第五幕 インナーチャイルドの課題
数週間後、今日は色々取り組んでいるみさおさんが、次のステップに進むための話をしに来る日だ。
「なつを君、今日は確か、みさおさんがいらっしゃる日だったと思いますが。」
「はい、先生。どうなっているか、楽しみですね。」
「そうですね、結構行動はしてくれている気がしますので、変化が楽しみです。」
ノックの音がして、みさおが入ってきた。
「先生こんにちは。」
「こんにちは、みさおさん。」ドクターはにこやかに応対している。
みさおが着席すると、ドクターは早速質問を始めた。前回の行動課題はやってみたかとか、やれなかった場合はどんな気持ちが邪魔をしてできなかったのかとか、細かく聞いている。
「それで、最近はどうですか?」
「どうって・・・何がですか?」
ドクターは、ああ、と少し苦笑いして言葉を足した。「前回は確か、安全の感覚が足りない、という話になったと思うのですが、色々取り組みをされたようですので、そこに変化があったのか、それとも、大して変わらない感じがするのか、率直なところが知りたいのです。」
「あ、はい・・・どのくらい変化があったのか、それは分かりませんけど・・・それほど時間も経っていないですし、出会いもまだないですから・・・ただ、自分がネガティブな出来事にばかり気を取られていたことに気づきました。」
「ほう、なるほど。ネガティブな出来事に気を取られていると。」
「はい。頂いた課題のように、平等で人間として尊敬できる人を観察しようとしてみたら、そうじゃない人、ズルをしたり、大声を出して脅しみたいなことを言ったり、そういう人のことばかり、日頃気にしていることに気がつきました。」みさおは少し暗い表情でそう言った。
「なるほど。それは大事な気づきですね。」対照的に、ドクターは明るい表情、そして明るい声でそう応じた。
「でも、それをやめられたかというと、難しいです。気になってしまうので。」
「そうでしょうね。すぐには変われなくても、それは気にしなくていいと思います。気づいただけでも大事な進歩ですよ。」ドクターは、一貫して明るい声、明るい表情でそう言った。
「そうなんですね!では、そう考えておくことにします。」みさおも影響されたのか、少しだけ明るい声になって、そう答えた。
「ところで・・・ネガティブな方に反応してしまうのは、人間の性みたいなものなので、どうしてもすぐには変わらないものなので、まあ、じっくり変えていければよいと思うのですが、平等で人間として尊敬できる人を観察する、つまり、ポジティブなことにも目を向ける、というのは、できていますか?」
「ええと・・・いつもではないですが、やるようにはしています。意識しているときはできていると思います。でも、ネガティブな方の人が近くに来ると、そっちに意識を持って行かれるというか、とにかく気になってしまって、うまくできません。」
「なるほど!そこまで出来ていれば、今日の時点ではかなりの上出来だと思いますよ。」
「えっ!?そうなんですか?全然うまく出来ていないと思っていました。」
今日も先生は絶好調だ、なつをはそう思った。先生は人の「できる部分」を見るのが得意だ。出来ていないことではなく、出来ていることに目を向ける。どうやら、これは意識していやっているのではないらしい。以前なつをと先生が話していたときに、こんな事を言っていた。「僕はね、人の能力を見る、人が『できる』という風に解釈する、そういうクセがあるみたいです。もちろん、他人のよいところを見る、長所をちゃんと見るというときには、良いことなんですが、ときどき、相手の能力を過大評価して『君ならここまでできるはずだ』と考えてしまい、相手にしてみれば過大なプレッシャーをかけられたと感じることがあるようなんです。」と。
私も身に覚えがある。先生が「じゃあなつを君、任せたから。」と言って、それほど丁寧に説明もせず、初めての仕事を「ぽんっ」と任された。そのときは先生のこのような性格をよく知らなかったから、締切間近になって大慌てになった。
このように、時々は相手にプレッシャーを掛けすぎてしまうという形で裏目に出ることもある先生の性格だが、基本的に、心理学では相手の能力を高く見積もることは「良いこと」とされている。
ピグマリオン効果、と言うのだが、人は相手から期待されているような行動をしたり、能力さえ、相手の期待通りになっていく、という効果のことだ。但し、あまりに本人の能力とかけ離れた期待を持ったり、客観的な実力が伴っていないのにほめちぎったりすると、逆効果になったり、悪影響が出たりするらしい。それに、語源となった「ピグマリオン」はギリシャ神話のピグマリオン王が女性の彫像に恋い焦がれて、人間になってほしいと願ったら、本当に人間になったという神話が由来となっている。その神話自体も、少しゆがんだ愛の形だなぁ、と私なつをは、実は思っている。ともあれ、相手に期待をかけ、ピグマリオン効果で相手を導く、というのは、さじ加減の難しい作業ではあるようだ。
なつをが勝手に回想しているのをよそに、セッションは進んでいた。
「みさおさん、今日は、もう少し踏み込んで、みさおさんの世界観を、少しずつでもポジティブにしていけるかどうか、そのチャレンジをしてみたいと思います。」
「はい、なんか怖いですけど。大丈夫ですかねぇ。」
「ええ、大丈夫ですよ。潜在意識は、本当に変われない、無理、という場合は、自ら先に進まないようにブレーキをかけるものですから。無理やり何かをしない限り、心配することはありません。必要な変化が、起きていきます。」
「はい。少し安心しました。」
「では・・・」そう言ってドクターは少し真剣な顔になった。「先日からテーマになっている『安全の感覚』についてですが、それが脅かされている、それが今はない、と感じるときは、特にどんな時ですか?」
「えぇと、仕事でプレッシャーがかかった時などは、そうだと思います。」
「なるほど。では、仕事でプレッシャーがかかった時のことを想像してみてください。」
「はい。」みさおの表情がみるみるこわばっていくのが分かる。
「その時の感覚・・・今の感覚でもありますが・・・それを、少し言葉にしてみましょう。」
「はい・・・なんだかものすごく緊張して、胸のあたりが『ギューッ』と締め付けられるような感じがあります。」
「なるほど。胸のあたりが『ギューッ』と締め付けられるような感じですね。」
「はい。」
「その感じを、しっかり覚えておいてください。」
「はい。」
「今度は、過去のことを質問します。今の感覚と同じ、あるいはとても似ている感覚を、過去に経験したことはありますか?なるべく古い経験を、頑張って思い出してみてください。」
みさおは一瞬体を「びくっ」とさせて、それからゆっくりと答えた。「あの・・・家に父がいて、機嫌が悪い時の感じに似ています。」
(つづく)
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