シングルを卒業(11)|恋愛ドクターの遺産第5話

「今度は、過去のことを質問します。今の感覚と同じ、あるいはとても似ている感覚を、過去に経験したことはありますか?なるべく古い経験を、頑張って思い出してみてください。」

みさおは一瞬体を「びくっ」とさせて、それからゆっくりと答えた。「あの・・・家に父がいて、機嫌が悪い時の感じに似ています。」
「なるほど。お父様がいらっしゃって、しかも機嫌が悪い、と。その時に・・・ええと、みさおさんは何歳ぐらいでしたか?」
「5歳ぐらいだと思います。」
「なるほど。5歳ぐらいのみさおさんが感じていた感覚と、仕事でプレッシャーがかかった時に感じる緊張感は、似ている、と。」
「はい。ほとんど同じ感じです。」
「そしてそれは、前回から扱ってきている『安全の感覚が足りない』というテーマに沿っている感じですかね?」
「はい、まさに、安全の感覚がないです。」
「どうやら、そのあたりがこの問題の根っこのようですね。」
「そうなんですね、やっぱり父のことだったんですね。」
「そうですね。お父様から受けた影響は、そういう意味では大きかったということです。」

「はぁ・・・やっぱりお父さんか・・・」みさおはため息をついた。もううんざりだという様子だ。

ドクターは、みさおのそんな様子にはおかまいなしに、質問を続けている。
「みさおさんは、お父様のような人の逆、つまり、場の安全を作り出してくれる人、公正さを大事にしていたり、人を大切にしていたり、そんな人を、ここしばらく観察してきましたね?」
「はい。職場にも何人かいますし、友達の中にも・・・女性ですけど・・・何人かいました。」

「では・・・」ドクターは少し間を取って、そして言った。「これから、過去の印象を変えるワークを行っていきます。一度深呼吸をしてみましょう。」そう言ったあとに深呼吸をした。
「はい。」みさおも深呼吸をした。
「それでは、こちらに」そう言いながら部屋の一角を手のひらで示した。「過去の世界があるとイメージして下さい。」
「はい。」
「こちらには、あの当時のみさおちゃん・・・でいいかな?」ドクターはそう言いながらみさおの方をチラッと見て、みさおがうなずくのを見て続けた。「みさおちゃんがいるとイメージして下さい。ここには、お父様もいます。」
「はい。」みさおの表情がこわばり始めた。
「ちょっとこの世界に近づいてみて・・・」そう言いながらドクターは、「過去の世界」への窓ガラス・・・実際には何もないが・・・に手を当てながら顔を近づけて向こうの世界をのぞくようなしぐさをした。「どんな感覚があるかを、感じてみて下さい。」
「はい。」みさおもドクターの真似をして、同じしぐさをした。「とても嫌な感じです。」
「そうですよね。この世界の明るさは、どうですか?」
「暗いです。」
「空気の温度は、暖かいですか、肌寒いですか?」
「寒いです。」
「空気の重さは、軽いですか、重いですか?」
「重くて、張り詰めた感じで、痛いです。」
「では、この世界から離れてください。」
「はい。」みさおは過去の辛い世界から離れられてほっとしたように見えた。
「お疲れさまでした。ちょっと一度深呼吸しましょう。」ドクターはそう言って自分も深呼吸をした。
「はぁーーーー」みさおは深呼吸ともため息ともつかない、大きな息を吐いた。
「続いていきます。今度は、あの世界に足りなかったもの、つまり、この場に安全、公正さ、公平さをきちんともたらそうという人のエネルギーをイメージしていきます。」
「はい・・・どうすれば・・・」
「職場の人でも良いですし、お友達の方でも良いです。そのような人を思い出してみてください。」
「はい。」みさおは目を閉じて思い出しているようだった。
「その人たちから、安心感、安全の感覚のエネルギーを受け取っているとイメージしてみましょう。」
「はい。」
「そのエネルギーに色があるとしたら、どんな色ですか?」
「落ち着いたグリーンです。」
「グリーンですね。では、その受け取ったエネルギーを、こうして、両手の上に載せてみたとイメージしてみてください。」そう言いながらドクター自分の両手を目の前に出し、水を汲むときのような形にした。
「はい。」みさおも倣って、両手を水を汲むような形にした。
「なにか、形のようなものはありますか?」
「ええと・・・丸い形をしています。」
「なるほど。触った感じ・・・質感や温度はありますか?」
「少しひんやりして気持ちいいです。わりとずっしりした感じで、弾力のあるおもちみたいな感じです。冷やしぜんざいに入っている白玉のようなもちもち感です。」
「なるほど・・・美味しそうな表現ありがとうございます。」ドクターはそう言ってくすっと笑った。
みさおもクスッと笑った。
「では、この緑色のひんやりずっしりて、モチモチしたエネルギーをこうして両手に持ったまま、」そう言いながらドクターは「その世界」の方へと近づいていき、さらに言った。「その世界に入っていったとイメージしてみてください。」
「はい。」意を決したような表情で、みさおも、そのエネルギーを両手に持って、さきほど「過去の世界」とドクターが示した方に近づいていく。イメージの中では本当に過去の世界に入っているのだろう。表情が少しだけこわばっている。しかし、一回目とは明らかに違う。目つきにも、表情にも、どこか強さがある。

(つづく)

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