相手を操作する心理学に頼りたくなる自分の弱さに気づこう。

 

日々、コラムへのコメントに回答したり、
あるいは、実際に恋愛セラピーに足を運んで下さった方の相談を受けたり、
 
そんな風に過ごしていて、
 
「あぁ、この人はきっと、まだすぐには問題を解決できないだろうな。」
 
と感じる「悩み方」があります。
 
 

すぐに解決できなさそうな、悩み方とは?

 
・彼に嫌われることを言ってしまいました。仲直りするにはどうしたらいいですか?
・彼の問題が○×△■で、指摘するといつもケンカで、でも○×△■…
 で、彼にその行動をやめてもらうにはどうしたらいいですか?
・彼は幼少期に母親に○×△■で、愛情飢餓だと思います。一緒にいると辛いので…
 ○○してほしいのですが、どうしたら彼に変わってもらえますか?
 
まあこんな感じで。
要するに、心理学的なテクニックで、彼に変わってもらうことを目指しています。
しかも、彼に変わってもらいたい「動機」は、自分が辛いから、です。
 
大抵、問題行動を起こす「彼」は、愛情飢餓です。
相手のために行動を改める心のエネルギーが枯渇しています。
 
うまく行っている関係の中で、しかも、相手が心にゆとりがある状態なら、
「私が辛いので、あなたの行動を変えて下さい」というロジックが機能する可能性はあります。
 
でも、問題行動が多い彼というのは、もうすでに、心の中は自分のことでいっぱいいっぱいですから、「私が辛いので、あなたの行動を変えて下さい」というロジックは無理です。
 
 

一見大人風に、自分の悩みを偽装すると…?

 
また、自分の悩みを「偽装」する人もいます。
一見、自分が責任を持っているように、表面的に取り繕っています。
 
・彼に嫌われることを言ってしまいました。
 私の態度に問題があったと思います。
 反省して態度を改めたいと思います。
 私はどうしたらいいでしょうか?
 
 たとえば、こういうもの。
 
 でもこれ、最初の、
 
・彼に嫌われることを言ってしまいました。
 仲直りするにはどうしたらいいですか?
 
 と、全く同じことなんですね。
 
 
 同じく、
・彼の問題が○×△■で、指摘するといつもケンカで、でも○×△■…
 私の態度にも問題があったと思います。
 反省して態度を改めたいと思います。
 私はどうしたらいいでしょうか?
 
 というのもあります。
 でも結局、
 
 私が態度を改めた結果、どうなることを期待しているのかというと、
 
・彼の問題が○×△■で、指摘するといつもケンカで、でも○×△■…
 で、彼にその行動をやめてもらうにはどうしたらいいですか?
 
 最初の悩み方と、結局同じところ、なんですよね。
 私が態度を改めるのは、彼にその行動をやめてもらうため。
 
 
 
 そろそろくどくなってきましたが、
 
・彼は幼少期に母親に○×△■で、愛情飢餓だと思います。一緒にいると辛いので…
 私の態度にも問題があったと思います。
 反省して態度を改めたいと思います。
 私はどうしたらいいでしょうか?
 
 これも、一見自分の側のことを考えて、大人な態度を偽装していますが、
 結局のところ、はじめの悩み方と一緒です。
 
・彼は幼少期に母親に○×△■で、愛情飢餓だと思います。一緒にいると辛いので…
 ○○してほしいのですが、どうしたら彼に変わってもらえますか?
 
 
 こういう偽装は、もし仮に、次第に自分の人生は自分の責任、という感覚が本物になり、自己成長につながっていけば結果オーライ。ですので必ずしも悪とは言えないのですが、
 
 偽装してしまった結果、本心をさらに押し込めて、問題解決を遠くしてしまうという悪循環を生む危険性の方が、むしろ大きいんじゃないかと、私あづまは考えています。
 
 

では、根本的に異なる悩み方とは?

 
では、根本的に異なる悩み方というのは、どこが違うのか。
それは、物事の結果を堂々と受け止める、ということじゃないかと思うのです。
 
 
 
・彼に嫌われることを言ってしまいました。
 
というケースでは、「嫌だ」という感情は既に彼の心の中にあり、そこは、彼の領域であって、こちらの都合で操作することは、相手の領域に踏み込む越権行為だと自覚すること。
 
まあつまり、もし彼が一生許してくれないなら、その結果を甘んじて引き受けるという覚悟を持つということです。
 
その上で、彼がもし謝罪を受け入れる準備があるなら、こちらとしても、仮に別れに至るとしても、二人の将来のために、ベストの謝罪をしよう。その方が彼もきっと楽になるはず。
(逆に、彼が謝罪を受け入れないのであれば、それ以上無理強いしない、という大人の姿勢をとれるぐらいのどっしり構えた心を持つこと)
 
まあこれが、結果を堂々と受け止める、引き受ける、ということです。
 
 
・彼の問題が○×△■で、指摘するといつもケンカで、でも○×△■…
 
この場合も、自分の中で、彼に愛情を持って接するだけの覚悟があるのかどうか、そして、それを続けるだけの忍耐力があるのかどうか、それを考えることです。
 
浮気・借金などの、依存症的な問題行動の場合、年単位で取り組みを進めていく必要があります。それだけの忍耐力があれば、彼が最終的に変化してくれる可能性はあるでしょう。
 
しかし、指摘したり、感情的に責めたりして行動を「矯正」しようと試みるなら、それは相手を「操作」するやり方であり、うまくいかないでしょう。
 
 
・彼は幼少期に母親に○×△■で、愛情飢餓だと思います。一緒にいると辛いので…
 ○○してほしいのですが、どうしたら彼に変わってもらえますか?
 
この場合も、彼に、愛情を注ぐ役を続けていくだけの覚悟とメンタル体力が自分にあるのか。まずそれを自問することが大事だと思います。
 
 
もちろん、なんでもすぐに別れればいいってものではありません。
まずは、自分が望む結果を得るために、努力をしてみる。それは、大事なことです。
 
但し、本当の意味で悩みが解決するかどうか、というのは、今までの自分の行動の結果、そして今後自分が行動することの結果を、どっしりと構えて引き受ける覚悟ができているかどうか。
 
そこにかかっていると思います。

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許せない気持ちの中には、許さなくていい部分もある。

 

夫の浮気が発覚。
なんと10年もの間、その相手と不貞行為をしていた。
夫はばれたのでしぶしぶ別れた。
もう別れたからいいじゃないかと言っている。
 
しかし、何か釈然としないし、許せない気持ちがあって、もやもやしている。
 
 
まあ典型的には、こういうケースがあるわけですが、
 
こういうとき、私は、次の話をすることが多いです。
 
 
「ゆるす」には三種類の意味があるんですよ、と。
 
ひとつめの「ゆるす」は、行動に関すること。
相手をいつまでもぐちぐち責めたりしない、ということ。
法律家や合理的な思考の持ち主の「ゆるす」はこの意味です。
 
ふたつめの「ゆるす」は、感情に関すること。
「ゆるすことにした」と決めて、責めない、という行動は選んだけれど、
心の中ではネガティブな感情が渦巻いている。
これでは、本当の意味で、解決していません。解消していません。
本人も楽にはなりませんし、怒りの感情が周りに移る(逆転移)など、悪影響が広がります。
 
ですから、ネガティブな感情を、自分の責任で、整理すること。
これが、ふたつめの「ゆるす」です。
心理学の専門家が言う「ゆるす」は大抵この意味です。
 
 
そして、大事なのが、みっつめの「ゆるす」。
一度「ゆるして」しまったら、今後また再発したとして、ずるずると容認するようなことにならないか…これは、とても重要な問いです。
 
実は、みっつめの「ゆるす」は正義感、倫理観に関することです。
やはり、問題行動は、自分の心のあり方として言うなら、ゆるさなくていい、いや、もっとはっきり言えば、ゆるすべきでない、のだと思います。
 
 
一番目の「ゆるす」に関しては、いつまでも、有効でない愚痴や相手への文句を言い続けるべきでない、つまり、「ゆるすべき」である、という方向が大事。
 
二番目の「ゆるす」に関しても、行動だけ取り繕っても、腹の底に持っている感情は、夫婦のような近い関係では絶対に伝わってしまいますから、きちんと自分で整理をつけるべき、つまり「ゆるすべき」である、という方向が大事。
 
しかし、三番目の「ゆるす」に関しては、問題行動を、「それは正義に反している」「それは倫理にかなっていない」という、自分の中の基準をしっかり持って、「ゆるさない」ことが大事だと思います。
 
 
浮気をされた側の精神的成長という観点で見ても、この方向は大事です。
特に、自分の基準をしっかり持つという、三番目の視点がちゃんと持てるというのは、大事なことです。
 
一方、意外に思うかもしれませんが、浮気をした側の精神的成長という観点で見ても、実は同じ結論が出てくるはずだ、と私は考えています。
 
というのは、浮気に流れてしまう人は、やはりどこか、倫理的なこと、正義に関することを軽く見ているからこそ、そうなるわけで、精神的成長のために、ある種の厳しさは必要だと思うからです。
 
 
但し…
 
これは、妻の側の覚悟が問われる話です。
つまり、今回は、二人でよく話し合って、再発防止を考える。
という方向を出したとしても、もしまた、再発するようであったら、自分はどうするのか、それを明確に宣言し、一度言ったからには絶対に自分の言葉を守る、そういう芯の強い態度が求められるからです。
 
つぎやったら、別れます。
○○万円の財産分与と、○○万円の慰謝料請求をします。
(上記はあくまで典型例です。ここで何を言うかは、相手の状態などを総合的に考えて決めなければなりません)
 
たとえば、一度そう言ったら、絶対に守らなければなりません。
そうでないと、「ああこの人の言葉は、軽いんだ」と思われてしまいます。
 
言葉に覚悟がこもっていない人は、相手に「説得したり、ごねたりすれば何とかなるんじゃないか」と思われてしまいます。
 
 
一度言ったからには、絶対にその言葉を守る「覚悟」が問われます。
 
もちろん、別れますという言葉を言うのは覚悟がいるからと言って、「言わない」という選択をするのも結局、相手を動かす力のない態度です。
 
私も本気で修復に向かう努力をします。
しかし、あなたが本気になってくれないのであれば、
夫婦を続けていくことは出来ません。
そのときは、すべき手続きを踏んで、離婚します。
 
こういう、【感情的ではない】、【覚悟の決まった】、【本気の姿勢】で相手と対峙できるかどうか、それが、三番目の「ゆるす」に関しての、「ゆるさない」という姿勢なのだと思います。
 
 
但し、再度、念を押しておきますが、
「ゆるさない」のはあくまで三番目の「ゆるす」に関してのみであって、
 
 
相手に行動面の改善を求めたり、夫婦で一緒にメンタルな課題の解決に取り組んだりすることは、もちろんOKですが、
 
自分の感情が解消しないからといって、いつまでもグチグチ言ったり、(一番目のゆるすができていない状態)
 
自分の感情を自分の責任で解消する努力をしないで、自分の気が晴れるまで、全部相手に償ってもらおうとしたり(何度も何度も謝らせるとか…たぶん解決しないですその方法じゃ)、不機嫌な状態を続けたり…まあこれは、言い換えると、感情的に相手に依存している状態であって、二番目のゆるすができていない状態です、
 
 
こんな風に、本来全く違う三つの概念を、「ゆるすか、ゆるさないか」みたいな、粗くて浅い考えで、ごちゃっ、と一緒くたにして、
本来ゆるすべきものまでゆるさなかったり、
本来許すまじきものまでゆるしてしまったり、
 
ということになると、解決が一気に遠のいてしまうのです。
 
 
この機会に、「ゆるす」ということに関して、一度よく考えてみて頂きたいと思います。

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お笑い芸人河本氏がつるし上げられた件についての違和感2

 

お笑い芸人河本氏がつるし上げられた件についての違和感の補足です。
 
先の記事を公開してから、ツイッター等でコメントを頂いて、また考えました。
 
 
まず根本的な問いとして。
 
国として必要なことは、
河本氏のような特に高額な所得の人の家族だけ、
生活保護費を返還させることなのでしょうか?
 
少なくとも兆円単位の資金を返還してもらい、必要な人に回そうと思うなら、
おそらく、年収で500万円ぐらいの人にも、親族の面倒を見てもらうことを依頼し、多くの人が国に頼らずに生活をしていく形にする必要があるんじゃないでしょうか。
 
そういう観点で言うと、
小宮山厚生労働相のやり口(なのかどうかは定かではありませんが)は、醜悪だと思います。
 
つまり、
 
河本氏は確かに、おかんねたで稼いでいるし、高額所得者で、それで母親が生活保護を受給しているのは、ちょっとおかしい。これは普通の常識で考えて、そうだと思うんですね。
 
しかし、こういう特殊な事例をつるし上げることと、
生活保護費を、できるだけ家族に負担してもらって、国が面倒見なければならないケースを出来るだけ減らそうという試みは、ほとんど関係がないと思うのです。
 
 
先の記事で書いたように、親の面倒を見たくない、という人がいたとして、全然別の場所で生活している。というときに、親の扶養を義務化できるのか、というと無理だと思うんですね。
 
たとえば、先に書いたように、ひどい親だったと。絶対にイヤだと。
そういうケースは同情するから、免除する。
 
と、こうなったら、親のことが好きかキライかという、極めて主観的な理由で義務が免除されるという、ざる法のできあがりです。
 
 
みんな、私は親が嫌いです、って言えば扶養義務が免除されるわけだから。
そんなルールはあり得ないですよね。
 
 
そうすると、年収や扶養している子供の人数などで条件を区切って、
扶養すべき条件の人は、完全に厳密に義務化する、となるでしょうか。
たとえば年収○百万以上だと扶養義務がある(色々控除の条件がつくでしょうが)など。
 
条件に当てはまったら、どんなに親と仲が悪かろうが、絶対に扶養せよと。
これも、行政の担当者が義務化は難しいと言っているように、無理だと思うんですね。
 
 
つまり、線引きのしようがない話なんだと思うんですね。
 
こういう場合、何か、合理的なインセンティブを作るなり(たとえば、親を扶養した人は、それにかかった費用の、かなりの割合を、年金の積み立てと見なして、本人の年金の増額につながるなどの仕組みとか、大幅な税金の控除があるとか)して、
 
自主的にやりたくなる仕組みを作る必要があると思うんですね。
 
あるいは、大前氏が指摘していたように、生活保護を現物支給にして、本当に最低限の生活を保障するための、セーフティーネットとして使い、ズルして金を稼ぐことは不可能にしておくなど。
 
 
それで、
 
そういうしっかりと考えて工夫するところをお休みにしていながら、
有名人という「逃げられない人」をつるし上げて、
 
私は仕事をしていますよ、というアピールをしている。
 
その構図が、醜悪だと言っているわけです。
 
 
まあ、河本氏は、有名人になったらそうやってつるし上げられやすくなるわけですから、脇が甘かったと言わざるを得ませんが。
 
しかし、脇が甘かったところを、小宮山厚生労働相に、いけにえ(スケープゴート)として利用されてしまった。
 
これが、今回のことの本質じゃないかと思うわけです。
 
 
まあ、河本氏のお母様は、生活保護費を返還したほうがいいとは思いますが、一般の人の目をそこだけに向けさせることが、今回のニュースの本質だと思うんです。だから、私たちがもし、そこで思考を止めてしまっては、ずるい厚生労働相の思うつぼだと思います。
 
その先、あなた(小宮山厚生労働相)は、有効な対策をちゃんと打っているのですか?
というところに、目を向け続けることが大事だと思います。
 
目くらましにだまされてはいけないと思うのです。

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お笑い芸人河本氏がつるし上げられた件についての違和感

 

先日、母親が生活保護を不正受給したということで、お笑い芸人の河本氏がテレビで謝罪していました。
 
それを見て、本人が不正受給していたなら、そりゃ土下座ものかもしれないけれど、実際に貧乏だった時期も長い(らしい)、母親が受給していたなら、あんな風に悪者扱いする必要はないのになぁ、と感じていました。
 
そこに、大前研一氏が、メルマガでその件を取り上げていて、そうそう、とうなずいてしまいました。
 
大前研一 ニュースの視点(まぐまぐ)
(但し最新号のみ表示なので、時間がたったら読めません)
 
曰く、
>ただ今回のニュースに関して言うと、お笑い芸人の河本氏が
> 「高所得者の息子が親の扶養をしないのはおかしい」ということで
> 槍玉に上がっているようですが、私は不思議に感じました。
 
> 「いつの間に子供が親の保護をすることが法律で義務付けられたのか?」
> と思ったからです。
 
> 私が知るかぎり、このような法律はないと思います。
 
> 親も子も独立していて生活拠点も違うのであれば、お互いに
> 「独立した大人」なのですから、それぞれ別々に考えるのが筋だと思います。
 
> もし仮に「高所得者の子供は親の扶養義務がある」というような
> 法律があるのなら、その場合には「税金の還付」くらいあっても
> 然るべきではないでしょうか。
 
 
私が直感的に思ったのは、まあ、職業柄、というところですが、
親は現在貧乏、しかしかつて、本当にひどい親で、
子供はその中で相当傷ついて育った。
 
もう絶対、実家には近づきたくない。
なんなら、縁も切りたいぐらいだ。
 
という息子がいたとして、
で、その息子、結構ビジネスセンスがあって高額所得者になった。
 
 
こういうときにも、本当に、正気で、
小宮山厚生労働相は、親の扶養をすべき、と主張するのだろうか?
ということ。
 
 
義務、というのはそのぐらい重いものなんですよね。
本当に、そういうことを国民に言う覚悟があって、
小宮山厚生労働相は、そう言っているのか?
 
 
どんなに傷つけられて、
どんなに、ひどい目に遭わされても、
高額所得者だったら、
身を引き裂かれる思いをしてでも、
親を扶養すべき。
 
そういう話になるのか。
 
 
逆にもしも、親の扶養は、義務ではなく、
気持ちの面も含めて、ゆとりの範囲で任意で、
という話になるのであれば、
 
高額所得者の親が生活保護を受けていても、
不正受給(法律違反)とまでは言えないはず。
 
子供に対して親を扶養してあげなさいという勧告や説得は出来るとしても。
 
まあ、河本さんの場合、おかんネタで受けを取ったりして、稼ぎのネタにしていることもあるから、そういう意味では、おかんに少し還元すべきじゃないかという話は、筋が通っている気もしますが、
 
 
親であるだけで、子供がそこまで責めを負うのか、となると、
 
なんだか、空恐ろしい感じがしました。
 
 
義務ってのは、きちんと線引きをして、ルールとしてしっかりと守らせる。
そういう話なわけで、
 
なんとなく、あいつ稼いでいるのに、親に生活保護受けさせてるのがムカツク、みたいな感情論で人を裁いてはいけないと思うんですよね。
 
上記の大前研一氏のメルマガには、不正のしようがないように食料品で現物支給、などの対策もありうる、という話が書かれていました。
 
確かに、なんだか本当は困っていなさそうな人が、ズルして生活保護を不正受給しているケースが見受けられるんだろうけど、その対策としては、かなりお粗末な感じがするわけです。
 
小宮山厚生労働相、ほんとにこの人、頭いいんかいな?
頭悪い人がルールを作ると、すぐ抜け道を作られてしまうから。
大丈夫か?
 
と、感想を書いておきます。

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自立しているはずなのに「依存的」と言われるのはなぜ?

 

よく、勘違いされている概念に、
 
「自立」と「自活」があります。
 
「親にいつまで依存しているんだ。早く自立しろよ。」
そう友達に言われて、「自活」を始めた。
 
でも、一人で暮らしてみたら、結構寂しくて、夜な夜な友達に電話してしまったり、メールをするための携帯は手放せなくて、極めつけは彼氏ができてみたら彼にべったりになってしまって、
 
 
不安が強くて、精神安定剤が手放せないような感じで、
彼がいないと安心していられない状態になってしまっている。
 
 
あれ〜。
自立したはずなのになぁ。
 
 
 
さて、上記の話は、私が説明のために都合よく作ったストーリーですが、いったい、何が間違っていたのでしょうか。
 
 
それは、自活=経済的な自立と、
精神的な自立を、混同してしまったことにあります。
 
自活していて、精神的にも自立している。
そういう人もいますが、
 
自活しているが、精神的には自立しきれていない。
そういう人もいるわけです。
 
 
ところで、精神的な自立って、どうやって分かるのでしょうか?
それは、簡単に言うと、誰か特定の人がそばにいないと生きていけない状態かどうか、ということです。
 
仕事では自立的に振る舞っているけれど、こと恋愛になった瞬間に彼にべったりになってしまう「隠れ依存」というのもあるので、判断するのは、それほど単純じゃありませんけどね。
 
 
まあとりあえず、
・精神的な自立
・経済的な自立
このふたつを、分けて考えるようにする、というのは大事なことかな、と。

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本当に自分のしたいこと、ほしいものが分からない状態とは?

 

恋愛や結婚生活の相談を受けていると、
 
特に、うまくいっていないケースにおいては、
 
本当に自分のしたいこと、ほしいものが分からない状態、
というのが、よく見受けられることに気づかされます。
 
 
自分が本当はどうしたいのか、何がほしいのか、何が大事なのか分からない、という訴えの女性の方もいらっしゃいますし、逆に、彼の問題行動が多くて(たとえば何股もの浮気など)、話し合いの中で「あなたはどうしたいの?」と訊いても、本人もどうしたいのか分からないようで、全然分からない、という相談もあります。
 
自分のしたいことやほしいものが分かっていて、それを手に入れるために行動して、手に入れて、満足して、というサイクルがちゃんと回っている、人生がうまく行っている人からすると、全く想像のつかない世界かもしれませんが、実際、自分のしたいことやほしいものが感じ取れない、分からない状態というのは、あるのです。
 
 
そこで、どういう状態の時に、自分のしたいことやほしいものが感じ取れなくなってしまうのか、このコラムではそれを書いていきたいと思います。
 
 
まず、人が「○○がしたい」と言っているときに、必ずしも動機が言葉通りとは限らないと言うことは、知っておく必要があります。
 
たとえば、ある女性が「結婚したい」と言ったとしましょう。その人が本当に結婚をイメージするとわくわくしたり、温かい気持ちになっているかというと、必ずしもそうとは限りません。
 
独り身でずっと生きるが怖い、が本当の気持ちかもしれませんし、
親の「結婚はまだ?」の言葉に、責められた気持ちになっていて、逃れたいのかもしれません。
(もちろん、純粋に「結婚したい」場合もあるわけですよ!)
 
ここで、考えておくべきことは、人の動機には、
・喜びに向かう動機
・痛みから逃げる動機
の二種類があるということです。
 
本当に自分のしたいことが分からなくなるときというのは、後者の、痛みから逃げたいという動機が支配的なときによく現れます。
 
とくに、痛みから逃げたい動機が二つ以上あって、葛藤を起こしているときには、自分が本当はどうしたいのか分からない状態になりやすいです。
 
たとえば、結婚の例でさらに説明すれば、結婚しないとしたら、独り身で生きるのが怖い、けれど、結婚するとしたら、男性に支配され自由がなくなる気がしてそれも怖い。
 
という風に葛藤していたりすると、「私は結婚したいのか、したくないのか分からなくなってしまった」という風に感じるものなのです。
 
 
同様に、彼が浮気をしていて、彼女の方が、極力冷静に、
「あなたは、どうしたいの?」
と訊いても、本人の意見は全然出てこない。
ただただ「自分でもどうしたいのか分からない」と言うばかり…
 
なんてときは、間違いなく彼は、
・痛みから逃げたいという動機と、
・別の痛みから逃げたいという動機の間で、
板挟みになっているわけです。
 
幼少期の孤独感を癒やす方法も分からず、恋愛に逃げ込んでいて、新しく誰かと交際開始したときの高揚感・ラブラブ感があるときだけ、なんとか少し楽になれる、浮気の恋愛をやめて孤独感という痛みと向き合うのは、いやだ。
 
でも、このまま浮気を続ければ、一番自分のことを分かってくれている本命の彼女を失うことになる。それも、いやだ。
 
人それぞれ若干このあたりの感覚は違うでしょうが、大きくは、いま書いたみたいな感じだと思います。
 
 
まとめですが、
人は、自分の希望を「○○したい」という言葉で表現するものだけれど、それは必ずしも喜びに向かう動機の表現とは限りません。
 
むしろ、「○○しないことが怖い(いやだ)」という、痛みから逃げたいという動機の表現のことも多いのです。
 
そして、自分がどうしたいのか分からなくなってしまうとき、というのは、痛みから逃げたい動機と、別の痛みから逃げたいという動機の間で葛藤が起きているものなのです。
 
 
あなたがもし、「本当に自分のしたいこと、ほしいものが分からない」と感じたり、
「彼の本当にしたいこと、ほしいものが分からない」と感じたりしているのなら、
 
ちょっと立ち止まって、
「どんな痛みから逃げたいと感じているのだろう?」
「どんな葛藤が、そこにあるのだろう?」
と、深く理解しようとしてみると、今まで見えなかった本質が見えてくるかもしれません。

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親が離婚すると子も離婚する!?ー不幸の世代間連鎖の本質

 

見世物小屋の口上で「親の因果が子に報い」なんて言葉もありますが、
親がした悪行の報いが子供に…というのは、ストーリーを盛り上げるための因果論の曲解だとしても、親から子へと、何かが伝わっているという感覚は、多くの人が持っていると思います。
 
実際、アメリカではアルコール依存症の家庭で育った子供が、大人になってまたアルコール依存になる率が高いなど、親から子へと「何かが伝わっている」と思われる現象について、まじめに研究がなされています。
 
交流分析の研究者であるクロード・スタイナー博士によると、親から子へと「ストローク経済の法則」と言われる、コミュニケーションの方式が伝わっていて、その方式に従うと、ストローク飢餓(いわゆる愛情不足)に陥りやすく、何かに依存しやすい心の状態が作り出されやすい、のです。
 
この法則こそ、私あづまが知る限り、親から子へと伝わる「何か」を最も明快に説明しているものです。
 
アルコール依存症などが親子間で連鎖する場合、親から子へと、次のようなルールが伝承されているとされています。原文は若干固いので、かみ砕いた表現にしてあります。
 
1.人に承認を与えられるときにも、与えてはいけません。
2.承認がほしいときにも、求めてはいけません。
3.人が認めてくれても、それを受け入れてはいけません。
4.他人からの否定や批判を、受け入れたくないときも、拒絶してはいけません。
5.自分で自分のことを認めてはいけません。
 
これは、親が自分の子をコントロールするために無意識に行っている方法によって、子供の心に、このようなルールが出来上がると考えられています。
 
その、コントロールの方法というのは、簡単に言うとこういう方法です。
 
まず、無条件の承認を与えることを極端に制限します。
笑顔であいさつする、抱きしめる、泣いたりわがまま言ったりしても受け止める、など、相手の存在そのものを認める行動が「無条件の承認」です。これを無くすわけです。
 
加えて、子供が親のお手伝いをしたとか、親の望む行動をしたときに「ほめる」というようなーこちらは条件付きの承認と言われるものですがーそれも減らします。
 
そうすると、子供は自分が認めてもらえる機会が極端に少なくなるので、親が与える、数少ないほめ言葉などを必死で求めるようになります。親の与える承認を、きわめて希少価値の高いものにすることに、親はこれで成功したわけです。
 
子供は親に認めてもらいたい気持ちでいっぱいですから、親にとってみるとこれで「よく言うことを聞く、扱いやすい子」が出来上がります。
 
 
・・・というコントロールの方法、親なら少しは誰でもやっていると思いますが、それが極端になっていくと、子供の心に、上に書いたような、承認を与えない・求めない・受け取らない・嫌な言葉でも拒否しない・自分を認めない、というようなルールが育ってしまうわけです。
 
 
親が離婚すると子も離婚する、であるとか、
親の悪行の報いが子に降りかかるとか、
そういう表面的な理解は、必ずしも正しくないわけですが、
 
逆にこのような、承認を与えない・求めない・受け取らない・嫌な言葉でも拒否しない・自分を認めない、というような行動習慣(ストローク経済の法則)が親子間で伝承されてしまう現象は、きちんと心理学的に検証されたものです。
 
そして、こういう習慣に基づいて行動していると、承認不足から心理的に不安定になりやすくなります。結果として恋愛依存になりやすかったり、結婚生活が破綻しやすかったりするであろうことは、容易に想像できます。
 
この法則から私たちが学ぶべき事は、こういうことです。
「離婚すると子どもがかわいそう」という表面的なこと、現実的なことだけを考えるのではなくて、「愛情飢餓になりやすい行動習慣である、承認を与えない・求めない・受け取らない・嫌な言葉でも拒否しない・自分を認めない、という習慣(ストローク経済の法則)を親子間で伝承してしまうことこそ、かわいそう」と考える、ということです。
 
 
この法則を逆にすると、こうなります。
1.人に承認を与えられるときには、ケチらず与えます。
2.承認がほしいときには、率直に求めます。
3.人が認めてくれたら、それを素直に受け取ります。
4.他人からの否定や批判が不当であるときには、受けとりません。
5.自分で自分をほめたり、認めたりします。
 
つまり、
他人に笑顔を向け、人の話を聞き、積極的にほめる、という、他人への承認をケチらずに与え、
自分が認めてほしいときには「ちょっと自慢させて〜」「ほめてほしくて言うんだけどさ…」「話を聞いてほしいんだけど…」など、率直(そっちょく)に相手に求めることができて、
他人が笑顔を向けてくれたり、話を聞いてくれたり、ほめてくれたことは、「自分はそれに値しない…」などと考えず、素直(すなお)に受け取って温かい気持ちを味わい、
生まれ、容姿、人格、性格、感情を否定されたり、あまりにキツイ言い方をされたなど、不当な批判を受けたときには、それを受け入れないという選択が心の中で出来て(もしくは実際に「その言葉は受け取れません」と表現できて)、
誰も認めてくれる人がいないときでも、自分で自分をほめたり、認めたりできる。
 
そのような行動習慣でいるように、心がける、ということです。
こうした行動習慣を持っていなければ、持つように努力することが大事です。
 
親子間で不幸が連鎖するように見えるのは、主に、愛情飢餓によるネガティブな感情が伝承することと(これはこの記事の主眼とは違うので詳しくは書きません)、愛情飢餓に陥りやすい行動習慣が伝承することであると、あづまは考えています。
 
前者は、過去の感情をはき出して整理することが効果的な解決方法です。
後者は、この記事の主眼ですが、愛情飢餓に陥りやすい行動習慣を、自分が満たされやすく、他人との関係もうまくいきやすい、うまくいく行動習慣に置き換えていくことが、効果的な解決方法です。
 
くれぐれも、離婚したとかしないとか、そういった表面的なことだけで考えないようにしてください。本質をきちんと捉えれば、不幸の世代間連鎖は断ち切ることが出来るのですから。

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新しいワークショップの方向性をタロットで占ってみました。

 

先日、珠帆美汐さんと、新しいワークショップのアイデアを温めようという話をしていて、
ふと思い立って、何かヒントが得られるかもしれないかなと思い、タロット占いでヒントを得ようと、開いてみました。
 
問いは、
「珠帆美汐さんと共同で作る、新しいワークショップへのアドバイスと、それがどうなるかを知りたい」
というものにしました。
 
で、タロットスプレッドがこちら。
タロットスプレッド画像
 
読み解いてみると…
 
元々の着想は「相手を動かす方法として」だったが、心理的障害(真ん中下)とアドバイス(真ん中上)の対比で見ると、自分の世界が完成している人(真ん中下・心理的障害・世界の逆位置)ではなく、まだ準備ができていない人(真ん中上・アドバイス・カップのペイジ)が来そうなので、そちらに意識を向けるべき、と出ました。
 
また、ここには詳細には書きませんが、左側の近い未来のカードと、右側の顕在意識・潜在意識のカードを見ると、私が今取り組んでいる、セラピスト事務所を作っていく重圧はあるものの、自分には力があり、むしろこの程度で安定する器じゃない、もっと成長できるはず、と出ています。
 
殻を破って、進んでいくことが必要なのでしょうね>私。
 
右下の物理的障害と、右上の最終結果を対比してみると、人間関係の克服は物理的に難しいテーマになるリスクがあり(右下・物理的障害・剣の10)、むしろ過去の感情の解決(右上・最終結果・カップの6)をストレートに出す講座になるだろう、と出ています。
 
読み解いてみて…なるほど…と唸ってしまいました。
 
人間関係を動かす、人を導くというのは、自分の世界が十分に完成しているからこそできること。まずきちんと、自分が、過去の感情の整理をつけて、感情に振り回されない、安定した自分自身を作ること。そのようなテーマの方が、参加者さんの役にも立つのかな、と思いました。
 
少し先走って、勇み足になっていた自分自身に、反省、です。
 
今日も、いいリーディングができました。タロットの神様に感謝。

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あづまの今年をタロットで占ってみました。

 

実は去年の末に珠帆美汐さんの「魂の成長を促すタロット占い講座」を修了してから、自分であれこれ占っているのですが、そろそろオープンにしながらやっていこうと考えています。
 
今年は、去年から本格的に動き始めた、「セラピストにスキルをしっかり教えて、雇って、セラピスト事務所として発展させていく」という方向性で活動を進めていく予定なのですが、その方向についてどうなのか、自分で占ってみました。
 
スプレッドの画像がこちら。
タロットスプレッド画像
 
 
大きくは、困難な道をあえて選ぶ(真ん中下、心理的障害に【剣の9逆位置】)のではなく、初陣のつもりで取り組む(真ん中上、アドバイスに【棒の5】)のがよい、と出ました。
 
あまり気負わず、初心に返って思い切ってチャレンジしてみたらいい、というような意味合いです。
 
セラピストを雇って、セラピー事務所にしていくという方向性は、自分やココヘルサイトの強みを考えた上での方向性なのですが、やはり一人でやっている気楽さとは違い、心配なことや責任の重みも感じるんですね。
 
これまでは、平和的にことが進み(中央の十字、下になっている方つまり過去の位置に【棒の6】)、現在も一定の安定(中央の十字、上になっている方つまり現在の位置に【カップの8】)を得ているが、同時に退屈してもいる、と出ていて、これもなかなか、当たっています。
 
そういうわけなので、一人でやるだけではなく、もっと多くの人にセラピストデビューの本当のチャンスを作ろうと考えたんですね。セラピーのスキルを教えるだけだと、実践する段階でつまずいちゃう人が多いので、お客さんをつけるところまで、こちらで面倒を見てみよう、と。
 
意識的には、絶対に勝てると思って取り組んでいるテーマではあるけれど(中央の十字の右隣つまり顕在意識の位置に、【棒の7】)、一方で、その責任の重圧をひしひしと感じてもいる(中段の一番右つまり潜在意識の位置に、【棒の8】)。
 
近い未来に、新たな一歩を踏み出す経験(中段の一番左つまり今後起こること1に【魔術師】)、闘い慣れていない未熟な自分を経験(中央の十字の左隣つまり今後起こること2に、【剣のペイジ】)すると出ている。
 
右下つまり物理的障害に【悪魔】のカードが出ていて、これは人が依存状態になったり、欲求に振り回されたりする状態を表しています。おそらくは、セラピストであり、セラピー事務所の代表という立場は、人から依存されやすい立場ではありますので、その点についての注意として出たのだと考えています。
 
最終結果として、右上に【コインのクイーン】が出ているので、基本的にこの方針はうまく行くであろうという予想になっています。
 
この、コインのクイーンは、うちに登録になるセラピスト一人一人が、個人個人でしっかり自立して活動している状態を示唆しているのではないかと感じています。つまり、ココヘルの登録セラピストではあるけれど、個性を埋没させるのではなく、一人一人が個性を表現し、それぞれひとりの事業主として活動している状態。
 
 
なんか、元気の出るリーディングでした。
今年も頑張っていきたいと思います。

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夫の望むことをするな、夫のためになることをせよ

 

名経営者、松下幸之助の言葉に、
 
「客の好むものを売るな、客のためになるものを売れ」
 
という名言があります。
 
 
それとは、少し趣旨が異なりますが、その名言になぞらえて言うならば、
 
「夫の望むことをするな、夫のためになることをせよ」
 
とでも言えましょうか。
 
 
夫婦関係における、高度な対応をひとことで言うと、そういうことになります。
 
 
原則はシンプルです。
夫が人間的により豊かに成長するためのことをすべし。
 
しかし、実践は難しい。
 
たとえば、浮気がやまない夫に対して、妻という立場から、どう働きかけるべきか。
 
もちろん、夫の望むことをするな、なのです。夫が表面的には、その問題を不問に付してほしいと考えていたとしても、それが本当に夫のためになるのかどうか、それを考えよ、ということです。
やはり一定の厳しさは必要だと思います。
 
しかし逆に、妻の立場から、夫に厳しく罰を与えたり、きつく言ったりすることが、果たして夫の成長の役に立つのか?これもまた、熟慮すべきことです。
 
あるいは、妻という立場から厳しく言いにくいからといって、第三者を巻き込んで、妻側の味方多数 対 夫ひとり、という構図にすることが、夫の成長にとってプラスになるのか?
 
(人は、責められた状態では大抵反発しますし、変わろうなどと思わないものですから!)
 
 
原則はシンプルですが、実践は非常に難しい。
教科書的な解答は、ないんじゃないかと、私は考えています。
 
必死で知恵を絞って、あらゆる心理学の知識を総動員し、あらゆる経験を総動員し、頼れる味方は全て頼って、そうやって、なんとか、まあやってみようかと思える解決策が出てくる。
 
そのぐらいの感覚で構えておくべきだと考えています。
逆に言うと、そこまで考え抜かずに、安易な手段を使うと、ドツボにはまる可能性が高いよ、ということです。
 
そして、相手の望みに反したことをしようというときには、やはり、人間の成長について、よくよく知っておかなければなりません。人が成長するというのは、どういうことなのか。ガミガミ言われたら成長するのか?それとも愛に触れたときに成長するのか?愛とは何か?そういうことを、よくよく突き詰めて考えていないと、「夫の成長のために、私はこの行動をとる」と、自信を持って言えないと思います。
 
それだけ、他人に対して影響力を発揮しようという場合には、責任も伴うし、しっかり考え抜くという努力も必要なのです。
 
まずは、呪文のように唱えながら、
本当の意味で、夫のためになることって、どういうことなのか、考えてみてはいかがでしょうか。
 
「夫の望むことをするな、夫のためになることをせよ」

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