「セラピーの前に詳しい状況を送っていいですか?」という方へ

 

あづまです。
 
恋愛セラピーの利用者さんの中には、
「事前に詳しい状況を送っていいですか?」とおっしゃる方がいらっしゃいます。
 
私はこれまでも「自分のために書いてみてください」というスタンスできました。
 
というのも、セラピーの目標は、相談者さん(あなたです)が問題に直面したときに、自分で解決できるようになること、なのです。感情面の安定と、問題解決に適した考え方(解決志向)を身につけて、問題が起きても自分で解決できるように成長することを、何より大切にしています。
 
事細かく、これまでの経緯を書いてしまうということは、
「私は既にお手上げです。どうしていいか分かりません。先生全てお願いします。」
という状態になっているわけです。これは、残念ながら、上記の目的からすると、後ろ向きの状態です。
 
 
私自身の経験としても、長々と書いて下さった資料がこれまで役に立ったことはあまりありません。なぜなら、解決のためのポイントがどこにあるのか、資料を読んでも分からないからです。
 
それもそのはずです。
ご本人が、解決のためのポイントが分からない状態で書いているわけですから。
 
状況が複雑で、問題がたくさんあるように感じられる場合、それは、表面的な問題に一つ一つ対処することでは、解決しないことを意味しています。
 
 
なぜなら、通常、
・本当に解決すべき大事な問題はひとつ、ないし多くてふたつ。
だからです。
 
本当に解決すべき問題にたどり着いていないとき、多くの問題に囲まれているように感じるものなのです。ですから、「問題がたくさんありすぎて、整理がつかないから、文章に書いていいですか?」という状態の場合、かなり高い確率で、問題の本質は別のところにあります。
 
本当に取り組むべきポイントは、根本的な部分で、メンタル体力をつけ、小さな問題を受け流せるようになることかもしれませんし、あるいは、何か、過去に心の傷になるような出来事があって、そのことにフタをしていたのなら、その傷を癒すことかもしれません。
 
とにかく、問題がたくさんあるように感じた段階で、すでに、根本的な問題を見失っていることは間違いありません。だから、結局私は、セッションの中で、大事なポイントを探るための質問をしていくことになります。セラピーの時間内で投げかけた質問から得た情報の方が、ずっと解決のために役立つことが多いのです。
 
 
また、本当に大切なことは、人は事前の資料に書かないことが多いのです。
 
※本当に大切なこと、というのは、たとえば、夫との不仲で悩んでいて、表面的な問題が夫婦間のケンカと、夫の浮気だったとします。そのときに、セラピーでずっと根っこを探っていくと、妻の側の幼少期の愛情飢餓や心の傷に行き着くことがあります。でもそういうことは、事前資料に書かれることはまずないのです。問題の核心が分かったら、資料は不要で、「私の過去の○○を癒すのを手伝ってください。」とひと言でおしまい、なのです。
 
 
それともうひとつ。もしかすると今まで、人に「分かってもらえない」という経験をたくさんして、つらい思いをされてきたのかもしれません。だからちゃんと分かってもらおうとして、事細かく書こうとしてしまう。
 
でもそれは、有効なやり方ではありません。
 
本当は、分かってほしいのは、状況ではなくて、つらい中頑張っているという、自分の状態や気持ちなのです。だから、「つらいのです」「苦しいのです」と素直に自分の気持ちを言葉にすること、そして、それを受け止める心のゆとりを持っている人に伝えること、が大事なのです。
 
自分の気持ちを言葉にせず、状況のみを述べ、そして、伝える相手も、精神的にゆとりのない人、となれば、「分かってもらえない」経験を繰り返してしまうことになります。もうそのパターンは卒業し、抜け出しましょう。カウンセラーはちゃんと気持ちを受け止めます。それを信頼してみてください。
 
 
ですので、事前資料を作成したい方は、次のように取り組んでみて下さい。
セラピー的に効果のある方法です。
 
1.まず自分のために長い資料を作る
 
私に見せるためではなく、自分の気持ちや考えを整理するためだと思って、資料を作ってみてください。
 
2.「解決のために最も重要な点は何か?」を考え、A4 1枚にまとめる
 
これは、相当頭を使います。きっと難しいと思いますが、こういうトレーニングをすることは、今後の問題解決にも役立ちますので、やってみることを強くお勧めします。
 
3.このポイントで本当にいいのか、よくよく考えてみる。違うと思ったら再度まとめる。
 
これは、提出するためと言うよりも、ご自分のためにやってください。でも、提出するんだという目標があると、ぐっと真剣になりますから、その意味では提出のためにまとめようと考えても、よいと思います。意外にも、突き詰めていくと、状況ではなく、気持ちを分かってほしいというところに行き着くかもしれません。
 
4.もし2の資料を送りたいと思ったら、事前にあづまに送ってください
 
さらに積極的に取り組みたい方は、
 
5.自分なら、始めの一歩としてなにから取り組もうと思うか(自分の行動)
 
も、考えてみると、セラピーを受ける前の準備としては、完璧です。
(人によっては、解決してしまって、セラピーが不要になることもあるかも)
 
 
ご検討くださいませ。

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優しい人を選んだつもりが弱い人だった!とならないために。

 

男性に「優しさ」を求めるのは、いつの時代でも、基本ではあります。
 
しかしその優しさは、家庭を持ったときには、一家を呑み込もうとする社会や世間の荒波から、家族を守ろうという「強さ」「賢さ」に裏打ちされた、実力の伴った優しさである必要があります。
 
単に、目の前の人の感情に敏感というレベルの、「顔色伺いが上手」な男性を「優しい」と勘違いしてしまうと、交際が長くなるにつれ、あるいは結婚してから「頼りない彼にがっかり」という結果になりかねません。
 
このコラムは、女性が自分の行動をどう律するべきか、という視点から書いています。このコラムを彼に見せたからと言って彼が変わってくれるわけでもないので、ご注意下さい。
 
 
さて、では、どうしてそういうことになってしまうのでしょうか?
 
私が思うに、次の3つの要素があります。
(1)隠れ男性恐怖
(2)父親の「強さ」を知らない
(3)社会に対峙する必要性の認識の甘さ
 
順に行きたいと思います。
 

(1)隠れ男性恐怖

 
これは、精神科で「男性恐怖ですね」と言われるほどではないにしても、男性に対する恐怖心を持っている、というパターンです。職場で接する場合は何とか大丈夫なことも多いですが、恋愛となるとかなり距離が近くなりますので、怒る男性に対して、過剰に怖れを持ってしまい、避けてしまうという反応をしてしまうわけです。
 
家族のために怒ることができる男性、家族のためにここ一番で踏みとどまって闘える男性を選ぶよりも、とにかく怒らない感じがする男性を選んでしまう、というのが、このパターンです。
 
DV(ドメスティック・バイオレンス)を行ってしまう男性と、怒ることのできる男性の違いですが、それは、強いものには従う、という傾向の強さで分かります。DVは強いものに従い、弱いものをいじめる傾向のある男性が行うものです。
 
もちろん、社会は多くの人で構成されていますから、無謀な行動に出て、ドンキホーテになってしまうべきではありませんし、闘う場合には、用意周到に、むしろ敵をこちらに巻き込んで味方にするぐらいのしたたかさも時には必要でしょう。
 
ですから、常に上にたてつく下克上的な男がいい男だ、なんて短絡的なことを言うつもりはありません。しかし、問題は問題としてきちんと認識して、怒りも表現することができる男性。そしてその怒りに振り回されるのではなく、行動は冷静に、効果的に行うという男性を求める、というのが大事なことでしょう。
 
そんな人いないよ?なんて思う女性の方もいらっしゃると思います。若いうちからそこまでできる男性はなかなかいません。彼が正義のために闘っているときこそプラスのリアクションをしましょう。そうやって育てていくのです。逆に、彼女が恐がりで、彼に対立を避けるように、できるだけ事なかれ主義で振る舞うように要求し続けたら、彼はきっと、闘えないつまらない男になってしまいます。
 
闘える男性かどうか、それはもちろん、彼自身の問題ではあります。でも、上に書いたような部分で、女性側の見識も問われる話なのです。
 
 

(2)父親の「強さ」を知らない

 
最近思うのは、家族のために防波堤になって闘える強い父親が少なくなったのではないか、ということです。正しいこと・正しくないことに対して厳しさを持っている心の働きをCP(シーピーと読みます。支配的な親の要素です)というのですが、このCPの説明として最近私が使うのが、
 
間違ったことには厳しい、肝っ玉母ちゃん
 
です。昔はよくCPは「父親的な厳しさ」なんて表現されていたのですが、最近では、以下のような父親がずいぶん増えたように感じています。
 
×正義・不正に関しての厳しさがたりない(CP的な関わりが足りない)。
×キレたり不機嫌になることはあるが、自分都合(ネガティブなFC:エフシーと読む。自由な子供)である。
×子供が「好き」ではあるが友達感覚(FC)。親としてしつける気がない。
 
あるいは、仕事で忙しくて家にいないというパターンもあります。
 
いずれにしても、親として、子供と本気で関わる、という姿勢が足りないんですね。
 
そのような父親不在の家庭で育った場合、強くて軸のしっかりした父親像を知らない可能性があります。あるいは、ここでも女性の見識の話になるのですが、母親が、父親のこうした男性的な面を肯定的に認めていることが教育上大切です。
 
自分が寂しい、自分のことをかまってくれない、優しさがない、みたいな、自分の側の承認欲求ばかり表に出して愚痴を言い、夫の強さや軸のしっかりしたところを認める発言がなかったりすると、娘は男性に「強さ」や「軸」を求めることを許可できなくなってしまう懸念があります(もちろん娘自身が途中で気づいて母親とは違う考え方を身につけ、父親を再評価する可能性もあります)。
 
このような環境で育った結果、男性に「強さ」を求めていいのだということを知らずに大人になり、その結果、闘えない弱い男性を選んでしまうことは、十分あり得ると思うのです。
 
なお、再度書いておきますが、DV(ドメスティック・バイオレンス)を行ってしまう男性と、闘うことのできる男性の違いですが、それは、強いものには従う、という傾向の強さで分かります。DVは強いものに従い、弱いものをいじめる傾向のある男性が行うものです。
 
身近に、軸のしっかりした、家族のために防波堤になれる、闘える「強い」父親を見ていたなら、DV男と、闘える男性の違いなど、直感的にすぐ分かるはずなのです。
 
 

(3)社会に対峙する必要性の認識の甘さ

 
みっつめは、交流分析で「問題の大きさのディスカウント」と呼ばれるものです。
結婚することは、夫婦やその後に生まれてくる子供も含めた家族として、社会に対峙し、家庭の中を守っていくという活動をする、ということなのです。
 
理不尽に残業を要求する上司、無理なことを言うお客さん、リストラ、病気、近所づきあい、困った親戚、などなど、家族に対して脅威になり得るコトや人は、たくさんあります。
 
ですから、社会に対峙していくということに対して、一定の問題意識を持っていることが大事なのです。
 
たとえば、収入を得るということに対しても、職場で追い詰められないために、自分だけしかできないような、価値の高いスキルを本気で磨こう、など、やはり身を守るために危機意識、問題意識を持って取り組むことは大事なのです。
 
社会に対峙する認識が甘く、自分自身でも十分に対策していなくて、パートナーを選ぶときも、恋愛感情を抱けたかどうかだけで選んでしまった、となれば、あとで「弱い人を選んでしまって後悔した」という結果を招きかねないわけです。
 
 

まとめ。伝えたいこと。

 
何ごとも、偏っていると、問題が生じる、ということ。
 
社会に対峙するという側面だけを重視して、闘うことはできるけれど、闘いをやめることが極端に苦手な男性と結婚してしまえば、きっと寂しい結婚生活になってしまうと思います。
 
だから、極端に、闘える人を選ぼう!!!!と考えることを勧めているわけではありません。
 
しかし、逆に、私のように男性の目線から見ると、極端に「闘えない人を選ぶ」傾向の女性がいるなぁ、とも感じるのです。本人は気づいていないかもしれませんが、男性目線から見ると明らかに「闘えない男」を選んでいて、男性を選ぶ目に偏りがあるように感じるわけです。
 
もしあなたが、未婚なのであれば、自分が何となく選んできた男性のタイプに、偏りがなかったかどうか考えてみてほしいと思います。
 
もしあなたが、既に安定したパートナーを持っていたり、結婚しているのであれば、この記事を読んだからといって今更別れる選択はしないかもしれません。でも、その相手のどういう部分と積極的に付き合うか(どういう行動に承認・賞賛を与えるか)によって、相手を徐々にではあるけれど導くこともできるわけです。
 
そのような意味で、自分の中の評価基準を見直してみることは、良いことだと思います。
 
 
 
あなたが、強さと賢さに裏打ちされた、本物の優しさを持った男性の卵と巡り会えますように。
そして、その強さを持った男性の卵を、うまく育てられますように。

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自分自身の、食生活から、食糧自給率とTPPを考える

 

いきなりですが、私の朝食は、バナナです。
 
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に参加するかどうか、という話がマスコミを賑わすことが多い昨今ですが、
 
TPP反対の理由の筆頭はほぼ、米を関税で保護することが難しくなり、農業に大打撃を与えるというものですね。
 
 
ま、専門外の私が言う話なので、細かいところは色々間違っていると思いますが、しかし、よく、ロジカルに考えてみたら、色々突っ込みどころの多い議論であることはすぐに分かるはずなんですね。
 
私の朝食は、バナナです。以前はグレープフルーツでしたが、いま、歯の矯正をしていて、繊維が引っかかるので(笑)バナナになりました。妻がこの間から朝バナナダイエットを始めたので、夫婦揃って、朝バナナ、です。
 
バナナはフィリピンなどから輸入されています。グレープフルーツは南アフリカとカリフォルニアが多いですね。
 
 
うちの昼食は、麺類が多いです。パスタが中でも多いですが。デュラム・セモリナ粉、というかそれをパスタにしたものを輸入してきていますよね。
 
 
夕食は、お米のごはんを食べることが多いです。
 
 
さて。日本の米の消費量は年間800万トンぐらいのようです。対して小麦は600万トンちょい。実はいい勝負なんですね。すでに米は日本の主食とは言えないですね。主食になる穀物のうちのひとつ、とは言えると思いますが。
 
米の消費量が減ると同時に、何が増えているかというと、肉や油だそうです。まあつまり、おかずが増えて、穀物ばかりではない食事になっているというわけです。
 
それで、米の食糧自給率を必死で守ったとしても、よく考えてみると、米・小麦・肉などその他、で考えると、ざっくりと4割、3割、3割、ってところじゃないかと思うんですが、全体の4割を守ったに過ぎないんですね。
 
4割に過ぎない米を100%にするより、残りの方に力を入れた方が、食糧自給率という意味ではよっぽど効果的じゃないかと思うんですが。それに私は、パスタとかパンも好きなので、小麦の供給はちゃんと途絶えないようにして欲しいと思いますね。
 
このような状況を鑑みれば、米のことをことさらに言うのは、その他の問題点を隠すための目くらましじゃないかと、勘ぐりたくもなります。
 
 
それで、どうやら、小麦を国内生産して現在輸入しているような価格で供給するのは、あまりに無理すぎてあきらめているようなのです。大規模農場じゃないと採算が合わないようです。
 
日本は、農地改革で、小作人たちに土地を分け与えるという政策が実施されて、そのときはみんな感謝して農地を受け取ったわけだけれど、こうして時がたってみると、子孫への呪いを受け取ったのかもしれない、と、ついブラックな事を考えてしまいます。
 
農地を持っていて一番恩恵を受けたのは多分、ちょうど都市化されるきわの土地を持っていて、宅地などに転用して転売したり、アパートを建てて不動産賃貸業に転業した人、じゃないかと思うのですが。
私が今借りて住んでいるアパートも、大家さんは農家なんですね。先日も新しいアパートが完成してました(笑)
 
話を戻すと、大規模農場にするためには、みんなが自分の土地の権利を手放して、集約することが必要になるわけですが、色々な利害が絡んで難しいようですね。
 
 
それで、TPPの話に戻るわけですが、私がTPPに一番期待することは、食料を輸入する権利を確保できること、です。政治的圧力などで、食糧の供給をストップされる、というような問題が起きないよう、食料の安全保障というのはとても大事なわけで、それが担保されることです。
 
TPPではとかく、輸出できることはメリットで、輸入が増えてしまうことはデメリットだ、という論調が多いのですが、食料に関しては、日本が弱者であることを認め、輸入できる権利を確保するためにTPPを最大限活用して欲しいと、私は願っています。
 
 
最後に、輸入が増えることの問題点というのは、本質的には失業問題なのですよね。
これは、構造的な問題で、農業も機械化されて人手がいらなくなり、工業も高度に機械化されて人手がいらなくなり、人間が必要とされる分野は、大抵かなり高度な知識が必要になってきていて、それは、一部の人にしか仕事が回らない。
 
で、多くの人は、仕事をどうするのよ、と。
 
そういう話なんですよね。
 
その話はまたそのうち気が向いたら書きます。
では。

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彼との復縁に適切な方法で取り組めば、人は成長できる2。

 

彼との復縁に適切な方法で取り組めば、人は成長できる1。からの続きです。
 
彼と別れてしまった、ということは、何か内面的に欠けているものがあった、ということなのです。
失恋後、彼との復縁を目指す場合には、
 
自分に欠けているもの、相手に欠けているものを補う。
こういう視点がとても大事なのですが、
 
本当の意味で「欠けているもの」「補うべきもの」を知るのは、人間のことをよく知らないと、できません。
 
よく「欠点」と言いますが、ほとんどの場合、欠けている点ではなくて、何かが欠けている結果、バランスが崩れた、出っぱった点のことを「欠点」と呼んでいます。表面的な理解なんです。
 
たとえば、すぐ怒るという「欠点」
たとえば、すぐあきらめるという「欠点」
 
すぐ怒る方から行くと、すぐ怒るAさんは、幼少期に、自分の感情を受け止めてもらう経験が少なくて、親は物質的なことは満たしてくれたし、躾もきちんとしてくれたけれど、感情のケアはほとんど「泣いたら放置」という対応だった。
 
だから、彼は自分の感情を「受け止める」という力が「欠けている」ので、少々がっかりすることがあったり悲しいことがあると、自分で受け止めきれずに、怒りになって出てきてしまい、それも自分で受け止められないので、すぐに他人にぶつけてしまう。
 
この、感情面のバランスの崩れが、「すぐ怒る」という反応パターンとして出てきている。
 
こんなことがあるわけです。
 
その場合、彼の本当の「欠点(欠けている点)」は、怒りの下にある悲しみや寂しさ・がっかりな気持ちを、自分で受け止めて処理する力、ということになります。
 
 
ちなみに、すぐあきらめる方も、色々なパターンは考えられますが、内面的には結構似たような状況のことが多いです。相手に期待していると、がっかりして、かなり激しく落ち込むので、期待しない方をすぐに選んでしまう。自分で全部やった方が傷つかないでいいや、と。
 
この場合も、本当の「欠点(欠けている点)」は、がっかりする気持ちや、悲しみを、自分で受け止めて処理する力、ということになります。
 
 
なぜ、表面的な、一般に言われているような「欠点」を見つけただけではダメなのかというと、本質的な解決策につながらないからです。
 
本当に欠けている点を見つけたら、それを補っていけばいいんですね。
 
気持ちを受け止めてもらった経験が少なくて、だから、気持ちを受け止めるという行動パターンを持っていなかったし、その力も自分の中に十分に育っていない、と分かれば、それをトレーニングすればいいわけです。
 
でも、すぐ怒る、という方に着目してしまうと、ついつい「怒りを抑える」という「フタをする」対策に走りがちです。そうすると、気持ちをしっかり受け止めて、処理するという方向からは、ますますかけ離れてしまいます。
 
 

復縁のために、自分の「欠点」を知ろう

 
さて、復縁のために自己成長する。そのための、最初のステップは自分の「欠点」を知ることです。
上に、表面的な「欠点」では解決策が出てこないと書きましたが、まずは、表面的なことでいいからヒントを集めるところから始めていきます。
 
前の記事でも参照した「うまく行くカップルの特徴(別ウィンドウが開きます)」を見て、出来ていない点をリストアップすることも気づくきっかけになりますし、
 
彼に言われた不満も、自分の欠点を知る大事な情報源です。
但し、短絡的に、「おまえはオレに『常に居場所を連絡する』と言ったのに守らなかった」みたいな不満(これは、半分以上、彼自身のメンタルな課題です)を、「そうか、ちゃんと彼の言うことを守れないのが、私の欠点だ」と短絡的に鵜呑みするべきではないので、あくまで一意見としてリストアップしていきます。
 
そうやって、まずは、自分が改善すべき点の候補を集めていきます。
 
その次に、表面的な「欠点」のリストから、内面の、本質的な「欠けている点」を見つけていくわけです。
 
それで、表面に出てきているいわゆる「欠点」から、内面の、本質的な「欠けている点、欠乏している要素」を見つけ出すなんて、とっても複雑そうに感じるかもしれませんが、実は意外とシンプルです。
 
 
条件付きの承認(ほめる/叱る)
無条件の承認(包む・受け止める)
 
という点で考えたときに、足りないのはどっちかな、という風に考えます。
 
 
彼が、ルールを無視する傾向がある場合、
ルールを守ったらほめる、ルールを破ったら苦言を言う、
こういう関わりを、親からちゃんともらっていない可能性が結構あります。
最近の親は、叱ることを怖れて、子供と真剣に関わらない親もいますので。
つまりこの場合、彼に欠けているのは、条件付きの承認の方です。
 
彼が、とにかく寂しがりで、一人になれない人の場合、
自分の存在を認められた経験が、足りない可能性があります。
原因は様々です。親の不仲、厳しい折檻、ぜんそくなどの病気などなど。
上に挙げた、気持ちを受け止めてもらえなかったことも、こちらです。
つまりこの場合、彼に欠けているのは、無条件の承認の方です。
 
 
さて、考えやすいので、彼が、という切り口で書いてきましたが、自分についても同じです。自分の中にも、条件付きの承認と、無条件の承認と、どっちがどのぐらい欠けているか、考えてみましょう。
 
そして、条件付きの承認が欠けている場合、ルールに関する意識がしっかりしている人、こういう人は厳しい感じがしますが、そういう人から逃げたりせずに、ちゃんと関わって、ほめてもらう、叱ってもらう、その言葉をしっかり受け止めて自分の糧にする、ということを積み重ねていきます。
 
無条件の承認が欠けている場合、ルールよりも存在を認める優しいお母さん・お姉さんみたいな人との関わりを大切にして、そういう人に関わってもらえることを、心から感謝して受け取ります。
 
 
相手の中に、条件付きの承認が欠けている場合、今の相手が出来るレベルのことから、認めていきます。ちょうど、子供がお手伝いできるようになったときに、大人のレベルから見たら拙くても、あ?よくできたね?って言うのと同じです。あくまで、本人の今のレベルを認め、少しずつ背伸びさせていくわけです。
 
相手の中に、無条件の承認が欠けている場合も、相手の存在を認めるという優しいお母さん・お姉さん役を、あなたがするわけです。その場合も、相手が男性の場合、ダメんず化させないように、認めるのは気持ちのみにとどめておくのが無難です。
 
 
と、ここまでお読みになって、取り組みはかなり根気がいりそうだと感じたのではないでしょうか。
 
その通りです。
 
 
本気で自分を成長させたい、そう思うのでなければ、やり抜くことは出来ないと思います。
 
 
男性はマイナス感情を半年ぐらいで忘れてしまいますから、半年間冷却期間をおいて、その間、連絡を取るとマイナス感情をまた思い出してしまうので、連絡は取らず、一人で頑張るというのが復縁成功の、基本的な方針です。
 
それで、ただ半年悶々と待っても、何の成長もないですから、一旦は復縁してもまた別れる結果になることは目に見えています。同じことを繰り返したら、同じ結果になるのです。
 
だから、その半年間の間に、自分の内面で、本当に欠けている部分を見つめ、それを補うこと。
相手の内面で、本当に欠けている部分を見つめ、それを補ってあげられる自分になること。
 
そんな風に取り組むのがよいと思います。
つまり冷却期間を単に時間稼ぎの期間にするのではなく、自己成長する期間にする、ということです。
 
あなたの、復縁がうまく行きますように。
 
なお、ここに書いた話は、一般論です。
個別の対応は恋愛セラピーで承っています。

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彼との復縁に適切な方法で取り組めば、人は成長できる1。

 

せっかく出会った大好きな彼に振られてしまった。失恋した…
何とか取り戻したい。
他の女性に取られるのは辛い…
復縁したい…
 
こんな風に思う事ってあると思うんですね。
 
ただ、失恋から復縁までの取り組み方がまずいと、二度と復縁できないどころか、そのあとの恋愛までツイテナイ恋愛になるという、悪影響があります。
 
私はこれまで、悪影響の方を心配して、復縁への取り組みに関しては、慎重派、というかほとんど反対派でした。オススメしないけどやりたければどうぞ、みたいな。
 
でも最近ちょっと考え方を変えたんですね。
 
復縁という非常に強力なモチベーションがあるなら、何でもできますよね!
そのパワーを活かして、人間的に成長する努力をする。
 
そういう方向の取り組みなら、応援したいと思うようになりました。
考えてみると今までもそうだったのですが、言い方、表現の仕方をポジティブに変えてみたわけです。
 
だから今でも、復縁工作をする(=他人の力を借りて、自分は成長せずに、復縁という結果だけを手にしようとする)、というのは反対ですし、何度も別れたり復縁したりしているカップルについても、メンタルな課題が何か未解決になっているのだろうと考えています。
 
 
でも…
 
振られたことをきっかけに、
 
・彼に言われたことをよく吟味して、自分に足りないものを知り、自己改善をする
・彼の内面で、欠乏しているものを知り、それを補ってあげられる自分になる
 
そういう、本質的な取り組みに進むのであれば、きっとその努力は実りの多いものになると思います。
 
 
そもそも、こういう記事を書こうと思ったのは、最近復縁関係の相談も結構多くなってきたんですね。それで色々考えてみて、気づいたことを記事にしています。
 
復縁を果たそうと空回りしている方に多いパターンですが、
相手の気持ちを、本当の部分では理解できていないことが多いんですね。
 
たとえば、彼が私に親切にしてくれる。
→彼は私のことが好きなんだ、と短絡的に考えちゃう。
 
たとえば、彼は自分より私を常に優先してくれる。
→彼は私のことが世界で一番、自分自身より大切なんだ!と短絡的に考えちゃう。
 
↑こんな風に、表面を見てしまって、本質を見ていないことが多いです。
↓本当は、こういうことかもしれないのに。
 
彼が私に親切にしてくれる。
→彼は私のことが好きなんだろうけど、同時に、
  嫌われたくないから、必死で頑張ってもいる、という可能性は考えましたか?
 
彼は自分より私を常に優先してくれる。
→確かに彼は私のことが好きなんだろうけど、
 自己否定が強くて、自分を大切に出来ないのかもしれない、と考えましたか?
 
 
このように、人の、ネガティブな側面も含めて、ちゃんと受け止め、理解し、そして、有効な対策を打つ必要があるのです。
 
 
先ほど、自分に足りないもの、彼の内面で欠乏しているもの、ということを書きましたが、うまく行くカップルの特徴(別ウィンドウが開きます)に当てはまっていたかどうか、まずよく考えてみて下さい。
 
その記事には、行動面つまり表面的なことが書いてありますが、内面は必ず表面に現れてきます。ですので、うまく行かないのであれば、行動面にも偏りが出ているはずなんですね。
 
その上で、なぜそれができないのか、それをよくよく考えてみる必要があります。
うまく行っているカップルは、そんなに苦しまずに、その参考記事のような行動を、自然にやっているんですね。
 
そもそも、人類はずいぶん昔から、カップルを作って生活してきましたから、食べたものが自然に消化するように、本来、自然に結婚生活を維持するように、できているわけです(消化ほど自動的ではありませんが)。
 
まずは、どんな行動が欠けていたのか、それを知るところから始めていきましょう。
 
彼との復縁に適切な方法で取り組めば、人は成長できる2。に続きます。

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自分の無意識にも責任を持つ、という高い意識を。

現在の社会では、自分の行動に責任を持つのは当然と考えられています…いまからする話は、そのような、現在の社会の原則を逸脱しています。すなわち、今後の成熟した社会を目指すには、自分の意識的な行動だけでなくて、自分の無意識にも責任を持つということが大事になる、という話をします…無意識の働きで大事なのは、感情と信念です。自分が気づかずに持っている信念に責任を持つこと。自分の感情に責任を持つこと。

現在の社会では、自分の行動に責任を持つのは当然と考えられています。
 
たとえば、何らかの犯罪を犯したら、その責任を刑罰という形で取るわけです。
あるいは、他人に損害を与える行動をしたら、賠償をする必要があります。
 
しかし、どんなに残虐な犯罪を「想像」したとしても、それを実行に移さなければ、罪に問われることはありません。つまり今の社会においては、基本は、行動に責任を持つことであって、頭の中で何をしていても、責任を問われない、ということなのです。
 
 
いまからする話は、そのような、現在の社会の原則を逸脱しています。
 
すなわち、今後の成熟した社会を目指すには、自分の意識的な行動だけでなくて、自分の無意識にも責任を持つということが大事になる、という話をします。
 
 
無意識に責任を持つ/持たない、とはどういうことか、少し例を挙げて説明していきます。
 
 
無意識の働きで大事なのは、感情と信念です。
自分が気づかずに持っている信念に責任を持つこと。
自分の感情に責任を持つこと。
 
そう、言い換えても、大体いいと思います。
 
 

自分の「信念」に責任を持つ、ということ。

 
さて、まず、夫婦の問題を、女性の側から眺めてみます。
 
夫との間に些細な口論があったときに、夫が急に妻との距離を取ったという一件があったとします。
 
妻は、自分が相手との距離を取るときは、相手を無視して苦しめてやりたいときなので、夫が自分に対して、無視をすることで私を苦しめようとしている、と解釈しました。
 
自分の信念体系にしたがって、夫の行動を解釈し、そして、被害を受けたと感じたわけです。
 
 
今度は同じ問題を、夫の側から眺めてみます。
 
実は、夫は、妻と向き合うのが気が重いので、なんとなく避けていた(罪悪感から距離を取りたくなった)だけであって、攻撃したいという気持ちはありませんでした。
 
そして、夫の方も、自分の中に、問題が起きてヒートアップしそうになったら距離を取って冷却すればいい、という自分の信念体系があり、【当然】(by夫の信念による)の行動を取ったわけです。
 
夫は自分の行動が間違っているとは考えていないでしょう。確かに、明らかな犯罪行為などはしていません。自分の信念に従って行動しているし、正しい行動なのだから、何の問題があるのだ、と考えているかもしれません。
 
しかし、結果的に、妻の気持ちを傷つけていますし、その信念そのものが、効果的に働いていないわけです。
 
 
こうした「信念」の多くは、子供時代に親や周りの大人から刷り込まれるものなので、まるで、天から降ってきたルールのように感じているものです。そのルールを持っているのは自分であるにもかかわらず、親など、誰か別の人の責任のように感じているものなのです。
 
この一件で言えば、妻の側は、自分が勝手に、自分の持っている信念に沿って、「無視された、攻撃された」と解釈したにもかかわらず、自分のものの見方、解釈の仕方には責任を持たず、被害者意識になっているわけです。
 
もし自分の信念に十分責任を持っていたとするなら、この妻は、夫が自分と距離を取った理由について、短絡的に「無視された。攻撃された」などと解釈することはなく、「その考え方は、自分の偏ったものの見方によるものではないか?」と一旦客観的になれます。
 
 
夫の側も、距離を取って何が悪い?一旦離れてお互い頭を冷やすのが当たり前ではないか? という自分の信念に何の疑問も持たないことが、妻の気持ちを傷つけているという真実に気づく必要があります。
 
もし自分の信念に十分責任を持っていたとするなら、この夫は、距離を取って冷却するという自分の行動パターンを、いつも自動的に実行してしまうのではなく、「確かに自分は、距離を取るという行動を自動的に取りがちだが、今回はそれでいいのだろうか?」と考えられるわけです。
 
その結果、自分と違う感じ方、考え方の相手には、接し方も変える必要があると気づくことができます。
 
 

自分の感情に責任を持つ、ということ。

 
次に、自分の感情に責任を持つ、という話をします。
 
感情に責任を持つことで、まず大事なのは、たとえ相手の行動で湧き上がってきた感情であっても、その感情は自分のものである、という点です。
 
相手の暴言で傷ついたとしても、傷ついたと感じている、自分の感情には自分で責任を持つということ。感情にまかせて反撃したり、感情的で極端な行動に出たり(家出とか)して、不利益を被ったとして、それは結局、自分の責任だということです。
 
「元の原因を作ったのはあなたの行動だから、私が怒っているのはあなたの責任」、ではないよ、ということ。
 
あくまで、感情は自分のもの。相手の行動がきっかけであっても、自分の感情は自分の責任なのです。
 
(※相手の行動を、冷静に判断して、問題アリなら、きちんと責任を取らせることも、もちろん大事ですし、基本ですが、これは今後の社会というよりむしろ、現在の「行動にだけ責任を持てばいい」社会のルールですから、ここではこれ以上は取り上げません。)
 
 
さて、自分の無意識に責任を持つ、という観点から見ると、「感情に責任を持つ」ことの、もう一つの側面が見えてきます。それは、
 
いま自分が感じていない【無意識の中に抑圧している感情】にも責任を持つ、ということです。
これは、ここまでの話と比べて、より難しく、より高度であると思います。
 
たとえば、自分が、子供時代の愛情飢餓や、過去の辛い経験などから、無意識の中に怒りを抱えて生きていたとします。怒りを表に出している人は付き合いにくいですから、本人も怒らないようにフタをしているわけです。
 
現在の社会では、怒らないようにフタをする、という努力で、表面的な行動だけ取り繕えば、それ以上の責任は問われない、というのがルールですが、このコラムの主旨は、それだけでは不十分だよ、ということなのです。
 
無意識の中に閉じ込めた(抑圧した)怒りは、周りの人からいじめられたり嫌がらせを受ける、という現象になったり、ある特定の人に対して激しい嫌悪感を感じたり、本人が女性であれば、男性からなぜか避けられたり、といった形で、悪影響が広がるんです。
 
あるいは、自分に自信がない(無価値感)を強く持っているが、人一倍頑張ることでそれを埋め合わせようとしている(=その感情にフタをしようとしている)人が職場のマネージャーになって、部下たちを指導することになると、
 
いつのまにか、その人の持っている「頑張らない人には存在価値はない」という無価値感(これは感情と信念が複合したものですが)がその部署全体に広がっていき、メンタルな耐性が低い人から脱落して、病気になったり職場を辞めたりします。
 
 
現在の社会のルールから考えると、怒りを封印した人がもし、職場で嫌がらせを受けていたら、嫌がらせをした人の行動のみが注目されます。いじめられた人にも原因があるなんて言おうものなら、お前は悪魔か、ぐらいの扱いを受けるでしょう。
 
同じように、自分の無価値感を頑張ることでフタしてきた上司の下で病気になったり、会社を辞めたくなった部下が出た場合、会社としての対応は大抵、その部下の指導であったり、理解のある会社でも、その部下にカウンセリングを受けさせる、などに留まり、実績を上げて出世した(が、その根っこには無価値感の反動がある)上司のメンタルケアをする会社は、ほとんどないでしょう。
 
 

自分の無意識に、自ら責任を持つ、ということ。

 
さて、行動は誰の目から見ても明確ですから、自分の行動に対して周りからの強制力で「責任を取らされる」つまり、犯罪を犯したら逮捕【されて】刑罰を受け【させられる】、という形も、可能なんですね。
 
しかし、無意識の中のことは、他者が強制的に責任を取らせることは、できません。
「あなたは怒りを抱えているから、特殊教育課程を受けなさい」
なんて、どこかの全体主義的な国の洗脳プログラムのようです。
 
だから、自分の無意識に責任を持つ、ということは、意識の高い人からまず、自分で実践する、ということしかないと思うんですね。
 
・いつも俺の怒りのスイッチを入れるアイツ
 →じゃなくて
  →自分の中に怒りの地雷がある。それを見つめよう。
 
・Aさんは、私を軽く扱って、私のことを傷つける。
 →じゃなくて
  →自分の中に、軽く扱われると傷つくというパターンがある。それを見つめよう。
 
自分が、客観的に見ても被害者になりやすい場合は、若干解釈が難しくて、とらえ方を変えるだけでなくて、自己認識自体を変えて、結果的に自分の主張をするときにおどおどせず、堂々とできる自分になる、というような行動面まで変わっていく必要があります。
 
たとえば、
 
・私は職場でいつもいじめられる
 →これを
  →私の中に、いじめられやすい要素がある、それを見つめよう。
   →とやると、ますます自己否定になりやすいので、
    →私は、きちんと自己主張しているだろうか?
    →私は、自分の存在価値を、自分で肯定しているだろうか?
     (自分に自信があるだろうか)
 
・私はいつもモラハラっぽい彼と付き合ってしまう
 →これを
  →私の中に、モラハラされる要素がある、それを見つめよう。
   →とやると、ますます自己否定になりやすいので、
    →私は、自分の望みを、恋愛が始まる前から表現しているだろうか?
    →私は、自分の存在価値を、自分で肯定しているだろうか?
     (自分に自信があるだろうか)
 
というように。
 
 

自ら、自分の無意識に気づくための有効な取り組み

 
ではどうしたら、自分の無意識に気づくことができるのでしょうか。
 
気づかないからこそ無意識なので、「う????ん」と気合いを入れたところで、気づくことはできないものなんですね。それに、何か問題が起きるときには、自分の側の要因と、相手の側の要因と、両方が影響し合って問題が表面化するものなので、問題が起きたときに、いったいそれはどっちの心の問題か?なんて考えても、きっと結論が出ないと思うんです。
 
しかし、無意識の中に持っているものは、必ず、日常的に、行動や言葉の端々ににじみ出ているものです。表情、声のトーン、反応する話題とスルーする話題、ストレスがかかったときに取りがちな行動、絶対に着ない服、人間関係における「天敵」、恋愛のパターン、などなど。
 
結局何らかの形で、表面に出てきているものです。
たとえそれがそのときはトラブルに発展していなくても。
 
そこで、日頃の行動から分析していこうという方法は、比較的有効です。その意味で、交流分析を学ぶことは、自分の無意識のパターンに気づくためには、とても有効だと考えています。
 
但し、分析だけしても、解決することは難しいんですね。「分かったけど、だからどうすればいいんだ!」ということになりやすい。
 
そこでやはり、過去の感情を解放していく心理療法や、過去のことは一旦脇に置いておいて、自分の行動のクセをトレーニングによって修正していく行動療法が役に立ちます。
 
1年前に起きた嫌なことが、感情と共に生々しく思い出せる人は、感情の記憶力が高い人で?女性に多いのですが?そのような人は、心理療法によって過去の感情を解放し、かつ、過去に足りなかった喜びを補っていく取り組みが有効です。
 
参考:このような取り組みの代表例としてはゆるしのワークなどがあります。
 
一方で、1年前に起きた嫌なことが、事実は思い出せても、そのときの感情はほとんど思い出せないという人は、感情の記憶力があまり高くない人で?男性に多いのですが?そのような人は、過去の感情を頼りに心理療法を行おうとしても、あまり効果が出ないことが多いのです。
 
そこで、感情を忘れてしまう人の場合、現在の行動のクセから、過去に何がほしかったのかを推測し、それを、現在の生活の中で補っていく、言い換えると過去のやり直しを現在行うような形で、行動療法的アプローチで解決を図ることが有効です。
 
参考:このような取り組みの代表例としては解決志向ブリーフセラピーの例1解決志向ブリーフセラピーの例2などがあります。
 
 

まとめ

 
これまでの社会では、自分の行動にさえ責任を持てばよい、という考えが主流でしたし、それぞれの個々人の考え方は、その人の中で一貫していればOK、という考え方が主流でした。
 
たとえ、成果を上げることが大事、という考え方の裏に、成果を上げられないやつには存在価値はない、という激しい人間否定の考え方が潜んでいても、実際にその人が仕事で成果を上げていれば、内面に持っている否定的な考え方が問題視されることはなかったわけです。
 
でも、これからの社会では、そのような、内面に持っている否定的信念や、過去のわだかまりのような、過去のネガティブな感情なども、人間関係に大きな影響力を持つ、その人の「持ち物」として重要視するようになっていくべきだと考えます。
 
そして、内面のことは、他人が指図することが非常に難しいため、現時点では、自分自身が、自らの無意識に対して責任を持つという心がけが大事になります。
 
 
以上、なかなか難しいテーマについて、できるだけ分かりやすくなるように書いてみましたが、やはり少し、チャレンジングなテーマでしたね。こなれきっていない部分もあるように思います。質問やご意見なども、歓迎いたしますので、どしどしお寄せください。
 
では。

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反省とは、自分の力を信じること。

 

自分が何か問題を起こしてしまったとき。
 
あるいは、
 
表面的には相手が問題を起こしたように見えるけれど、
たとえば夫の浮気とか。
 
それまで、二人の間に横たわっていた、本音の部分では信頼し合えない関係とか、お互いに相手に本当は期待していなくてあきらめムードがあったなど、自分の側にも何か原因があるとき。
 
 
人は、何か、反省しなくてはいけないわけです。
 
 
しかし、反省という言葉。
 
なんと誤解の多い言葉でしょうか。
 
 
日本人に多いのは、反省と自己否定の違いが分からない、という問題です。
 
 
反省は、自己否定ではありません。
 
 
そうではないのです。
 
 
反省は、自らを省みて、もちろん、問題点があることは認識して、それを改善することです。
 
反省するときの自分に対する認識は、
 
×自分はダメだ
ではもちろんなくて、
 
○自分はこの問題を解決できるし、未来に向けて成長できる
 
であるはずです。
 
 
そうです。
 
反省とは、問題を解決できるという、自分の力を信じるという行為なのです。
その点を勘違いしてしまうと、もう二度とそこに近づきたくない、みたいな症状になってしまいます。
?夫の浮気なら、もう二度と結婚しない、みたいなことです?
 
そうではなくて、問題点をきちんと認識して、自分にはその問題は必ず解決できると、自分の力を信じて、そういう認識の上で、行動を改める。
 
それが、正しい反省の仕方です。
 
 
※但し、相手に対峙するときにどんな言い方をすべきか、という問題はまた別です。
 やはり、相手によっては「私に非があります」と言わなければならない場合もあるでしょう。
 一旦は相手に合わせるところから始める必要があったりするわけです。それでも、自分の中では、自分の力をしっかりと信じ続けること。それは常に大事なのです。

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強制しても、夫婦仲は戻らない。二人が自発的に選ぶことが大事。

 

あづまです。
 
私の大事にしている信念の一つに、
 
二人が共に、
自発的に、
一緒にいることを選ぶ
 
という状態こそが大事なのであって、
 
社会的に恥をかくからとか、
子供のためと言いながら、問題を先送りしたいとか、
それこそ、何らかの強制力で(法律とか親とか)、
別れを阻止するようなことは、
 
 
お互いに信頼し合って生活する夫婦を一組でも増やしたい、
という私の活動理念に照らし合わせると、なんの意味もない、
と、考えています。
 
 
こう書くと、では子供の状況を無視して離婚してもいいのかとか、経済的なことを考慮せずに離婚したらそれこそ不幸だとか、親が介在してくるとそんなきれい事では済まないとか、そういう風に考える方もいらっしゃると思うのですが、
 
それは、先に解決すべき問題がある?場合によっては警察や司法を使う必要もありますが?ということであって、結局そのあとに、夫婦が二人で、自発的に、一緒にいることを選ぶ、という状態を作るための課題がやってくる、ということは変わらないのです。
 
たとえその相手と別れたとしても、信頼関係を築ける相手を見つけて、自分も相手から信頼されるに値する行動のできる人間に成長する、という課題は、やっぱりやってくるものですので。
 
 
そのような意味で、法律文書の作成とか、相手に対して書面で約束させるとか(浮気のあとなど、そういう衝動に駆られる人はいると思いますが)、強制力を発揮したいという衝動は、
 
夫婦が、
自発的に、
一緒にいることを選ぶ、
 
という状態を作るためには、あまり役に立たないと考えています。
 
 
これをお読みになっている方は、もしかすると経験がなくて想像がつかないということもあるかもしれないので、あえて、当たり前のことを書いておきますが、
 
ベストパートナーと出会えたと感じている夫婦は、
自分の意思で、
相手と一緒に居続けることを、選んでいるものです。
 
それが、自分の幸せだと分かっているから。
 
 
お互いに、わかり合うために、
自分のことをちゃんと分かり(これが意外と難しい)、
それを自分の責任で、言葉にして、相手に伝え、
相手の言葉は、真意をくみ取ろうと努力して聞き、
二人でいることで人生がより豊かになる関係を築く。
 
言葉で書くとこんなにシンプルですが、
ひとりでいた方が楽じゃん、なんて思う人もいるぐらい、夫婦がうまくやっていくことはメンタル体力が必要です。
 
しっかり自分のメンタル体力をつけて、夫婦でいることが楽しく幸せなことであると思えるようになる。
そのような道を目指している人を、応援したいと思っています。

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最近の物理学で気になっていること。

 

私は基本的に恋愛セラピストとして、心理・感情・人間関係などのことを考える日々を送っていますが、
 
元々理系なので、物理学や医学・生理学関係のニュースは結構興味があったりします。
 
 
今後の物理学がどう進展していくのか、気になるニュースが二つ。
 
 

ニュートリノは光より速い!?

 
先日一般の新聞も賑わわせたニュースですが、ニュートリノの速度が、どうやら光より速いらしいという衝撃的なデータが出てしまいました。
 
アインシュタインの特殊相対性理論によれば、物体は、光速以上にはなり得ないはずなんです。ちょうど、時間軸を旅する速度と空間を旅する速度を合わせて光速になるような計算になっていて、
 
動いていない物体は、時間軸上を光速で移動しているとも考えられるんですね。別の言い方をすると、時間というのは光の速度で進んでいくものなんですね。まさに光陰矢のごとし、です。
 
空間を移動する速度が光速に近づくにつれて、時間軸を進む速度が遅くなる(=時間の進みが遅くなる)という現象が起こるんですね。
 
しかしこの理論では、光速以上の速度を持つ物体は存在しないことになっているんですが、ニュートリノという、光子(光の粒子)と兄弟みたいな関係の粒子が、厳密に測定した結果、やっぱり光速以上の速度を持つことが実験結果として得られたわけなんですね。
 
 
通常、論文というのは、きちんと考察をして、解釈をして出すものなんですが、既存の理論体系から外れすぎているので、理論的解釈はせず、実験に関することのみ発表することになったというのも、すごい話です。
 
この結果がやはり本当なら、これまでの物理学の理論も大幅に修正が求められることになります。
 
 

宇宙の膨張が加速している

 
もう少し前になるんですが、宇宙の膨張が加速しているという観測事実も、これまた衝撃的な話でした。
これまでは、ビッグバン以来、膨張を続けてきた宇宙は、恒星などが質量を持ち、万有引力で引き合うために、いつか収縮するのではないか、と考えられてきたからです。
 
膨張速度がある程度以上の場合、膨張速度は緩むけれど、膨張し続けることもあり得る。
膨張速度がゆっくりの場合、ある時点から、収縮に転じる。
 
いったいそのどちらなのかを、天文観測から調べたところ、なんと、膨張が加速しているという、既存の理論では説明できない事実が判明してしまったわけです。
 
こちらは、事実そのものはすでに検証済みで、突拍子もなかったけれど、宇宙の膨張の加速は間違いない、ということになっています。
 
 
万有引力で引き合う力を超える、何らかの斥力(反発力)が働いていると仮定しなければ現象は説明がつかないんですね。
 
ダークエネルギーと呼ばれる、未知のエネルギーが存在して、それが斥力の元だと考えられているのですが、なんと、時間と共にダークエネルギーは増えていくと仮定されているようです。
 
私たちが物理の授業で習った、エネルギー保存の法則なんて一瞬で吹き飛んでしまうような、とんでもない仮定です。
 
これまた、どんな風に話が収束していくのか、気になるところです。
 
 
まとめはないですが、
こんな風に、物理学でこれまで当たり前と考えられてきたことも、それに反する観測事実が出てきて、覆されることがあるんだというのも、なかなか興味深いものです。
 
科学というと役に立つもの、という考えが強いですが、昔はヨーロッパの金持ちの道楽みたいな部分もあったわけですし、何かの役に立つかどうかという視点をいったん外して、芸術を見るような気持ちで、傍観者として、成り行きを楽しみに見守っていきたいと思います。

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ストローク 【すとろーく】

 

ストローク 【すとろーく】 (stroke)
 
ストロークとは、交流分析の用語で身体的接触・言葉・態度などによる「ふれあい」のことです。
元々は「なでる」という意味の言葉で、人は食物を求めるのと同じように「ストローク」を求める存在であると考えられています。人間の心身の成長、発達には欠かせない、いわば「心の栄養」です。
 
ストロークをさらに細かく分類すると、
 
身体的なストローク(愛撫など)と精神的なストローク(会話など)
 
肯定的なストローク(ほめ言葉など)と否定的なストローク(叱る・殴るなど)
 
無条件のストローク(ただ受け入れる・問答無用で拒否する、など)と
条件付きのストローク(成績がよかったからほめる、ウソをついたから叱る、など)
 
というように分類することができます。
 
 
肯定的なストロークに関しては、
無条件の肯定的ストローク(会っただけで嬉しい顔をする、ただ受け入れる、など)と、
条件付きの肯定的ストローク(結果を出したのでほめる・喜ぶ、など)の
両方が必要だと考えられています。
 
女性の方がより、存在を認めてもらう、無条件の肯定的ストロークを求める傾向があり、
男性は比較的、結果を認めてもらう、条件付きの肯定的ストロークを求める傾向があります。
 
否定的なストロークに関しては、何が問題なのかちゃんと伝わることが大事です。説明もせずに「がつん」と怒ったり叩いたりしてしまうと、単に「否定された」という印象のみが残ってしまうため、なぜそれがいけなかったのか、きちんと伝わるように諭すことが大事です。
 
 
あるストロークが、どんな種類のストロークになるかは、ストロークの受け手側がどう感じるかで決まるものです。相手に、意図したように伝わるよう、日頃からよく考え、工夫をしてストロークを与えたいものです。

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