性癖を直す(2)|恋愛ドクターの遺産第2話

「先生、これって、治るものなんですか?」
なつをは相変わらず、恋愛ドクターAに食ってかかるような口調で質問していた。
「それはまだ分からない。」

「性的な嗜好は変えられない、と、先生が薦めてくれた本に書いてありましたよ!」
「だからまだ、分からないと言っているじゃないか。そもそも、君はいつも、クライアントを見ていない。本の内容ばかり振りかざす。その姿勢はダメだと、前も言ったばかりですよ。」
「いや・・・だから・・・その・・・」
なつをは口ごもった。また言ってしまった。どうしても自分は思ったことを口に出さずにいられない。自分だって先生が言っているような、まだハッキリとは分からない、ということは、分かっているはずなのに、先生の態度を見ているとどうしても口を出さずにいられなくなる。そして毎回先生とこういう不毛な議論になるのだ。

今回のクライアントは、先生が「まいくん」と呼んでいる男性だ。舞鶴研一。研くんとか研ちゃんのほうが普通の呼び名のようだが、苗字が珍しいせいか、昔からまいくんと呼ばれているらしい。親しく呼ぶのが好きな先生は迷わず「まいくん」と彼のことを呼んでいる。「くん」付けだが、彼は50代半ばだ。短く刈っている髪にはだいぶ白いものが混じっている。
まいくんも、妻と離婚しそうだということで相談に来た。まいくん自身が浮気をしてしまったため、妻と別居中とのことだった。

実はまいくんの妻は、浮気自体には、比較的寛容な考えの持ち主だ、ということがまいくんの話から分かった。もちろん、家庭を壊すような浮気は困るけれど、いっときの気の迷いや、夫婦二人でずっと向き合い続けていく息苦しさから、一旦外に目を向けるようなことは、積極的にしようとはさすがに思っていないが、必要悪、ぐらいには捉えているようだった。
にもかかわらず、まいくんが離婚の危機に直面している理由は、まいくんの、ある、性的な嗜好にあった。まいくんは「ほくろフェチ」なのだ。女性の鎖骨のあたりにほくろがあると、とても興奮して、その女性と関係を持ちたくなってしまう(し、実際にそうしたことで、今の問題が起きている)。逆に、鎖骨のあたりにほくろがない女性には、あまり魅力を感じないのだ。

「先生、ほくろフェチを治そうなんて、本当に出来るんですか?」
なつをは先生に向かって、そう質問した。

「はぁ・・・」ドクターはため息をついた。

「前も君には言いましたが、『ほくろフェチ』について君はどれだけ分かっているのですか? 問題がどういうものなのか分からないうちから解決策を考え始めて、いい案が出てくるわけないでしょう? まいくんのほくろフェチとは、どういう感覚の症状のことを言うのか、君は、どれだけ理解しているのですか?」

また言われてしまった。なつをは思った。そうなのだ。私は単に鎖骨のあたりにほくろがある女性を好きになるという、まいくんのパターンだけを見て、分かった気になっていたのだ。でも、実際まいくんがどんな感覚でほくろのある女性を見ているのか、逆に、どんな感覚でほくろのない女性を見ているのか、全く知らなかった。

「知らないことは罪ではない。」これは以前先生に言われた言葉だった。そう、どんなに性格が似ていても、どんなにそれまでの人生経験が似ていても、他人は他人。他人の考えや感じ方が分からないことは、ある意味仕方がない。でも、無知であることを認めて、知ろうと努力をすることが大事なのだ、と先生は常に言う。全くその通りだと思いながらも、いつもまた、こうして先生に指摘される展開になる。

「全然分かっていません。でも、どうしたら分かるんですか? 私、なんとかフェチとか、自分にはあまりないと思うんです。だから、なんとかフェチの人の気持ちが分かりません。」

「訊けばいいんですよ。本人に。訊けば済むことを勝手に推測するなんて、百害あって一利なしです。」

なつをは以前、自分の悩みが深かった頃、色々なカウンセラーのところにも通ったし、スピリチュアル系のいわゆる「ヒーラー」と名乗る人にもお世話になったし、占い師の先生も何人もはしごした。その結果、色々な相談業を比較できるほどの経験を得た。その中で、ひとつ言えることがある。この先生は、本当に、占い師的な「天の啓示が降りてくる」的なことを一切しないのだ。占い師は、相談者には見えない何かが「見え」て、それを教えてくれる人、というイメージがある。全ての占い師がそういう意識なのかは分からないが、少なくとも受けに行く側は、自分には見えない何かを見てもらうという意識があるだろう。カウンセラーやセラピストと名乗る人にも、そういった、自分は「見える」ということを標榜し、受けに行く側もそれを期待している、という人は多い。でも、先生はどこか、そういった「見える」ことを見下している感じを持っている。以前「それで?見えたからどうだというんですか?」と明確に否定していた。そして今回も、本人に訊けばいい、と。
そろそろ今日も、まいくんが来る時間だ。

(つづく)

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