心理学」カテゴリーアーカイブ

人間関係の心理学、動機づけ、行動原理など、生活に役立つ心理学の知識をご紹介。

相談:彼に「一緒にいると疲れる」と言われました

こんにちは。心のコンサルタント|恋愛セラピストのあづまです。

ココヘル+ ( http://www.556health.com/sp/e-zine/ )の読者さん限定の、オンライン無料相談に、相談が寄せられました。

「彼に、『一緒にいると疲れる』と言われました」というご相談。
彼は、相談者さん(えまさん)と一緒にいると疲れてしまうわけです。ここまでが事実ですね。でも、何が一番の要因で、その症状が起きているのか、短絡的に考えてはいけませんよね。

そんなわけで、いくつかえまさんに質問を送り、ご返答を頂きまして・・・
あづまの見解と、解決のための取り組み方について、動画でお答えしていきます。

初回は、心構えについてです。

いかがでしたか?

続いて2回目。

まず、自分の課題(自分の傾向)をしっかり知ることを語っています。
同じように見える問題でも、誰がその問題に直面しているのかによって、取り組み方も難しさも変わるものなのです。

第3回目。

いよいよ、彼の心理分析をしています。彼はなぜ、他人といると疲れてしまうのでしょうか。直接会ったことはありませんが、症状から見て、ありそうな原因と、あり得なそうな原因をざっくり分類しました。

第4回目。

1回目から3回目の内容を踏まえて、では、どう接していったら良いのか、それを回答しました。この取り組みで全て解決、というわけには行かないかも知れませんが、まずはこんな方向になると思います。

以上、ここまで見て下さって、ありがとうございます。

なお、コメントは歓迎ですが、コメント欄での相談は受け付けていませんのでご了承下さいませ。
(相談は限定メルマガ【ココヘル+】上で受け付けています。)

ではまた!

質問の仕方が人生を変える。初級編

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あづまです。こんにちは。

上手に質問してますかー?

質問の仕方が、人生を決める。
まあそういうことを言うコーチやセラピスト、結構多いですよね。

私も基本、そうかな、と思っている方なんですが、ただ、いつも気になることがあります。

それは、他人への質問です。

他人に質問するときの作法というか、他人に質問するときに、うまく行く方法というか、そのあたりを、あまり考えたことがない人が多いのかな、って。

たとえば、彼がコッソリ浮気していた。そして、居所について小さな「ウソ」をついていて、それがあとでバレた、という出来事があったとしますね。

この出来事自体はショックなことですし、気持ちも乱れるでしょう。
(それ自体は、おかしなことではありません)

で、よく、彼に投げかけられる質問が、
「なんでウソをついたの?」

みたいな。

はい、ここで、この質問の良し悪しについて考えてみましょう。

私は、質問を投げるということは、相手に「自由に答える権利を与えること」だと考えています。そのような質問こそが、よい質問だと考えています。

この場面で、彼は「自由に答える権利」をもらったのでしょうか。
おそらく、よほど度量があって、本当に彼について知ろうと思って質問をした女性(そんなにいないと思いますが)以外、

実は「地雷がいっぱい埋まった質問」です。

という可能性が高いですよね。

自由に答える権利を与えるというのは、どういうことかというと、
彼が何かを答えたら、
「そうなんだね」って言って、その答えをちゃんと受け取る、ということです。

「なんでウソをついたの?」
→「君を傷つけたくなかったから」
→「そうなんだね」

「なんでウソをついたの?」
→「いつかちゃんと言おうと思っていた」
→「そうなんだね」

・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・

って、言えないですよね!

そうなんですよ。

私たちは、質問をすべきでないときに、
質問をしていることがあるんです。

では、そういうとき、
本当はどうしたらいいのか。

これは、なかなか高度なコミュニケーションではありますし、私もそういう状況になったとき、急に出来るかといわれると、少々自信がない・・・気がしますが、まあひとつの理想形だと思って聞いて下さい。

大事なことのひとつ目は、
言うべき事があるときは、質問じゃなくて、ちゃんと主張する、ということです。

この場合で言えば、
「そうやって、ごまかされたことで、傷ついたんだよ!」
と、伝える、ということです。

大事なことのふたつ目は、
少し自分の内面で準備する必要があるのですが、
ひと言で言うなら「自問を終わらせる」ということです。

実は「何でウソをついたの?」というのは、自問の言葉なんです。

「なんでウソをつかれたのだろう?」という疑問が、自分の中で生まれて、そしてその問いを何とかしたいと思っている、そういう状態。

本来、自分の中で解決すべき問いを、そのまま相手に垂れ流すから、うまく行かないんですね。自分の中で解決すべき問いは、自分で解決しましょう。

それで、自分で解決するためのコツなのですが、実は、
一段高い視点に立って考えることが必須です。

「なんで嘘ついたんだろう」(と、私の中に疑問が湧いている)

という状況で、

「私にとって『なんで嘘ついたんだろう』という疑問が、なぜ重要なんだろう?」
と、疑問が湧いている状態自体を、さらに高い視点から、こうして問いにするんですね。

・・・なぜそこが重要なんでしょうね?

(人によって多少違いはあるでしょうが、大抵の場合、)それは、彼が私のことを「適当にごまかしておけばいい相手」と思っていたら、言い換えると、彼が私を軽く扱っていい存在と考えていたら、とてもショックだからです。

人によっては、これに似た、少し違う理由が出てくるかもしれません。いずれにしても、何か自分の中に自動的に湧いてくる「疑問」「質問」がある場合、「私にとって、なぜその質問が大事なのだろう?」と、少し高い視点から俯瞰してみると、ぐっと本質に近づきます。

今の例で言えば、私は彼から「適当にあしらっていい相手」「適当にごまかしていい相手」「軽く扱っていい相手」と思われることを、とても怖れていて、だから、「そうじゃないよね?」「そうじゃないよね?」と確認したくなって、

「なんでウソをついたの?」と聞きたくなるわけです。
と、ここまで分かったら、解決策は見えてきましたね。

まず、彼があなたのことをどう思っていようとも、
「私は、自分のことを、決して軽く扱ったりしない」
と、自分で自分を大切にすることを、ちゃんと決めること。
この、自分の中の、心の土台がしっかりしていれば、相手の一挙一動に振り回されにくくなります。

そして、彼に、疑問を投げかけるときも、もっと率直に、
「ウソをつかれるとね、「適当にごまかしておけばいい相手だ」って思われているような気がして、すごく嫌な気分になる。まさかそんなことはないと思うけど、なんでウソをついたの?」

と、言うことが出来ます。

「なんでウソをついたの」みたいな質問が地雷だってことは、なんとなく分かる人は多いと思うんですが、どうしてそれが地雷なのか、ではどうしたらいいのか、については、あまり説明されているのを見たことないですね。

だから、多くの人は、訊くことをやめて、心の中にしまってフタをしてしまう。
まあそれで、その場は荒れないで済むと思います。

でも、ちゃんと、自分にとって大事なポイントはココ(例では自分が適当にあしらっていい相手と思われているか否か)っていうことを、率直に伝えれば、実は、

「なんでウソをついたの?」ってほぼそのまま訊くことだってできるんです。
私を、適当にあしらっていい相手だと思っているのか、大事にしたい相手だと思っているのか、というニュアンスの質問に変わっていますけどね。(もちろん、良い変わり方です)

これでもし彼が「ホントの事なんて別に言う必要ないじゃん」とか「言ったら怒るでしょ?」とか、ちゃんと質問のポイントに対して答えない人だったら、かなりがっかりですが(まあしかし、別れる覚悟は決まるかもしれません)。

 

質問の仕方、初級編と書いた割には難しかったですね。失礼しました。

まあいきなり全部覚えてほしい、という意味ではないので。

私たちって、無自覚に相手に質問していることがあるよね、というお話。
今日はまず、そこに気づくことができれば、一歩前進で、OKです。

ではまた!

感情の「中和」(あづまやすしの心理セラピー&人間関係コンサル講座より)

あづまです。こんにちは。

今日は、あづまやすしの心理セラピー&人間関係コンサルティング講座から、学びをシェアしたいと思います。

4/17に学んだことですが・・・

感情の「中和」

これ、NLPでは必ず習う「アンカーリング」の応用バージョン。
(NLPの講座では、あづまの技法は習いません)

マイナスの感情と結びついたアンカー(それを見たり触れたりすると、そのマイナス感情を思い出す「刺激」のことです。例えば当時の音楽とか)を発動させると、その感情がわき起こってきます。

一方で、プラスの感情と結びついたアンカーを発動させると、やはり、プラス感情がわき起こってきます。

では、プラスとマイナスの両方を同時に発動させると?

実は、相殺されるんですね。

 

うまく使えば、過去のマイナス感情をキレイに消してしまえるんです。

・・・と、ここまでは、NLPの講座でも習うんですが・・・

さらに応用編をやってみました。

プラスのエネルギーを、みんなで作ります。
(具体的には、悩みの内容に触れてしまうので、ここでは書けません)

そのエネルギーを感じながら、マイナスのアンカーを発動させます。

まあざっくり言うと、そんな感じ。

 

でね、

この一連のワークが終わって、
じゃあ、ワーク前は、嫌な感じに満ちていた、あのマイナスのアンカーを単独で発動させてみよう・・・今度はどうなっているかな・・・あれ?

そうなんです。

嫌な感じが、すっかり上書きされてしまって、会場で作ったプラスのエネルギーがそこに入り込んでいました。

相殺どころじゃなくて、プラスになっちゃった!

 

こうしてね、
自分の感情を、うまく整理していくスキルを身につけると、

感情を晴らすために、相手に何かをやり返したり、
それが大人げないと思って、我慢するか、

という苦しい二択

以外の、

第三の選択肢、

効果的に、自分のマイナス感情を消してしまうことが出来る、
という選択肢を、持つことができるようになるわけです。

これって、

問題解決において、

すごいスキルを手に入れたってことです。

そんな、今回も、
驚きの心理学ショーデモンストレーションを
体験してもらうことができました。

自分の対応力の幅が広がるって、
楽しいですよね?

 

今日の学び。

プラスとマイナスのアンカーを上手に使うと、
マイナス感情を相殺して、消すことが出来る。

その場にあるプラスのエネルギーを使うと、
さらに効果的に、マイナスを消すことが出来る。

ではまた!

心の実況中継(あづまやすしの心理セラピー&人間関係コンサル講座より)

あづまです。こんにちは。

先週末の「あづまやすしの心理セラピー&人間関係コンサルティング講座」からの学びのシェアをしていきます。
(具体的な悩みなど、プライバシーに関わることはシェアできませんので、話が漠然とすることがあります。ご了承下さい)

本講座では、私は「心の実況中継」と呼んでいるのですが、自分の中で起きていることを、自己観察するスキルをとても重視しています。

何か出来事が起きたときに、それを、

「出来事」→「解釈」→「感情」という風に、何が自分の中で起きているのか、自己観察するスキルです。

今回も、生徒さんたち、最初は戸惑っていましたね(^^ゞ

というのも、自分の中で、半ば自動反応のようになっていることが多いからです。

ある出来事が起きた。
→怒りが湧いてきた。
(これは、解釈を自覚することが飛んでいるパターン)

ある出来事が起きた。
→「ああすべき」「こうすべき」「あのひとはああだ」「このひとはこうだ」「自分のやり方が云々」・・・
(これは、延々と解釈の部分だけをぐるぐるまわっているパターン)

出来事→解釈→感情。

この三点セットを、意識するのが得意になってくると、
自分のことが分かってきた、と言って良いと思います。

自分のことが分かってくると、自分のことを他人に伝えるのもうまくなります。

今回も、講座で、宿題を出しました。

日頃から、この、心の実況中継は、やってください、と。

 

ただ、私は優しいので(?)
「きちんと」やってください、という課題は出しません。
みんな、社会人だし、人によっては子育てもあったりするし、大人は忙しいのです。

なので、心の実況中継も、
まずは、やってみよう、
という課題です。

優しいですね(笑)

それで、「きちんと」できなくてもいいんですね。

自分は「解釈」ばかりぐるぐる回るクセがあるとか、逆に「解釈が飛ぶ」くせがあって、出来事から一気に感情まで行ってしまう傾向があるとか、自分のクセを知ることが、まずは第一歩。

まあそういうこと。

ではまた!

言葉はなくても通じること(心理セラピー&人間関係コンサル講座より)

あづまです。

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今日は、現在開講中の講座「あづまやすしの心理セラピー&人間関係コンサルティング講座」から、学びをシェアしたいと思います。

先週末、土日で講座を開講していたのですが、

初日のテーマは、主に、傾聴のスキルについてでした。

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婚外恋愛について反論が来ました。であづまはどう答えるのか?

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Photo by Yasushi Azuma

あづまです。こんにちは。

先日、夫公認で妻が婚外恋愛。それをあづまが円満夫婦と呼ぶ理由。 という記事を書きまして。
それに対して、反論が来ました。

短文なので、全文載せておきます(編集なし)。

仮にSさんとしておきます。女性の方だと思います。

はじめまして。
どうしても一言お伝えしたくメール致しました。

婚外恋愛は、倫理に反します。
どんな理由があっても、今の日本の社会倫理と結婚制度では倫理から外れています。
たまちゃんだかなんだか分かりませんが、人前にだけは出さないで下さい。
婚外恋愛に真実があるなら、日本では隠しながら大切に育てて下さい。
そうやって育てている友人が私にもいます。

婚外恋愛をすべて否定はしません。
ただし、公の場に出ることは間違いだと思います。

ここは日本です。

よろしくお願い致します。

論点は、
「どんな理由があっても、婚外恋愛は今の日本の倫理からは外れている」
「それでも婚外恋愛するなら、公の場に出ないで、隠して行え」

ということですね。

えーと。割と予想していた反論でしたので、
むしろ、ありがとう、と思っています。

では、この点について、あづまがどう考えているのか、
それについて、書いてみたいと思います。

まず、そもそも論として、

夫婦円満を目指すのは、もちろん、当然ではあるのですが、
努力しても、やっぱり、この人とはムリ、って思うこと、ありますよね。

男性の方は、分からない人もいるかもしれませんが、
女性の方は、「この人とはセックス無理」って思う感覚、
よく分かるんじゃないかな。

そこまで至ってしまった夫婦は、どうしたら良いのでしょう?

日本の倫理に照らしたら

これが、あづまの、一点目の疑問です。

一応、離婚理由としてセックスレスは、正当な理由とされています。
というわけで、そこまで至ったら、婚外恋愛する前に離婚しましょう。
というのが、今の日本の倫理であり、法律だと、私は解釈しているのですが。

これなら、倫理に反していないし、不法行為(犯罪とは言えないが、法律的に間違っているとされる行為)でもありません。でも、子供もいるわけだし、それで円満解決ヤッター、とは行かないはずです。

というわけで、往々にして、親は子供のために我慢して、結婚という形を維持せよ、という話になりがちです。本当にそれで良いのでしょうか? 私のもとには「お母さんが【子供のために】離婚しないで我慢していたために、私(相談者)は結婚生活に暗いイメージを持つようになってしまった」という相談が、それなりに多く来ます。親が自分を殺して生きることは、次世代にマイナスの遺産を受け継ぐ行為です。

現状の日本では、要するに【離婚する】【我慢する】の二択しか「倫理的な道」はない、のが社会常識であり、社会の道徳・倫理ですよね、本当にそれでいいんですか? と、私は問うているのです。

私は基本的に、倫理とか道徳というのは、(一定の意味・意義は認めますが)前の世代が作った遺物だと考えていまして、大抵の場合、倫理や道徳は時代遅れなもの、だと感じています。

だからといって、軽んじていいと言っているわけではありませんが、社会の「常識」とされているような倫理や道徳というのは、全然万能ではなく、むしろ、極めて限界の低い代物であると、見なしているわけです。

いま、同性愛の人を、倫理に反するとか、不道徳だとか、そういう言葉で責めたら、「言っているあなたがおかしい」と言われるでしょう。でも、それが社会の常識だった時代もあるのです。

倫理や道徳は、前の世代が作った社会の遺物。
一定の敬意や配慮は必要だけど、基本的に時代遅れだし、万能でもなく、極めて限界の低い代物である。

時代に、適合しなくなってきた倫理は、新しく作り直していくしかない。
それもまた、常識となった頃には、また、時代遅れになっていくのだと思いますが、
その繰り返し。ずっと、新しく作り続けていくしかない。

では、
「不倫は悪である」という倫理観が時代遅れだとしたら、
あづまは、新しい倫理観とは、どういうものであるべきだと考えるのか。

それを、書いていきたいと思います。

新しい倫理観が、
「不倫もOKだよね♪」
だったら、最悪です。私は大反対です、こういうの。

ここから先は、少し時代を先取りしすぎているというか、勇み足の部分はあると思いながら、書いています。

新しい倫理観とは、たとえばこういう基準であるべきです。
「自分の気持ち、そして、相手の望みに、とことん誠実に向き合ったか?」

では、用語が長くなりそうなので、
ふたつの倫理観にAとMという記号をふって、考えてみたいと思います。
Aは「不倫は悪」的な倫理観。これを守っているのがA○、破るのがA×。
Mは「自分、相手と向き合う」倫理観。同じく守るのがM○、破るのがM×。

A○ :婚外恋愛はしない
A× :婚外恋愛をしている
M○ :自分の気持ち、そして、相手の望みに、とことん誠実に向き合う
M× :自分の気持ち、そして、相手の望みに、誠実に向き合わない

A○ かつ M○ が問題ないのは、だれでも同意することだと思います。
A× かつ M× だと、問題多すぎ。ちょっとこの夫婦、大変そうです。

議論が分かれるのは、

A○ かつ M×  と  A× かつ M○ の場合でしょう。

少し、例を挙げてみたいと思います。

 

A○ かつ M×
:婚外恋愛はしないが
自分の気持ち、そして、相手の望みに、誠実に向き合わない

こういう夫婦、結構いるんじゃないでしょうかね。
たとえば、夫は自分の素直な気持ちを表現するのが全然下手くそ。
おかげで、主婦の奥さんが友達との集まりで出かけて「今日はごはん自分でよろしく」って言ったら、義務を放棄しているだとか、あれこれ難癖つけたりして。

こういうとき、ひとこと「寂しい」って言えれば自分も癒されるし、奥さんも「そうだよね、ごめんね♪」ってハグして、で、気持ちよく出かけられるのに。

もうひとつ例を挙げると、もう少し、相手の望みに向き合わないケース。
ちょっと、夫婦仲がだいぶ傾いていて、奥さんの方は、旦那との夜の生活が既に苦痛になっている。やんわりと何度も伝えたが、相手の望みに、誠実に向き合わない夫は、当然の権利とばかりに夜の生活を要求してくる。妻も「結婚という形を維持すること」が優先で、自分の気持ちと向き合うことをあきらめ、嫌々夫婦関係を続けている。

この両方とも、現状の日本の倫理には、(若干微妙だとは思うが)反していないことになります。
少なくとも、法律的には、生活の相互扶助の義務はあるが、相手を「愛する」義務は規定されていませんから、この夫たち、法律的には、まったくもって、正しい人たちなんですね。

私が「社会常識となっている倫理観は、実は時代遅れ」と言うのは、こういう話になってしまうからです。

 

で、一方、

A× かつ M○
:婚外恋愛はするが
自分の気持ち、そして、相手の望みに、とことん誠実に向き合う

そしてこれが、たまちゃんの夫婦の話。
夫公認で妻が婚外恋愛。それをあづまが円満夫婦と呼ぶ理由。

現状、やはり、法律的には「不法行為」にあたるわけです。
婚外恋愛している側が、夫婦破たんの理由を作ったと見なされます。

但し、自分の気持ち、相手の望みに誠実に向き合い続けていって、
やっぱりこういう形でいくしかないのかな、って結論を出せたとしたら、

Aの倫理観に基づくと×だけど、
Mの倫理観に基づくと○になる。

私は、要するに、
不倫したかしないか、というような、マニュアル的、チェックリスト的、ロボット的な判定基準に基づく倫理観は、いずれ時代遅れになっていって、

本当に自分の気持ち、相手の望みに、誠実に向き合い続けたかどうか、というような、極めて人間的で、深いレベルの倫理観に、時代が移行していくと考えているのです。

先ほどの、AとMの記号でまとめると、

 

現状、社会の常識というのは、

A○M× (不倫したかしないか、の倫理観を優先)

A×M○ (誠実に向き合ったか、の倫理観を優先)

であれば、前者の方が、確かに、常識だと思います。

ですが、社会が豊かになり、寿命も延び、夫婦生活も長丁場になり、という現在の社会状況の中、前者の倫理観は、限界を露呈しつつあり、時代遅れになってきている、

とも感じています。

そして、不倫は悪、という倫理観に変わるルールは、
不倫も善、ではないことは、先に述べたとおりです。
それではダメなのです。

前の時代の倫理観を、単に裏返すのでは進歩ではありません。
前の時代の倫理観を、超越していかないと、意味がない。

で、どのように超越するのかというと、たとえば、先ほどから書いている、

自分の気持ち、そして、相手の望みに、とことん誠実に向き合う
ことが善。

これです(あ、これは一案ですので、必ずこうでなくてはいけない、というものではないです。但し、表面的な判定基準よりも、もっと、内面や動機を問うものになるべきだ、という点は大事だと考えています)。

さて、私の持論を展開したところで、
二点目の「それでも婚外恋愛するなら、公の場に出ないで、隠して行え」
にお答えしましょう。

もし仮に、たまちゃんの姿勢、動機、行動が単に、
「不倫は悪」→「不倫は善」としたいだけだったとしたら、
私も、「そういう婚外恋愛は、隠して行ってください」と言うでしょう。

でも、たまちゃんの姿勢は、こういう批判を食らうことも覚悟の上で、
「不倫は悪」(Aの倫理観)から、
「向き合うことが善」(Mの倫理観)への、

パラダイムシフトを起こそうとしている行動なのです。
次の時代の、新しい倫理観に向けてのチャレンジです。

もちろん、とても大変すぎるので、
私は、自分の身で、社会実験するのはごめんです。
ほんと、あづまは、無理です。
(してないですが)もし不倫してても、たぶん隠します。

だれかが、身を削って、
新しい倫理観に向けてのチャレンジをする。

賛否両論を浴びながらも、前に進んでみる。

その価値は、私はよく分かります。
自分では大変すぎてできないとしても。

だから、たまちゃんを応援しているんです。

そういうことです!

ではでは!

 

三日坊主を治す方法

心のコンサルタント あづまです。

今日は、三日坊主を治す方法について書きます。

ズバリ結論から言いますと、これです! 

「カレンダーですか?」
そうです。

物事を忍耐強く続けられないのは、性格のせいだとか、傷ついたインナーチャイルドのせいだとか、発達障害のせいだとかにしていませんか?
そういう要因も、あるかもしれないけど、実はそもそも人間には継続するのが苦手なパターンがあるのです。

それをうまく工夫して、越えていけるようにする工夫が必要なんです。

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「苦しい」の反対語は・・・

心のコンサルタント あづまです。こんにちは。

最近自分の使う言葉で、気づいたことがあります。
悩み相談を受けていても、よく「面白い」と言うんですね。

人の不幸を喜んでいるわけでは、もちろんありません。

私が「面白い」という言葉をどんなときに使うのか気づきました。
それは・・・

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手っ取り早く恋人がほしいのか?人生をかけて愛する相手がほしいのか?

心のコンサルタント あづまです。
こんにちは。

DSC05300Photo by Yasushi Azuma

いま、出会いを求めているあなたへ。

あなたは、
手っ取り早く恋人がほしいのでしょうか? それとも、
人生をかけて愛する相手がほしいのでしょうか?

前者なら、
男性だったら、仕事に打ち込み、一定の成果を上げ、清潔感のあるファッションで、食事をドンドンごちそうしましょう。それで、そこそこうまく行きます。
女性だったら、ファッション雑誌などにある、モテ服、モテメイクを研究し、プラス感情が表に出る明るいキャラを目指しましょう。それで、そこそこうまく行きます。

でも、やっぱり、えり好みしないで、誰でもいい、ってわけにはいかないですよね?

・・・って言うと思いました?

この記事の主旨は、それとは真逆のことを言うことです。

これまで、手っ取り早く恋人を作る方の活動は色々やってきた。
それで、それなりに恋人も何人かできたけれど、そろそろ本腰を入れて、人生をかけて愛する相手を見つけたい。そういう人には、私は迷わず、後者に向かって進むことをお勧めします。

「運命の相手メソッド」を学ぶ講座も開催していますし。そこは大事なことだと考えています。

し、か、し!

今日言いたいのはそこではないのです。

今まで、「手っ取り早く・・・」の方の方法を、全然やってこなかった人。
「手っ取り早く・・・」のところに書かれているような流れを、バカにしてませんか?

まだ、一般的に「モテる」方法も十分に実践していなくて、一般的な意味での「モテ」も経験していないうちから、運命の相手をいきなり見つけようとしていませんか?

今のあなたには、無理だと思います。

辛口でスイマセン。

つまり、
「モテる方法を実践した」
「実際それなりにモテる経験をした」
「それで恋人もできた」
「でも、なんか違う」

というところまで、たどり着いていない人。

そういうあなたは、まず、バカにしないで、一般的な恋愛本の方法を実践して、あなたのストライクゾーンど真ん中の人じゃなくていいから、つき合ってみる経験をした方がいいと思います。

 

そう、今日は、

「手っ取り早く恋人を作る」ということを、
なめたらダメだよ、という話でした。

それはもういい、と言えるのは、
そこを十分に実践して、卒業した人だけ。

入学もしていないうちから、
卒業生気取りはダメよ。

泥臭くやりなさい。

ではでは!

持ち上げて落とす心理(ベッキー不倫騒動に関連して)

こんにちは、あづまです。
メルマガのこの号が、なかなか反響があったのでこちらでもご紹介。

mag160203

http://archives.mag2.com/0000164141/20160203122231000.html

最近話題になっているベッキーの件。
そのものではありませんが、その背後にある心理について考えてみました。

自分の感情、自分の課題に無自覚である、というのは怖いことです。
加害者にも被害者にもならぬよう、お気をつけ下さいませ。

ではでは!