友達に戻る=別れる+感情の整理をつける

 

別れる+感情の整理をつける → 友達に戻る
 
「別れた相手と友達に戻れるかどうか?」
 
という問いを考えるとき、
 
「友達に戻るとはどういうことか?」
 
を考えてみる必要があります。
 
 
友達に戻るというのは、本質的なことを言うと、恋人同士としての縁を切り、なおかつ、お互いの感情的なわだかまりを、それぞれが自分の責任で解消するということです。
 
友達に戻れるかどうか、という問いは、ほぼ、
別れたあとの感情の整理を付けられるか、という問いに等しいと思います。
 
感情の整理にも三段階あって、
 
1段階目 つねに辛い。 この段階は常に負の感情が湧いてくる状態です。
2段階目 落ち着いている。 彼の顔を見たり、きっかけがあると負の感情が出る状態。
3段階目 完全に解決。 彼の顔を見たり、過去のことを思い出しても辛くない状態。
 
普通の人は、2段階目までしか癒しを進めないので、顔を見てしまったり、過去の恋人のことを思い出すきっかけがあると心の古傷がズキズキ痛みます。完全には治っていないのです。
 
心理療法では、潜在意識の中までしっかり浄化するワークがあり、こういう取り組みをしていくと、3段階目まで進むことが可能です。また、そういった心理学スキルを使わなくても、徹底的に感情を吐き出して感じ切ることが得意な人は、3段階目まで進んでスッキリできます。
 
 
すると、感情の整理が完全に進んでいるので、顔を合わせても嫌な感情は湧いてこないし、友達に戻っても良いかな、という感覚になります。
 
 
友達に戻るということは、別れて、感情の整理を本当にしっかりと、完全にやるということ。
 
そこまでやりたいかどうかは、本人が決めることですが。

“友達に戻る=別れる+感情の整理をつける” の続きを読む

喧嘩しないカップルより、風通しのいいカップルを目指せ!

 

「喧嘩するほど仲がいい」
と言いますが、私はこの言葉は【要注意】の言葉だと思っています。
 
なぜなら、
・共依存的な関係で、ドロドロの愛憎劇をしている
・でも別れて一人になるのが怖いから、一緒にいる
・いつも同じパターンの喧嘩を繰り返している
・喧嘩は次のうちのどちらかのパターンしかない
  1.「私を分かってよ」の押し付け合い
  2.もう議論したくないという拒絶の怒号
 
というパターンの喧嘩は、まったく生産的でないからです。
 
 
本気で喧嘩をして、生産的だと思うのは、次のパターンの喧嘩です。
・私はあなたをもっと知りたい。ちゃんと本音で向き合って。
・あなたに幸せに生きてほしい。もっとちゃんと幸せを受け取って!
 
ときには相手の本音を聞き出すために、本気でぶつかってみていいと思います。
 
 
 
喧嘩をするかどうかよりも、もっと本質的で、もっと重要な要素があります。
それは、二人のコミュニケーションの風通しがよいかどうかです。
 
自分が意見を言った。すると、ちゃんと相手が受け止めてくれている。
相手が意見を言った。そのとき、ちゃんと自分は受け止めている。
 
それが成立しているかどうかです。
 
 
それは、簡単なことではなく、毎日の積み重ねが必要なことです。
「信じる」という言葉は、相手のことを知るのを止め、思考停止するための言い訳に使われることがあります。根っこの部分では相手を信頼するとしても、様々なことを理解し、常に知ろうという努力が必要なはずです。
 
どうか、知る努力を止めないでください。
対話を、続けてください。
 
そして、お互いの意見が風通しよく伝わるカップルを目指してください。

“喧嘩しないカップルより、風通しのいいカップルを目指せ!” の続きを読む

浮気発覚後、修復を選択。そこからがスタートです。

 

浮気発覚後、散々喧嘩して、「離婚だ」という言葉も飛び交って、
結局修復を選択した。
 
周りから見れば一件落着なのですが、心の絆のことまで考えれば、ここで終わりではなくて、むしろ修復をお互いが選択したときが「始まり」です。
 
よく、浮気の話題を出されるのが嫌な夫が「俺が悪かった」という「謝って逃げる」という態度を示すことがありますが、これでは修復が始まりませんね。
 
妻の側としては「そんな言い方で終わりにしないでほしい」と言いたいところでしょうが、ここはひとつ、大人の対応をしていきましょう。
 
まず前提として、浮気をした側の「浮気」という行動は確かに責任があります。これは止めなければいけません。止めたからこそ、修復という解決に向けた行動のスタートラインに立てたわけです。
 
もうひとつの前提として、浮気という行動そのものは浮気をした側の責任だとしても、浮気が起こる土壌、夫婦の心の距離は二人で50%ずつ作りっこした、と考える必要があります。
 
 
そして、修復をするときには、その50%の責任を、両者で持ち合う必要があります。
とはいえ、浮気する夫は、逃げる傾向のある人が多いと思います。つまり誤解を怖れずストレートに言うと、あなたが怖いのです。男は女性が思う以上に女性のことを怖いと思っているものです。潜在意識レベルでは特に。
 
なので、問い詰めたり要求したり、相手に先に変わってもらおうというアプローチは、失敗に終わる可能性が高いと思います。
 
まず、浮気を直接話題に出すのではなく、【夫婦の心の距離】に絞って話をすることを、私は提案したいと思います。そして、夫婦の心の距離を作ってしまった原因のうち、あなたの責任の部分について、あなたがどう考え、今後どう自分を変えていきたいと思っているのか、それを語ってください。
・不機嫌でいることが多かった
・あなた(夫)を信頼せず、ひとりで勝手にやることが多かった
・あなた(夫)を見下した発言が多かった
・自分の思い通りにしようと、ダメ出しすることばかりだった
反省点と、「今後私はこうしていきたい」という宣言を伝えてください。
 
その上で、今からが夫婦やり直しのスタートラインだと思う、とハッキリ伝えましょう。
 
 
なお、この記事を見て「そんなことできるか!」とお感じになった場合、まだ心理的にこの記事の内容を実践できるところまで来ていらっしゃらないと思いますので、心の整理を先に進めることをお勧めいたします。
 
参考:
感情の整理がまだできていないとき。
夫の浮気を今も許せない!というあなたに(1)
夫の浮気を今も許せない!というあなたに(2)
夫の浮気を今も許せない!というあなたに(3)
 
修復に向けて、自分の考え方を成長させたいとき。
夫の浮気のあと、不安で仕方ないのはなぜ?

“浮気発覚後、修復を選択。そこからがスタートです。” の続きを読む

意味と印象を、ちゃんと分けて捉えること。

 

対人関係における【自分が変わる】ことでうまく行くポイントとして、
 
相手の言葉の「意味」と「印象」を分けて捉える
 
という点が挙げられます。
 
 
意味と印象というのは、どういうことかというと、
 
たとえば、彼氏があなたに「ちょっとそれ、やめてくれ」と不機嫌そうに、ぶっきらぼうな言い方で言ったとします。ちょうどあなたは彼と一緒にいるときに親友に携帯メールを打っていたのです。
 
意味:僕といるときに、遠慮なく携帯メールをするのはやめてほしい
印象:不機嫌、すごく嫌がっている感じ、(私を)否定する感じ
 
 
大抵、コミュニケーションがうまく行かなくなるときというのは、印象の影響を受けすぎていて、相手の言葉の意味がちゃんと受け取れなくなっているのです。
 
上記の例であれば、言葉の意味をちゃんと受け取るなら、
 
「あ、そうか。一緒にいるのにメールしててごめんね!
 でも、いつもじゃないから。彼女、親友で。このメールだけは打たせて、お願い!」
と、言葉の意味をちゃんと受け止めた上での受け答えをして、
 
なおかつ、
 
「あのね。言いたいことをちゃんと言うのは、とても大事なことだと思うけど、
 さっきの言い方、実は怖かったのね。だから、ソフトに言ってくれると、
 私も話を受け止めやすいなぁ。」
 
と、相手の印象に関することについても、冷静に客観的に伝えることができます。
 
 
ここで、意味と印象をごっちゃにするとどうなるか、というと、
 
1.怖いので全部逃げちゃうパターン
 
「ごめんなさい。。。(え、でも、ホントは大事なメールなんだけどなぁ・・・)」
→そして親友の子がイライラしていたのをあとで知り、彼に恨みを持つ結果に・・・
 
・・・その場しのぎの対応をしても、よい結果は生まれません。
 
2.逆に、相手を全否定したり、反撃するパターン
 
「何でそんな言い方するわけ?(私が正しい、当然、という強い口調で)」
「友達にメールするぐらいで、いちいちガタガタ言わないでよ!」
 
彼:「・・・・・。(はぁ。めんどくさい子とつき合っちゃったなぁ)」
 
 
相手とコミュニケーションを取る上で、
相手の言葉の意味と、その印象をちゃんと分けて理解できることは、とても大事です。
とくに、関係に少しかげりが出てきたときに、修復できるか、そのまま破綻するかは、こういった、コミュニケーション能力に依る部分が大きいのです。
 
上記の例では、相手の言葉が、印象の悪い言い方であっても、ちゃんと意味は受け止めようという主旨の例になっていました。その場合、相手の印象を見ないふりするというやり方でも、その場は成功します。
 
しかし、印象が悪いケースについては、その場で感情的に反応するのは抑えなければなりませんが、長い目で見ると放置すべきではないと思います。つまり印象の部分、言葉になっていない部分もちゃんと感じ取ることが大事だということです。
 
相手の言葉の意味と、印象。両方ともちゃんと【分けて】冷静に受け止め、それをコミュニケーションに活かしていきたいものです。

“意味と印象を、ちゃんと分けて捉えること。” の続きを読む

彼女を笑顔にしよう!

 

女性は、男性とは違う感じ方を持っています。
 
幸せを感じるポイントも違いますし、
不安を感じるポイントも違います。
 
まずは、相手をよく見ることです。
そして、とにかく、喜んでもらうことを考えましょう。
 
男性はついつい、何か大きな事や立派なことをしなければいけないような気持ちになりがちですし、彼女に小さなプレゼントをこまめにするよりも、立派なプレゼントを一個した方が喜ばれると思いやすいですが、
 
女性は、常に自分に関心を持ってくれているかどうかがとても大事なのです。
立派なプレゼントはするが、それ以外の時はほったらかし、では、彼女を笑顔にはできません。
 
女性に自分の価値観を押しつけたりせず、男とは違う感性を持った生き物だと思って、よく相手を見て、彼女が喜ぶポイントをみつけましょう。
 
 
なお、もしも、何をしても喜ばないとか、笑顔になってもらうことがとても大変で、交際が疲れると感じる場合は、あなたの接し方の問題で喜ばないのではなく、トラウマなど何かほかの問題を抱えているのかもしれません。専門家の助けを借りてみた方がよいと思います。

“彼女を笑顔にしよう!” の続きを読む

ゲシュタルトの祈り 【げしゅたるとのいのり】

 

ゲシュタルトの祈り 【げしゅたるとのいのり】 (Gestalt prayer)
 
ゲシュタルト療法の創始者、フリッツ・パールズの創作による祈りの詩。
内容は、以下の通り。
 
 
私は私のことをします
あなたはあなたのことをしてください
 
私が生きているのは
あなたの期待に応えるためではありません
 
あなたもまた、私の期待に応えるために
生きているのではありません
 
あなたはあなた、私は私
 
もし、私たちの心が通じ合わなくても
それは仕方のないことです
 
そして、私たちの心が
たまたま触れ合うことがあれば
それは最高に素晴らしいことです
 
 
英語の原文は、以下の通り。
 
I do my thing and you do your thing.
I am not in this world to live up to your expectations,
And you are not in this world to live up to mine.
You are you, and I am I, and if by chance we find each other, it’s beautiful.
If not, it can’t be helped.

“ゲシュタルトの祈り 【げしゅたるとのいのり】” の続きを読む

嫉妬深い=自己愛・自己肯定が足りない

 

嫉妬=うらやましい気持ち+自分には手に入らないという思いこみ
ですが、
 
常に「嫉妬深い状態」の場合、さらに掘り下げて考える必要があります。
 
嫉妬深くなるのは、他者に多くを期待しているからです。
自分の幸せは自分の責任。自分のことは自分でする。そしてそれができる。
 
そういった自己肯定や自己愛が十分にあれば、他者に愛されていることの確認をしなくても済みます。
 
「嫉妬深い状態」の人は、根っこの部分では、愛されていることの確認をしているのです。自己愛が足りないからこそ、他人に埋めてもらおうとしてしまうわけです。
 
なお「嫉妬深い人」はいないと思っています。
嫉妬深い状態の人はいます。
 
嫉妬深い状態から変化するためには、自分を愛する気持ちを自分の中に育てていくことが大切です。
つまり、他人から認められなくても、他人から尽くされなくても、自分で自分を支えていけるだけの心の安定を手に入れる必要がある、という意味です。
 
嫉妬深い状態=自己愛・自己肯定が足りない状態。

“嫉妬深い=自己愛・自己肯定が足りない” の続きを読む

プライドが高い=ほめてほしい

 

プライドが高い=ほめてほしい
 
プライドという言葉は元来、「誇り」という意味です。しかし、人間としての内面が充実していて、誇りが高い人のことはあまり「プライドが高い」という表現はしません。
 
プライドが高い人、というのは「誇り高き人」という意味とはどうやら違うようですね。
何が違うのでしょうか。
 
それは、次の式を見ると一目瞭然です。
 
 
自己肯定感の低さ+他人に補ってもらおうという気持ち → ほめてほしいという渇望
 
実は、傍目から見て「プライドが高い」と見える人は、本当は自分で自分のことを低く見ているのです。そして、自分で自分のことを肯定する「自己肯定感」「自己信頼」が弱いために、他人にそれを補ってもらおうとしています。それが、ほめてほしい、認めてほしいという渇望になります。
 
だから、他人からほめられるとすぐ調子に乗るけれど、ちょっとけなされたり、大事なことであっても指摘をされると一気に不機嫌になります。その大もとは、自分を肯定する力が弱いことにあります。
 
本当に誇り高い人は、他人にほめてもらわなくても、いや、もっと言えば、他人に批判されたときでさえ、自分で自分を支えることができます。
 
「あの人、プライドが高くて扱いづらい」
そう決めつける前に、「あの人は、ほめて(認めて)欲しがっている人」と言い直してみましょう。相手が望んでいることなのだから、あなたの言葉でほめてみてはいかがでしょうか。もしも、ほめたくないという気持ちが強く出てくるようであれば、もしかすると、あなた自身の中にも「私はほめられてないのに・・・」という気持ちがあるのかもしれません。
 
プライドが高い人が、周りに多いと思えるのでしたら、原因はあなたの中にあるかも、ということです。気持ちよく、さわやかにほめるようになると、プライドが高く見えていた人(の半分ぐらい)は変化すると思います。
 
それでも変化しない、頑固で依存的な人とは、上手に距離を取りましょう。
 
参考:プライドが高い(心理学用語集)

“プライドが高い=ほめてほしい” の続きを読む

浮気症の治療法、改善方法

浮気症の治療で、空回りしがちな行動。誓約書を書く/我慢をする/今の相手と一緒にいることを大前提にする。浮気症という症状には目的があり、「心の叫び」の表現である。浮気男のパートナーに求められること「相手の負の部分も受け入れる」

浮気症(浮気性)は治らない。
これは、よく言われることです。
 
しかし、本人が自覚していて、治療の意志があれば、私は改善できると考えています。
 
 

浮気症の治療で、空回りしがちな行動

 
まず、空回りするパターンを始めに書いておきます。
・浮気しないように誓約書を書く
・浮気しないように我慢をする
・今の相手と一緒にいることを大前提にする
 
誓約書を書いたり、意志の力で何とかしようと、我慢したりという方針は、1?2か月。意志の力が特に強い人であっても半年が限界でしょう。ご飯を食べないように意志の力で我慢していても、飢餓感が襲ってきたら手当たり次第食べてしまう。生命を維持するために必要な衝動です。
浮気の衝動も、今は間違った形で現れてしまっていますが、元々生命を維持し、命をつなぐために備わった欲求ですから、意志の力で永久に抑えられるものではありません。
 
もうひとつ、とても大事な要素があります。あなたが浮気をしたくなるとき、実はあなたのパートナーにも問題があるのです(だからといって浮気をしていいという意味ではありません)。その理由は後述しますが、まず知っておいてほしいことは、もしあなたが浮気をしたくなるとしたら、今の相手はあなたのベストパートナーではないかもしれないということです(ベストパートナーであっても、心の成長の段階によっては浮気したくなりがちなときもあります)。
だから、今の相手と未来永劫一緒にいることを大前提にしてしまうと、そのこと自体が浮気性の治療に悪影響を与えることがあるのです。もし二人が成長してみて、合わない相手だったと分かったら、別れる。最後は、そういう覚悟が必要です。
 
 

浮気症という症状には目的がある

 
私は、症状には目的があると考えます。症状を擬人化した言い方なので、分かりにくいと思う場合は「心の叫び、心の内にある満たされない想いが、浮気という症状として表面化している」と捉えても構いません。上記の空回りしがちな行動は、浮気という症状だけに目を向けて、その下にある「心の叫び」に何も目を向けていないことが問題なのです。
 
浮気症はある種の依存症です。回避依存症という症状名がついています。正式な病名ではなく、便宜的につけられているものではありますが。アルコール依存症に「dry drunk」(呑まないアル中)という表現があるのをご存知でしょうか。アルコールは断ったけれど、心の問題は解決しておらず、別のものに依存しやすい状態になっている人のことです。
浮気症も、浮気をやめただけでは「dry drunk」と同じで、本当の解決に至っていないのです。
 
では、浮気という症状を通じて、心の叫びは何を表現しようとしているのでしょうか。浮気という症状の目的は何でしょうか。
 
男性の場合、母親から見捨てられるかもしれないという不安が、大人になった今でも解決していないことが根本原因の場合が多いようです。母親に包まれて、何の心配もなく、安心して過ごした幼少期の経験が足りないまま大人になった場合、恋愛関係に「お母さんからもらえなかったもの」を求めてしまいます。
 
心の最も内側の部分に、永久に癒されない寂しさのようなものがあり、どんなにフタをしても、我慢しても、生活や仕事でストレスを感じて来ると、フタしきれなくなってしまうわけです。
 
女性の場合、それに加えて「復讐」の目的を持っている場合があります。復讐というと怖い言葉ですが、心理学的には「反発心」「対抗心」「怒り」「心の中の闘い」と同義だと思って構いません。たとえば、父親が浮気症で、母親が苦しんでいた。結果として男性全般に対する「怒り」「不信」を持ってしまっていて「男なんて大切に扱う価値はない」と心のどこかで思っていたり実際に行動に出ている、というようなケースが「復讐」にあたります。
 
男性で女性に「復讐」をしている人は、母親に対する怒りや恨みが動機の場合が多いようです。「暴力」「暴言」「避妊しない」「わざと別の女性の存在を明かして傷つける」など、行動が攻撃的で分かりやすいので、あえて解説しません。
 
 

浮気症の治療方針

 
症状の目的が「心の内に抑圧された寂しさを癒すこと」「父親(母親)に対する怒りを癒すこと」ですので、その目的を(浮気という害のある形ではなく)安全な形で果たすように導くことがセラピストの務めです。
 
大人の自分がどんなに寂しさを感じないような経験をしても(たとえば浮気症の男性が大勢の女性に囲まれて生きていても)、癒されたいのは子ども時代に感じた寂しさ、不安なので、つかの間安心したとしても、根本的には解決しないのです。
 
子どもの頃の精神状態に戻って、その状態で寂しさを感じ、その寂しさを癒します。催眠系のワークが有効な場合が多いです。私の場合、家族彫刻を描いてもらい、ゆるしのワークで当時の感情を解放するという方針をとる場合が多いです。私は、潜在意識を変化させる専門知識なしで浮気症を解決するのは極めて困難であると考えています(これが、一般の人が「浮気症は治らない」と考える理由です)。
 
復讐の動機が強い場合は、ずっとフタしてきた怒りを癒す必要がありますが、その抑圧された怒りが、子ども時代から長年癒されなかった原因は大抵、罪悪感です。ですので、結局は同様にゆるしのワークを行います。罪悪感のフタが取れれば、怒りも寂しさも癒されていくことが多いです。
(子ども時代に、日常的に虐待を受けていた、などの、極めて深刻な経験をしている場合は、怒り・罪悪感に加えて恐怖も癒す必要がありますし、この世界は「まあまあ安全な場所だ」ということを潜在意識に教えていく必要があります。それは、さらに専門的な関わりが必要になります)
 
 

浮気男のパートナーに求められること

 
ふつうどんな人でも、親からもらえなかった、満たされなかったものを持っているものです。
それが、恋愛の中で癒されていくのです。色々問題を抱えていても、何度か出会いと別れを繰り返していくうちに、本当に心を開けるパートナーに出会って、それまで抱えていた問題があまり表面化しなくなった。そういう道をたどることが出来れば、「浮気症」という問題に至ることはないわけです。
 
浮気症になるのは、本当に満たされる恋愛をしていないからです。
母親に包まれて、存在を認められて、安心して過ごすことが出来なかった子は、自分の心を本当に開いて他人と関わることが苦手です。男性の場合元々、ダメな自分や、自分の恥ずかしい部分、失敗したことなどを話すことが苦手です。
ところが、こうした「自分の負の部分」を開示して、それでも相手が去っていかないという安心感を得たときに、本当の絆が出来るものなのです。浮気症の人は大抵それが苦手です。自分から自己開示をしない上に、「どうせ自分のことは分かってもらえない」と思っているのです。
 
浮気症の人は、パートナーに、自分の心の内を全て話し、それを受け入れてもらう経験をすることが、癒しにつながります。逆に、自分のパートナーが浮気症だという人は、相手の自己開示を本当に心から受け止めているかどうか、自省してみてください。どこかで相手の負の部分を嫌っていないか、自問してみてください。
 
男性が結婚を決意するときは、病気になったり、弱気になったり、失敗したりしたときに、彼女がそれでも去って行かなくて、変わらない態度で接してくれたことで安心できたとき。これは昔からよく知られています。結局、浮気症の人のパートナーに求められるのも、これと同じことなのです。
但し、より高いレベルで受け入れる必要がありますし、より粘り強く関わる必要がありますが。
 
こうした「母親的な包む愛情」を示し続けることが、浮気症の人のパートナーに求められることの、ひとつ目です。
 
あなたが「浮気症の本人」である場合、あなたのネガティブな面を言葉にしてパートナーに自己開示し、それを受け止めてもらってください。それが安心感につながります。
 
あなたが「浮気症の人のパートナー」である場合、相手の自己開示をしっかり受け止めてください。だらしない部分を責めないでください。安心感を得ない限り、浮気は止まないのです。
そして、相手があなたに対して「この人には素の自分を出しても大丈夫。安心できる。」と思ってくれる状態を目指してください。言い換えると「心を要求する」ということです。
 
浮気症の本人が自覚して、治そうとしている場合、パートナーに求められることは以上ですが、浮気症の本人が「俺はこれでいいんだ」などと思っている場合、事はそう簡単ではありません。
 
 

浮気男のパートナーに求められること その2 (浮気症の本人が反省していない場合)

 
浮気症の本人が、自分を変えようとしていなくて、パートナーの側から働きかけようとする場合、話は一気に10倍ぐらい難しくなります。
というのも、「浮気をする自分でいいじゃん。変わらないし。」→「相手の負の部分も受け入れる」→「浮気は続く」という結果になることは火を見るよりも明らかだからです。
 
このような、「改善しようとしていない浮気男」の場合、浮気症のパートナーに求められることは、上述した母親的な関わりに加えて、父親的な「よいものはよい、悪いものは悪い」と伝える厳しさです。
 
相手の負の部分も受け入れながら、行動面では悪いものは悪いと伝えてゆくのは、簡単なことではありません。浮気症の人に対して父親的な愛情と、母親的な愛情と、両方を注いでゆくわけです。その間、自分はあまり愛情を受け取れないでしょう。苦しい道になると思います。
 
しかも、感情的になってしまうと、相手に伝わらないんですね。感情的にどっしりと安定していて、しっかりとした構えが出来ている、その状態で伝えないといけない。
 
・相手の浮気でショックを受けたとしても、相手にその感情をぶつけない。
・自分の力で、自分の感情の整理をつける。
・相手(浮気症の人)の人格は全て受け入れ、否定しない。
・相手の行動は「その行動はやめなければいけない」と繰り返し冷静に伝える。
 
いわば、相手に父親的な愛情と母親的な愛情の両方を注ぐということです。
相手の浮気症の程度にもよりますが、並の人間には出来ないと思います。
 
遊びの恋と本気の恋の見分け方」の「遊ばれないためのコツ」のパートも参考になります。
 
それでも、この道を進みたいという場合、あなたとセラピストともう一人ぐらい、一緒に闘ってくれる仲間を作って進んでいくことが大事です。一人で立ち向かったら、絶対に途中で心が折れてしまいますし、その相手にとっても、中途半端に関わられて途中で投げ出される経験は「ほら、やっぱり。どうせ俺は最後は捨てられるんだ。」という思いこみを強化する結果に終わってしまい、逆効果になる懸念すらあります。
 
もしこの部分を浮気症のご本人が読まれていたら、どうか、あなたが自覚して改善しようとすることが、どれだけ周りの人の負担を減らすのか、そのことをよくよく考えていただき、勇気ある一歩を踏み出すことを心からお願いします。

“浮気症の治療法、改善方法” の続きを読む

痛み止めではなく、治療薬を選択する意志を持つこと

 

私は、人の行動や考えに「よい・わるい」はないという信念を持っています。そして、心理学の世界では人は常にベストの選択をしている、などの言い方が大事にされています。
 
しかし、そのことと、人に去られる怖さを紛らわすために同時に何股もかけてしまったり、奥さんと向き合うことが怖くて、問題が起きるとすぐに距離を取ってしまい、終いには浮気に至ってしまうような「問題行動」をしているひとをどう受け止めるのか、という課題の間には、通常、葛藤があります。
 
何股もかけている浮気男がベストの選択をしていて、悪くないという考え方は、どこかおかしいと感じるのではないでしょうか。
 
私は、人の行動には、人格的に成長し、より幸せに、豊かになる方向に向かう行動と、成長を止め、刹那的にその一瞬は楽になるかもしれないけれど、長い目で見ると人生をあまり豊かにしない行動があると考えています。
 
物事がうまく行っているときにはあまり意識しなくて済むのですが、何か問題が起きたときには、どちらの対応をするか、決断を迫られることになります。
 
人格的に成長する道は、いわば「苦い薬」。治療薬を選択し、多少困難や苦痛が伴っても、長い目で見て自分の人生をより豊かにする道を選ぶ、というものです。
一方、その対極に位置するのは「痛み止め」。痛みが一過性のものならそれもアリなのですが、自分の考え方や人生に対する構えの問題によって、現在の問題が起きているとき、そこから逃げるように「痛み止め」ばかり使っていては、人生の中で何度も何度も同じ問題に直面することになります。
 
人に去られる怖さを紛らわすために浮気を繰り返しているような人のケースでは、
何股もかけて、孤独感や捨てられる恐怖などの、心の痛みにフタをしようという行動が「痛み止め」
自分の心と向き合い、一人でも生きていけるように心の痛みを癒す道を選ぶのが「治療薬」です。
 
私は、既に使っている痛み止めは、否定しません。
たとえそれが、浮気という形であっても、既にそこに依存していますから、急にやめると禁断症状が出るわけです。だから、「しばらくは痛み止めとして使い続けても構わない」という主旨のことを伝えています。
但し、痛み止めはあくまで痛み止め。それをきちんと認識してもらいます。「今の状態でいいんだ」という開き直りは厳禁で、いつか卒業しなければいけないもの、という認識を持ってもらいます。
 
また、新たに痛み止めを使い始めるかどうか(不倫を始めるかどうか、など)に関しては、私は決して肯定しません。「やめておいたほうがいい」という意見です。
 
 
既に痛み止めを使っている人には、痛み止めを使った状態でいいので、
治療薬(セラピーを受けてもらう)も使って、根本的な問題を解決することを勧めます。
まだ痛み止めを使っていない人(不倫になりそうなので相談に来た人)には、
痛み止めはやめようと言い、かわりに治療薬(セラピー)を勧めます。
 
 
このコラムは、私の治療観を書いたものですが、
人生の中で、多くの「それは不毛だなぁ」「依存しているなぁ」と感じる出来事に出会うはずです。そんなときにも「この人は『治療薬』を選択しているのか、『痛み止め』を選択しているのか」という目で見てみると、冷静で客観的な物の見方ができると思います。
 
痛み止めも、きっとその人にとっては必死の選択なのです。
そのような、思いやりのある見方ができると、生きるのも、人間関係も楽になると思います。
 
 
■さらに具体的には「恋愛セラピー手法」の一覧などをご参照下さい。

“痛み止めではなく、治療薬を選択する意志を持つこと” の続きを読む