正しいだけでは解決しない(3)|恋愛ドクターの遺産第6話

「まあ、ここから、どうやったら、その欠けている経験を補っていけるのか、それはかなり創意工夫が必要な作業になりますから、一意にぱっと決まる、という訳ではないですけどね。」
「そうなんですね。」
「ええ、まあ、なつを君はなつを君のこだわりというか、自分なりのクライアント観を持つようになるべきだと思いますが、今はまず、私が考えていることを一旦受け取ってみて、真似をしてみるところから、始めてみることが良いと思います。」
「守破離の守ですね。」
「そういうことです。私は、一般的に『父親からの愛情が足りない』と言うときの『父親からの愛情』というのは、大きく分けて二つだと思っています。ひとつ目は、家族のために闘ってくれて、家族を守ってくれる、という行動と、そこから来る、守られている安心感。ふたつ目は、単純に男性から好かれているという喜び。」
「ああ、なるほど、そうやって分解して考えてみると、分かりやすいし、納得です。」
「先ほども言いましたが、なつを君は、単に私の真似をしてコピーになるのではなく、自分なりのクライアント観、自分なりの治療観を持ってくださいね。」
「はい、分かってます。でも、今の先生の考え方は、私はまず、取り入れて、そこから考えていきたいと思います。」
「そうですか。」ドクターはちょっとはにかんだような、嬉しそうな表情をして続けた。「まあ、そうやって受け取ってもらえるのは嬉しいですけどね。」
「うふふ。」なつをはつい笑ってしまった。
「ええと・・・そうでした。だから、こうやって定義を丁寧にしてみると、解決の方針も具体的に見えてきます。ひとつは『父親が守ってくれた』経験が足りないわけですから、どこかで、自分が『守ってもらえた』と感じる経験をすることが大事です。その相手は、父親ではなくても、ほとんどの場合、大丈夫です。」
「そうなんですね!」なつをは嬉しそうな声で言った。
「そうですよ。人間の心は意外に柔軟にできているものなんです。だから、父親、父親、って追いかけなくても、解決の道は作れるのです。」
「なるほど!希望があります。」
「もうひとつは、『男性から好かれている』という経験ですね。彼女の場合、こちらの比率の方が大きそうだったのですが・・・」
「あっ!そうか!これも、父親から好かれなかったという経験を、父親本人から取り返すのではなくて、別の男性からでもいい、ってことなんですね!」
「そうです。そういうことなんです。」
「えっ?」なつをは急に何かに気づいて驚いたような表情になり、黙り込んでしまった。そして、しばらくして口を開いた。「ということは、有紀さんが社長と不倫をしていることはつまり、お父さんからもらえなかったものを、社長を父親代わりにしてもらおうとしている、ということなんですね!」
「そういうことです。年上男性との不倫が多い女性の場合、その動機が、父親に愛されたかった、でも愛されなかった。だからそれを今の恋愛で取り戻したい、という動機になっていることは、比較的よくあります。」
「なんか・・・切ないですね。」
「そうですね。本当は自分という個人を作る土台であるべき、親子の絆が希薄だった。それを取り戻したいと渇望する心をずっと抱えて生きている。取り戻せそうな相手が見つかった。但しこのような場合大抵相手は年上の既婚者。その人と恋愛したら、人の道に反していると責められる、とこのような構図ですから、確かに、切ない、やるせないですよね。」ドクターはそう言ってなつをの方を見た。そして、何かに気づいたようだ。
「なつを君、何だか、自分事のように考えていますね?」
「えっ? あ、そ、そうなんです。」なつをは顔が赤くなった。「じ、実は、有紀さんのセッションについて私がついムキになってしまったのは、私と同じだって思ったことが結構あったからなんだ、って気づきました。」
「そうなんですね。」
「それで、私の場合は、せ、先生のことが好きで、それが恋愛感情なのか尊敬なのか、よく分からない気持ちだったんですけど、いま、分かりました。」これを言いながら私は、顔が熱くなり(きっと真っ赤だろう)、体中に変な汗をかいた。
「そうですか。そう思ってくれているとは、光栄ですね。ありがとう。」先生はあくまで優しくそう答えてくれたので、私はものすごく安心して、体中の力が抜けた気がした。
「この際ですから、よい受け取り方と、微妙な受け取り方の違いについて説明しておきましょう。」ドクターはいつもの理知的で鋭い言い方と、先ほどの優しい調子の中間ぐらいの調子でそう言った。「実は、父親からの愛情というのは、別に不倫しなくても補えるんですよ。職場の尊敬できる上司のことを好きでいる、その上司も、一線は越えてこないけれど、親しみを込めて接してくれている、こんな関係をしっかり味わって過ごせば、子供時代に愛情が足りなかった経験も、ちゃんと埋まっていくんですよ。もちろん、本人が自覚して受け取れば、ですけどね。」
「そうなんですね!」
「ええ、そうです。そもそも、父親とはセックスしないでしょう。だから父親からの愛情不足を不倫で補おうとしてしまう、というのは、回路がちょっとズレてつながってしまっている状態なんです。」
「ああ、そう言われてみればそうですね。でも、私、なんとなく分かります。父親からの愛情不足を補う感覚が、なぜか恋愛感情とつながってしまい、不倫に至ってしまうという、その気持ちが。」
「なつを君、なんだかずいぶん、不倫してしまう人の肩を持つようになってきましたね。」
「え?あ、あの、決して自分もしたいとか、しているとか、容認派になったとか、そういうわけではないんですけど。」なつをは焦りを隠せず、しどろもどろになってしまった。
「何か、気づいたり、変化したことがあったんですか?」ドクターはあくまで優しく、しかし鋭い質問を投げてきた。
「あの、さきほど先生が、私が先生のことを好き、ってつい口走ってしまったときに、バカにすることもなく、真っ直ぐ受け止めてくださったことが嬉しくて・・・」そう言いながら涙がぽろぽろっとこぼれた。「それで、なんだか力が抜けた気がします。」

(つづく)

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