第二幕
「えぇと・・・かおりさん。」
「はい。」
「こんにちは。」ややぎこちない感じで、なつをが挨拶をしている。
「こんにちは。」様子見をするような感じで、かおりも挨拶をする。
「今日は、ドクターAは、少し用事で出ておりまして、ご連絡しましたとおり、一般的な質問につきましては、私なつをがさせていただきます。」
「はい、伺っております。」
そう、今日は先生が多忙のため、私が予めいくつか質問をして、事前に情報収集しておくように言われているのだった。ある意味、カウンセリングの一部を任されているわけで、とても緊張している。
「えぇと・・・かおりさん。」
「はい。」
「彼氏がなかなかできない、という問題だと伺っておりますが、いないのは何年ぐらいになりますか?」
「7年ほどです。」
私は、ドクターから受け取った質問票に書き込みながら質問をしていった。
質問をしながら思った。いつも、先生はとくにメモをするわけでもなく、どんどん質問をして、どんどん話を進めていくけれど、それでも、ポイントを外すことは、ほぼない。それがいかに難しく、すごいことなのか、自分で相談者を前にして話を聞いてみるとよく分かる。メモを取るペンが、指先のイヤな汗で少しぬるぬるしている。
私は頑張って質問を続けた。
「その後、恋人を作るための取り組みなど、何かしてみたことはありますか?」
「えぇ、何人かの友達や同僚、男性も含めてですが、意見を聞いてみて、どうやら私は女らしくしていないというイメージらしかったので、ファッション雑誌を買うようにして、服の選び方とか、お化粧の仕方とか、女性らしくするように努力しました。」
「そうなんですね。いまはお綺麗ですよ。」
「ありがとうございます。」かおりは少し照れながら言った。「でも以前はざっくりとした洗いざらしのシャツにGパンにすっぴん、て感じで、スカートをはくようにしたのも、その頃からなんです。」
「・・・そうなんですね。」なつをの受け答えがまだぎこちない。メモを取っているとどうしても間がおかしくなってしまう。
「ご自分で、この問題について、原因を考えたり、解決のための取り組みをしたことはありますか?」やや棒読みになりながら、質問票にそってなつをは質問した。
「はい。先ほども申し上げたとおり、女らしくないことが原因だと、知人から指摘されましたので、その点については、女性らしい服装や振る舞いをするように、努力をしてきました。ただ、それでも、その後、恋人ができないので、最近ではインナーチャイルドの課題が何かあるのかな、と考えることもあります。」
(えと・・・本人が分析を述べたら、「もう少し詳しく教えてください」と言って、さらに聞き出すように・・・と書いてあるな・・・)なつをは質問票にある、先生からの指示を黙読して、次の質問を心の中で準備した。
「そのことを、もう少し詳しく教えてください。」
「はい。」かおりは話し始めた。
「先生のご著書や、ほかの心理学の本を読んだりして、色々勉強させていただいているのですが、そうすると、恋愛でうまく行かない背景には、子供時代の生育環境の影響がある、と、大抵書かれています。私自身も、子供時代に、両親が商売をしていまして共働きでしたので、寂しかった思い出はかなりありますし、何か、いまの恋人ができない問題と関係あるような気がしまして・・・」
「なるほど。そういうことなんですね。」なつをはメモを取るのに必死だった。
(とても頭の良い方のようだ・・・そして、しっかりと考えていらっしゃる。私、ちゃんと記録できているのだろうか・・・)なつをは理路整然と自分の問題について話すかおりに気押されて、また体中にイヤな汗をかいていた。
ふう。先ほどの質問に関するメモを取り終えると、なつをが深呼吸をして、次の質問に移った。
「お仕事は、何をしていらっしゃいますか?」
「仕事は、企業コンサルタントの会社で、司法書士をしています。コンサルティングは主に社長を始めとしたメンバーが行っていて、私は会社の設立登記などの法務を主にやっています。」
なつをは、メモを取りながら上目遣いにかおりをちらっと見た。
(結構やり手なんだ・・・キャリア系女子かぁ)
そんなことを思いながらメモを取るペンを走らせる。
「あ・・・なるほど、そうなんですか。お仕事はお忙しいですか?」
「そうですね。ずっと忙しかったんですけど、最近少し、後輩に仕事を任せたり、適度に手を抜いたりすることを覚えまして、少し自分の時間もとるようになりました。」
「えぇと・・・先生から、仕事が忙しい人の場合質問して下さい、と言われているんですが・・・」
「先生、なかなか先読みする人ですね。」かおりはそう言ってクスッと笑った。
「いや、ほんと、そうなんですよ。先に何でも分かっているような、そんな雰囲気で、でも実際、本当によく分かっていることも多くて、どこまでが本当でどこまでがハッタリだか分からないことも・・・あ、すいません、しゃべりすぎました。」
あー、これ、先生が聞いてたら怒られるだろうな。なつをは思った。クライアントが自分の話をするのがカウンセリングの時間。カウンセラー側は関係ない自分の話をしてはいけない、といつも言われていたのに、つい余計なことを口走ってしまった。
「なつをさんって、面白いですね。」かおりは一気に表情がほころんで、楽しそうな笑顔になった。
(まあ、緊張はほぐれたし、結果オーライかもしれない)なつをは思った。
「ご質問は、なんでしたっけ?」
「あぁ、すいません。ふたつあって、ひとつ目が、『仕事が忙しくなった頃と、彼氏ができなくなった頃は、同じ頃ですか?』もうひとつが、『お姉さまに頼りたい年下男子、みたいな男性が寄ってくることは、ありますか』です。」
「えぇっ」かおりは笑いながら言った。「お姉さまに頼りたい年下男子・・・って、確かにそういう子が寄ってくること、割とありましたよ。学生時代からかな。でも私、そういうの趣味じゃないんで、いつも断っていました。」
「はい。」なつをは必死でメモをしていた。
「なんか、なつをさんって、かわいいですね。あ、失礼だったらすみません。」
かわいいと言われて、なつをはなんだか恥ずかしくてからだが熱くなった。さきほどから緊張がほぐれて、やっと乾いてきた指先も、また少しぬるぬるしてきたような気がした。
「ええと、もうひとつ、なんでしたっけ?彼氏ができなくなった時期と、仕事が忙しくなった時期・・・ですよね?」
「えぇ。お願いします。」
「社会人になってから、わりとずっと忙しかったので、時期が一緒かどうかはよく分かりません。学生時代につき合っていた人と、27歳頃に別れてからは、その後ご縁がなくて、今に至る、という感じですね。」
「はい。メモメモ・・・っと」
忙しくなった時期と、恋愛のパターンが変化した(この場合は彼氏ができなくなったという変化だ)時期が同じかどうかを聞くのは、専門用語では「共変関係」と言う。ふたつの出来事が共に起きるようになり、また、共に起きなくなるとしたら、そのふたつには関連がある、と考えるのだ。恋愛相談の場合、好きとか嫌いとか、感情の話が多く、結果、論理的にあいまいな話が多いため、明確にAとBが相関しているかどうか、ということを見つけることが難しい。そんな中で、ドクターが苦心して考えたのが、出会いと別れの時期(これは本人が明確に覚えていることが多い)を訊く、というやり方だ。
但し、こうした、明確に答えられる事実を質問するだけでは、恋愛の問題は解決しない。
ロジカルシンキングは車で言えばハンドルみたいなもの。ロジカルのないカウンセリングは迷走する。但し、アクセルではない。感情、気持ちを扱う部分がアクセル。だから、ロジカルなだけのカウンセリングは、まったく先に進まない。いつか先生が言っていた。
ひととおり、なつをがかおりに質問をし終えたところで、ノックの音が聞こえた。ドクターが帰ってきたのだ。
(つづく)