんですが、自分で大抵のことは出来てしまう人が、誰かに頼る必要性って、そもそも、あまりないわけです。
 
そういう女性の方にはこれまで、「もう少し人生の目標を上げましょう」「目指す幸せを高くしようよ」「もっと欲張っていいよ」なんて言ってきたんですが、それはそれで、方向としては間違ってなかったんですが、
 
 
え?このたび、
 
私自身が、これ以上進むと自信がない、怖い、でも進まなきゃ…
 
誰か味方がいたら、自分の気持ち、存在、信頼を、預けて、委ねて、寄りかかれる誰かがいたら、頑張れる。もう一歩前に出られる。
 
そんな気持ちになる出来事、というか、課題に直面したんですね。
 
 
そこで、気づいたことがひとつありました。
 
私は、言うならば、パワーのあるエンジンを積んでいながら、エコ運転しかしない。
そういう生き方のパターンが多いのだと。
 
これ以上頑張ったら、失敗して、転んで、痛い目に遭うかも。
そういうときは、安全策の方を選んでいる。
 
それはそれで、ひとつの生き方だとは思う。
これまで私は、私とは逆に無謀な目標にチャレンジして失敗し、自信を失うパターンをやってしまう人に対して、「確実にクリアできる小さな課題を、成功させる。その繰り返しが自信を養うんだよ」なんていうアドバイスをしてきました。
そのアドバイスは、私が安全策の人だからリアリティーを持って言えたと、確かに思います。
 
 
でも、人生には、着実な一歩をコツコツ積み重ねる時期と、
 
どうしても、ジャンプしなければいけない時期がある。
 
 
ジャンプしなければいけない時期が、私はどうしても苦手です。
それは、優等生だったし、比較的、やればうまくいく、ということが多かったから、着実、確実、成功、というパターンが体に染みついているの。
 
それは、基本的にはいいことかもしれないけれど、
裏返せば、チャレンジしない、ということ。
限界まで、力を出したりしない、ということ。
でもあるわけ。
フルスロットルが必要なときでもエコ運転するクセがついているの。
 
 
まあそんな気づきを経て、
少し、恋愛に対する見方が、また変わったかな。
 
 
依存的で、すぐ人に頼って、という人。
一般的には、悪いことのように言われるけれど、
 
委ねたり、寄りかかったりする、という面での勇気はある。
これは、自立的な人より、よっぽどこの面では「強い」と言える。
 
 
それから、自立的で、人に頼らないタイプの人。
本当は、ビビリなんだよね、きっと。私は少なくともそうです。
だから、本当に、委ねたり、寄りかかったりできる相手を見つけるのに、苦労する。時間がかかる。
 
でも、見つけるべきです。
 
そして、自分がもっと、大きな目的に向かって、進むと決めるの。
そのときに、そんな役割、私にはつとまりません、なんて想いが出てくるかもしれない。
そういう時こそ、誰か味方が必要。ちょっとだけ、寄りかかる相手が必要。
 
 
もうひとつ関連して気づきを。
 
私、受け取り下手、ということを、勘違いしてました。
 
差し出されたものを、受け取るのが苦手。そういう要素もあるんだけれど、
 
本当の受け取り下手というのはね、
 
自分ひとりで出来る範囲で、人生を設計してしまって、目標も小さく設定してしまうの。
人に頼らなければならないことを、自分の人生から排除してしまうの。
 
 
「他人に頼る必要がなく、他人から受け取る必要がない、小さくまとまった生き方」を選択することで、
委ねる怖さ、寄りかかる怖さ、
自分の限界までチャレンジする怖さに、
 
直面しなくていい生き方をする、
ということなんです。
 
 
ビビリちゃんなんです。
 
 
 
はい、私です。
 
 
 
幸か不幸か、恋愛においては(過去には色々ありましたが)、比較的問題なく、結婚していい関係を築くことが出来ていましたが、
 
やはり私の場合、仕事面で、課題がやってくるようで、これ以上進むと怖い、そんなの無理、と思う局面がやってきました。そこに向き合ったときの気持ちが、何か、恋愛と似ていたので、忘れないうちに、記事にしてみました。
 
 
これ、役に立ったのかなぁ。
 
まあいいや。
 
 
ではまた!
 

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深いレベルで、自分を変えること(家事の好き嫌いを例として)

 

こんにちは、あづまです。
 
妻の実家にいたら、甥っ子が来ていて、3歳なんですが、スポンジを持って、洗い物をしていました(笑)
 
ほほえましい、日常の一コマです。
 
このとき、ふと考えたことがありまして。
 
そういえば、自分は、料理するのは割と好きだけれど、
それって、きっと、お母さんと一緒に料理した、幸せな記憶が(意識的には覚えてないぐらい小さいときに)あるから、好きなのかもな〜、って思いました。
 
そういう、家庭内の生活が、幸せな思い出とつながっている人は、家事に抵抗がないのだろうと思います。逆に、家庭内の生活と幸せな気持ちがつながっていない人が彼氏だったとして、その彼に家事をやらせるのは、まあなんというか、それが毎日続くなら、真綿で首を絞めるような拷問かもしれないな、と思いました。
 
これは、男女逆も成り立つと思うんですね。
日本ではまだまだ、女性の方が家事をすることが多いと思うんですが、家庭内の生活と幼児期の幸せな記憶が結びついていない女性の場合もやはり、家事が苦痛・苦行・拷問になってしまう可能性があると思いました。
 
 
これが、パートナー(相手)の課題だったなら、まずは、強要しないこと。
そして、ふたりで、幸せな体験を積み重ねることで、ふたりの生活が、幸せの記憶の土台になるようにしていく、これが大事だと思うんですね。
(ここで、二、三行で書くほど簡単じゃないことも多いわけですが)
 
これが、自分の課題だったらどうするか。
ここが、人としての覚悟が問われるところじゃないかと思います。
 
人は、過去の痛みがあることから、逃げたいと思います。
それは自然な反応です。ですが、それが人生に不利益をもたらしているなら、乗り越えるという選択もできます。
 
 
これを乗り越えるときには、誰か、信頼して自分の気持ちを委ねられる、精神的に寄りかかれる人が必要じゃないかな、と私は思います。
 
感情が揺れて、泣くかもしれないし、怒りも出るかもしれない。
でも、それを受け止めてくれる人がいる。
 
 
過去の痛みがあることを、避け続けるのではなく、
痛みを癒して、前に進もう。
 
そういう選択もある、ということ。
 
 
そして、私自身も、自分が変化するときに、感情がいろいろ揺れる体験を、最近しました。そのときに、信頼して委ねられる相手がいる、これが勇気になることも、経験しました。
 
だからこそ、いまから変化しようとする人に、必要なことが分かります。
 
 
 
さて、
あなたのパートナーが、何か、過去の痛みを持っていて、家事が苦手とか、変化できないとか、そういうテーマを持っている、そんな場合ですが、
 
まず、あなた自身が、感情が揺れるほど変化する体験をすることをおすすめします。
その道の途中で体験したことは、あなたのパートナーが、これから体験することです。
 
実体験ベースで理解し、腑に落ちていれば、
「なんであなたは、そんな簡単なことができないの?」
なんて上から目線で裁くこともなくなるでしょうし、
 
逆に、
心に傷のある彼だから、傷つきやすいから…と、
必要以上に、腫れ物に触るように、おっかなビックリになってしまうこともなくなります。
 
まずは、自分が、信頼して委ねる体験をして、
感情が揺れるほどの変化、成長を経験してみること。
 
その先に、その経験を活かして、パートナーのサポートをする、という道も開けるのだと思います。
 
 

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人間関係力向上セラピスト養成講座2014年4月期

 

あづまです。こんにちは。
 
人間関係力向上セラピスト養成講座、
改題前から数えて今期で13期目になります。
 
人間関係力向上セラピスト養成講座 基礎コース
人間関係力向上セラピスト養成講座 上級コース
セラピストになる道、全体像の解説ページ
 
 
説明は少々長いですが、
安い講座ではないですから、
こちらも、できるだけしっかり説明しました。
しっかり検討してから、お申し込みくださいm(_^_)m
 
 
素敵な仲間も増えてきました(セラピスト一覧)。
 
 
現在ご提供している、
・セラピスト養成講座 基礎コース
・セラピスト養成講座 上級コース
・インターンシップ(生のセラピーの見学+セラピーの実習)
・登録セラピスト
という制度ですが、
 
私が考える限り、現状、セラピストになって活動する道として、一番の近道じゃないかと思うぐらいの親切設計になっています。
 
詳しくは、
人間関係力向上セラピスト養成講座 基礎コース
人間関係力向上セラピスト養成講座 上級コース
セラピストになる道、全体像の解説ページ
をご参照いただきたいと思います。
 
 
毎回毎回、必ず少しずつ改善、改善を繰り返して、
現在に至っていますが、
 
いま私が持っている構想を実現するには、
小さな改良では、追いつかないと感じまして、
 
今期限りで、
人間関係力向上セラピスト養成講座は、
いまの形での開催は、おしまい、とします。
 
何らかの形で、ココヘルの登録セラピストになる登竜門は、
今後も作って行く予定ですが、
現在よりは、ステップが長くなることは決まっています。
(それだけ、面倒見がよくなるとも言えますが、お金と時間は余計にかかるようになると思います)
 
いまの形で、登録セラピストを目指したい方は、
今期の受講をお勧めいたします。
 
セラピストという生き方に興味のある方は、
ご検討いただければ幸いです。
 
ではでは。

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心理セラピーでいちばん大事なのはリソース探し

 

あづまです。
 
世の中でよくあるカウンセリングは、
なにか、辛いことがあったら、それを話す、ひたすら話す、というもの。
そして、掘り下げと称して、幼少期の辛い体験などもどんどん話す。
 
まあそういう感じでしょうか。
 
私は正直、その流派じゃないので、よく分からないところもあるんですが。
 
私が大事にしているのは、
もちろん、問題の根っこも探すけれど、
一番探さなきゃいけないのは、プラスのエネルギー源、
という考え方です。
 
 
プラスのエネルギー源があるから、
マイナスの感情を癒やせる。
 
プラスのエネルギー源があるから、
役に立たなくなった、ネガティブな観念を手放せる。
 
プラスのエネルギー源があるから、
メンタルブロックを外せる。
 
プラスのエネルギー源があるから、
プラスのエネルギーが枯渇していた頃の、過去の記憶を癒やせる。
 
 
プラスのエネルギーって何?
 
 
そう、心の問題の解決における、プラスのエネルギー源というのは、
・他人からの承認やスキンシップ
が一番威力があるエネルギー源。
 
ほかにも、とくに人間不信がある人などは、
・自然、動物、芸術、子供の頃に楽しかったこと
などが、補助的(過渡的)なエネルギー源になることがあります。
 
そして、これも肝心な点ですが、
・セラピストが与える承認
も、大切なエネルギー源です。
 
 
過去の辛い出来事の話をしたり、
フォーカシングをして、過去の辛い感情を感じて癒すことを試みたり。
まあ心理セラピーでは、過去の辛い出来事や感情に「直面する」ということを大事にする人が多いわけですが(その要素は確かに必要ではありますが)、
 
一番大事なことは、そういう作業をやり遂げられるだけの、プラスのエネルギーがどこかにある、ってことです。
 
クライアント自身が持っていることもありますが、
人間不信系のクライアントさんなどは、他人を信用してないので、ずっと、誰からも受け取らず、承認のエネルギーが、そもそも、心の中に枯渇しています。
 
その状態だと、セラピストがワークをやろうとしても、過去の辛い感情に直面させようとしても、解決するためのプラスのエネルギーが本人の中に少なすぎるので、うまくいかないんですね。
 
そうなってくると、セラピストがクライアントをほめる、とか、笑顔で接する、とか、何でもいいから認める、みたいな、セラピストが与える承認が、当面唯一のエネルギー源、みたいなことにもなります。
 
来談者中心療法の、傾聴をするカウンセラーさんのところに通ったけれど良くならなかった、という経験を持つクライアントさんに、この、プラスのエネルギーの説明をしたことがあるんですが、
 
 
その方のコメントで、
「…なるほど、何でカウンセリングの効果が出なかったのか、いま分かりました。
 そのカウンセラーの先生、暗かったんです。」
 
というのがありました。
 
 
プラスのエネルギーを、どこかで確保できるか。
それこそが、解決のための最も大切なリソース(資源)です。
 
クライアントさんが、辛いながらも、人間関係をなんとか良好に維持して、助けてくれる人が今はたくさん周りにいるとか、
 
そうやって周りの人の助けを得られるようになっているので、いまは、幼少期の未解決の課題はあるものの、大人の心には、プラスのエネルギーがちゃんと入っているとか、
 
仕事では認められているので、条件付きの承認ではあるけれど、自分が認められる瞬間があり、プラスのエネルギーをもらえる機会が、ちゃんと持てているとか、
 
そういうのが、解決のための重要なリソースになるんですね。
 
私はよく、悩みの本題と直接関係なくても、その人がこれまでの人生で一番頑張ってきたことについて、聞いたりします。この人、仕事頑張ってきたみたいだな、って思ったら、仕事についての話をききます。そして、その中の、きらっと光る部分を見つけて、ほめる。
 
「ほめる」は、どことなく上から目線な感じの言葉ですが、それよりもむしろ、私も、「宝みーつけた♪」みたいな気持ちで、コメントする、と言った方がぴったりですかね。
 
話が脱線してでも、そういうエネルギー源を見つける。
(というか、それは解決につながるわけですから、脱線ではないのですが)
 
クライアントさんの周りに、そういうエネルギーが全然ない場合は、
当面は、セラピストがプラスのエネルギー源になるしかないですね。
 
 
そのぐらい、解決のためのプラスのエネルギー、まあ要するに、元気、ですが、
これは、重要なものなのです。
 
 
セラピーでは、とかく、問題点探しをやってしまいがちですが、
まあそれも、本当の課題をちゃんと発見できるなら、大いに意味のあることですが、
 
問題点探しよりも、もっと大事なことが、
プラスのエネルギー源探し、
もう少し広く捉えると、
リソース探しです。
 
 
マイナスのことばかりじゃなくて、プラスのエネルギーを意識してセラピーに臨みたいものです。
 
ではまた。

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心理セラピーが真に役立つとき2【得体の知れない感情の癒し】

 

あづまです。
 
心理セラピーが真に役立つとき1 からのつづきですが、
 
得体の知れない感情というのは、基本的に、乳幼児期のものです。
大人は、自分の潜在意識の中で渦巻いている様々な感情から、意識がある程度切り離されていて、激しく渦巻いている感情と直接接していない、そういう感覚の中で生きていますが、
 
実際には、感情は激しく動いているんですね。
で、それが、乳児期は特に、むき出しのまま、表に出てくる。
 
だから、大人なら、1時間待ちぼうけを食らったら、「なんだよ?まったく?」と、多少腹は立つでしょうが、やり過ごせることでも、
乳児は、泣いているのに1時間待ちぼうけを食らったら、その間悲しみと怒りと…激しい感情を感じ続けるわけです。
 
こうした状況を日常的に経験したことが、
いつしか、自分の感情を表現することを「あきらめ」、(このあきらめのことを心理学的には「抑圧」と呼びます)
そして、あきらめたはずの感情が、未解決の感情として、大人になっても本人を悩ますのです。
 
 
見捨てられそうな場面になると、激しい不安と怒りが湧いてきてコントロールできなくなる。
などは、典型的な反応ですが、
 
これ以外でも、
とにかく、
 
 
得体の知れない、強烈な感情が、
どうも、私だけ、持っているようだ。
 
周りの友達はそういう反応はしないみたい。
 
という症状がある場合、
それは、
 
 
乳児期の、激しい感情が未解決になっていることが原因かもしれません。
ほかに、思い当たる原因がないのなら、
そうみなして、取り組んでみる価値はあると思います。
 
 
こんなテーマは、
やはり、心理セラピーの真骨頂。
なかなか、占いとかコーチングとか、ほかの相談では、
根っこにたどり着いたり、解決したりするのは、難しいと思います。
 
 
次回以降、掘り下げ方の基本について、
そして、解決方法については、結局は、文字で書いたものを読んでも自分で解決できないことが多いですので、あくまで概要になりますが、
 
書けることを、書いていきたいと思います。
 
ではまた!

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自分の気持ちが分からない人に試してみてほしい方法

 

あづまです。
 
恋愛の相談を受けていると、
・依存系男子ばかり引き寄せる
・だめんず遍歴をしている
・男性を選ぶ目に自信がない(ので恋愛を避けがち)
・及び腰になっているうちに、突撃してくる男性と付き合ってしまう
・「ぼくを構ってオーラ」を出してくる男性が気になってしまう
 
などの表面的な症状を訴える女性に、比較的共通している傾向として、
 
・自分の気持ちが分からない
 
というものがある、と分かってきました。
 
 
自分の気持ちが分からない、といっても、完全に自分の気持ちにフタをしてカギをかけて、何も感じない状態になっている(ちょっと病的ですね)、というわけではないんですね。
 
楽しいときもあるし、イヤなこともあるし、悲しいことだってある。
それは、あるんだけど、
 
元々、自分の気持ちを感じるのは苦手な方で、
 
 
そして、ここが大事なところですが、
 
 
目の前に誰かがいると、
その人が何を考えているかだけで、
意識が一杯になってしまって、
自分の気持ちが分からなくなる。

 
というパターンを持っているんです。
 
あなたは、どうですか?
 
 
このパターンを持っている方の場合、
いままでずっと、相手の気持ちを考えて考えて…ということを続けてきていますので、
目の前に誰かが現れた瞬間に、自分の気持ちが意識のかなたに行ってしまい、目の前の人の気持ちで、意識が一杯になってしまいます。
 
もう、自動反応なんです。
 
 
そういう方の場合、試してみてほしいことがあります。
 
 
それは、常々、
自分自身が目の前にいるとイメージして、
その、目の前にいる自分が、どんな気持ちを持っているのか、
いつも他人の気持ちを受け取るように、受け取ってみる、
という方法です。
 
 
いつも、目の前に他人がいると、
その人の気持ちばかり意識に入ってきてしまうなら、
 
要するに、
 
目の前にいる人の気持ちを受け取るのが得意、ってこと。
そういう能力が高いってことです。
 
ならば、
 
その能力を、バッチリ活用して、
自分自身の気持ちを感じ取ればいいじゃないの。
 
 
まあそういう単純な考え方。
 
 
これを習慣にしてみれば、
まあ、ちょっとタイムラグは出来ちゃうかもしれませんが、
比較的、瞬時に、自分の気持ちを確認できます。
 
 
おためしあれ。
ではでは!
 

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オーロラ写真をアップします。

 

2014.3.5~9(現地の日時)、イエローナイフにてオーロラ観察をしてきました。
ここに、そのときの記録として、撮った写真をアップします。
 

 
オーロラ写真1
 
オーロラ写真2
 
オーロラ写真3
 
オーロラ写真4
 
オーロラ写真5
 
オーロラ写真6
 
オーロラ写真7
 
オーロラ写真8
 

 
チャレンジした五日とも、オーロラ観察が出来て、条件には恵まれたと思います。
雪の日もまさか、夜半過ぎに、驚くべき勢いで星空に変わりました。
とは言え、ちらっと見えた日と、よく見えた日には、相当差があり、写真のオーロラはほとんど同じ日のものです。
 
えと。もちろん、画像処理済みです(笑)
 
元々、カメラの目は人間の目よりも、暗いところではきちんと色を捉えることが出来るので、肉眼で見るよりも色鮮やかに撮影されるものなのですが、そこからさらに、色を立てる画像処理をして、美しく仕上げました。
 
 

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