第2話 性癖を治す」カテゴリーアーカイブ

性癖を直す(4)下|恋愛ドクターの遺産第2話

休憩時間は、皆、無言だった。なつをが持ってきた温かい麦茶をすする音だけが聞こえていた。
休憩後、再びセッションが始まった。ここでなつをは、なぜ休憩を挟んだのか、その意味がよく分かった。やはり先生はクライアントの負担を考えたのだ。

「あの、先ほどのお話の中で思ったんですが、ほくろのある女性を『好き』というのとは、何か違うな・・・と感じたんですよね・・・」

「えぇ、言われてみるとそうかもしれません。ステキだな、好きだな、という感覚とは、確かに違っています。なんと言うか・・・引き込まれる、吸い込まれる、あ、そうそう、視界が狭くなる感じもあります。」
「へぇ、そこに引き込まれて、吸い込まれて、視界が狭くなる・・・と。」
「はい。」

まいくんは、しばらく天井の方に目を向けていた。そして、こう言った。
「カミサンと出会ったときも、少しだけそういう感覚がありました。今関係を持って・・・いや、今はもう別れているんですが・・・その女性との時は、この感覚です。かなり吸い込まれる感じでした。」

「何か気になりますね、その感覚。」

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性癖を直す(4)上|恋愛ドクターの遺産第2話

「まいくんが、鎖骨のほくろに興奮するときの感覚を、できるだけ詳しく、言葉にしてみてほしいんです。」
ドクターは言った。

「えぇと・・・」五十代半ばのまいくんが、少し恥ずかしそうにした。
ドクターはその変化を見逃さず、すかさずこう付け加えた。
「もし・・・不倫相手とか、そうですね、一般的には不適切な関係のことをどうしても扱わなければならない場合でも、この場では「何を言ってもいい」というルールでやりますし、守秘義務は守りますので、ぜひ、心に一番正直になって、話して下さい。」

「はい。実は、そうなんです。最近ほくろに興奮したのが、その相手なので・・・」
「このセッションの中では、何さんとお呼びすればよいですか? イニシャルなどでも構いませんが。」
「みちこ・・・なのでMでお願いします。」
「では、Mさんですね。いままいくんは何を思い浮かべていましたか?Mさんの鎖骨のあたり?」
「はい。そうです。そこにほくろがあって・・・手を触れて・・・」
「そう、そのときに、どんな感覚がありますか? 今度はまいくん自身の感覚を探って下さい。」

まいくんは、目を閉じて、自分の感覚を探っているようだった。
「まず、意識がほくろのところに『ぎゅーっ』と吸い込まれるような、引き込まれるような感じです。そこに吸い付きたくて、食いつきたくて、居ても立ってもいられないような感じ・・・あ、この感じは、遠足の前の日にそわそわしてしまうときの感じを100倍ぐらいにしたみたいな感じです。」
「その、そわそわする感じは、体のどの辺で一番強く感じますか?」
「ええと・・・胸のあたりかな・・・ですね。あっ、それと、腰のあたりというか下腹というか、この骨盤の中のあたりなんですけど、じわーっと、独特の気持ちよさというか温かさを感じます。言うのはお恥ずかしいですが『勃ってくる』ときに感じる感覚と言いますか・・・」
「なるほど。結構頑張りましたね。なかなか、上手に表現したと思いますよ。」
「ありがとうございます。」

(でも結局、ほくろに興奮する、という話じゃないの)なつをは思った。ほくろに興奮するのが彼の性癖なのだったら、もうそれは、変えられないものではないのか。先生は細かく色々訊いているけれど、それを訊いたからといって、何かが解決できるとは思えなかった。でも、先生が考えている道筋は、今まで、大抵の場合正しかった。つまり今も、先生は何か考えているはずなのだ。それが何なのか、なつをには想像もつかなかった。自分と先生の観察力、洞察力の差があまりに大きいことに、なつを愕然とした。

「ちょっと5分ぐらい休憩しましょう。」ドクターが言った。

珍しいな。なつをは思った。セッション中に先生が休憩を提案することは珍しい。先生は思考能力が高い人だし、根性も持続力もある。先生自身が疲れて休憩する、ということは見たことがない。(もしかすると、クライアントの負担を考えたのかもしれない)なつをはそう思った。

(つづく)

性癖を直す(3)|恋愛ドクターの遺産第2話

そろそろ今日も、まいくんが来る時間だ。

・・・

「こんにちは、先生。」
「まいくん、こんにちは。」

お互い穏やかに挨拶をして席に着いた。

「まいくん、今日はまいくんの『フェチ』・・・つまり現在夫婦問題の中心課題になっているそれですが・・・それについてお話をしたいと考えているんですが・・・」
「はい。私もそうして頂きたいと思います。」
「ですが、その前にひとつ、確認したいことがあるんです。」
「何でも聞いてください。」
「それは、もしまいくんが、女性の鎖骨にあるほくろに興奮するのでしたら、奥さまの鎖骨にもほくろがある、ということなんでしょうか? だとしたら、なぜ奥さまのほくろには反応しなくなったのか。逆に、ほくろがない、ということでしたら、じゃあどうして、奥さまのことを好きになったのか、という疑問が湧いてくるわけです。」

なつをはちょっと赤面してしまった。いきなり生々しい会話が始まった。ほくろに興奮するかどうかの話だ。なんだか、自分の鎖骨も見られているような気がして恥ずかしくなってしまった。もちろん白衣を来ているし、その下にも色々着込んで隠れているので、実際には見られるはずがないのだが。

「実は先生、妻の鎖骨には、結婚前にはほくろがあったんです。でも、いつの間にか薄くなっていって、今ではほとんど見えません。その頃からですね。他の女性を求めたくなってしまったのは。」
「なるほど。まいくんが魅力を感じていた「ほくろ」を、奥さまは、かつては持っていた。でも、次第に消えてしまった。なかなか悩ましい展開ですね。」
「そうなんですよ。自分でも、こんな風になるなんて、想像もしていませんでした。」
「奥さまは、まいくんがほくろフェチであることをご存知なのですか?」
「はい、知っています。知っているからこそ、自分のほくろが消えてしまったことに責任感を感じてもいるようで・・・でも、ほくろなんて頑張っても濃くできるものでもありませんし、責任を感じる必要はないのですが・・・」
「そうですね。でも、現実問題、ほくろがないと、まいくんが自分に・・・この表現が適切か分かりませんが・・・『女』を感じてくれない。その事実は、重くのしかかっているわけですよね。」
「はい。お互い辛いけれど、どう解決していいのか分からないんです。」

なつをがここで割って入った。
「つけぼくろをしてもダメなんですか?」
ドクターとまいくんが同時になつをの方を見た。

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性癖を直す(2)|恋愛ドクターの遺産第2話

「先生、これって、治るものなんですか?」
なつをは相変わらず、恋愛ドクターAに食ってかかるような口調で質問していた。
「それはまだ分からない。」

「性的な嗜好は変えられない、と、先生が薦めてくれた本に書いてありましたよ!」
「だからまだ、分からないと言っているじゃないか。そもそも、君はいつも、クライアントを見ていない。本の内容ばかり振りかざす。その姿勢はダメだと、前も言ったばかりですよ。」
「いや・・・だから・・・その・・・」
なつをは口ごもった。また言ってしまった。どうしても自分は思ったことを口に出さずにいられない。自分だって先生が言っているような、まだハッキリとは分からない、ということは、分かっているはずなのに、先生の態度を見ているとどうしても口を出さずにいられなくなる。そして毎回先生とこういう不毛な議論になるのだ。

今回のクライアントは、先生が「まいくん」と呼んでいる男性だ。舞鶴研一。研くんとか研ちゃんのほうが普通の呼び名のようだが、苗字が珍しいせいか、昔からまいくんと呼ばれているらしい。親しく呼ぶのが好きな先生は迷わず「まいくん」と彼のことを呼んでいる。「くん」付けだが、彼は50代半ばだ。短く刈っている髪にはだいぶ白いものが混じっている。
まいくんも、妻と離婚しそうだということで相談に来た。まいくん自身が浮気をしてしまったため、妻と別居中とのことだった。

実はまいくんの妻は、浮気自体には、比較的寛容な考えの持ち主だ、ということがまいくんの話から分かった。もちろん、家庭を壊すような浮気は困るけれど、いっときの気の迷いや、夫婦二人でずっと向き合い続けていく息苦しさから、一旦外に目を向けるようなことは、積極的にしようとはさすがに思っていないが、必要悪、ぐらいには捉えているようだった。
にもかかわらず、まいくんが離婚の危機に直面している理由は、まいくんの、ある、性的な嗜好にあった。まいくんは「ほくろフェチ」なのだ。女性の鎖骨のあたりにほくろがあると、とても興奮して、その女性と関係を持ちたくなってしまう(し、実際にそうしたことで、今の問題が起きている)。逆に、鎖骨のあたりにほくろがない女性には、あまり魅力を感じないのだ。

「先生、ほくろフェチを治そうなんて、本当に出来るんですか?」
なつをは先生に向かって、そう質問した。

「はぁ・・・」ドクターはため息をついた。

「前も君には言いましたが、『ほくろフェチ』について君はどれだけ分かっているのですか? 問題がどういうものなのか分からないうちから解決策を考え始めて、いい案が出てくるわけないでしょう? まいくんのほくろフェチとは、どういう感覚の症状のことを言うのか、君は、どれだけ理解しているのですか?」

また言われてしまった。なつをは思った。そうなのだ。私は単に鎖骨のあたりにほくろがある女性を好きになるという、まいくんのパターンだけを見て、分かった気になっていたのだ。でも、実際まいくんがどんな感覚でほくろのある女性を見ているのか、逆に、どんな感覚でほくろのない女性を見ているのか、全く知らなかった。

「知らないことは罪ではない。」これは以前先生に言われた言葉だった。そう、どんなに性格が似ていても、どんなにそれまでの人生経験が似ていても、他人は他人。他人の考えや感じ方が分からないことは、ある意味仕方がない。でも、無知であることを認めて、知ろうと努力をすることが大事なのだ、と先生は常に言う。全くその通りだと思いながらも、いつもまた、こうして先生に指摘される展開になる。

「全然分かっていません。でも、どうしたら分かるんですか? 私、なんとかフェチとか、自分にはあまりないと思うんです。だから、なんとかフェチの人の気持ちが分かりません。」

「訊けばいいんですよ。本人に。訊けば済むことを勝手に推測するなんて、百害あって一利なしです。」

なつをは以前、自分の悩みが深かった頃、色々なカウンセラーのところにも通ったし、スピリチュアル系のいわゆる「ヒーラー」と名乗る人にもお世話になったし、占い師の先生も何人もはしごした。その結果、色々な相談業を比較できるほどの経験を得た。その中で、ひとつ言えることがある。この先生は、本当に、占い師的な「天の啓示が降りてくる」的なことを一切しないのだ。占い師は、相談者には見えない何かが「見え」て、それを教えてくれる人、というイメージがある。全ての占い師がそういう意識なのかは分からないが、少なくとも受けに行く側は、自分には見えない何かを見てもらうという意識があるだろう。カウンセラーやセラピストと名乗る人にも、そういった、自分は「見える」ということを標榜し、受けに行く側もそれを期待している、という人は多い。でも、先生はどこか、そういった「見える」ことを見下している感じを持っている。以前「それで?見えたからどうだというんですか?」と明確に否定していた。そして今回も、本人に訊けばいい、と。
そろそろ今日も、まいくんが来る時間だ。

(つづく)

性癖を直す(1)|恋愛ドクターの遺産第2話

第一幕 メール

ゆり子は、手元にプリンターから出力した「資料」を1センチメートルぐらいの厚みに積み上げていた。夫との関係を修復するために、インターネット上から情報収集したもののうち、役に立ちそうだと思った記事をプリントアウトしたものだ。

(厳選したけれど・・・それでもこんなに沢山あるのか・・・)

この「資料」は、A4サイズの紙で、脇から色とりどりのふせんがはみ出ている。ゆり子は、一度は「もう無理」と思って夫との関係改善をあきらめたけれど、恋愛ドクターのノートを読んでいるうちに、ふと心が軽くなって、夫にしがみつく気はないけれど、やるだけやってみるかな、という気持ちになっていた。

ゆり子は、夫宛に、久しぶりに長いメールを書いた。これまでは「ごはんいる?」「何時?」みたいな、メールと言うよりチャットのような短文や挨拶文だけのメッセージが多かったので、少し時間がかかった。

幸雄さん
こんにちは。最近会話がなくなってしまったから、こうしてメールを書くのも少しヘンな感じです。今日もお仕事大変ですね。お疲れさま。いつも、家族のため、そして社会のために働いてくれてありがとう。
今日は、さくらが、お友達と一緒に遊ぶときに、上手にリーダーシップを発揮していた、とリナ先生に褒められました。親にとってはいつまでも小さい子ども、と感じるけど、少しずつ成長しているみたいです。
ごはんは、いつも通り用意しておきます。体に気をつけて、今日も頑張ってね。
さくらは幼稚園児。ゆり子たち夫婦の一人娘だ。ゆり子はこのあとさらに、過去の楽しかったこと・・・具体的には幸雄さんと一緒にディズニーランドに行った思い出や、一緒に行った温泉の話など・・・を続けて書いていたのだが、なんとなく違和感があって、今回は送らないことにして削除した。ネット上の「男女関係修復のテクニック」の中には、「ふたりが楽しく過ごした頃の思い出の話をする」というアドバイスもあった。そのページには何枚もふせんが貼られ、蛍光マーカーで線が引かれていた。
(でも・・・)ゆり子は、マニュアル通りに行動することに、なぜか違和感を感じていて、結局今現在の、夫への感謝の言葉と、さくらの近況報告だけを送ることにしたのだった。

幸雄からは、1時間ほどして返事が返ってきた。

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