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恋愛ドクターの遺産(7)サンドバッグの結論3

「なるほど・・・奥さまも、感情的になるのを抑えられない自分自身を、自己嫌悪されていたのですね。」
「そのようでした。でも、そうやって話を聞いていたら、突然抱きつかれたんですわ。」

「おぉ!それはおめでとうございます。」

なんて脳天気なんだ、となつをは思った。奥さんが苦しんでるのに、抱きつかれておめでとう、って。
しかし、こばやんには響いたようだ。

「そうなんです!ありがとうございます!」

「それで、奥さまは何て?」
「泣きながら、『もう一度やり直したい。』て。」

「そうですか。それはよかったですね。」
ドクターは握手の形に、右手を差し出した。こばやんもその手を握り、ふたりで固く握手を交わした。
なんか、男同士のノリだな、となつをは思った。女性からすると、まだ完全に解決していないのに、ちょっと喜ぶのが早すぎるし、ノリが軽すぎると感じるが、一方で、うらやましくもあった。

「でも先生、これでスタートラインだと思っているんですが。」
「まあそうですね。希望の人生への、スタートラインですね。」
ふたりはわはは、と笑った。

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恋愛ドクターの遺産(7)サンドバッグの結論2

次のこばやんのセッションは、劇的だった。

「先生、報告があります!」こばやんが開口一番、これまでで一番大きな声を出して言った。
「どうしました?」ドクターはいつも通りの調子だ。
「カミサンが帰ってきました!やり直そう、いうことになってます!」
「おー、それはおめでとうございます・・・というか、多分色々あったと思うんですが・・・頑張りましたね。」
「えぇ、ほぼ先生の予言通りでした。」
予言通り、と言われて、ドクターは少し得意げな表情うかべた。
しかし、すぐに優しげな表情に変わって、こう続けた。
「常に、現場で頑張る人が一番大変です。こばやん、これは、あなたが起こした奇跡ですし、あなたの成果です。胸を張って、人生の貴重な「武勇伝」にできます・・・あ、言い過ぎですかね?」
こばやんとドクターはふたりでわはは、と笑った。

「でも先生、ようやく再びスタートラインに立ったぐらいじゃないかと思うのですが。」こばやんが真顔に戻って言った。
「そうですね。でもまずは、ちゃんとスタートラインに戻って、再出発の準備が出来たことを喜びましょうよ。」
「賛成。」
「何が効果的でした?ちょっとその、成功の秘訣を教えてくださいよ!」
先生は無邪気な子どものように、興味津々、という雰囲気で尋ね始めた。

なつをは以前、先生のこの、「興味津々モード」について質問したことがある。先生はときどき、子どもみたいに興味津々で色々質問をすることがあるけれど、それは、興味本位なのか、それとも演技なのか、と。先生の答えはこうだった。まあ、ある程度自分が興味を持つ範囲をセッションの時には決めている、と。クライアントの問題解決に役立つことに興味を持つように、自分自身を持っていく、とかそんな感じだった。ということは、ある意味演技とも言えるのかな、となつをは解釈していたのだが、こうして無邪気に尋ねる先生を見ていると、とても演技には見えなかった。

(これを天職というのかもしれない・・・)
なつをはそう思った。

こばやんは、しばらく考えて、こう答えた。
「いや、ほんま、先生に言われた通りですわ。サンドバッグになる、いうイメージを持て、て言わはったんで、その通りにしました。」
「やってみて、何か気づいたことはありましたか?」
「そうですね。今までは、自分が責められてる、自分が悪いと言われてる、と、そこしか考えられへんかったんです。せやけど、サンドバッグになってカミサンの話を聞いてみたら、なんだか、怒っている、私を責めているというより、救いを求めているように見えたんです。」
ドクターは深く二度うなずいた。

「そうですか。」
あぁ、もう、卒業だな、となつをは思った。目の鋭さが消えていたからだ。先生が「これから解決してやるぞ」と、心の腕まくりをしているときは・・・「心の腕まくり」とは本人が時々実際に使う言葉だ・・・優しい口調、優しい表情をしているときでも、独特の鋭い眼光がある。心の奥底まで見透かすような、洞察眼だ。でも今の先生は、本当にリラックスしているように見えた。

「たぶん、もう解決に向かっていくとは思うのですが。」ドクターは続けた。
「念のため、より確実にするための行動課題を提案させて頂きたいんですが。」

「いいですよ。でも、その前に、ええ話ですんで、ぜひ先生にも聞いて頂きたいんです。」
「それは失礼しました。ぜひどうぞ。お願いします。」

「実はカミサンから、こんなことを言われたんですわ。『私は子供時代から、不安で、私を愛してくれる人はいない、と感じて育った。でもゆうさん(こばやんは奥さまからそう呼ばれている)と出会って変わった。でも、仕事が忙しくなったりして、どうしても「ゆうさんも私を見放すのか!」って想いが強くなって、家で一人で考えていると、どんどんそう考えていって、自分でも止めようがなくなってしまった。ゆうさんに当たるのはお門違いって分かっていても、止められなかった。ゆうさんが怒鳴ったとき、もうあとは絶望しかない、私の人生は、って思ってしまった。こんな自分が嫌いだ。』と、こんな感じの話でした。」

「なるほど・・・奥さまも、感情的になるのを抑えられない自分自身を、自己嫌悪されていたのですね。」
「そのようでした。でも、そうやって話を聞いていたら、突然抱きつかれたんですわ。」

「おぉ!それはおめでとうございます。」

なんて脳天気なんだ、となつをは思った。奥さんが苦しんでるのに、抱きつかれておめでとう、って。
しかし、こばやんには響いたようだ。

(つづく)

恋愛ドクターの遺産(7)サンドバッグの結論1

 

こばやんが帰り、なつをとドクターが議論をしていた。

「先生、どうして奥さまの愛情飢餓が原因、ということが分かるんですか?」
「それが分からないようじゃ、まだメインカウンセラーとしてこの仕事を任せるわけにはいかないな。」
「意地悪言わないでください。」
「別に意地悪を言っているわけじゃない。もっとレベルを上げてもらわないとお客さんの前には出せない、という経営判断を言っているだけです。本当に、レベルを上げてください。」

先生は仕事のクオリティーについてはかなり厳しい。クライアントに接するときの柔らかい感じとは全く違う厳しい一面を見て、なつをは、毎度の事ながら軽く当惑した。

「でも、どうしてなんですか?」なつをは尋ねた。

ドクターは視線を斜め左上に移して、しばらく考えているようだった。そして言った。
「いくつか、そう推測するに値する状況証拠がある。たとえば、彼の話から、学生時代、そして仕事の責任がまだ軽かった頃、子供もいなかった頃・・・これは言い換えるとふたりで過ごすヒマが十分あった頃と言い換えられる・・・その頃には関係はうまく行っていたと分かる。彼の奥さんは、自分のために時間を使ってもらいたいわけだ。」

「それって、女なら大抵そうじゃないんですか?」

「君は、同時に一個のことしか考えられないのか? それだけで決めつけたわけではない。」ドクターは少しいらだった様子でそういった。そして、続けた。
「それから、関係が悪化していった経緯です。健全に育ち、心が健康で大人の女性の場合、相手が自分のために時間を使ってくれなくなったら、それは寂しい。寂しいのは当然の反応だが、それをある程度受け入れ、自分を満たす別の方法を見つけて、相手への期待を少し手放す。それができるものだ。『亭主元気で留守がいい』という言葉は、面倒くさいから居ないでほしい、と解釈されることもあるようだけど、忙しくて一緒に居られないが、それをある程度手放した妻の強さを表す言葉とも解釈できる。」

「はぁ。」

「そして、たとえば、ダンナの忙しさの波が少し去ったら、一旦棚上げしたダンナへの期待を、もう一度復活させて、相手に期待する、つまり『寂しい、かまってよ。』という意味のことを言えるものだ。」

「あ、そういえば私も、彼が忙しいときは、一人で過ごす方法を色々覚えたけど、また一緒に過ごせるようになったら、彼と一緒に出かけるように、生活を変えました。」
「そういうこと。こばやんの奥さまは、そのあたりの、自分をうまくコントロールするスキルが未熟に見える。ある程度まで我慢して我慢して、ある日突然、『あんたにはもう期待しない!』ってなる。」
「確かに。言われてみれば、そういう傾向はありましたね。」
ドクターは、やっと分かったか、と言いたげな様子で、二、三回うなずいた。

「これは、愛着障害、という概念で考えると理解できる。幼少期に親との愛着に問題があると・・・色々なパターンがあるが、そのひとつの類型としては・・・べったり愛着して、相手がかまってくれなくなったり自分のことを少しでも否定したりすると、途端に「ぷいっ」と離れる・・・この「ぷいっ」を専門用語で「デタッチメント」というんだが・・・そういうことを起こすんだ。彼の話から、奥さまの反応がこのデタッチメント的だと考えたわけだよ。」

「なるほど・・・ここまで言われると納得です。」
「もうひとつ、これは参考程度かもしれないけれど、この仮説を強化するような状況証拠があります。それは、こばやんの性格です。彼は、何かがあると、自分を強く責める。そして何か問題があると、自分が行動して解決しなくてはいけない、という発想をする人ですね。」

「はい。男性的・・・というか、そういう面、ガチガチでしたよね?」

「そうだ。実は、自分を責める傾向の強い男性には、依存的な女性がカップルになる傾向がある。これは経験則だけれど。そして、表面的に依存的な部分が出ている女性の中で、愛情飢餓を持っていて、愛着障害の傾向もある、という女性は、それなりに、いる。」

「なるほど・・・前の二つに比べると、ちょっと弱い証拠、という感じですね。」
ドクターは、そういうこと、という感じで、小さく複数回うなずいた。

しかし、先生、これだけのことを毎回、相手の話を聞きながら考えているのだろうか、となつをは感心半分、自分に出来るだろうかという不安半分で考えていた。事実、先生の仮説はこれまで、ほとんどの場合正しかった。よくこれだけ間違わずに判断をくだせるものだと、なつをは感心、というより畏敬の念で、帰り支度を始めたドクターの後ろ姿を眺めていた。
・・・

次のこばやんのセッションは、劇的だった。

「先生、報告があります!」こばやんが開口一番、これまでで一番大きな声を出して言った。
「どうしました?」ドクターはいつも通りの調子だ。
「カミサンが帰ってきました!やり直そう、いうことになってます!」

(つづく)

恋愛ドクターの遺産(6)「変化」−4

「幼少期の愛情飢餓問題。そのことで、少し相談があるんですが。」ドクターは言った。

(えっ! なんと!)

なつをは心底驚いた。先生がなつをに対してあれほど明確に否定した愛情飢餓説を、クライアントを前にして堂々と言ってのけたのだ。

(そんな・・・やっぱり、自分が言うのは良くて、私が言うのは許さない、ということなの・・・?手柄を独占したいってこと? 尊敬できる先生かと思ったけど意外に器が小さいのかも・・・)
なつをの脳裏に、以前一度浮かんだ疑念がまたよみがえってきた。
「幼少期の愛情飢餓。私にはそういう問題がある、ということでしょうか?」
こばやんが尋ねた。ひとつ課題をクリアしてスッキリしたばかりで、また次の課題があると言われて、戸惑っているようだった。しかしドクターは全く動じることもなく、いつも通りの調子でこう言った。

「いや、そうではありません。愛情飢餓の問題を持っているのは、奥さまではないかと考えているのです。」

「えっ?」
「えっ?」
こばやんとなつをは同時に声を上げた。ドクターはなつをの方をチラッと見た。助手は静かにしていなさい、という意味だった。なつをは心の中で「すみません」といいながら軽く頭を下げた。

「さきほど、こばやんの課題については、一番大きいものが、会社の危機に十分力を発揮できなかったと自分を責めていたことによる罪悪感・無力感、と申し上げましたが、それは、それでよいと思っています。但し、ご夫婦の関係がうまく行かない原因として一番大きな要因、ということになりますと、実は奥さまの側の問題・・・幼少期の愛情飢餓の問題・・・が、こばやんの課題よりも少しだけ大きいのではないかという印象を持っています。」

「えっ?そうなんですか?」

「えぇ。でも今日は、色々ワークもしましたし、全部こと細かく説明する時間もありません。そこで、この仮説は私を信用して頂いて、ひとつ試して頂きたいことがあるのですが。」

「はい。先生の仮説なら、信じて進める気がします。」

「奥さまは、ときどきご実家にお帰りになっているのですよね。その奥さまに、毎日メールか電話をする。そして、ここが大事なところですが、あえて、サンドバッグ役になって電話してください。変な話ですが、たとえばご自分が本物のサンドバッグになって、奥さまのパンチやキックを受け止める、というイメージを頭の中で作ってから、メールをする、電話をする、ということを、一ヶ月ぐらい続けてみてください。」

「・・・はーぁ。なるほど。これ、結構キツイ修行やね。」
「そうですね。ただ、今のこばやんなら、ある程度頑張れるかもしれない、と思うので、提案しているんです。」
「先生はどうしてそう思われるのですか?」
ドクターは質問には直接答えず、さらに話を続けた。
「以前険悪になった頃には、奥さまから色々言葉で責められたことがあったのではないかと思うのですが。」
「えぇ。ありました。あれはキツかったですわ。」
「もし、奥さまがお家に帰っていらっしゃった場合、それと同じように、奥さまの言葉を受け止めることを、またやってみてほしいのです。」
「はい。頑張ります・・・でも結構しんどいかもしれません。」

(いきなりこんな大変な宿題を出して大丈夫なんだろうか・・・?)
サンドバッグになれ、とかなり精神的にキツイ行動課題を、平気で出している先生に対して、なつをはそう思った。

「まあまあしんどいとは思いますが、実は以前ほどじゃないと思いますよ。」

怪訝そうな顔をしているこばやんに対して、ドクターはさらに続けて言った。
「では、奥さまが以前のように、こばやんを責め立てる、という場面を想像してみてください。」

「・・・はい。」
少しだけ、こばやんの表情が曇る。

「今どんな感じですか?とてもしんどくて耐えられない感じ?」

こばやんは、意外そうな顔をしながら答えた。
「いや、意外と出来るかもしれへん、と思いました。前はほんまにしんどかったのに、なぜなんでしょう?」

「詳しくは、そのうちお話ししますよ。でも、人は、目の前の出来事から直接影響を受けるわけではないのです。それを心の中で解釈して、それで、どんな気持ちになるかが決まる。こばやんは、以前は、ご自身を責めていらっしゃったわけですよね?」

「そうですねぇ。」

「ということは、同じように責められても、以前の方が、自分で自分を責めて苦しくなる、という度合いが大きかったわけです。自分を責めるのが止まった今、以前より、他人から責められることに、強くなったわけです。」

「はぁ・・・そういうもんですか。いつも勉強になりますわぁ。」

そろそろ時間だ。セッションは終わり、こばやんは、先生ありがとうございました、と言って、深々と頭を下げて帰っていった。先生も同じぐらい深々と頭を下げていたのがなつをには印象的だった。

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