能力は「借りもの」という意識

 

先日、NHKの「ハーバード白熱教室」を見ていて、正義とは何かについて考えました。
 
曰く、生まれ、人種、容姿、地位などが一切分からない「無知のベール」を想定したときに、人はどんな制度を選ぶだろうか、と考えることで、「正義とは何か」が分かると。
 
生まれたときからどのように生きるか決まっている、封建制度は選ばれないはずだ。奴隷に生まれたら一生奴隷と決まっている、そういう制度を人が選ぶとは思えない。
 
では、能力主義はどうか。
能力主義は、封建制度よりは、よい制度だと論じられていた。但し、これでも十分ではないと。つまり、生まれつき足の速い人もいれば、走るのが元々苦手な人もいる。素質は、自然の与えた偶然によって決まるもので、本人が努力して獲得したものではない。
 
また、「能力」は「努力」の結果だと主張する人の多くは、元々素質がない人が努力をして、結果としてあまり社会に「貢献」できなかったとして、それを評価しないのではないか。つまり「努力」という言葉の真意は「貢献」であると論じられていた。これは、穿った見方をすれば、素質に恵まれたものが、そうでないものをいじめるための口実になる。
 
だから、純然たる能力主義は、封建制度よりはマシだけれど、十分ではない。
 
 
では、どんな制度なら、正義に適っているのだろうか。
 
番組では「格差主義」だと論じられていた。
能力を十分に発揮して、社会に貢献し、その対価を受け取って自分が豊かになることは、是か非かという議論において、
 
たとえば税金を納めるといった形で、最も恵まれない者にも恩恵があるような仕組みがあれば、能力を発揮した対価を受け取って、自分が豊かになることが正当化される。
 
というものだった。
 
その論拠が、能力は、本人の努力による部分もあるが、勤労意欲といった、「努力する能力」に関しても、生まれ持った素質があり、努力すら、全てが本人に属するとは言えないから、というものだった。
足が速い、頭がよい、などの素質は言わずもがなである。
 
 
私は以前から、能力は神さまから預かった借りものという意識を持っています。
この人生の間、貸してもらっているわけですから、十分に活かせばよいわけですが、借りものですから、100%自分のためだけに使ってよいのかと言えば、そうではないと思います。
 
私は、心理学や哲学、人間の生き方について考えることが好きで、それを文章にしたり、このような理解に基づいてカウンセリングをしたりすることを仕事にしていますが、この能力の全てをお金に換えて、自分を豊かにすることにのみ使うべきかと言えば、そうではないと考えています。
 
このようにして、無料で情報を提供する形で、他人に貢献することもすべきだと考えていますし、(威張れるほど稼いではいないですが)稼いだお金のうち一部を税金で収めることで、福祉に役立ててもらうことも大事だと考えています。
 
やはり、私たちが持って生まれた資質や、どんな家柄に生まれたかという「生まれ」など、本人の責任と意志によらない「幸運によるギフト」は、手放す必要はないものの(私はここを平らにならす、平等主義には反対の立場です)、そのようなギフトに恵まれなかった人のためにも活かすことが、正義に適っていることだと考えています。

“能力は「借りもの」という意識” の続きを読む

たった一言!あなたの性格は変えられる

 

性格改善のセラピーを提供しているセラピストの心屋仁之助さんの看板となっているメールマガジン
「たった一言!あなたの性格は変えられる」が、書籍になりました。

私たちは、色々な人からのアドバイスや人生訓を、
自分の潜在意識にとって都合がいいように勝手に解釈し、
誤解して生きています。

人生がうまく行っていない人は、考え方や捉え方に、
誤解や歪みが多いのです。

仁之助さんの言葉は、そのような人でも「はっ!」と気づく
ことができる、本質を突いた言葉です。

いま、人間関係がしんどいとか、生き辛いとか、
嫌なやつが周りに多いとか、

あるいは、それらの問題が自分に原因があると気づいている
けれど、解決に向けての行動を取る勇気が出ないとか。

そう感じる方は、手に取ってみてほしい本です。

たった一言!あなたの性格は変えられる 書籍表紙画像
たった一言!あなたの性格は変えられる

おすすめ本です。

“たった一言!あなたの性格は変えられる” の続きを読む

ケンカの一本道?喧嘩に至る道はワンパターン

 

家族問題研究家のジョン・ゴットマン博士によれば、
喧嘩に至る道は、ワンパターンしかない、とのこと。
 

喧嘩の一本道とは?

喧嘩の一本道とは、
批判 → 防衛 → 見下し
だという。
 
ワンパターンが分かっているなら、この流れに乗らないようにだけ気をつければよいのです。
 
喧嘩防止策は、大きく分けて、
 
・批判をしない
・批判されても、防衛をしない
・いかなる場合でも、見下しをしない
 
ということになります。
 

喧嘩防止策その1:批判の代わりに苦情を言う

喧嘩防止の第一歩は、批判をしないことです。
 
まず大前提として、「相手を批判しない」ことと「言いたいことを我慢する」ことは全く違うということを理解しておく必要があります。むしろ、言いたいことをずっと呑み込み続けると、我慢の限界に達したときに「今日こそ言わせてもらうけどね!(ものすごい構えた感じで・・・)」と、流したはずの過去のことまで言い出すという、悪い態度になってしまいます。
 
そうではなくて、批判の代わりに「苦情」を言うことが大事なのです。
批判:「あなたは冷たい」「あなたの言動はおかしい」「あなたはだらしない」など、基本的に主語が「あなた」になっているものです。
苦情:「あなたのその態度で、私は傷ついた」「あなたが部屋を散らかすから、私はうんざりした気持ちになっている」など、基本的に主語が「私」になっていて、かつ、できれば自分の「気持ち」を表現しているものです。
 

喧嘩防止策その2:批判を受けたときに防衛しない

次に、相手から批判を受けたときに、言い訳、防衛に走ると余計に事態を悪化させることを知っておく必要があります。
「おまえ、昨日もまた感情的になったじゃないか。いい加減、大人になれよ。」
と、彼から言われたとします。これは明らかに苦情ではなく、批判ですので、言い方が悪いです。でも、相手の言い方が悪いからと言って、こちらまで口が悪くなっては、同じ穴のムジナです。
 
さらに言うと、
「あなただって、感情的じゃないの。というか、その目がすごく冷たいよね。冷血動物みたい。」
なんて、批判に批判で返すのは、問題外です。そもそも相手の批判と何の関係もない言葉です。
 
防衛というのは、こういうことです。
「そんなことないよ。冷静に対応していたでしょ?あなたがそういう目で見るから、そう見えるのよ。」
防衛というのは「私は全く悪くない」(つまり相手が悪いと暗に言う)ことです。
 
当然、防衛された相手(つまり暗に自分が悪いと言われた相手)は、更なる批判を繰り出したくなります。「俺が悪いって言うのか!自分の感情もコントロールできないやつに言われたくないね!」など。
 
批判されたときには、一旦は相手の言葉を受け止める必要があります。
「そうなの。あなたから見て、私は感情的に見えたのね。」
そのあとは、その批判が正当か不当かを判断します。
正当なら、勇気を出して認めます。
  「確かに、そうだったかもしれない。」
  その後、「改善したい」か「いっぱいいっぱいなので、今は無理」かどちらかを言明します。
    「私も、態度が悪かったよね。直すように努力するね。」
    「確かに態度が悪かったかもしれないけど、あんな状況になってしまったら、
     感情的にならないのは、今の私には無理。私を追い詰めないように、
     あなたにも協力してほしい。」
  こういう言い方なら、その後相手も優しい言葉を出せます。喧嘩は止まります。
 
不当なら、キッパリと否定します。
  「私は、そうは思わないよ。あのときは、必要なことをちゃんと言葉にして伝えました。
   腹が立っていたのは事実だけど、そう言葉で伝えたし、当たったり、責めたりはしていません。」
不当な批判を否定するときには、あくまで「私の考え」という立場で言うことが大事です。
「私はそうは思わない」(←私の意見)という言い方と「それは違う」(←普遍的事実)という言い方には大きな違いがあることを、よく理解しておく必要があります。
大事なことは、あくまで「私の意見はこうだ」と主張することであって、相手を説得することではないということです。相手の意見が相変わらず「やっぱりお前は感情的だ」であっても、それを変えようとしないことが大事です。
 
 

自分と相手の意見が違っている状態に耐えられる「自己信頼」が大事

議論が水掛け論や感情的な喧嘩に発展するのは、
もともと自分に十分な自信がないために、
相手と自分の意見が対立した状態に耐えられず、
自分が安心したいために、相手の意見を変えようとする、
それに相手が抵抗することから生じるものです。
 
だから、
相手と自分の意見が違っていてもぐらつかないほどの、強い自分を持ち、
自分の意見は、自分の考えに従って持つようにする一方、
相手の意見も尊重し、それを変えようとしない(たとえ自分に対する批判意見でも!)。
という状態になることが、喧嘩を防ぐための、根本的な対策です。
 
 

喧嘩防止策その3:いかなる時にも相手を見下さない

なお、いかなる時にも「相手を見下さない」というのは、何よりも重要なことです。
「おまえは自分の感情もコントロールできないのか。」
「あなたは、思いやりがない、冷血人間よ。」
など、相手を貶める発言は、厳に慎まなければなりません。
 
 

苦情を言い合えれば、喧嘩は必要ない

カップルは喧嘩するものと思っている人も多いようですが、私はそうは思いません。
お互いに不満や辛い気持ちを表現し合うことは、絶対に必要です。でもそれは喧嘩しなくても出来ます。
お互いに苦情を言い合い、それをちゃんと聴き合うことができれば、喧嘩は必要ないのです。
 
そしてもしも、苦情を言っても聴いてもらえない。相手の苦情を聴きたくもない。そういう状態にあると気づいた場合は、お互いに苦情を言い合えない関係こそが問題だと気づいて下さい。そこを直さない限り、永久に喧嘩は続くでしょう。
 
 
お互いに、言いたいことを、相手を傷つけずに言い合えるようになり、それを受け止め合えるようになれば、喧嘩はあまり必要ないはずです。風通しがよく、とても快適な関係が築けます。ぜひそれを目指して下さい。

“ケンカの一本道?喧嘩に至る道はワンパターン” の続きを読む

自己否定のクセはどうやって始まるの?

 

恋愛がうまく行かない、人間関係がうまく行かないと感じる方の多くに、自己否定の感情が存在します。
 
「私は悪い人間だ」
「私はダメな人間だ」
「私はひどい人間だ」
大きく分けて、このみっつがあります。
自分を裁く、見下す、嫌う、ということです。
 
しかし、どうしてこんな感情を持つようになるのでしょうか。
典型的なパターンは「親から否定され続けたので、それを取り込んでしまった」というもの。
 
この、親から否定され続けた、という言葉。本人が自覚していないこともあります。というのも、あからさまに言葉で否定されたこと以外にも、色々なパターンがあるからです。
 
・言葉では「お前はかわいい」と言うが、家に居着かない父親
・父親の悪口を子供に吹き込み、暗に「私の味方だけをしておくれ」というメッセージを与える母親
 (子供は母親が立派に育ててくれたと思いこむと同時に、立派=自己犠牲&悪口という間違った観念を持つ。そして、当然そんな考えを受け継いだ自分を嫌いになる)
・親が忙しく、子供に「私はここにいてはいけない」と感じさせる雰囲気があった。
 
ほかにも、
・親に性別を否定された
・親自身が自分の「性」に嫌悪感を持っている
・親に「お前がいなければ(楽だったのにetc)」という意味のことを一度でも言われた
などの出来事がきっかけになり、自己否定が始まることもあります。
 
 
親との関係以外で、自己否定のきっかけになり易い出来事は、
・いじめ
・初恋の時にひどい男に当たった
・家族の死
・家族との離別(親の離婚、養子に出された、など)
 
また、
・子供の頃の病気(ぜんそくなど)
これも、性格の形成に大きな影響があります。
 
 
大人になって、よく起きる人間関係のパターンと、そのときに感じる感情が比較的決まっているのであれば、子供時代に似たような感情を感じた出来事を探ってみると、大人になってからのパターンの根っこになった出来事が見つかります。
 
根っこになった「自己否定のきっかけ」は、人によってまちまちで、多岐にわたるため、見つけるのはぜひ恋愛セラピーをご利用下さい。自分で「これが原因だ」と思いこんでいたが、実は勘違いだったという相談者の方は意外に多いのです。

“自己否定のクセはどうやって始まるの?” の続きを読む

女性は「自分の感覚を強く信じていて頑固」だと知ろう

 

男子の皆様。
 
女性と接するときに、どうしても知っておかなければならないことがあります。
・・・たくさんあるのですが。
 
その中で、とても大事なことをお伝えしたいと思います。
それは、女性は、自分の感覚や感情を男性よりもハッキリと強く感じていて、それが絶対だと信じる傾向があるということです。
 
男性の場合、
職場に、なんとなくいつも不機嫌な女性がいたとして、
「なんか感じ悪い人だな?」と思ったとしますね。
 
そのときに、同僚から、
「真面目な人だけどね。私は別に嫌だと思わないなぁ。」
と言われたとします。
 
「そうか。そうなのかも。」
こう思うことは、比較的多いんじゃないでしょうか。
(あなたが男性の場合です)
 
 
女性の場合、同様のシチュエーションで、
職場に、なんとなくいつも不機嫌な女性がいたとして、
「なんか感じ悪い人だな?」と思ったとしますね。
大抵の場合、この時点で評価を確定しています。
 
そのときに、同僚から、
「真面目な人だけどね。私は別に嫌だと思わないなぁ。」
と言われたとしても、
男性のように
「そうか。そうなのかも。」
と、評価を変えないどころか、
 
その同僚の人に対して、
「あの人に対して味方するなんて、絶対おかしい!」
と、評価を下げてしまうほどです。
 
 
多くの場合、女性の感性というのは、熟慮せずに直観的に判断している割には、かなり正しいものなのですが、それは、心の内に溜め込んでいるマイナス感情が比較的少ない女性の場合の話です。
 
マイナス感情を溜め込んでいくと、女性は、次第にものの捉え方が歪んできます。(それは男性も同じなのですが、マイナス感情を溜め込める量が、女性の方が圧倒的に多いので、影響も大きく出るのです。)
しかも、問題なのは、本人はそのことに無自覚だということです。
自分の感覚はあくまで正しいと思いこんでいるのです。
 
周りから指摘されたら、指摘者を「あんたの方が間違っている」と思うわけです。
 
 
ですので、男子の皆様。
男性的感覚で表現すると、「女性は自分の感覚を強く信じていて頑固」なのです。
これをよく理解しておいてくださいね。
 
だから、女性の感じたことは、安易に否定してはいけません。
ということは、マイナス感情を溜め込んで、感じ方が歪んできてしまった女性と交際するのはとても難しいことが分かるでしょう?
比較的軽度の場合は、マイナス感情を全部吐き出してもらう、つまり愚痴でも悪口でも、否定せずに話を聴くことが出来れば、元の優しい彼女に戻ります。男子の心得として、身につけておきましょう。
 
但し、マイナス感情の出所が、今日の職場とか、最近の人間関係など、比較的浅いものの場合は上記の対応で問題ないのですが、幼少期の親への恨みとか、性的暴力によるものとか、非常に深いものの場合、相当熟練したプロのカウンセラーでも、話を聴くだけで大もとのマイナス感情を癒すのは難しいものです。
 
あなた(男子)がプロのカウンセラー/心理セラピストになりたいのなら、マイナス感情解消のスキルを磨くのも大事なことですが、もしあなたが、幸せな結婚生活を送りたいだけなら、深い部分にマイナス感情を持っていない女性を選んだ方が、悩みの少ない結婚生活を送れると思います。
 
もしも、交際を始めてから気づいてしまった場合、私のお勧めは「この関係でたぶん大丈夫」と思えるところまでは、結婚前に徹底的にとり組んで癒すことです。彼女も、結婚してから「君のトラウマが解消されなければ別れる」と言われたら納得しないでしょうが、結婚前に「君のトラウマが、ほぼ大丈夫なところまで解消できなければ、結婚は出来ない」と言われたら、本気でとり組む気になるでしょうから。
 
それに、結婚してから引き返すのはすごいエネルギーが必要ですから。
 
男子の皆様。
「女性は自分の感覚を強く信じていて頑固」なのです。
よく心得ておいて下さいね。

“女性は「自分の感覚を強く信じていて頑固」だと知ろう” の続きを読む

嫁姑問題の本質。必ず嫁の味方に付くこと。

 

嫁姑問題というのは、世界中どこでもある問題です。
 
そして、その場合に、夫に求められる役割も、決まっています。
その役割をきちんと果たしていないと、嫁姑問題が起こるのです。
 
その役割とは、妻の側に付くことです。
それだけ。
 
 
心から妻の味方でありたい。
そう思うことが難しい女性と結婚してしまった?
 
そういうこともあるでしょう。
それでも、妻の側について下さい。
そして、苦しい気持ちを正直に妻に話して、一緒に解決策を考えてください。
 
僕はあなた(妻)の味方だけど、現実問題、できないこともある。
こういう態度と、
(そもそも)その問題はあなたと母(嫁にとって姑)の間の問題でしょ?自分で何とかしてよ。
こういう態度の間には、雲泥の差があります。
 
たとえ、仕事で忙しくて十分に対処する時間が取れないとしても。
言っていいことと、いけないことがあるんです。
 
上の2つの言い方で、何が違うのか、もしピンと来ないのなら、あなた(男性)は危ないです。結婚生活で深刻な危機を招きつつ気づかないということになりかねません。
 
よくよく読み比べて、よくよく考えてください。
 
 
妻の味方に付く。
大事なことです。

“嫁姑問題の本質。必ず嫁の味方に付くこと。” の続きを読む

恋愛依存症の克服・解消に役立つ心理療法の技法

 

恋愛依存症 克服 解消 症状
 
 
恋愛依存症・・・「友達に『その彼やめときなよ』と言われる」「別れたのに執着している」「都合のいい扱いをされているが、別れられない」「だめんず遍歴をしている」「イライラしたりストレスが溜まると、大して好きでもない男とセックスしてしまう」ひとつでも当てはまるなら、恋愛依存症の可能性があります。
 
恋愛依存症の克服には、
・「恋愛依存症を克服する」という明確な自覚
・克服に協力的な仲間や友人、知人のネットワーク
 (逆に、共依存関係は、できるだけ早く断ち切る必要がある)
・専門家の協力
が必要です。
 
恋愛依存症のメカニズムは、専門家の立場から見れば比較的シンプルです。但し、多くの心理的な問題と同様、感じ方そのものに色眼鏡がかかっているし、潜在意識を変える必要があるので、本人が文字情報を読んだだけで、自力(=意志の力)で解決するのは難しいと思います。
 
恋愛依存症の症状が生まれる仕組みは、こうです。
 
他の依存症と同様、愛情飢餓など、心の中にある「足りないもの」「満たされないもの」が元々ある場合が多いのです。寂しいし、一人だと不安だし、誰かを求めます。
 
そのときに、寂しいから誰かに近くにいてほしいという「近づいてほしい」という欲求と、子供時代に愛情の少ない環境で育ったことによる、「近づいてこない人に惹かれる」という恋愛パターンとが葛藤を起こします。
 
誰かに近づいてほしいと求める一方、どこか冷たく、本当に自分のことを愛してくれない人を好きになってしまうわけです。見事に、子供時代の愛情飢餓の状態を、大人の自分の周りに再現しています。
 
 
潜在意識の中にある、子供時代の激しい寂しさや孤独への恐怖心と、同じく潜在意識の中にある、子供時代と同じような「愛情の足りない環境」を求めてしまう無意識の傾向。
 
この両方を修正することなしには、恋愛依存症の克服は成功しません。
 
恋愛依存症の解消に向けた具体的な方法論ですが、
まず、彼とつき合っているときに感じる感情が、子供時代に解決できていない感情の再現だと考えて、その感情を頼りに、似たような感情を感じた過去の体験を探ります。体験そのものに退行できない場合は、その感情の元になった、子供時代の家族関係をイメージします。
 
そして、そのシーンと共に心に刻まれている感情を、まず解放していきます。一番最初にとり組むべきなのは「罪悪感」を外すことです。ここで言う「罪悪感」とは「無意識的罪悪感」のことで、日頃罪の意識にさいなまれているわけではないけれど、重要な決断の瞬間には「こんなに罪深い私は、幸せになってはいけない」「こんなにダメな私は、多くを求めてはいけない」「こんなにひどい私は、ひどい目にあってもそれが似合っている」というような形で表に出てきては、幸せにならない方の選択肢を選んでしまうという行動パターンを通じて、人生を裏側から縛ってしまうものです。
 
罪悪感と同時に、「私はここにいてはいけない」「私は常に頑張っていなければならない」「私は女でいてはいけない」「私は喜びを感じてはいけない」など、自分を否定する思いこみを持っていることが多いので、それを外していきます。
 
愛情飢餓が深く、罪悪感によるメンタルブロックを外すだけでは不足の場合、アダルトチルドレン(AC)である可能性も高いですから、インナーチャイルドの癒しのワークなどを繰り返し、心に愛情という栄養を与えていきます。セラピストが一連のワークや過去の体験談をしっかりと否定せずに受け止めることも、プラスに働きます。
 
私の場合、こうした潜在意識を扱う心理療法と共に、行動療法も取り入れていきます。
よく活用する方法は、ノートに日々の自分の感情の移り変わりをメモしてもらうことです。多くの場合、怒りの感情を上手に扱えていないものです。怒りが出てきたらすぐに呑み込むクセを持っていたり、そのクセが習慣化した結果、怒りがどこかに行ってしまったような状態になってしまったり。
 
こうした、そもそも感じるべき感情を呑み込むという心の習慣は依存症を生みやすいため、まず、感じるべき感情をきちんと感じる習慣を作っていくのです。
 
始めのうちは、今まで抑え込んできた感情がようやく出口を見つけて出てきますから、ネガティブな感情が泥水のようにどんどん出てきて、時には混乱します。ですので、セラピストと一緒に進めていくことが安全です。
 
こうして、罪悪感と自己否定の思いこみを外し、感情にフタをする習慣を、感じるべき感情はその場で感じる習慣に変えていきます。
 
ここまでの取り組みに、何ヶ月もかかる場合もあります。
それでも、問題を解決せずにその後の人生を歩み続けることに比べれば、本人にとってのメリットは大きいと言えます。
 
行動療法の部分はともかく、潜在意識に直接アプローチしていく心理療法の部分は自己流で行うことは難しいと思います。ぜひ、専門家を頼ってほしいと、私は考えています。

“恋愛依存症の克服・解消に役立つ心理療法の技法” の続きを読む

彼女が感情的なときこそ、しっかり向き合って話を聴こう

 

男性と女性の違いは、精神的な負荷(ストレス)がかかったときの解消法に顕著に表れます。
 
男性は、一人で考え、一人で解消しようとします(よね?)
あるいは、体を動かしたり、スポーツ観戦、ニュース(他人の問題について考える)などを通じて感情が動くことで、自分の感情に気づいたり、自分の感情が解消したりします。
 
しかし、そのような方法を採る女性は多くありません。
女性は人と触れることでストレス解消をする人が多いのです。
最も典型的には、話すことです。自分の感情について話す。それで、気持ちを受け止めてもらえれば、解消していきます。
 
怖い女になっている彼女(奥さん)を、無意識に避けて遠巻きにしていませんか?
それは大抵の女性にとって、火に油を注ぐ行為だということを、(男性は)知っておく必要があります。
女性に、男性ルールで接してはいけないのです。
 
彼女が感情的になっているときには、とにかく距離を取らないこと。近くにいて、しっかり向き合うことです。話を聴いてもらいたい派の女性(これが大半)と、触れてもらいたい派の女性がいます(これも少なくない)。怒っている女性は近づくのが怖いと感じるものですが、距離を取るのは事態をより悪くします。だから、しっかり向き合ってください。
 
感情的になっている彼女を、一人にしないようにしてください。
しっかりと向き合い、受け止めることが大事です。
 
 
延々怒ったり、あなた(男性)から見て意味不明な感情の出方をしている女性の場合、ひょっとして、素人判断で対処するのは難しい相手かもしれません。女性は過去の感情を男性の何倍も多く蓄積するものですので、幼少期から今まで、多くの負の感情を溜め込んできた人なのかもしれません。
 
そのような場合、多少話を聴いたぐらいでは怒りが収まらないことがあります。
どうか、専門家を早めに頼ってください。
 
 
そうでもない場合は、感情的になっている彼女を、一人にしないこと。
ちゃんと向き合って、話を聴いたり、触れていてあげることが、女性にとっての癒し、ストレス解消になるのです。
 
最後に、老婆心ながら。
感情的になっているのがあなたの彼女や奥さんなら、本気で向き合うことをお勧めしますが、職場の女性や知り合いなら、むしろ距離を取って「君子危うきに近寄らず」の対処法を選ぶことをお勧めします。

“彼女が感情的なときこそ、しっかり向き合って話を聴こう” の続きを読む

自分が二股やW不倫をしていてこじれた場合は・・・

 

ダブル不倫や、自分が既婚者だけれど、シングルの相手とも交際しているなど、
 
三角関係において、自分が二股(以上)をかけている側になっている場合、(たとえ相手も二股をかけている人だったとしても)、やはり、自分の責任で行動しないことには、問題は解決しません。
 
私はこのケースに関しては、比較的厳しい考えを持っています。
 
自分をゆるして、自分を大切にすることが人生を拓くというのが、私のセラピストとしての基本理念ではありますが、二股をかけている人の場合、きちんと責任のある態度で、その関係を整理する必要があるというのが、私の考え方です。
 
それが結局、自分を大切にすることだと思います。
 
 
よくある相談事例で、ダブル不倫中の、彼氏との関係がこじれているというケースがあります。本人は旦那さんとの関係改善はもうあきらめていて、彼氏に救いを求めている。でも、その彼氏が浮気をし始めた、というような話です。
 
私はこういった場合でも、相談者の方を責めたりする気は、まったくないのですが、
 
しかし、心理学の原則から言って、元の旦那さんとの間でちゃんと解決できていない問題が、形を変えて彼との間に現れているに過ぎませんから、今闘っている問題は、幻影・分身なんですね。本当の問題は、旦那さんとの間に横たわっている。
 
こういうケースでは、本人は意識的には彼との関係をどうにかしようともがくわけですが、どんなにそれをやっても、残念ながら問題の本体は、旦那さんとの関係をきちんと保つことが出来ていない、心のクセにあるわけです。あるいは、そういった問題を解決せずに放置しておく心の弱さ、と言い換えてもいいでしょう。
 
図解すると、こういう感じです。
もともと、自分と夫の関係が悪化しても、どうにもならないとあきらめています。
また、彼にも奥さんがいたりするのですが、それもあきらめて受け入れています。
(このあたりで既に、問題アリの姿勢なのです。そこに気づく必要があります。)

 
表面的に悩むのは、大抵の場合「新しく現れた女性と彼の関係について」です。
しかし、この問題は、これまで放置してきた問題が見せている幻影にすぎません。本当の問題が分身して出てきた、倒しても倒しても終わりがない問題です。

 
残念ながら、分身をいくらやっつけても、本体が消えない限り、何度でも同じ問題が立ち現れます。
本体というのは、問題を放置したり、相手との本当の絆を作れなかったりする、心の問題です。腹をくくって、自分の心のクセを治すことにとり組むことがなければ、この手の問題は永久に解決しません。
 
セラピストとして誇りを捨てれば、こういう方からたくさんお金を巻き上げることも出来ます。
(言葉が悪くてすみません)
問題の本体ではなく、分身、つまり永久に解決できない問題に目が向いている方の場合、何度でも相談にいらっしゃるわけです。だから、セラピストが誇りを捨てれば、分身をやっつける(彼との関係を少しは良くする)ことに手を貸してお金を受け取り、何度も何度も通ってもらえば、稼げるわけです。
 
もしこれをお読みになっているあなたが、占い師さんやカウンセラーさんに長いこと通っても、次々と新たな問題が立ち現れて、いつまでも解決しないという経験をしたことがあるなら、本体に立ち向かっていなくて、分身を倒し続けていたのです。

こういう無限ループにはまっていることに気づいてほしくて、これを書いています。
 
私はそういう、本質的に何の解決にもならないことをするのは職業倫理に反すると考えているし、まったく建設的でないと思うので、ズバッと
 
「その問題は旦那さんとの間での未解決の問題が、形を変えて現れているだけですよ。本当の問題にとり組まない限り、解決はしないと思います。」
と伝え、問題の本体に切り込むことを提案することにしています。
 
分身に対処している方が楽なのです。しかし良薬口に苦し。問題の本体に切り込むのは苦痛が伴うこともあります。今まで痛くて怖くて避けてきた行動パターンを、いまこそ勇気を出して取り入れなければならないという話になるわけですから。
 
今はまだ関係を整理出来ない、という答えはありだとしても、永久に整理出来ない、という答えは、どろどろした男女関係の中で一生を過ごすことと同義ですから、やはりどこかの段階で勇気を出して、真実と向き合ってほしいと願っています。
 
そして、本当の問題にとり組む痛みから一時的に逃れる「痛み止め」として彼を利用していることに気づいてください。痛み止めはいつか、やめなければいけません。
痛み止め(寂しくて死にそう、孤独で耐えられないなどの痛みを緩和する)の役割を、一旦セラピストに預けていただき(セラピーにしばらく通う)、その間に、本当の問題にとり組んでほしいと、心から願っています。
 
その問題は一種の依存症ですから、ぜひ、断ち切ってください。

“自分が二股やW不倫をしていてこじれた場合は・・・” の続きを読む

問題だらけの人生は、「共依存的人間関係」から生じる

 

私の人生は複雑で・・・
テレビドラマみたいに、ドロドロのことがいつも起きて・・・
ひとつ問題を片付けても、モグラ叩きみたいに次々問題が起きて・・・
 
人生が問題だらけで複雑なとき、たぶんそれは、根っこを解決していないから、問題が形を変えて再発し続けているだけです。本当の問題を解決することが、何よりも大事です。
 
たとえて言えば、水ぼうそうにかかっている。(まあ水ぼうそうはしばらくすれば普通は自力で治りますが)
発疹が出た →ファンデーションで隠そうとする。
熱が出た →解熱剤で下げようとする。
だるい →カフェイン入りの栄養ドリンクで元気を出そう!
 
・・・間違ってますね。
 
よく寝て、医師の処方によりますが、抗ウイルス薬などを使用して、免疫力と薬の力で根治を目指します。まあ、普通の考え方ですね。もちろん、皮膚を保護するなどの対症療法も、痕が残らないためには大切ですね。
 
 
人生の問題も同じです。
表面的な対症療法【だけ】を続けていても、ダメなんですね。
 
 
問題がたくさん起こるように思える場合、根本的な対策というのは、
 
★今すぐ認めたくないかもしれませんが★
 
あなたと、周囲の人間との共依存的な関係を断ち切る、ことにある場合が多いです。
 
依存的で、他人の領域に踏み込んでくる人間と、自分の領域を明け渡してしまい、ついつい他人の言いなりになってしまうあなた。そんな一方的な関係が成立してしまっているとしたら、そういう人間関係の周囲ではトラブルが多発しても、不思議ではありません。
 
さらにもっと掘り下げると、何か起きたときに自分を責めるような心のあり方を持っていると、他人との関係が一方的になりがちです。
 
つまり、
・自分が攻撃されたり、利用されたりするのを【容認】してしまう、あきらめた心
  →そういう「弱い」人間を利用する人たちが寄ってくる
    →寄ってきた「依存的」な人たちを、振り払うことが出来ない
      →共依存的な人間関係が成立(徐々に進行し、成立に何年もかかることもある)
        →一旦こうなると、泥沼のトラブルが多く発生する
 
という順番で、物事が起きている、ということです。
 
最も根っこの部分、自分の心のあり方を変えていくことなしには、表面に現れた人間関係の問題をひとつひとつ解決しようと躍起になっても、まるでモグラ叩きのモグラのように、次々と問題が立ち現れてきて、対処のしようもないのです。
 
もちろん、心のあり方を変えるためには、おそらく経験したであろう、過去の辛い体験を、もう一度整理しなくてはいけませんし、共依存的な人間関係を、最終的には断ち切らなければいけません。断ち切るというのは、一番うまく行って、距離をとるという意味です。どうしてもうまく行かない場合は、文字通り縁を切ることになる場合もあります(大抵は自然にそうなります)。
 
問題が多くて、モグラ叩きのように見える場合は、ひとつひとつのことに対処するのはほどほどにして、根本の問題つまり、共依存的な人間関係を整理することと、それを甘んじて【容認】してしまっている自分の心を変えることに、真剣に取り組んでほしいと思います。

“問題だらけの人生は、「共依存的人間関係」から生じる” の続きを読む