第3話 婚難」カテゴリーアーカイブ

婚難(10)|恋愛ドクターの遺産第3話

第六幕

「なつを君、かおりさんからメールが来ていますよ。」
「えっ!? 何ておっしゃっているんですか?」
「恋人候補が現れたそうです。」
「えーっ!すごい!どんな人なんですか?」
「読んでみてください。」

なつをは文面を読んだ。かなり長く、詳しく書いてある。
曰く、あのあと、ラフな服装で、気楽な居酒屋飲み会に参加するということを数回行ったのだそうだ。飲みものも食事も安いお店での飲み会なので、参加する男性も、今まで出会うタイプとはだいぶ違う人が混ざっていた。その中に、イラストレーターをしている、という男性がいた。収入の波があるので、良いときはいいが、底の時が大変だと。だから自分の仕事に必要なものにはお金を掛けるが、飲み会も含め、生活は質素にしている、と。
正直、彼以外の参加者男性には興味が湧かなかった。彼は自分の意思で居酒屋を選んでいるが、他の男性たちは、言葉は悪いが、仕方なくそのランクのお店に行っている感じだった。もう少し別の言葉で言うと、彼は自分の仕事に誇りを持っていた。私は彼のそういうところに惹かれた、ということだった。
まだ、交際には至っていないそうだ。ただ、出会いの流れが良くなったのは確かなようだ。かおりさんが、その彼と結ばれるのか、それとも、また別のご縁を引き寄せるのか、それはまだ分からない。でも、いずれにしても、幸せに向かいそうな雰囲気がすごく感じられた。

「先生、すごいですね!」
「何が?」
「何が、って、先生のセッションの効果ですよ!」
「あぁ、まあ、かおりさんがちゃんと行動した結果ですよ。」
「そうですけど・・・今までずっと恋人ができなかったのに、一気に可能性が拓けた感じですよ?」
「そうですね。こういう展開は面白いですね。」

でた!「面白い」発言。先生がよく言う言葉だ。先生の言う「面白い」には明確な定義がある。会話で使う言葉に、定義があるというのもヘンな言い方だが、とにかく、定義があるのだ。それで、その「面白い」の定義だが、それは(1)問題が目の前にある (2)それを解決する力(や環境)がある この(1)(2)の両方が揃っていることを「面白い」と言うのだそうだ。
(1)が足りない場合は、解決力はあるのに問題がなくて「退屈」になるし、(2)が足りない場合は、問題があるのに解決力がなくて「苦しい」となる。目の前に問題があり、その問題をちょうど解決できるほどの、問題解決力、問題への対応力を持っている。それが先生の言う「面白い」の定義だそうだ。確かに、かおりさんなら、この問題もじきに解決してしまうだろう。
・・・

ゆり子はノートを閉じた。
はぁ、とため息が出た。
(私は、幸雄さんとの問題を解決する「解決力」が足りないのかな・・・今目の前に横たわっている問題が解決できなくて「苦しい」もの・・・)

ゆり子は考えていた。私は本当に、相手のコックピットに座るように、相手の体験を想像できていただろうか、と。私は結局なつをさんのように、相手の「立場」には立ったが、自分の感じ方で理解したつもりになっていたのではないか。
「でも、幸雄さんを理解することなんて、できるのかな・・・」

セットしていたアラームが鳴った。ぐるぐる思考タイムに、ゴングが鳴って終了、といった感じにはなったが、そのまま続けていても生産的ではなかっただろうから、丁度良かった。幼稚園のお迎え、夕食の支度など、忙しく過ごすうちに、ノートのことはゆり子の意識の端に追いやられていった。
・・・

(あ、この人、過剰に相手のコックピットに座ってしまう人なんだ)ゆり子はそう思った。テレビを見ていたら、匿名で、姿も隠してDV経験者という女性がインタビューに答えていたのだが、それを何気なく眺めていたら、そんな風に思ったのだ。
相手が暴力を振るうときの、その相手の苦しい気持ちに共感してしまうので「やめて」「つらい」という、自分の側の気持ちと一緒に居られなかったのだと、その女性は語っていた。解説役の心理カウンセラーが「ここまで自分の気持ちや、自分の傾向を客観的に語ることができるようになったからこそ、彼女はDVを抜け出せたのです。渦中にいるときは相手の気持ちしか考えず、自分の気持ちを感じることができなかった」と説明していた。

彼女の話を聴きながら、ゆり子はぼんやりと、幸雄のことを思い出していた。共感力のない会話、そしてときに「キレる」とも言える言葉。確かにゆり子にとっては辛いことばかりだったが、そのときに幸雄はどんな気持ち、どんな感覚でいたのだろう?とゆり子は想像していた。

(・・・なんだか、苦しそう・・・)ゆり子は思った。思い出してみると、声を荒げたり、無視するような冷たい態度を取るときの幸雄は大抵、苦虫をかみつぶしたような、渋い顔をしていることが多かった。おまけに・・・これは考えすぎかもしれないが・・・長年そういう心を持ち続けて生きてきたために、渋い顔をするときの、顔のしわが、顔に刻まれて消えなくなっているようにも思えた。
そんな幸雄の、心のコックピットに座るように想像してみると、自分が何かすると、妻(つまりゆり子だ)からダメ出しをされ、本当は愛されたいのに、そして愛したいのに、どうしていいか分からない。自分なりに工夫をしてみると、裏目に出る。その無力感、悔しさ、寂しさ、悲しみが、自分事のようにありありと感じられた。

(あぁ、これが、相手のコックピットに座る、ということなのね)ゆり子は思った。相手の立場に自分を置いてみただけだったら、「私ならそういう行動はしない」と思うだけで終わりだっただろう。事実、ゆり子は共感力のある方だし、滅多に声を荒げたりしない。ゆり子の思考回路・行動パターンからすれば、幸雄は「理解不能」だったのだ。いま初めて、幸雄の気持ちの中に入れた気がした。理解不能な夫が、少し理解できた・・・気がした。

「でもやっぱり、一緒にやっていく自信はないなぁ・・・」
ゆり子はつぶやいた。
(つづく)

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婚難(9)|恋愛ドクターの遺産第3話

第五幕

セッションが終わって、なつをはひとりで、セッションを振り返っていた。
(先生は、かおりさんと、あっという間に打ち解けていた。先生がかおりさんに無理して合わせたという感じはなかった。私は少し無理して合わせていたのに・・・)なつをは、そんな風に振り返っていた。

そして、以前先生が言っていた「他人のコックピットに座る」という話を思い出していた。かおりさんはきっと、先生が自分の立場に立って一緒に考えてくれているという安心感を感じていたに違いない。その大事な秘訣が、他人のコックピットに座る、ということなのだ。

以前のセッションで、こんなことがあった。
その相談者は、変わった性癖の持ち主だったので、なぜそこにそれほど執着するのか、自分の感覚を基準に考えたら、なつをにはまったく分からなかった。しかし、先生は、その相談者に寄り添い、相談者の感覚を少しずつ理解していった。

セッションが終わったあと、なつをは先生に質問した。
「そんなものに執着しても、男女関係が面倒になるだけですよね? なぜ、そんなにこだわるのでしょうか?」
「なつを君、君は、自分の感覚を基準に相談者を見ていませんか?」

「えっ?」なつをは、何を言われているのか、よく分からなかった。「先生、私は彼の立場に立って見て、そして、自分だったらどう考えるか、想像してみたのですが、それではダメだということでしょうか?」

「では少し、基本から説明しましょう。」先生はそう言って、基本から教えてくれたのだった。「まず、彼の立場に立たずに、『奥さんがいるのに、そこに興奮するからと言って、別の女性に手を出したらダメでしょう。』なんて言うようでは、これは、カウンセラーとして完全にアウト。これでは、相談者はお金を払って、自分のことを全く分かってくれない人に話をしに来てしまった、こんなところに来るんじゃなかった、と思って、もう、セッションの信頼関係はおしまいです。」
「それは分かります。」
「次の段階として、彼の立場に立ってみる、というのがあります。私も、このポジションから話をすることは、よくあります。だから、彼の立場に立ってみて『私だったら、そこに執着しても、男女関係が面倒になるだけ、と感じました。』と発言してみるのは、これは、カウンセリングとして、アリだと思います。」
「なるほど。先ほどの私の意見は、アリなんですね?」

先生は少し天井を見るように目を動かして、それからこう言った。「但し、その場合、あくまで『私は』という言葉を入れて、私の感じ方、私の価値観で言えば、ということを明確にすることが前提です。なつを君がもし、私は、という言葉を入れずに『そこに執着しても、男女関係が面倒になるだけですよね。』と言えば、それは、一般論として、という意味になります。相談者よりも偉いカウンセラーの私が、世界を代表してものを言います、というニュアンスになる危険性があるのです。」
「そうなんですか?」
「それはそうでしょう。だって、ご本人だって、どこか、その性癖を恥じていらっしゃったりして、そこに傷口に塩を塗られるように否定されたら、どう思うのか、想像すれば分かるじゃないですか。」
「あぁ、そうか。そうですね。」でも私は、まだ釈然としないものを感じていた。
それを察したのか、先生は、続けて次のことを言った。
「もしここに、繊細なA子さんと、剛胆なB男君が居たとします。ふたりは道を歩いていました。目の前に、ちょっと気持ち悪い何かの動物の死骸があったとします。それはちょうどA子さんの真ん前にありました。で、A子さんは『ぎゃっ』といって飛び退くわけです。」
「・・・はあ、なるほど。」
「それに対して、B男君が、『A子さんの立場に立って』『自分のことのように』想像してみたとします。B男君、ちょっと頑張りました。」
「はい。」
「しかし、B男君は、A子さんほど敏感でも繊細でもないので、そんなに驚かないわけです。『あ、ちょっとびっくりするよね。』ぐらいの感じでしょうか。」
「そうでしょうね。」
「では、これで、B男君は、A子さんの体験を理解したことになるでしょうか?」
「あぁ、A子さんの身に起きた『出来事』は理解したことになると思います。」
「そうですね。A子さんの身に起きた、外側の出来事は、理解しました。でも、A子さんの内側で起きた反応、ものすごくびっくりした感情の動きなどは、B男さんは体験していないことになります。」
「それは、仕方ないことなんじゃないですか?」
「もちろん、その相手に、完全になることは無理ですから、仕方ないと言えば仕方ないことです。でも、『立場に立つ』だけでは、不十分だということは、分かりますか?」
「・・・分かります。でも、では、どうやって・・・」
「それが、私が言っている『相手のコックピットに座る』想像をする、ということなのです。相手がどんなところで反応し、どんなことを喜び、どんなことに恐怖し、何を不満に思うのか。そういうことを色々聞いていくうちに、ある程度までは、相手の感情的な反応まで、想像することが可能になります。」
「そんなものですか・・・」
「たとえば、剛胆なB男君も、あるとき、自動車を運転していて『あわや大惨事』という場面に遭遇して肝を冷やした経験があった、とします。さすがのB男君も、ちょっと怖かったわけです。」
「・・・はい・・・?」
「そういう経験を思い出してみて、『あぁ、A子さんは、動物の死骸を見ただけでも、自分が事故のニアミスを経験したときぐらいの衝撃を受けるのかもしれないな。』と想像することは、できるはずです。自分より何倍も感情の振れ幅が大きいと想定すればいいわけですから。」
「あぁ!なるほど!じゃあ、私の場合、剛胆な人の『コックピットに座る』場合、自分より何分の一しか、感情が振れないと想像してみればいいわけですね?」
「そういうこと。」

そう、先生は、こんな風に、相手の内面で起きている事も含めて、できるだけ理解するように努めることが大事、ということをいつも教えてくれた。
そしてそれを「他人のコックピットに座る」と表現していた。
それをなぜか、私なつをは思い出していた。きっと、私にとって、感じ方や考え方がずいぶん違うと感じる、かおりさんのセッションを理解するに当たって、「かおりさんのコックピットに座る」想像が必要だったからだろう。ほんと、カウンセリングは脳味噌フル回転だなあ、なつをはいつもながら、そう思った。

(つづく)
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婚難(8)|恋愛ドクターの遺産第3話

「それから。」ドクターは続けた。「美人問題があると、自然体の自分で居るかどうか、という条件が、より厳しくなります。」
「そうなんですね? 美人って、それほど得していないような・・・」苦笑しながらかおりは言った。
「まあ、苦労もありますよね。ただ、うまく舵取りできれば、印象が何倍にもなる、という特性は、人によっては喉から手が出るほどほしい「素質」になると思います。」
「そうなんですね。私はいままでうまく舵取りできていなかった、ということなんですか?」
「恋愛に関しては、そうだと思います。」
「先生、はっきりおっしゃって下さるところがイイです。」
「はは。ありがとうございます。思っていないことは言えないタチなので。」

ドクターは少しの間黙っていて、そして、もうひとつ質問した。
「ところで、オッサンぽいところは、家に居るときも発揮されていますか?」
「それが、自分ではよく分からないんですが、友達に言わせると、家では意外なほど女性っぽいらしいです。」
「へぇ。それはどんなところを見て、お友達はそうおっしゃるのですか?」
「忙しいときはできないんですが、料理をしたり、家の中をキレイに片付けていたり。豪快な飲みっぷりとは裏腹に部屋が女っぽい、と友達に言われました。」そう言ってかおりはくすっと笑った。
「それも、何かの機会に表現するといいですよ。」ドクターは言って、しばらく考えた後、さらに続けて聞いた。「そう、部屋汚す人、いやでしょ?」
「あぁ、まあ、使えば汚れるものですけど、極端に部屋が汚い人は嫌ですね。自分で使ったものぐらいは自分でゴミ箱に入れられるぐらいでないと・・・」
「そういうことも、話題に出すといいですよ。」
「・・・どんな風に?」
「たとえば、居酒屋でデート、あるいはその前の段階で、何人かで集まって飲み会をしたとしますね。そのときに、『部屋をきれいにするのが趣味で』『趣味の合う人がいい』って言ってみるわけです。」

「私、以前、男の人の部屋を見ないと信用できないとか思って、何かと口実を作って部屋に上がり込んで観察する、ということをしてみたことがあるんですが・・・」
「それ、結構煙たがられたんじゃ?」
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婚難(7)|恋愛ドクターの遺産第3話

セッションは進み、終了時刻が迫ってきた。そろそろ今日の行動課題を出して、まとめる段階だ。

「では、行動課題を考えましょう。」ドクターが言った。
「はい。」

「かおりさん、あなたの『オッサン』的な部分を、『恋人と出会う可能性のある場所で』積極的に出してみよう、というのが、今回の課題です。」
「少し抵抗ありますね。」かおりが苦笑しながら言った。
「ところで、『オッサン』ぽい、とは、たとえばどんなことでしょう?」
「えぇと、たとえば、おしゃれなフレンチレストランよりも居酒屋で日本酒にスルメ、みたいな飲み方が好き、とかですかね。」
「なるほど。居酒屋好き、と。ほかにはどんなところがありますか?」
「服装や、小物、文房具などを選ぶときに、周りの女性は「カワイイ」という基準で選んだりするみたいですが、私は機能重視。カワイイは二の次、という基準ですね。服装は最近は少し女性らしいのを選ぶようにしていますが、他は相変わらずです。女性と文房具を買いに行ったりすると、選ぶ基準の違いにびっくりします。」
「なるほど。カワイイ、という選択基準があまりない、と。もうひとつぐらい行ってみましょう。」
「あの・・・これは、ちょっとヘンな言い方かもしれませんが、私、体を触られることにあまり抵抗がないんです。」
「ほう、なるほど。触られることにあまり抵抗がないと。」
「はい。同僚の女性が、飲み会の席でひざ、というかももに手を置かれて、とても嫌がっていました。実は私も、そういうことがあったのですが、意外にも平気だったんですよね。同僚として普通に仲良くしているぐらいの男性だったら、そんなに気にならないというか。かといって、その人と深い仲になろうと思うわけではないんですけど。」
「確かに、感覚的には、男性っぽい感じがしますね。」

ドクターは続けた。
「さて、色々な点を挙げてくださいましたが、今おっしゃった中で、一番気になっているところ、一番自分の『オッサンぽさ』を際立たせているところはどれか、と考えてみると、どれですか?」
「やっぱり居酒屋にスルメ、ですかね。」
「なるほど。それですか。なら、行動課題は、それをオープンにする、ということですね。」
「オープンに・・・みんなに言う、ということですか? それならもう、職場中に知れ渡っていますけど・・・」

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婚難(6)|恋愛ドクターの遺産第3話

第四幕

次のセッションの日は、すぐにやってきた。
「こんにちは。」
「こんにちは。」
「最近どうですか。」ドクターは尋ねた。
「えーと、まぁいつも通りですが、前回ご相談させていただいたおかげか、気持は少し楽になりました。」
ドクターが何かいいかけたところ、遮るようにかおりが言った。
「そう、前回の課題ですけど、男性って、頼み事をすると結構助けてくださるんですね。なんだか少し申し訳ないような気持ちもしますが、ちょっと嬉しかったりもします。」
「いいですね。そうやって出来事を味わって過ごすことは、とても大切です。すでに、いい流れを作ってるんじゃないかな。」
「ありがとうございます。それで、先生、どうしたら解決するのでしょうか?」

ドクターは腕組みをしながら話を聞いていたが、小さく深呼吸をした。そして腕をほどいて、身振りを交えて説明をし始めた。
「かおりさんの課題について、前回『美人問題』と『出来る人問題』だとお伝えしました。」
「はい。」
「そのせいで、出会いの質が悪くなっているとも、申し上げました。」
「はい、そう理解しています。」
「まず、少し、その本質についてご説明いたします。」
「お願いします。」
「アッパークラス問題というのは・・・」ドクターが説明を始めた。

そう、アッパークラス問題というのは、前回「美人」「できる人」「セレブリティー(有名人)」をまとめて「アッパークラス問題」と呼んだのだった。なつをは思い出していた。普通に考えると、いい思いをたくさんしていそうで、他人からうらやましがられる存在なのだが、アッパークラスにはアッパークラス特有の悩みがあるし、陥りやすい課題もある、先生の話は、そんな話だった。

「つまるところ、相手がファンタジーを持ってこちらのことを見てしまう問題、と言い換えることが出来ます。」
「ファンタジー、ですか。」
「つまり、平たくいえば誤解されやすいということです。」
「あぁ、それ、よく分かります。私、ずっと、本当の私を見てもらえていない、と感じていました。相手が、自分の憧れを私に重ねていたり、何か、見る人にとって都合のいい部分だけを見ているんだな、という風に、感じることが多かったです。」

「でも先生、それって、誰でもそうなんじゃないですか?」なつをが口を挟んだ。
あ、しまった! なつをは思った。またあとで先生に叱られるパターンだ。余計な口を挟んでしまった。

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婚難(5)|恋愛ドクターの遺産第3話

「そこが、もうひとつの罠、なのです。」
「もう何を言われても驚きません。」少し苦笑しながら、かおりは言った。「先生、続けて下さい。」
「実は、美人問題というのは、あなたの印象を何倍にも増幅するという性質があります。」
「印象、ですか・・・」
「そうです。ここに、もうひとつの『できる人』問題がくっつきました。女性でここまでやっている人は、まだまだ少ないですから、当然、目立つわけです。」
「はい、確かにそう思います。」
「そこに、『美人』がつくと、印象が何倍にも増幅されるわけです。」

「ものすごくできる人、に見える、ということですか?」なつをが割って入った。
「そういうこと。なつを君、ここに、二人の女性がいたとして、一人は普通の顔立ちの司法書士、もう一人はこの、美人司法書士。もし『片方はものすごく敏腕なんですよ』と言われたら、どっちの人だと思いやすいですか?」
「確かに、ぱっと思い浮かべるのは、美人さんの方です。」
「そう、こんな風に、顔の印象がハッキリしていると、そのほかの部分の印象を、何倍にも増幅する効果があるのです。」

「言われて・・・納得です。」
「つまり、かおりさんは、美人であるがゆえに、そして、司法書士という、固くて、仕事をキッチリやりそうな感じのする肩書きを持っているがゆえに、ものすごく仕事ができて、お堅い性格の人なんじゃないか、そういう先入観で見られる立場に、常に置かれている、ということなんです。」
「言われて、少しほっとした部分と、でも、これって自分の問題というわけでもなさそうなので、一体どうしたらいいのか、という不安と、混ざった気持ちになりました。」

「そうですね。ですが、この問題の解決は、ポイントさえ分かってしまえば、意外と簡単です。」

「そうなんですね! あぁ、今日は来てよかった!」

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婚難(4)|恋愛ドクターの遺産第3話

「あともうひとつぐらい、大事な理由がありそうです。」ドクターは続けた。
「かおりさんは、自分のことを『男っぽい』と思いますか?」
「え、はい。結構『オッサン』だと思います。」
「なるほど、やっぱり。」

先生、言うことが失礼じゃないか、となつをは思った。クライアントに対して、オッサンだというのが「やっぱり」だとか、そんなこと言っていいのか、なつをが思った瞬間、かおりの反応は意外だった。

「やっぱり先生、見抜いていらしたんですね。そうですよね。私もこの『オッサン』な性格は問題じゃないかと、うすうす思っていたんです。」

ドクターは少し考えている様子で、言葉を選びながら話し始めた。
「確かに、女の中の女、女子の中の女子、みたいな女性の方が、男性から好かれ、選ばれるチャンスの数が多いのは事実です。かおりさんは、おそらく10代から、もしかすると20代前半ぐらいまでは、結構男性が寄ってきてモテたのではないかと思うんですが。」
「はい、自分で言うのもアレなんですが、結構モテました。」
「ですよね。若いときは割と男女共に、ですが、相手を見た目で選ぶ傾向があるのです。」
「わかります。でも、自分に合う人はなかなか居なかったです。」
「以前、私のところに、もう40代ぐらいでしたが、今でもお綺麗な方が相談に見えたことがあります。その人に、若い頃はモテましたよね。でも、自分に合わない人まで来て大変じゃありませんでしたか、と質問したのですが、その答えが面白くて。」
「なんとおっしゃっていたんですか?その方は。」
「『無駄モテって呼んでいました。』と。」
「なるほど、私の場合も、私に合わない人がいっぱい来ていたのは『無駄モテ』だったんですね。」かおりはそう言って笑った。
「そうですね。全然男性が寄ってこない女性から見たら、『無駄モテ』なんて、憤慨したくなる言葉でしょうけどね。」
「そうですね。」そう言いながら、かおりは何だか嬉しそうだ。
「モテる側の悩み、というのもあるんですよ。でも、大体、モテる側は少数派ですから、孤独だし、この悩みを分かってくれる人は、なかなか居ないんです。」
「そう!そうなんですよ!」かおりはひときわ大きい声を出した。

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婚難(3)|恋愛ドクターの遺産第3話

第三幕

「失礼します。」そういってドクターが入ってきた。髪は短めにさっぱりとまとめているが、それほどおしゃれではない。白衣を着て、眼鏡を掛けている。眼鏡は縁の細いおしゃれな眼鏡だ。

「遅れてしまって申し訳ない。どうしても外せない用事がありまして。先に色々質問をしてもらってたんです。」ドクターが言った。
「いえ。なつをさんと楽しくお話しさせて頂きました。」かおりが答えた。
ドクターはなつをの方を見た。
「いえ、ふつうに質問票にある質問をしていただけです。わたしのとちりキャラが面白かったみたいで・・・」少し焦りながらなつをは言った。
「そうですか。楽しんで頂けたようでなによりです。」少しニヤニヤしながら、ドクターはかおりに向かってそう言った。

そして、急に真剣な顔になって、ドクターはなつをの記録した質問票を手に取った。「なるほど。」

「美人なのはいつからですか?」
「へっ?」
「あぁ、唐突な質問、失礼しました。でもこれは、まじめな質問です。おそらく、顔立ちからして、子供の頃から整った顔をしていらっしゃったのだと思うのですが。」
「・・・はい。わりと『綺麗だ』とか『美人だ』と言われることは多かったと思います。私自身は親しみやすい『可愛らしい』顔に生まれたかったのですが。」
ドクターは、分かる分かる、といった風に、ゆっくりと何度かうなずいた。
「なるほど。やはり子供の頃からですか。」やはり美人顔がいつからなのか、それは気になるらしい。

「先生、それ、彼女の問題と何か関係あるんですか?」
「ありますよ。おそらく。まだ聞きたいことがあるので、なつを君は少し静かにしてもらえますか?」
「すいません。」

ドクターは再びかおりの方を向くと、質問を続けた。
「えぇと、肩書きというか職業が『司法書士』さんだと言うことですが・・・」
「はい、以前からお世話になっていた経営コンサルタントの方のオフィスで、会社設立の登記などの法律業務を担当させて頂いています。」
「なるほど。ちなみに資格を取られたのはいつ頃ですか?」
「ちょうど7年前ぐらいです。」そう言ってかおりはハッとした表情になった。
「7年前は、色々ありました。彼と別れたのもその頃でしたし、資格試験で大変だったのも、その頃でした。」
「色々大変だったんですね。そして、7年前というのは、何か重要な転換点にはなっていたようですね。」
「はい、そう思います。」
「なかなか彼氏ができない理由。まずひとつは見つかりました。」
「はい。それは何でしょうか?」
「かおりさんが美人だからです。」

「えっ?」
「えっ?」
なつをとかおりが同時に声を上げた。

なぜ、美人だと彼氏ができないのだろう。不細工だと出来ない、というのなら、失礼な話ではあるが、話は分かる。なつをは思った。でも、いま、先生は明確に「美人だから」と言った。それにかおりさんは実際に美人だ。それが彼氏ができない理由とは・・・先生は時々私に理解できないことを言うが、今回もそうだ。

(つづく)

婚難(2)|恋愛ドクターの遺産第3話

第二幕

「えぇと・・・かおりさん。」
「はい。」
「こんにちは。」ややぎこちない感じで、なつをが挨拶をしている。
「こんにちは。」様子見をするような感じで、かおりも挨拶をする。
「今日は、ドクターAは、少し用事で出ておりまして、ご連絡しましたとおり、一般的な質問につきましては、私なつをがさせていただきます。」
「はい、伺っております。」
そう、今日は先生が多忙のため、私が予めいくつか質問をして、事前に情報収集しておくように言われているのだった。ある意味、カウンセリングの一部を任されているわけで、とても緊張している。

「えぇと・・・かおりさん。」
「はい。」
「彼氏がなかなかできない、という問題だと伺っておりますが、いないのは何年ぐらいになりますか?」
「7年ほどです。」
私は、ドクターから受け取った質問票に書き込みながら質問をしていった。
質問をしながら思った。いつも、先生はとくにメモをするわけでもなく、どんどん質問をして、どんどん話を進めていくけれど、それでも、ポイントを外すことは、ほぼない。それがいかに難しく、すごいことなのか、自分で相談者を前にして話を聞いてみるとよく分かる。メモを取るペンが、指先のイヤな汗で少しぬるぬるしている。
私は頑張って質問を続けた。
「その後、恋人を作るための取り組みなど、何かしてみたことはありますか?」
「えぇ、何人かの友達や同僚、男性も含めてですが、意見を聞いてみて、どうやら私は女らしくしていないというイメージらしかったので、ファッション雑誌を買うようにして、服の選び方とか、お化粧の仕方とか、女性らしくするように努力しました。」
「そうなんですね。いまはお綺麗ですよ。」
「ありがとうございます。」かおりは少し照れながら言った。「でも以前はざっくりとした洗いざらしのシャツにGパンにすっぴん、て感じで、スカートをはくようにしたのも、その頃からなんです。」
「・・・そうなんですね。」なつをの受け答えがまだぎこちない。メモを取っているとどうしても間がおかしくなってしまう。

「ご自分で、この問題について、原因を考えたり、解決のための取り組みをしたことはありますか?」やや棒読みになりながら、質問票にそってなつをは質問した。
「はい。先ほども申し上げたとおり、女らしくないことが原因だと、知人から指摘されましたので、その点については、女性らしい服装や振る舞いをするように、努力をしてきました。ただ、それでも、その後、恋人ができないので、最近ではインナーチャイルドの課題が何かあるのかな、と考えることもあります。」
(えと・・・本人が分析を述べたら、「もう少し詳しく教えてください」と言って、さらに聞き出すように・・・と書いてあるな・・・)なつをは質問票にある、先生からの指示を黙読して、次の質問を心の中で準備した。
「そのことを、もう少し詳しく教えてください。」
「はい。」かおりは話し始めた。
「先生のご著書や、ほかの心理学の本を読んだりして、色々勉強させていただいているのですが、そうすると、恋愛でうまく行かない背景には、子供時代の生育環境の影響がある、と、大抵書かれています。私自身も、子供時代に、両親が商売をしていまして共働きでしたので、寂しかった思い出はかなりありますし、何か、いまの恋人ができない問題と関係あるような気がしまして・・・」
「なるほど。そういうことなんですね。」なつをはメモを取るのに必死だった。
(とても頭の良い方のようだ・・・そして、しっかりと考えていらっしゃる。私、ちゃんと記録できているのだろうか・・・)なつをは理路整然と自分の問題について話すかおりに気押されて、また体中にイヤな汗をかいていた。

ふう。先ほどの質問に関するメモを取り終えると、なつをが深呼吸をして、次の質問に移った。
「お仕事は、何をしていらっしゃいますか?」
「仕事は、企業コンサルタントの会社で、司法書士をしています。コンサルティングは主に社長を始めとしたメンバーが行っていて、私は会社の設立登記などの法務を主にやっています。」
なつをは、メモを取りながら上目遣いにかおりをちらっと見た。
(結構やり手なんだ・・・キャリア系女子かぁ)
そんなことを思いながらメモを取るペンを走らせる。
「あ・・・なるほど、そうなんですか。お仕事はお忙しいですか?」
「そうですね。ずっと忙しかったんですけど、最近少し、後輩に仕事を任せたり、適度に手を抜いたりすることを覚えまして、少し自分の時間もとるようになりました。」
「えぇと・・・先生から、仕事が忙しい人の場合質問して下さい、と言われているんですが・・・」
「先生、なかなか先読みする人ですね。」かおりはそう言ってクスッと笑った。
「いや、ほんと、そうなんですよ。先に何でも分かっているような、そんな雰囲気で、でも実際、本当によく分かっていることも多くて、どこまでが本当でどこまでがハッタリだか分からないことも・・・あ、すいません、しゃべりすぎました。」
あー、これ、先生が聞いてたら怒られるだろうな。なつをは思った。クライアントが自分の話をするのがカウンセリングの時間。カウンセラー側は関係ない自分の話をしてはいけない、といつも言われていたのに、つい余計なことを口走ってしまった。
「なつをさんって、面白いですね。」かおりは一気に表情がほころんで、楽しそうな笑顔になった。
(まあ、緊張はほぐれたし、結果オーライかもしれない)なつをは思った。
「ご質問は、なんでしたっけ?」
「あぁ、すいません。ふたつあって、ひとつ目が、『仕事が忙しくなった頃と、彼氏ができなくなった頃は、同じ頃ですか?』もうひとつが、『お姉さまに頼りたい年下男子、みたいな男性が寄ってくることは、ありますか』です。」
「えぇっ」かおりは笑いながら言った。「お姉さまに頼りたい年下男子・・・って、確かにそういう子が寄ってくること、割とありましたよ。学生時代からかな。でも私、そういうの趣味じゃないんで、いつも断っていました。」
「はい。」なつをは必死でメモをしていた。
「なんか、なつをさんって、かわいいですね。あ、失礼だったらすみません。」
かわいいと言われて、なつをはなんだか恥ずかしくてからだが熱くなった。さきほどから緊張がほぐれて、やっと乾いてきた指先も、また少しぬるぬるしてきたような気がした。
「ええと、もうひとつ、なんでしたっけ?彼氏ができなくなった時期と、仕事が忙しくなった時期・・・ですよね?」
「えぇ。お願いします。」
「社会人になってから、わりとずっと忙しかったので、時期が一緒かどうかはよく分かりません。学生時代につき合っていた人と、27歳頃に別れてからは、その後ご縁がなくて、今に至る、という感じですね。」
「はい。メモメモ・・・っと」

忙しくなった時期と、恋愛のパターンが変化した(この場合は彼氏ができなくなったという変化だ)時期が同じかどうかを聞くのは、専門用語では「共変関係」と言う。ふたつの出来事が共に起きるようになり、また、共に起きなくなるとしたら、そのふたつには関連がある、と考えるのだ。恋愛相談の場合、好きとか嫌いとか、感情の話が多く、結果、論理的にあいまいな話が多いため、明確にAとBが相関しているかどうか、ということを見つけることが難しい。そんな中で、ドクターが苦心して考えたのが、出会いと別れの時期(これは本人が明確に覚えていることが多い)を訊く、というやり方だ。
但し、こうした、明確に答えられる事実を質問するだけでは、恋愛の問題は解決しない。
ロジカルシンキングは車で言えばハンドルみたいなもの。ロジカルのないカウンセリングは迷走する。但し、アクセルではない。感情、気持ちを扱う部分がアクセル。だから、ロジカルなだけのカウンセリングは、まったく先に進まない。いつか先生が言っていた。

ひととおり、なつをがかおりに質問をし終えたところで、ノックの音が聞こえた。ドクターが帰ってきたのだ。

(つづく)

婚難(1)|恋愛ドクターの遺産第3話

【登場人物】
(現在の人物)
ゆり子 父からノートをもらった。離婚するかどうか悩んでいる
幸雄 ゆり子の夫。 仕事はできるが共感力のない人。
(ノートの中の人物)
恋愛ドクターA ゆり子の祖父(故人) ノートを書いた本人
なつを ドクターの助手
かおり 相談者。彼氏いない歴7年 個性派の女性

 

第一幕

「はぁ。幸雄さんの気持ちわからないなぁ。」ゆり子はつぶやいた。
そう、恋愛ドクターの遺産(レガシー)。そのノートを読んでいろいろ考えていたのだった。
そして今、もう、一度は離婚しかないと決めた決意がまた揺らいでいるのだった。

これまで幾度かノートを開いて、ゆり子はそこに登場する女性たちの勇気がある姿に心動かされてきた。「この人たちはなんて強いんだろう」とゆり子は自分の結婚生活への向き合い方をもう一度考えてみようと思った。
「あー、今恋愛ドクターのおじいちゃんが生きていたらなぁ。カウンセラーに相談しながらだったらもっと私も勇気を持てたのかもしれない。」ゆり子がそんなことを考えていた。

「おじいちゃん」独り言のようにゆり子は言った。おじいちゃん生きていたらなぁ。。ゆり子が急におじいちゃんに会いたいそんな気持ちになった。
「またノートを開いてみようかな。」
ゆり子はノートの束を手に取り(父から段ボール箱でノートをたくさん受け取っていたのだった)、その中から1冊のノートを手に取った。そしてまたゆり子はそのノートを開いた。

・・・

「今日のテーマは、インナーチャイルドの課題と、恋愛の問題についてです。」
ホワイトボードを前にして、ドクターが語り始めた。恋愛ドクターの異名を取るAは、恋愛や結婚生活など、男女問題専門のカウンセラーだ。男女問題は心理のデリケートな動きが大きく影響する分野で、専門家でも原因の推定が難しかったり、誤解に基づいてアドバイスしてしまったり、という間違いの多い領域だ。
その分野で、専門家として有名なドクターの恋愛講義である。多くの人が貴重な話を聞こうと聴講に訪れている。会場にはざっと150名以上の聴講生・・・ほとんどが大人、それも40代以上に見える面々だ・・・おそらくはカウンセラーだろう・・・が座って講義を聴いている。

「恋愛の問題は、表面的に捉えると、本質を見失うことがあります。たとえば、ある女性が、恋人からの暴力を受けている、というケース。法律的にいえば暴力を振るった側に責任があります。もしあなた方が警察なら、彼を逮捕しなければなりません。そこには全く異論はないのですが、では、恋人を逮捕したらこの問題は解決するのかというと、そうではありません。このような女性は、その彼と別れてもまた、別の暴力的な男性と交際するというパターンを繰り返すことがあります。そして、その大もとをたどっていくと、子供時代に、家庭環境が暴力的であったことに行き着くことも、少なくないのです。」

今日もいつも通り絶好調だな、なつをは最前列右端で先生の話を聴きながらそう思った。先生は大抵、生々しい話・・・それが本題なのだが・・・から入る。あまり、前置きなどの工夫はしない。今日も、講義開始早々、核心に触れる内容に入っている。講座の出席者たちも、真剣な顔で聴き、また、メモを取っている。

「このように、子供時代の生育環境の影響がベースになり、大人として生きていくのに支障があるとき、『インナーチャイルド課題がある』と表現します。そして、恋愛は、非常に軽いインナーチャイルド課題・・・そうですね、仕事や知人との付き合いなどの、少し距離のある人間関係では問題として表面化しない程度の、軽いインナーチャイルド課題でさえ、問題の原因となることがあります。だから、恋愛の問題を考える時には、必ず、慎重に、インナーチャイルド課題について扱う必要があるのです。」

「たとえば、先ほどの、暴力的な男性との交際を繰り返してしまう、という女性のケースでいえば、子供時代に自分をしっかり守ってくれる両親の存在、そして、この世界に正義の原則がある、ということを教えてくれた存在・・・これも両親や先生などですが・・・が希薄だった場合に、こういう問題が起こりやすいことが知られています。」

先生の話は、いつも正確だ。なつをは話を聞きながらそんなことを思っていた。「言葉は正確に使う」が先生の理想だし、公言もしている。先生は言葉を象徴的、あるいは比喩的に、拡大解釈して使うやり方を「文学的表現」と称して、やや見下している嫌いがある。先生の言葉の使い方は、むしろ、科学者のそれに近い。先生の話は続いている。

「自分を守ってくれる存在を、身近に体験できずに育った場合、自分の中に正義の基準・・・たとえば、相手の気持ちを踏みにじって自分の主張を通すのは良くないこと、というような道徳観などがそれに当たりますが・・・そういうものが十分育たないで大人になってしまう、ということが起こります。すると、そのような女性がモラハラ傾向がある相手に出会っても、『その言動、おかしい!』と、自分の正義の基準に照らして判断することが、うまくできないのです。そして、なんとなく、その場の空気を壊さないように、その場が荒れないように、相手の機嫌を取って、という行動をしてしまう。その結果、暴力的な、問題のある相手に好かれてしまったりするわけです。自分の好き、嫌い、そして自分の中にある正しい、正しくないの基準を、きちんと相手に表現できないと、自分はいやだと思っているのに、相手からは好かれている、というようなひずみが生まれてしまうのです。」

「このような、インナーチャイルド課題を解決せずに、法律的な見地のみで問題解決を図るならば・・・即ち、暴力を振るったという『事実』だけを見て、相手の『行動』だけに責任を求めるという意味ですが・・・本当の意味で、問題は解決しないのです。」

(つづく)