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正しいだけでは解決しない(14)|恋愛ドクターの遺産第6話

「聞きたいです。」妙子となつをが同時に言った。
「それは、始めのうちは、うまく行っていたからです。」
「えっ?」
「きっと、お母様の機嫌を取る、すると、機嫌がよくなる、すると、妙子さんもしばらくはネガティブにつき合わされなくて済むので楽になる、という、成功体験、とあえて表現しましょうか、それが、始めのうちは、あったはずなのです。」
「確かに!そうです!だから、いつの間にか、やるようになってしまったんですね。機嫌取りを。」
「ところが、このパターンが固定化してくると、今度は、お母様は、嫌なことがあると、妙子さんをはけ口にすればいいや、と、相手に当てにされるようになるわけです。」
「ほんと、その通りです!」
「相手が当てにしてくる、期待してくる・・・これは、言い換えると、依存されているということなんです。」
「そう!母は私に依存しています!」
「短期的には、効果があった方法が、長期的に見ると、逆効果を生んでいます。」
「・・・確かに、そうですね。」
「そして、人間は、短期的にはプラス、長期的にはマイナス、の行動と、逆に、短期的には少しマイナス、長期的にはプラスの行動があったときに、残念ながら、短期的にプラスで長期的にはマイナスの行動の方が習慣化されやすいのです。」
「?」なつをも妙子も、ちょっとすぐには理解できず、首をかしげていると、ドクターはさらに説明を続けてくれた。
「つまり、たとえば、ダイエットして健康になるという、長期的なプラスよりも、甘いものを食べて、血糖値も上がり、直後は幸せ感を感じるという短期的なプラスの方が、勝つ、ということです。」
「ああ、なるほど!それ分かります!」
「意識していないと、ついつい、短期的なプラス感情がある方の行動が、習慣化されやすいのです。」
「よく分かりました。」妙子が言った。

「というわけで、」ドクターが言った。「お母様からのマイナスの影響を、できるだけ小さくする、ということをまずは目標にして、お母様には、暗い話担当をしてもらって、明るい話担当の友達など、別の相手を見つける。そうやって、まずは心のエネルギー補給をしっかりやっていき、ゆくゆくは、実家を出るとか、仕事でチャレンジをするとか、そういった大きな行動が出来るような、自分の状態を作っていく。そんな方向で、取り組んでいきましょう。」
「はい!分かりました。やってみます!」

(しかし、先生がまさか「幸せでいてはいけない」という類のネガティブな指令を出すとは驚きだった。彼女の母親のように、他人が幸せだと無自覚にエネルギーを吸い取りに来る人のことを、エナジーバンパイヤというらしいが、そのエナジーバンパイヤから身を守るために「幸せでいてはいけない(但し母親の前だけ)」という指令を出した。確かに言われてみれば納得の方針だが、聞いた瞬間は耳を疑った。本来は、幸せになりましょうと言うのがセラピストの仕事だろう。)セッションが終わったとき、なつをはそんなことを考えていた。

・・・

ゆり子は、ノートを閉じた。
「おじいちゃん・・・やっぱり枠に囚われなくて、すごいなぁ。」
ゆり子が相談を受けていたら、たぶん「不倫はダメ」と説教してしまうか、説教の言葉がのど元まで出かかっているのを無理やり抑えて話すことになるだろうと思った。それでは相手は責められていると感じてしまうだろう。後半の、妙子さんのセッションも、お母さんの気持ちも、分かってあげましょう、みたいに言ってしまうだろうと思った。それでは、妙子さんはますます、貴重な心のエネルギーを、他人のために消耗してしまうのだ。

「おじいちゃん・・・」祖父の面影を思い出しながらゆり子はつぶやいた。ゆり子の覚えている祖父は、ノートの中に出てくる恋愛ドクターのような切れ者ではなく、優しくて、楽しくて、暖かい存在だった。一緒に遊んでもらったことをよく覚えている。そんなおじいちゃんが、ノートの中では頭脳明晰、人間関係の問題を次々と解決していく。大好きだったおじいちゃんが実はそんな別の一面を持っていたなんて・・・もちろん悪い気はしないけれど、不思議な気持ちだった。

「でも、私なんて、まだまだだなぁ。」ゆり子はつぶやいた。おじいちゃんのすごいところは、「正しいことを言うだけでは解決しない」という言葉の意味を、最高に分かっているところだ。「正しいことを言うだけではダメ」ということを言う人の多くは、「正しいことをあきらめている」か「正しいことを半分あきらめて妥協している」かのどちらかだろう。言うなれば「正しいことを言うだけでは、どうせ、解決しない。」と言っているのだ。それに対しておじいちゃんは「正しいことを言うだけでは、うまく、解決しない。」と言っているのだ。似ているようだけど、全く違う。前者は「だから適当にやっておけ」または「だから妥協せよ」という結論につながるのに対し、おじいちゃんの取っている後者の立場は「だから、最高に有効な解決策を考えるべき」という結論につながっている。事実、祖父は最高に有効な解決策を、いつも、希求している。

こんな、頼りがいのある人と一緒に仕事しているなつをがうらやましいと、ゆり子は思った。
「なつをさん、いいなぁ。もし会えたら、おじいちゃんのこと、色々聞いてみたいなぁ。」

(第6話おわり。第7話につづく)

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正しいだけでは解決しない(13)|恋愛ドクターの遺産第6話

「でも、エネルギーがないです。いつも、疲れ切っています。」
「そう、そこなんですよ。」ドクターが言った。そしてさらに逆矢印を書き始めた。「そのために、『母親からのネガティブな影響をブロックできるようになった』こうなったらどうですか?」
なつをの目には、妙子さんの目が一瞬ギラッと鋭くなったような気がした。
「それって、もしできたら、素晴らしいですけど、そんなこと、可能なんですか?そのために、実家を出たいと思ってきたんですけど、でも、出るためには収入が必要で、そのためには心のエネルギーが必要で、今はそれが無い・・・」
「そうですね。表面的には、そういうヴィシャスサークル(悪循環)になっているように見えますよね。だから、このループのどこを断ち切るか、と考えてみたんですが、」ドクターはすでにちょっと楽しそうな言い方になっている。
「はい。断ち切れるんですか?」少し驚いた調子で、妙子が応じた。
「ええ。では、具体的な提案ですが、」そう言いながらドクターはさらに逆矢印を続けていく、「そのために、『明るいことを共有する仲間を見つける。同時に、母親には暗い話担当をしてもらう。』これはどうですか?」すでにドクターはニコニコしている。
くすっ。妙子が笑った。「あの、私、母はどうしてこんなに、暗い話担当なんだろう、っていつも思ってました。先生が私が使っている言葉と同じ表現で書かれたので、つい面白くなってしまいました。」
「そうでしたか。なら、説明は不要ですね。愚痴とか、嫌だったことの話だけを、お母様にする。そして、楽しいことを共有するのは、楽しいことが好きな、別の相手としましょう。ここへ来て話して下さってもいいですよ。でも、楽しい話を共有できる相手は、比較的見つかりやすいものですから、まあ、相手にはそれほど困らないと思いますけどね。」
「そうですね。見つけてみます。」
「でも、どうして、担当を分けるといいんですか?」
「先生、私も知りたいです。」思わずなつをも割って入ってしまった。
「そうですね。心理学の教科書に、こんなことは別に書いてないのですが、以前、新聞の人生相談のコーナーで、こういう『生きる知恵』が提案されていたことがありましたね。私も、当時まだ経験が浅かったんですが、直感で、似たような提案をしていたことがあって、なんだか、有名な先生からお墨付きをもらったような気がしたのを覚えています。」
「へぇぇ」妙子が行った。
「一応、心理学的な説明をつけてみるとすると、これは『ペーシング』ということになると思います。平たく言うと相手とノリを合わせる、ということです。怒っている人にのーんびり受け答えするとますます火に油を注ぐことがあります。むしろこちらも下腹に力を入れて、拳をぎゅっと握って、力強く受け答えした方が、相手もクールダウンしやすいんですね。他にも、柔らかい調子の人に、大声で応じたら嫌がられますよねきっと。こんな風に、相手の表面的なノリに合わせて応対する、というのはコミュニケーションの基本として、大事なことなんですね。」
「それで、ネガティブな人には、ネガティブなことばっかりこちらも言う・・・ということなんですか?」私なつをは、ついつい、また、口を挟んでしまった。
「そういうことです。まあ、これをしても、お母様のネガティブは直らないと思いますけどね。でも、妙子さんの貴重な心のエネルギーを、お母様のネガティブをなんとかしようと不毛にもがくことに使うのは、かなりもったいない。エネルギーロスだと思います。だから、こうして割り切ってしまう方が、私はいいと思いますね。」
「あ、確かに、そうです。私、母が変わってくれることを望んで、それで、そのために、母の機嫌を取ることを、ずっとやっていた気がします。母が変わってくれたら、私も楽になると思って・・・でも、逆なのですね?」

「そうですね。逆ですね。」
「先生、もうちょっと優しい言い方をしても・・・」なつをは言った。
「おっと、失礼。別に強く批判するつもりは、ないのですが。まあ、このような、不毛なパターンにはまり込んでしまう理由というか、性質が人間にはあるんですよ。」
「聞きたいです。」妙子となつをが同時に言った。
「それは、始めのうちは、うまく行っていたからです。」
「えっ?」

(つづく)

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正しいだけでは解決しない(12)|恋愛ドクターの遺産第6話

ドクターは再び、二番目の椅子を戻してきて、また元の、壁際に置いた。
「ところでここで、各椅子の、位置づけ、と言いますか、意味づけをしてみたいのですが、いま座っていらっしゃる三番目の椅子は、実際の妙子さんに即して言うと、何でしょう?妙子さんの思考や意思、といったところでしょうかね?」
「はい、そんなところだと思います。」
「では、二番目の椅子は、何でしょう?」
「私の感情、だと思います。」
「なるほど、妙子さんの感情、ですね。実は私もそう思いました。」
「感情を殺せば、楽になるのではないかと思っていたんですが、それは・・・」
「そう、それは、難しいことだし、一般的には、あまりメリットはないと思います。」
「そうなんですね。」
「そして、一番目の・・・」ドクターが言いかけたときに、妙子が割り込むようにして即答した。
「母です。」
「なるほど、お母さま。」
「ええと、このワークは一般的には、クライアントさん・・・今日は妙子さんですが・・・の心の内面を表すワークとして考えていく、解釈していくものなのですが、心の中にあるお母様の幻影、という訳ではなくて、実在のお母さま、という意味でいいのですか?」
「はい。」
「なるほど。その考え方には、私も賛成します。」
「そうなんですね。」
「ええ。妙子さんの人生そのものが、実は他人の存在によって、現在進行形で、歪められている、という構図です。」ドクターがそう言い切った。
その瞬間、妙子の表情が怒りなのか苦痛なのか分からない・・・いや、その両者が混ざった感じかもしれない・・・そんな感じに歪んだ。
「もう、嫌なんです。本当は。干渉されるのも嫌だし、いちいち愚痴を聞かされるのも嫌です。」妙子は今回のセッションでは初めて、かなりの不快感、負の感情を露わにしながら、そう言った。
「そうなんですね。本当は、お母様の機嫌取りをして、自分を押し殺して生きるのは、嫌なのですね。」ドクターが言った。
「・・・そうです。でも、家も母のものだし、私の収入ではひとり暮らしすると言っても生活できるか分からないし、結局母に合わせて生きる方がストレスが少ないから、今みたいになっているんです。生活する力がもっとあったら、実家を出ていると思います。」
「なるほど、そうですか。まあ、私は、まだよく知らない段階で無責任なことは言えませんけど、妙子さんはいずれ、それをする人、それが出来る人だと思っているんですけどね。一般的に、大体、そういうものですから。やればできるものです。」
「では、私に、実家を出た方がいいと・・・?」
「ええと、実は、提案したい方針は、少し違います。長い目で見たら、実家を出て自分の好きなところに、好きな人と住むという方針が、きっと良いと思いますけど、今すぐじゃないです。」
「では、どうしたらいいのでしょうか?」
「そう、そこのところなんですが、こんな方針はいかがでしょう。」
そう言いながらドクターは、ホワイトボードに図を書き始めた。
左上に、「いい出会いがあった」と書いた。そして「これが当面の最終的なゴールとしましょう。」そう言った。
「はい。」
その右隣に「自分らしい生き方をしている」と書いた。そして右から左へと、逆矢印でつないだ。「こうして、結果から、ゴールから発想していくといいんですよ。この矢印は、『そのためには』と読みます。いい出会いがあった。そのためには、自分らしい生き方をしている。」
「なるほど。」
「そのためには、」ドクターはさらに逆矢印を書きながら続けている。「実家を出ている。そのためには、実家を出るだけの収入や仕事の力がついている。そのためには、仕事でチャレンジするための、心のエネルギーが満ちている。まずは、ここまで、いいでしょうか?」
「仕事をもっと増やしたり、収入を上げる自信がありません。」妙子が言った。
「そうでしょうね。段取りを踏んでないですから、今は、そうは思えなくて当然だと思います。ですが、よく見て下さい。『チャレンジするための心のエネルギーが満ちている』と書きました。もし、妙子さんが、これを持っていたとしたら、どうですか?」
「もし、『チャレンジするための心のエネルギー』を持っていたら・・・職場でも、自信がないから辞退した仕事とか、色々ありました。それから、転職を考えたこともあったんですけど、自分にやりきれるかどうか分からなくて、結局今の職場にとどまったんですよね・・・確かにエネルギーがあったら、そういうときに、違う選択をしていたかもしれません。」
「なるほどね。」
「でも、エネルギーがないです。いつも、疲れ切っています。」
「そう、そこなんですよ。」ドクターが言った。そしてさらに逆矢印を書き始めた。「そのために、『母親からのネガティブな影響をブロックできるようになった』こうなったらどうですか?」
なつをの目には、妙子さんの目が一瞬ギラッと鋭くなったような気がした。
「それって、もしできたら、素晴らしいですけど、そんなこと、可能なんですか?そのために、実家を出たいと思ってきたんですけど、でも、出るためには収入が必要で、そのためには心のエネルギーが必要で、今はそれが無い・・・」
「そうですね。表面的には、そういうヴィシャスサークル(悪循環)になっているように見えますよね。だから、このループのどこを断ち切るか、と考えてみたんですが、」ドクターはすでにちょっと楽しそうな言い方になっている。

(つづく)

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正しいだけでは解決しない(11)|恋愛ドクターの遺産第6話

「では、まずは、順番に座ってみましょう。一番目の椅子に座り『Pさん』になったと想像してみて下さい。」
「はい。」妙子は真ん中に置いた「Pさん」の椅子に座った。この椅子はちょうど二番目の椅子の方を向いている。こちらは、相手の方を向いているが、相手(つまり二番目の椅子だ)は、こちらに背中を向けている格好だ。

(なんだか、Pさんがたえちゃん・・・私は心の中ではそう呼んでしまうことにした・・・に睨みを利かせている感じがするなぁ)なつをはそう思った。

このあとドクターは、なりきるためにいくつか誘導をし、質問をいくつか投げて、そして、次に移った。
「では、次に、二番目の椅子に移ってください。」
「・・・はい。」少し沈黙があったあとに、小声で妙子が答えた。
妙子は、誰が見ても明らかなほど重い足取りで、二番目の椅子に向かった。そして、ゆっくりと椅子に座った。壁の方を向いていて、ドクターにも、少し斜めに背中を向けている角度だ。背中がとても寂しく、悲しそうな感じに見える。
「その椅子に座っていると、どんな感じがしますか?」ドクターは質問した。
「とても息苦しいです。重いです。ここに居たくありません。」妙子はそう答えた。
「ちなみに、なぜこちらを向かないのでしょう。壁の方を向いているのはどうしてですか?」ドクターは質問した。
「・・・」沈黙して、答えが返ってこない。
「では、こちらを・・・正確には『Pさんの方を』向こうとしてみて下さい。どんな感じがしますか?」
妙子は体を動かして、こちらを向こうとして、すぐに、元の向きに戻った。そして言った。「そちらには、向きたくありません。」
「なるほど・・・こちらを向こうとしたら、どんな感覚がありましたか?」
「・・・重いというか、痛いというか、とにかく触れたくない感じがあります。」今までで一番動揺した声で、妙子が答えた。
「なるほど、何か、大事なポイントにさしかかっているようです。」

先生は、こういうとき、本当に頼りになる、なつをはそう思った。確かにクライアントは動揺しているし、あまり心地よくない状態なのは明らかだ。普通に、友達同士の会話なら、こういう空気になったら話題を変えるだろう。でも、これは茶飲み話ではなく、カウンセリングだ。感情がむき出しになってきた瞬間こそ、変化が起きる可能性があるチャンスでもある。もちろん、舵取りを間違えればクライアントを傷つけてしまう可能性もあり、注意が必要な場面ではある。こういうデリケートな局面に来たときに、落ち着き払っているように見える先生が、本当にスゴイ、となつをはいつも思うのだった。

「ではここで、」ドクターは続けた。「三番目の椅子に移動してみましょうか。」
「はい。」妙子はドクターの隣まで移動してきたが、そのとき、なつをの目にもハッキリと、彼女の色白の肌が、首のあたりを中心に赤く染まっていたのが見えた。きっとドクターも見逃してはいないだろう。妙子はゆっくりと、三番目の椅子に座った。
「では、『妙子さん』になってみて下さい。」
「はい。」
「そして、この状況を、客観的に見て、何を考えたか、何を感じたかを、言葉にしてみましょう。」
しばらく考えていた様子だったが、やがて妙子は言った。「あの、二番目の椅子がとても嫌な感じです。」
「なるほど。二番目の椅子がね・・・どうしたいですか?」
「なくしてしまいたいです。」
「なるほど。あれがなくなれば・・・どうなるんですか?」
「気持ちが楽になると思います。」
「なるほどそうですか。」

私なつをは、大変な違和感を感じていた、どう考えても、二番目の椅子が、フロイト流の心理学で言えば「エス」、交流分析で言えば「FC」で、彼女本人の感情、大切な感覚を表しているのは間違いないのに、彼女自身がそれを「なくしてしまいたい」と言い、先生もそれを「はいそうですか」とばかりに受け入れている。私が口を挟みそうになった瞬間、それを察したのか先生が私の方を向いた。そして強い目線で私を見すえて(睨まれた、と感じた)、無言で首を小さく横に振った。
(先生は何か意図があってこの流れを作っているのかもしれない)私はそう感じた。それで、しばらく、この違和感と戦いながらも、黙っていることにした。

ドクターは、淡々とした調子で、その二番目の椅子をワークをしているエリアから片付けてしまった。そして元の位置に戻ってきて、妙子に質問した。
「いま、お望み通り、二番目の椅子をなくしました。これで、いま、どんな感じがしますか? もしこうなったら、妙子さんの人生や、感情の状態は、良くなりますか?」
「なにか、とても空虚なものを感じます。生きている意味が全部なくなってしまうような、空虚で、無意味な感じがします。」
「そうですか。なくしたいとさっきは思ったけれど、なくしてみたら、空虚で無意味な感じになってしまった、と。そういうことですね?」
「はい。そうです。」

(つづく)

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正しいだけでは解決しない(10)|恋愛ドクターの遺産第6話

「さて、」ドクターはさらに続けて話し始めた。「三番目のキャラに行く前に、少し名前をつけておこうかと思います。」
「え!?はい。名前ですか。」
「それぞれの役に、ぴったりの名前は何かありますか?思いつかなければ、こちらでお手伝いしてつけてもいいですけど。」
「ええと、名前は思いつかないんですけど、一番目のキャラクターは、少しお母さんに似ている気がします。」
「なるほどね。それは分かります。実は、周りの人の言動や、周りの人が持っている価値観などを取り込んで自分のものにする働きが人間にはあって、それを交流分析ではペアレントのP(ぴー)と呼びます。Pをとってピーさん、なんてのはいかがでしょう?」
「はい、なんかしっくりきます。」
「では次に、」ドクターは続けた。「二番目のキャラクターにも名前を付けたいと思うんですが、たえちゃん、などはいかがですか?」
「たえちゃん・・・私、ですよね?」
「まあそうですね。親しみを込めて。」
「なんかしっくりきません。」
「そうですか、私は結構良いと思ったんですがね・・・まあとりあえず、一旦保留にしておきますか。」
「はい・・・」
「三番目のキャラクターは・・・」ドクターが言いかけたとき、妙子がかぶせるように答えた。今度は早かった。
「妙子さん、でお願いします。」
「なるほど、『妙子さん』ね。」ドクターはメモを取りながら聴いている。

なつをは直感的に思った。きっと妙子さんは、自分の名前があまり好きではないのだろう、と。そして、自分の素直な感情を表す、一番大事なキャラクターに、たえちゃん、などという、自分の愛称を付けることを、良しとしないのだろう、と。おそらく先生もそれを察しているに違いない。
そして、先回りして三番目のキャラクターに「妙子さん」と自分の名前を使ってしまうことで、二番目に「たえちゃん」と付けられることを、無意識に避けようとしているのだろう。しかしそれは、無駄な努力というもの。おそらく先生は、「妙子さん」が使用済みでも、平気で「たえちゃん」の名前を付けようとするだろう。今までも、「妙子さん」のようにかしこまった名前と、「たえちゃん」のようにくだけた、親しみを込めた名前を使い分けて、それぞれを別人格として扱ったセッションを、何度も見てきた。しかし今は、無理してたえちゃんの名前を付けたりしないようだ。二番目のキャラクターには、とりあえず名前は付けずに先に進むつもりらしい。

「では。」ドクターは椅子から立ち上がりながら言った。「ちょっとこちらへ来ていただいて、」いくつか椅子が置いてあるエリアに移動しながらそう言った。「この椅子たちに、先ほどの三人のキャラクターが座っていると想像して、ワークを行っていきたいと思います。」
「はい。」妙子も席を立って移動してきた。
「では、まず、ひとり目のキャラ『Pさん』は、どの椅子にしますか? ・・・あ、全部同じ椅子ですが、この場所に置くとしっくりくる、みたいな感覚を大事にして、好きな場所に置いてみてください。」
「はい。」妙子は、そのエリアの真ん中に「どん」と椅子を置いた。
「なるほど、ここでいいですか?」ドクターは質問した。
「はい、良いと思います。」
「では次に、二人目のキャラ・・・名前はあとで考えるとして・・・を椅子に乗せてみるとしたら、どの椅子でどこでしょう?」
「ええと・・・」妙子はそう言いながら、ひとつの椅子を持ち上げて、部屋の隅の方に行った。そして、壁の方を向けて、椅子を置いた。
「はあ、なるほど・・・そこですか。寂しい感じの場所ですね。そこでいいですか?」
妙子は、少しそわそわした様子で、目が若干泳いでいる。それでも「はい、こういう感じがしますから。」そう言い切った。
「なるほど、では、そこに置いておきましょう。」ドクターは言った。「そして、三番目のキャラクター『妙子さん』は、これも好きな場所に置いていいんですが、一応、オススメがあります。客観的に見ていたわけですから、この状況を、」・・・そう言いながら手で、椅子を並べているこのエリアを指し示した・・・「客観的に見ている、そんな感じのする場所に、置いてみることをオススメします。」
「はい。」妙子はそう言って、ドクターが今立っている場所のすぐ隣、そう、この全体を見渡せる位置に、三番目の椅子を置いた。
「なるほど。この場所でいいですか?」ドクターがきいた。
「はい。」

「では、まずは、順番に座ってみましょう。一番目の椅子に座り『Pさん』になったと想像してみて下さい。」
「はい。」妙子は真ん中に置いた「Pさん」の椅子に座った。この椅子はちょうど二番目の椅子の方を向いている。こちらは、相手の方を向いているが、相手(つまり二番目の椅子だ)は、こちらに背中を向けている格好だ。

(なんだか、Pさんがたえちゃん・・・私は心の中ではそう呼んでしまうことにした・・・に睨みを利かせている感じがするなぁ)なつをはそう思った。

(つづく)

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正しいだけでは解決しない(9)|恋愛ドクターの遺産第6話

しばらく沈黙があって、先に口を開いたのはドクターだった。
「いま、三人のプレイヤーが登場したことに、気づいていますか?」
「えっ!? 三人の・・・なんですか?」
「プレイヤーと、一応言いましたが、「役割」「役」みたいなものです。」
「三人の役・・・どこに登場したのですか?」
「もちろん、妙子さんの中にです。」
「私の中に三人の役・・・どういうことでしょうか?」
「まず、ひとり目のプレイヤーはお母様の意向を汲んで、結婚に向かおうという意思を持った役ですね。この役が一応主人格・・・つまり日頃前面に出ていることが多い人格ですよね?」
「あ、確かにそうだと思います。」
「そして、二人目のプレイヤーは、結婚に向かおうとすると反発する、結婚したくないという意思を持った役ですね。この役は日頃あまり表に出てこないことが多いのではないかと推察しますが・・・結婚、のような自分の人生がかかった決断になると、出て来ざるを得ないというか、さすがにひとり目の人格の決定に任せてはおけない、という感じで出てきて、そして今、葛藤を起こしていますね。」
「はい、葛藤しています。なんで出てくるんですかね?」
「なんで出てくるか。それは、ちゃんと意味があるからです。それを、これからしっかり見つめて、見つけていこうとしているんですよ。」
「ぱっと消したり出来ないんですか?」
「それが無理なんですよ。それに、あとになると分かりますが、消したりしちゃいけないものだと、思いますよ。きっと。」
「どうしてなんですか?」
「私が答えても、きっと納得しないと思います。ご自分の中から見つけていきましょう。私はそのお手伝い役ですから。」
「はぁ・・・」妙子は釈然としない表情だ。
「そして、三人目のプレイヤーは、」ドクターは構わず話を進めていく。「こうして葛藤を起こしている自分を批判する、もうひとりの自分というか、少し客観的に自分を見ている役、です。先ほどご自分のことを『ワガママ』と言っていたのは、この三人目の意思のように思えました。」
「なるほど。確かに三人いる、と考えることができるかもしれません。」
「ひとり目のキャラの性格の一部を、ちょっと理解しました。何でも親や先生といった、上の立場の人に聞いて決める、というところがありますね。」
妙子は一瞬はっとした表情をして、それから言った。「でもそれって、普通じゃないんでしょうか?カウンセラーの先生のところに来たら、きちんと助言をもらうのは当然というか・・・」
ドクターはにやっと笑って、私(なつを)の方を向いて言った。「この、なつを君なんて、私にいつも食ってかかってる、ちょっと困ったヤツなんです。今は助手をしていますけどね、以前私のところに相談に来たときだって、私の意見そっちのけで持論を滔々と述べ始める、みたいなセッションになりましたから。」
さすがに言われすぎている気がしたので、つい言葉を挟んでしまった。「ちょっと、先生、それは言いすぎじゃないですか?確かに私は、先生の意見を、お伺いを立てる、みたいなところは皆無でしたし、自分の気持ちをしゃべってばかりでした。今日の妙子さんとは、全然違うセッションだったのは認めますけど、いきなり初対面から食ってかかったりは、していません!」
ついムキになって先生に「食ってかかって」しまった。
それを見ていた妙子さんは、くすっと笑った。
(ああ、またやってしまった)私は思った。先生とのやりとりだと、ついムキになってしまう。
「ああなるほど。確かに、その人の性格というか、違うんですね。」妙子は言った。
「そうなんです。」そう言いながら先生は私の方を見て「どうだ!」というようにも取れる、いたずらっぽい表情をした。

確かに、私が余計なひと言を・・・いや、ひと言ではなかったが・・・差し挟んだおかげで、セッションが少し前に進んだ。結果オーライだ。先生もそのことを言いたかったに違いない。セッション中だし、クライアントもいる前だから、言わなかったけれど。

「二人目のキャラは、なかなか出て来ないですよね。ふだん。いま、なつをくんと私のやりとりを見て、ちらっと出てきてくれたような気もしますけど。」
「え、あ、つい気がゆるんだ、っていうか・・・」
「へえぇ、気がゆるむと出てくるんだ。」

先生は珍しく、メモを取りながら話している。きっと大事なところだと思っているのだろう。私にはどこが大事で、どこがそうでもないのか分からないことが多い。経験の差は大きいなぁ、今日もそう思った。

「さて、」ドクターはさらに続けて話し始めた。「三番目のキャラに行く前に、少し名前をつけておこうかと思います。」
「え!?はい。名前ですか。」
「それぞれの役に、ぴったりの名前は何かありますか?思いつかなければ、こちらでお手伝いしてつけてもいいですけど。」

正しいだけでは解決しない(8)|恋愛ドクターの遺産第6話

「さて、そろそろ、最初から気になっていたことを質問しますね。実は、私の目には、妙子さんは結婚したくないんじゃないか、そんな風に見えるんですよ。あるいは、結婚に向かおうとすると、とても重たい気持ちや嫌な気持ちを感じて、強烈なブレーキがかかる、みたいな感じかな。そんな印象を受けているんですよね。」
妙子は、ゆっくりと目を閉じ、再び目を開けた。天井を見回すように目を上に向け、少し左右に視線を泳がせた。そして、静かにため息をついて、それから話し始めた。
「あの・・・今日ここへ来たのは、母にいつも『早く結婚しろ』って言われるからなんです。でも、結婚のことを考えると、結局足が前に進まなくなる・・・行動できなくなるので、それで困っているんです。」
「なるほどそうでしたか。じゃあ、結婚したくない、ということですよね? 少なくとも今は?」
はぁ、とため息をついてから、妙子は答えた。「そうかもしれません。でも、このままずっとひとりも嫌だと思っています。それは本心だと思います。」

「なるほど。結婚は嫌だ、でも、ひとりも嫌だ、と。」
「なんか、私、ワガママばっかり言っているみたいですよね?」
「ええと、別にそうは思いませんけど。そもそも人間は、感情は徹底的に自分都合でできているものですし、自然な反応だとは思いますよ。」
(先生さすがだ)私なつをは思った。相手の行動を批判する内容を伝えるのは、とても難しい。しかし先生は、さらっと言い放っている。いつもそうだ。そして、相手を傷つけない言い方をしている。あまりに自然なので、多くの人は違和感を感じないだろう。しかし、【違和感を感じさせないぐらい自然に、相手を傷つけない言い方で、相手の行動を批判する内容を言う】というのは、極めて高度なコミュニケーション能力が必要なのだ。

私は、あることを思い出していた。それは、先生に以前相手を傷つけずに批判的なことを言うコツを質問したときのことだ。ちょうどやはり、結婚したいけれど行動が伴っていない人が相談に来ていて、私なつをは、やはり今回と同じようにイライラしながら話を聞いていた。セッション中は何とか我慢して黙っていたが、一回目のセッションが終わったあと、先生にその気持ちをぶつけてしまったのだった。
その時先生に言われたのは「ではなつを君、キミならどう言うのですか?まさか『アナタ、結婚したいと言っているけど、行動が伴っていませんよね?』なんて言うつもりではないですよね?」ということだった。その流れで、結局伝え方の練習をさせられたのだったが、始めに私がひねり出した言い方は「私には、○○さん(クライアントの名前)は、結婚するつもりがないように見えます。」だった。先生の前で緊張していたこともあり、表情も口調も固かったので、かなりの「詰問調」に聞こえた。実はそのとき先生は私の言葉を録音していて、再生して聞かせてくれたのだった。もう、穴があったら入りたいとはまさにこのことだった。そんな言い方されたら、私だって傷つく、というようなキツイ口調だった。何度か練習したが、未だに相手の行動を批判する内容を直球で投げるのは、苦手だ。
一方、先生は先ほど、「実は、私の目には、妙子さんは結婚したくないんじゃないか、そんな風に見えるんですよ。」と言った。文字にしてみても、ソフトな言い方だ。そしてさらに、口調も柔らかいし、責めるような調子が一切感じられない。妙子さんはきっと、このテーマに関してはデリケートなところを持っている人で、詰問調(かつての私なつをの言い方だ)で言われたら傷ついて、心を閉じてしまうかもしれない人だと思う。でもそこを、先生は巧みに開かせて、語らせている。もう、見事としか言いようがない。今この場にいるのは私と先生と妙子さんだけだ。だから、この見事さに感動しているのは私ひとりなのだが・・・本当に、ひとりだけしかこの感動を味わっている人間がいないのは、もったいない。心底そう思った。

私がそんなことを考えている間に、セッションは進んでいた。
しばらく沈黙があって、先に口を開いたのはドクターだった。
「いま、三人のプレイヤーが登場したことに、気づいていますか?」
「えっ!? 三人の・・・なんですか?」
「プレイヤーと、一応言いましたが、「役割」「役」みたいなものです。」

(つづく)

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正しいだけでは解決しない(7)|恋愛ドクターの遺産第6話

ノックの音がして、今日の相談者が入ってきた。妙子(たえこ)さん36歳。彼氏が36年間できない、ということでの相談申込だった。
「こんにちは。」
「こんにちは。」
互いに挨拶をして、ドクターも妙子も着席した。

「ええと。」話し始めたのはドクターの方だ。「恋人ができない。今まで一度もつき合ったことがない、とのことでしたが。」
「はい。そうなんです。」
「恋人が出来たらいいな、という方向性でいいんですか?」ドクターが質問した。
少し間があって、妙子は、先ほどよりも小さな声で「・・・はい。」と答えた。

「・・・なるほど。」ドクターも少し間をとって、それから話し始めた。「恋人を作るには、まずは、出会いを作らないといけないわけですが、いま、適齢期の男性と、月当たり、何人ぐらい知り合うチャンスがありますか?」
「ほとんどありません。」妙子は間髪入れず答えた。
「そうですか。それは困りましたね。」
妙子は無言で、かすかにうなずいたようだった。

(先生、本当はこの人がまだ、交際相手を求める段階まで、心の準備が出来ていないことを見抜いているはず・・・)なつをは思った。この展開、以前にも経験がある。先生は、相手の受け答えを一旦は、真に受けて話をする。心の中では「いま交際相手を見つけるのは無理そうだ」と思っても、「なるほど、恋人がほしいのですね。」と応じるのだ。そこには、確固たる信念があるのだと以前言っていた。「相談者の望みに向かって最短距離の提案をまず投げかけてみて、それが出来なさそうなら、なぜ出来ないのか一緒に考えればよい。」とは先生の談。「普通に考えるとこれがベストの道だよ、出来そうですか?無理そうですか?」ということを、まず問いかけてみて、やれトラウマだ、やれインナーチャイルドの課題だ、といったことは、行動出来ないことがハッキリしてから掘り起こせばよい、と。
本人が納得して、内面を掘り下げて解決しようと決意することと、周りから言われて、納得していないが渋々取り組み始めるのでは、その後の取り組みにどれだけ本腰を入れるか、違いが出てくる、と、先生は考えているらしい。確かにそうかもしれない。

私なつをがこんなことを考えている間に、セッションは、(実はペースが遅く、大して進んでいなかったが)少しずつは、進んでいた。いまは、先生が、出会いを作るとしたらどんな手段があるのか、それを妙子さんと一緒にアイデア出ししているところだ。

「友達の紹介で出会い、その人と結婚した、という人は、比較的多いようですよ。どなたか、そういうのが得意な知り合いの方は、いらっしゃいませんか?」
「ええと。分かりません。」妙子は悪びれる様子もなく、かといって、真剣に考えている様子もなく、淡々と、感情のこもっていない声でそう答えた。
「そうですか。分からない。なるほど。」ドクターは、相変わらず、いつもの調子で受け答えをしている。「何か、いまからやってみたいと思う習い事や趣味などはありますか? あ、いますでにやっていることも、もしありましたら、教えて下さい。」
「新しくやってみたいことは、あまりないです。」

私なつをは、ちょっとこのやりとりを聞いていて、段々イライラしてきた。だいたい、恋人が出来ない、という相談をしに来ているのに、全然真剣さが感じられない。やる気あるの!ほんと、真剣に考えないなら、帰ればいいじゃない!自分の人生でしょ? でもこれは、先生のセッションだ。私は助手。勝手に引っかき回してはいけない。でももしこれが、私がメインの担当だったら、説教しているかもしれない、そう思った。

「あと、ときどき、○○のライブには行きます。」○○はアイドルグループの名前だ。
「へぇ、それは、いわゆる・・・」
「そうです。いわゆるアイドルの追っかけをやっています。友達にも、いい歳してそんなことしてるから、いつまでも結婚できない、って言われました。」
「なるほどね。まあそれは、原因ではないですけどね、おそらく。」
「そうなんですか?」
「まあ、結婚して、だんなさんのこととか、子どものこととか、リアルな人間関係、家族のことなどで毎日心を砕いて生活している女性から見たら、心のエネルギーの使い方がズレているように見えるのでしょう。ただ、そのことと、追っかけをやめたら結婚できる、みたいな結論にジャンプすることは、イコールではないので、注意が必要ですね。」

「先生、私はどうしたらいいのでしょうか。」
「どうしたら、いいんでしょうね。」相変わらず、淡々とした調子で、ドクターは受け答えをしている。「そもそも、どこに向かいたいのかが、分からないと、どうしたらいいのかも、分からないですよね? 大阪に行きたい、と分かっていれば、新幹線なのか夜行バスなのか東海道線なのか、マイカーなのか、手段について考えられます。でも、どこに行きたいのかが分からないなら、手段も分からないです。」

「はぁ。」相変わらず、気のない返事だ。
「さて、そろそろ、最初から気になっていたことを質問しますね。実は、私の目には、妙子さんは結婚したくないんじゃないか、そんな風に見えるんですよ。あるいは、結婚に向かおうとすると、とても重たい気持ちや嫌な気持ちを感じて、強烈なブレーキがかかる、みたいな感じかな。そんな印象を受けているんですよね。」

(つづく)

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