質問「浮気をされた側にも責任があるの?」に答える。

こんにちは、心のコンサルタント|恋愛セラピスト あづまやすしです。

今日は、「浮気をされた側にも責任がある」という言葉について考えてみたいと思います。

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Photo by Yasushi Azuma

あなたは、どう思いますか?

私は、この件に関しては、普遍的な真実を議論する意味はないと考えています。
つまり、神さまの目から見て、とか、社会のコンセンサスとして、とか、そういう意味での「真実」を議論することは、あまり生産的ではないと考えています。

では、どういう議論なら生産的なのか。

ひとつめの視点は「自分がどうしたいのか」に基づいて考えるということ。

それは、当事者がこれからどうしたいのか、ということに基づいて、自分で解釈を選ぶべき、という話です。

もしも、浮気された側・・・ここでは妻としましょう・・・が、夫にも色々問題はあるけれど、ここはひとつ、私も力を注いで、この問題を解決していこうと考えた、としますね。

このとき、この妻は、私の側にもやるべきことがある、と考えたわけです。
これは、言い換えると、「浮気された側にも責任がある」ということを自ら受け入れたわけです。

解決・・・というか、修復・・・に向けて動くなら、自分の側にも責任とその責任に応えるだけの力があると考えるのは、当然です。

一方、もしも、この妻が、夫の浮気症にすでにうんざりしていて、もうこの人との関係をなんとかしようと頑張るのは不毛だ。これはもう、別れた方がよっぽどマシだと考えたとします。

このとき、この妻は、この夫との夫婦関係を修復する、というテーマについては、
もはや、私の側には、やるべきことはない、と考えたわけです。
もちろん、人生は続いていきますから、この妻には、自分自身が幸せな人生を生きるための努力を続けるという責任は、もちろんあります。でもその道は、この夫との関係の修復ではない、と結論を出したわけです。

このときはもう、「浮気をされた側にも責任がある」という言葉は、当てはまらなくなっています。

もうひとつ、別の視点を提供しておきます。
それは、

各人が自分の価値観や感情などの、内面にも責任を持つべきだという、
未来の社会の責任論を先取りして考えた場合の話です。

浮気夫の側の言い分の中で、よく聞かれるものですが、「家の居心地が良くなかった」というものがあります。この主張はかなり自分勝手な言い分なので、鵜呑みにしてはいけない、という釘を刺しておいて、話を先に進めますが、

「盗人にも三分の理」という諺の程度には、この主張にも、真実のかけらが含まれています。
実際、家の居心地が良くなかったのでしょう。そしてそこに、奥さまの不機嫌さなど、妻側の要因が関係していたことも、おそらく事実だと思います。

実際、感情の交流が失われ、夫婦の精神的な絆はぼろぼろになっているのに、それを放置している夫婦は結構いると思います。それでも、現在の社会のルールで言えば、浮気などの「決定的にクロ」である行動をしなければ「愛情がなくなったこと」の責任は問われない、わけです。

法律的には、相手に愛情を示さなくても、何の責任もない。
のが現在の社会のルール。

これって、相当不完全なルールだと思いませんか?

しかし、法律などの、外的な圧力で、愛することを強要するというような仕組みは危険な感じがしますよね?社会も豊かになるはずがない。

そう、上に示した、夫の言い分は、確かに、何か真実のかけらに触れてはいるけれど、はいそうですかと、そのまま受け入れることはできない主張なんですね。

奥さんが依存的で、夫が精神的に大変なときも、支える側には回れず、自分の側の愚痴ばっかり言っていたとか、もしそういうことがあれば、それは確かに、「内面に責任を持っていない」問題になります。(あくまで、未来の社会ではそういうことがもっと問われるようになる、という話)

しかし、妻にそれを言うなら、夫の側も、同じ基準に立たなければ、公平ではありません。
自分だけは怒りを妻にぶつけても反省しないでいい、とか、妻の気持ちを受け止めて話を聞くということに、無関心でいてもいい、とか、それではダメだと思うんですね。

おっと、夫自身のことを言わなければいけません。浮気に至るプロセスを、色々話を聞いてみると、本人は無自覚のことが多いようですが、見る人が見たら浮気に至る10歩手前から、あやしいぞ、というのが分かると思います。

孤独感、ひとりで背負っているストレス、誰にも弱音を吐けない状況(または本人の性格)、そして妻との心の距離が離れて、体の距離も離れていく(スキンシップやセックスがなくなる)、これらが進行していくと、いずれは何かの引き金で、女性と不適切な恋愛関係になってしまう、

悪いエネルギーが蓄積している、という状態です。見る人が見たら、10歩手前からあやしそうなことに気づくはず。

夫自身の方も、自分自身の、このような状態の変化に、ちゃんと気づいて、浮気問題が起きる10歩手前から、未然に防げるような対策を打つ、そういう責任があります。それが、自分の内面に責任を持つということです。

夫婦間の、良くない議論

議論が噛み合わないときは、根本的な「前提」が噛み合っていないことが多いわけです。

夫が浮気をしたことの責任 ←行動への責任(現在の主流)

妻が不機嫌でいたことの責任 ←内面への責任(未来の価値観)

このふたつは、議論が噛み合わないに決まっています。
責任の意味が違うわけですから。

だから、浮気をした夫が「家の居心地が悪かった」「おまえ(妻)が不機嫌だった」という別の価値観、すなわち、内面に責任を持つという価値観をだして来たら、

「私が自分の感情などの、内面に責任を持っていなかったのは認めるわ。

ただ、そこは、私たち夫婦で、お互いに欠けていたところよね?

あなたも、自分の欲求という、自分の内面をちゃんとコントロールできず、
安易に浮気に走って解消しようとした。そこには、重い責任があると思います。」

という形で、言い返すべきでしょう。

まあ、言い返したり、議論したりすることが良い結果を生むかどうかは、その場の判断になっていくと思いますので、この通り行動すれば良い、というように、マニュアル的には読んでほしくないのですが、ここで言いたいことは、

夫婦が、もし、今後も続けていきたいのだったら、

お互いが、自発的に、

それぞれ、自分の感情や欲求、価値観と言った「自分の内面」に責任を持つ、

という方向に、考え方を進歩させて、成長していく必要がある、ということです。

ということで、
「浮気をされた側にも責任がある」のか?

という問いへの、私の結論ですが、

(1)自分が主体となって、問題を解決していこうと思うなら、
自らの意志で「私にも責任がある」と考えるのはOK
(2)他人から「あんたにも責任がある」と押しつけられるのはNG
(3)その「責任」は感情など、内面に関する責任と切っても切り離せない
(4)内面に関する責任を言うなら、夫婦共々、その責任を負う考えが必要
(「夫は内面に責任なし、妻だけ不機嫌を責められる」のでは不公平)

ということになります。

そしてあくまで、そう考えるかどうかは、当事者本人が、決めれば良いことでしょう。
周りの人は、押しつけるのではなく、本人が自分のペースで、決めて、行動していくのを見守りながら応援していくことが大事だと思います。

ではでは!

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