氏か育ちか。偏らないものの見方の大切さ

対人関係(恋愛も含む)で、
いつも特定のタイプの相手を引き寄せているとか、
いつも同じような展開を作って、関係をこわしてしまうとか、
好きな人からは好かれず、どうでもいい人から好かれるとか、

何か、うまく行かないパターンを持っていて、
そのパターンが、どうも自分に帰属しているな、
(=自分はそのパターンを繰り返していて、相手は自分と別れたあと、意外とうまく行っている、としたら自分要因が大きい可能性が高いです)

そんな状況があるとき、
おそらく、うまく行かない原因は、自分の中にあります。

私、ごまかしは嫌いなので、ハッキリ言ってしまいますが、やっぱり自分に原因があるときってのは、あるんです。

但し、そこから先、一体自分の何が原因なのかということになると、結論を出すのは、そう簡単ではないですね。

私たちはついつい、目立つところにある原因に飛びついてしまいがちですが、

(目立つところというのは、直前に何か一言言って関係をこわしてしまったら「あの一言がいけなかった!」と反応したり、たまたま本屋で見た本の中に「愛着障害」と書いてあったので「私は愛着障害なんだ!」と反応してしまったりと・・・要するに印象の強いものを原因だと判断してしまうということです。)

私が問題の原因を推測するときには、
ざっくり大きく分けて、以下の6つのどれに当たるのか、
そこから考え始めることがあります。

(1)トラウマ(ハートブレイク)
これを想定するのはセラピーの基本。何かショックなことがあって、傷ついて、もう二度とそんな思いをしたくないので、似た状況がやってくると極端な感情的反応が出る。
しかし、純粋に「トラウマ的反応だけが原因」というパターンが成立する条件が意外と狭く、「1本人の精神的成熟度がそこそこある」「2その出来事が起きるまでは、安定して、安心して生活していた」「3トラウマになる、強烈な出来事が起きた」「4その後、その感情を封印してしまった(話す機会がなかった)」の全てを満たしている必要があります。なかなかないんですよね。(相談経験上、たまにはあります)

(2)愛情飢餓
トラウマが強烈な負の感情を抱えてフタしてしまって・・・という課題で、たとえるなら毒を飲んでしまった的な問題なのに対してこちらは、ほしい関わりが「もらえなかった」という「心の栄養失調」的な問題です。相談経験上、このテーマが中心課題のことは、比較的多いです。

(3)偏った信念
「男は必ず裏切る」「結婚するなら絶対公務員」という他者や状況に関する偏った信念もありますし、「私は常に嫌われる」「私は物事を必ず途中で失敗する」など、自分自身に関する偏った信念(セルフイメージ)もあります。
こうした、偏った信念を持ってしまっていることは、比較的多いです。いや、生きている限り私たちは偏った信念から自由にはなれないと言っても良いでしょう。そのぐらい、人間は偏った信念をいっぱい持っているものではあります。
但し、相談経験上、偏った信念が中心課題・最重要課題になっていることは、それほど多くないです。というのも、次項で述べるように未解決の感情にフタをするために、偏った信念で防衛しているケースが結構多いからです。その場合、信念を直そうというアプローチは徒労に終わりやすく、むしろ未解決の感情を解消する取り組みの方が有効です。

(4)未解決の感情(未完の仕事)
未解決の感情というのは負の感情が解消されていないという意味では、「トラウマ」と似ています。子供の頃、親が(何らかの理由で)弟だけを可愛がっていたとします。
そういう体験をしたときに、私たちは「悲しい思い」を持ちます。同時に、その状況を理解し、受け入れるために「理由付け」をすることがあります。たとえば「私は可愛くないんだ(だから仕方ない)」など。(←偏った信念のできあがり)
こういう場合、信念の方を治すのではなく、自分以外の兄弟姉妹ばかり可愛がっているという状況に対して「悲しい!」「腹立たしい!」という感情をちゃんと感じて表現すること、つまり「未解決の感情を解決する」ことの方が心の課題の解決のためには、重要です。

(5)個性(うまれつき)
ここまでで挙げた原因の全てを考慮しても説明がつかないとき、私は、個性の問題について考えます。
「トラウマ的経験はないけれど、生まれつき感情が繊細で、男性に対して怖いという想いを持ちやすい」とか、
「愛情飢餓の経験は、どう考えてもなくて、家族も仲良かったし、温かい雰囲気の食卓もあったし、親にも大切にされた。でも、寂しいと感じやすく、恋愛となると依存しやすい私」とか、
「よく『自立している』と言われるが、子供の頃から『感情』より『思考』優先の性格で、気持ちを感じることより、「何が起こったのだろう?」「なぜそうなったのだろう?」と物事を理解する傾向が強く、大人になった今でも、そういう傾向は続いていて、ときどき『冷たい』とか言われる。」とか、
そういった、「生まれつき○○である」「三つ子の魂百まで的に、△△である」みたいな要因を持っている、という課題のありようのことです。

(6)習慣
この区分けは、少し他の区分けと違う意味合いがあります。トラウマ的、愛情飢餓的、偏った信念的、未解決の感情的、課題があったとき、その大きな原因となった体験が、子供時代には「ない」という場合がこれに当てはまります。
典型的には、たとえば・・・自分の恋愛依存的な症状で困っている女性がいたとします。幼少期の家庭環境はどう考えてもよい環境で、学校も楽しく行っていて、大きなトラウマ的出来事もなく生きてきた。但し、大学に入ってからひとり暮らしが始まり、ひとり暮らし歴が長くなるにつれ、次第次第に「寂しさから恋愛相手に依存する」パターンが悪化していった。なんてケース。

(番外)本人の問題ではない
このコラムの主旨は、「自分に原因があるとき」その原因をさらにどう分析していくべきか、ということなので、番外としましたが、
たとえば十代で(まだ人を見る目も十分でない未熟な自分が勢いで)結婚したけれど、夫はインナーチャイルド的課題の大きい、典型的な浮気症で、浮気を繰り返している。という場合、これは正直、本人(妻)の問題ではないので、妻が自分を変える努力をしても、効果は限定的です。相手の問題なんですね。相手はそう簡単に変えられないというのを前提として、「私はどう行動していくか」という話になるわけです。

(1)トラウマ(ハートブレイク)
(2)愛情飢餓
(3)偏った信念
(4)未解決の感情(未完の仕事)
(5)個性(うまれつき)
(6)習慣
(番外)本人の問題ではない

まあ、ざっと分類しただけで、原因のパターンは、このぐらいはあるわけです。当然、それぞれ取り組み方も違うので、原因分析を外してしまうと、努力したけれどなかなか解決しない、というパターンにはまってしまいかねません。

ですので、私はお話を伺うときに、何が原因かを想定すると同時に「本当にその原因だと結論づけていいのか?」ということをかなり何度も何度も自問します。それでも、完全には確信を持てないこともありますし(そういう場合は「ここまでは分かったが、ここから先は結論を出せない」と正直に言います)、きっと、間違っていることもあるでしょう。

相談業をしている人は、色々なこだわりポイントがあると思います。
「気持ちを受け止めることを何より大切にしている」というセラピストは結構多いと思います。

私のこだわりポイントはこうです。

「あづまさんは、決して共感力が高いわけでもなく、(←努力はしてます)
行動課題も、難しいこと言うし (←言わないように努力はしてます)
セッションはなかなか、大変だったけど、
分析は、確かに全部当たってたなぁ

そう言われたいと思っています。
もちろん、他の要素も、良かったと言ってもらえたら、そりゃすばらしいけれど、他を全部捨てて、最後に一個だけ、残すポイントがあるとしたら、

分析は、全部当たってたなぁ

ですね。

ではまた!

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