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婚難(9)|恋愛ドクターの遺産第3話

第五幕

セッションが終わって、なつをはひとりで、セッションを振り返っていた。
(先生は、かおりさんと、あっという間に打ち解けていた。先生がかおりさんに無理して合わせたという感じはなかった。私は少し無理して合わせていたのに・・・)なつをは、そんな風に振り返っていた。

そして、以前先生が言っていた「他人のコックピットに座る」という話を思い出していた。かおりさんはきっと、先生が自分の立場に立って一緒に考えてくれているという安心感を感じていたに違いない。その大事な秘訣が、他人のコックピットに座る、ということなのだ。

以前のセッションで、こんなことがあった。
その相談者は、変わった性癖の持ち主だったので、なぜそこにそれほど執着するのか、自分の感覚を基準に考えたら、なつをにはまったく分からなかった。しかし、先生は、その相談者に寄り添い、相談者の感覚を少しずつ理解していった。

セッションが終わったあと、なつをは先生に質問した。
「そんなものに執着しても、男女関係が面倒になるだけですよね? なぜ、そんなにこだわるのでしょうか?」
「なつを君、君は、自分の感覚を基準に相談者を見ていませんか?」

「えっ?」なつをは、何を言われているのか、よく分からなかった。「先生、私は彼の立場に立って見て、そして、自分だったらどう考えるか、想像してみたのですが、それではダメだということでしょうか?」

「では少し、基本から説明しましょう。」先生はそう言って、基本から教えてくれたのだった。「まず、彼の立場に立たずに、『奥さんがいるのに、そこに興奮するからと言って、別の女性に手を出したらダメでしょう。』なんて言うようでは、これは、カウンセラーとして完全にアウト。これでは、相談者はお金を払って、自分のことを全く分かってくれない人に話をしに来てしまった、こんなところに来るんじゃなかった、と思って、もう、セッションの信頼関係はおしまいです。」
「それは分かります。」
「次の段階として、彼の立場に立ってみる、というのがあります。私も、このポジションから話をすることは、よくあります。だから、彼の立場に立ってみて『私だったら、そこに執着しても、男女関係が面倒になるだけ、と感じました。』と発言してみるのは、これは、カウンセリングとして、アリだと思います。」
「なるほど。先ほどの私の意見は、アリなんですね?」

先生は少し天井を見るように目を動かして、それからこう言った。「但し、その場合、あくまで『私は』という言葉を入れて、私の感じ方、私の価値観で言えば、ということを明確にすることが前提です。なつを君がもし、私は、という言葉を入れずに『そこに執着しても、男女関係が面倒になるだけですよね。』と言えば、それは、一般論として、という意味になります。相談者よりも偉いカウンセラーの私が、世界を代表してものを言います、というニュアンスになる危険性があるのです。」
「そうなんですか?」
「それはそうでしょう。だって、ご本人だって、どこか、その性癖を恥じていらっしゃったりして、そこに傷口に塩を塗られるように否定されたら、どう思うのか、想像すれば分かるじゃないですか。」
「あぁ、そうか。そうですね。」でも私は、まだ釈然としないものを感じていた。
それを察したのか、先生は、続けて次のことを言った。
「もしここに、繊細なA子さんと、剛胆なB男君が居たとします。ふたりは道を歩いていました。目の前に、ちょっと気持ち悪い何かの動物の死骸があったとします。それはちょうどA子さんの真ん前にありました。で、A子さんは『ぎゃっ』といって飛び退くわけです。」
「・・・はあ、なるほど。」
「それに対して、B男君が、『A子さんの立場に立って』『自分のことのように』想像してみたとします。B男君、ちょっと頑張りました。」
「はい。」
「しかし、B男君は、A子さんほど敏感でも繊細でもないので、そんなに驚かないわけです。『あ、ちょっとびっくりするよね。』ぐらいの感じでしょうか。」
「そうでしょうね。」
「では、これで、B男君は、A子さんの体験を理解したことになるでしょうか?」
「あぁ、A子さんの身に起きた『出来事』は理解したことになると思います。」
「そうですね。A子さんの身に起きた、外側の出来事は、理解しました。でも、A子さんの内側で起きた反応、ものすごくびっくりした感情の動きなどは、B男さんは体験していないことになります。」
「それは、仕方ないことなんじゃないですか?」
「もちろん、その相手に、完全になることは無理ですから、仕方ないと言えば仕方ないことです。でも、『立場に立つ』だけでは、不十分だということは、分かりますか?」
「・・・分かります。でも、では、どうやって・・・」
「それが、私が言っている『相手のコックピットに座る』想像をする、ということなのです。相手がどんなところで反応し、どんなことを喜び、どんなことに恐怖し、何を不満に思うのか。そういうことを色々聞いていくうちに、ある程度までは、相手の感情的な反応まで、想像することが可能になります。」
「そんなものですか・・・」
「たとえば、剛胆なB男君も、あるとき、自動車を運転していて『あわや大惨事』という場面に遭遇して肝を冷やした経験があった、とします。さすがのB男君も、ちょっと怖かったわけです。」
「・・・はい・・・?」
「そういう経験を思い出してみて、『あぁ、A子さんは、動物の死骸を見ただけでも、自分が事故のニアミスを経験したときぐらいの衝撃を受けるのかもしれないな。』と想像することは、できるはずです。自分より何倍も感情の振れ幅が大きいと想定すればいいわけですから。」
「あぁ!なるほど!じゃあ、私の場合、剛胆な人の『コックピットに座る』場合、自分より何分の一しか、感情が振れないと想像してみればいいわけですね?」
「そういうこと。」

そう、先生は、こんな風に、相手の内面で起きている事も含めて、できるだけ理解するように努めることが大事、ということをいつも教えてくれた。
そしてそれを「他人のコックピットに座る」と表現していた。
それをなぜか、私なつをは思い出していた。きっと、私にとって、感じ方や考え方がずいぶん違うと感じる、かおりさんのセッションを理解するに当たって、「かおりさんのコックピットに座る」想像が必要だったからだろう。ほんと、カウンセリングは脳味噌フル回転だなあ、なつをはいつもながら、そう思った。

(つづく)
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婚難(8)|恋愛ドクターの遺産第3話

「それから。」ドクターは続けた。「美人問題があると、自然体の自分で居るかどうか、という条件が、より厳しくなります。」
「そうなんですね? 美人って、それほど得していないような・・・」苦笑しながらかおりは言った。
「まあ、苦労もありますよね。ただ、うまく舵取りできれば、印象が何倍にもなる、という特性は、人によっては喉から手が出るほどほしい「素質」になると思います。」
「そうなんですね。私はいままでうまく舵取りできていなかった、ということなんですか?」
「恋愛に関しては、そうだと思います。」
「先生、はっきりおっしゃって下さるところがイイです。」
「はは。ありがとうございます。思っていないことは言えないタチなので。」

ドクターは少しの間黙っていて、そして、もうひとつ質問した。
「ところで、オッサンぽいところは、家に居るときも発揮されていますか?」
「それが、自分ではよく分からないんですが、友達に言わせると、家では意外なほど女性っぽいらしいです。」
「へぇ。それはどんなところを見て、お友達はそうおっしゃるのですか?」
「忙しいときはできないんですが、料理をしたり、家の中をキレイに片付けていたり。豪快な飲みっぷりとは裏腹に部屋が女っぽい、と友達に言われました。」そう言ってかおりはくすっと笑った。
「それも、何かの機会に表現するといいですよ。」ドクターは言って、しばらく考えた後、さらに続けて聞いた。「そう、部屋汚す人、いやでしょ?」
「あぁ、まあ、使えば汚れるものですけど、極端に部屋が汚い人は嫌ですね。自分で使ったものぐらいは自分でゴミ箱に入れられるぐらいでないと・・・」
「そういうことも、話題に出すといいですよ。」
「・・・どんな風に?」
「たとえば、居酒屋でデート、あるいはその前の段階で、何人かで集まって飲み会をしたとしますね。そのときに、『部屋をきれいにするのが趣味で』『趣味の合う人がいい』って言ってみるわけです。」

「私、以前、男の人の部屋を見ないと信用できないとか思って、何かと口実を作って部屋に上がり込んで観察する、ということをしてみたことがあるんですが・・・」
「それ、結構煙たがられたんじゃ?」
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婚難(7)|恋愛ドクターの遺産第3話

セッションは進み、終了時刻が迫ってきた。そろそろ今日の行動課題を出して、まとめる段階だ。

「では、行動課題を考えましょう。」ドクターが言った。
「はい。」

「かおりさん、あなたの『オッサン』的な部分を、『恋人と出会う可能性のある場所で』積極的に出してみよう、というのが、今回の課題です。」
「少し抵抗ありますね。」かおりが苦笑しながら言った。
「ところで、『オッサン』ぽい、とは、たとえばどんなことでしょう?」
「えぇと、たとえば、おしゃれなフレンチレストランよりも居酒屋で日本酒にスルメ、みたいな飲み方が好き、とかですかね。」
「なるほど。居酒屋好き、と。ほかにはどんなところがありますか?」
「服装や、小物、文房具などを選ぶときに、周りの女性は「カワイイ」という基準で選んだりするみたいですが、私は機能重視。カワイイは二の次、という基準ですね。服装は最近は少し女性らしいのを選ぶようにしていますが、他は相変わらずです。女性と文房具を買いに行ったりすると、選ぶ基準の違いにびっくりします。」
「なるほど。カワイイ、という選択基準があまりない、と。もうひとつぐらい行ってみましょう。」
「あの・・・これは、ちょっとヘンな言い方かもしれませんが、私、体を触られることにあまり抵抗がないんです。」
「ほう、なるほど。触られることにあまり抵抗がないと。」
「はい。同僚の女性が、飲み会の席でひざ、というかももに手を置かれて、とても嫌がっていました。実は私も、そういうことがあったのですが、意外にも平気だったんですよね。同僚として普通に仲良くしているぐらいの男性だったら、そんなに気にならないというか。かといって、その人と深い仲になろうと思うわけではないんですけど。」
「確かに、感覚的には、男性っぽい感じがしますね。」

ドクターは続けた。
「さて、色々な点を挙げてくださいましたが、今おっしゃった中で、一番気になっているところ、一番自分の『オッサンぽさ』を際立たせているところはどれか、と考えてみると、どれですか?」
「やっぱり居酒屋にスルメ、ですかね。」
「なるほど。それですか。なら、行動課題は、それをオープンにする、ということですね。」
「オープンに・・・みんなに言う、ということですか? それならもう、職場中に知れ渡っていますけど・・・」

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