【登場人物】
(現在の人物)
ゆり子 父からノートをもらった。離婚するかどうか悩んでいる
幸雄 ゆり子の夫。 仕事はできるが共感力のない人。
(ノートの中の人物)
恋愛ドクターA ゆり子の祖父(故人) ノートを書いた本人
なつを ドクターの助手
かおり 相談者。彼氏いない歴7年 個性派の女性
第一幕
「はぁ。幸雄さんの気持ちわからないなぁ。」ゆり子はつぶやいた。
そう、恋愛ドクターの遺産(レガシー)。そのノートを読んでいろいろ考えていたのだった。
そして今、もう、一度は離婚しかないと決めた決意がまた揺らいでいるのだった。
これまで幾度かノートを開いて、ゆり子はそこに登場する女性たちの勇気がある姿に心動かされてきた。「この人たちはなんて強いんだろう」とゆり子は自分の結婚生活への向き合い方をもう一度考えてみようと思った。
「あー、今恋愛ドクターのおじいちゃんが生きていたらなぁ。カウンセラーに相談しながらだったらもっと私も勇気を持てたのかもしれない。」ゆり子がそんなことを考えていた。
「おじいちゃん」独り言のようにゆり子は言った。おじいちゃん生きていたらなぁ。。ゆり子が急におじいちゃんに会いたいそんな気持ちになった。
「またノートを開いてみようかな。」
ゆり子はノートの束を手に取り(父から段ボール箱でノートをたくさん受け取っていたのだった)、その中から1冊のノートを手に取った。そしてまたゆり子はそのノートを開いた。
・・・
「今日のテーマは、インナーチャイルドの課題と、恋愛の問題についてです。」
ホワイトボードを前にして、ドクターが語り始めた。恋愛ドクターの異名を取るAは、恋愛や結婚生活など、男女問題専門のカウンセラーだ。男女問題は心理のデリケートな動きが大きく影響する分野で、専門家でも原因の推定が難しかったり、誤解に基づいてアドバイスしてしまったり、という間違いの多い領域だ。
その分野で、専門家として有名なドクターの恋愛講義である。多くの人が貴重な話を聞こうと聴講に訪れている。会場にはざっと150名以上の聴講生・・・ほとんどが大人、それも40代以上に見える面々だ・・・おそらくはカウンセラーだろう・・・が座って講義を聴いている。
「恋愛の問題は、表面的に捉えると、本質を見失うことがあります。たとえば、ある女性が、恋人からの暴力を受けている、というケース。法律的にいえば暴力を振るった側に責任があります。もしあなた方が警察なら、彼を逮捕しなければなりません。そこには全く異論はないのですが、では、恋人を逮捕したらこの問題は解決するのかというと、そうではありません。このような女性は、その彼と別れてもまた、別の暴力的な男性と交際するというパターンを繰り返すことがあります。そして、その大もとをたどっていくと、子供時代に、家庭環境が暴力的であったことに行き着くことも、少なくないのです。」
今日もいつも通り絶好調だな、なつをは最前列右端で先生の話を聴きながらそう思った。先生は大抵、生々しい話・・・それが本題なのだが・・・から入る。あまり、前置きなどの工夫はしない。今日も、講義開始早々、核心に触れる内容に入っている。講座の出席者たちも、真剣な顔で聴き、また、メモを取っている。
「このように、子供時代の生育環境の影響がベースになり、大人として生きていくのに支障があるとき、『インナーチャイルド課題がある』と表現します。そして、恋愛は、非常に軽いインナーチャイルド課題・・・そうですね、仕事や知人との付き合いなどの、少し距離のある人間関係では問題として表面化しない程度の、軽いインナーチャイルド課題でさえ、問題の原因となることがあります。だから、恋愛の問題を考える時には、必ず、慎重に、インナーチャイルド課題について扱う必要があるのです。」
「たとえば、先ほどの、暴力的な男性との交際を繰り返してしまう、という女性のケースでいえば、子供時代に自分をしっかり守ってくれる両親の存在、そして、この世界に正義の原則がある、ということを教えてくれた存在・・・これも両親や先生などですが・・・が希薄だった場合に、こういう問題が起こりやすいことが知られています。」
先生の話は、いつも正確だ。なつをは話を聞きながらそんなことを思っていた。「言葉は正確に使う」が先生の理想だし、公言もしている。先生は言葉を象徴的、あるいは比喩的に、拡大解釈して使うやり方を「文学的表現」と称して、やや見下している嫌いがある。先生の言葉の使い方は、むしろ、科学者のそれに近い。先生の話は続いている。
「自分を守ってくれる存在を、身近に体験できずに育った場合、自分の中に正義の基準・・・たとえば、相手の気持ちを踏みにじって自分の主張を通すのは良くないこと、というような道徳観などがそれに当たりますが・・・そういうものが十分育たないで大人になってしまう、ということが起こります。すると、そのような女性がモラハラ傾向がある相手に出会っても、『その言動、おかしい!』と、自分の正義の基準に照らして判断することが、うまくできないのです。そして、なんとなく、その場の空気を壊さないように、その場が荒れないように、相手の機嫌を取って、という行動をしてしまう。その結果、暴力的な、問題のある相手に好かれてしまったりするわけです。自分の好き、嫌い、そして自分の中にある正しい、正しくないの基準を、きちんと相手に表現できないと、自分はいやだと思っているのに、相手からは好かれている、というようなひずみが生まれてしまうのです。」
「このような、インナーチャイルド課題を解決せずに、法律的な見地のみで問題解決を図るならば・・・即ち、暴力を振るったという『事実』だけを見て、相手の『行動』だけに責任を求めるという意味ですが・・・本当の意味で、問題は解決しないのです。」
(つづく)