第10話 なつをの夏の物語」カテゴリーアーカイブ

なつをの夏の物語(4)|恋愛ドクターの遺産第10話

「お友達にはひょっとして『高望みしすぎなんじゃない?』みたいなことを言われたりしましたか?」ドクターが優しく尋ねた。
「あ、はい、言われました。でも、私がお断りしたような自己中心的な方と、平然と付き合える人っているのかな?と思いました。たぶん、私に『高望み』と言った、私の友人も、その、自己中心的な男性を見たら、断ると思います。」なつをはドクターにも「高望み」と言われることを警戒しているのだ。だからつい、自分の判断は当然だ、という主張をするような言い方になってしまう。
「なるほどね。でも、安心して下さい。私は、なつをさんが高望みだから恋人が出来ないのではなくて、そもそもその人とは、大抵の女性はやっていけない、と想定しています。詳しくはお話を伺いながら考えていきます。一緒に解決策を考えていきましょう。」ドクターは丁寧な調子で受け答えしている。

なつをはこのとき、こう思った。ああ、この人は私の立場をちゃんと分かってくれる人だ、と。人は自分の見ている世界から、他人のことを判断しがちだ。たとえば、自己中心的な男性があまり寄ってこない女性は、男性とは、色々お願いしたらそれを聞いてくれるものだ、と思っていたりする。一方で私のように、自己中心的な男性が寄ってきてしまうと、断るのも気疲れするし、かといって熱心に口説いてくれるからといってお付き合いすれば、それもまた本当に疲れることになる。そして、そういう悩みを、自己中心的な男性に悩まされていない女友達に相談すると、ほぼ、分かってもらえない。高望みなんじゃないの? みたいに言われることもある。
出会いの質や量は、本人の意識的な努力ではどうにもならない部分もあって、そもそも不公平に出来ている。私は不公平の、残念な側に属していると思う。
ただ、この先生は、そういうことを分かってくれる人だと思った。私のワガママだとか、高望みと決めつけず、話を聞いて、真実に迫ろうとしてくれている。その安心感が、本当にありがたかった。今日は来てよかった。

ここで湯水ちゃんがなぜか突然咳き込んだ。
「大丈夫ですか?」なつをが声をかけた。
「あ、(ごほんごほん)、だ、大丈夫です。お気遣いなく。なぜか(ごほんごほん)突然むせてしまって。」
「なつをさん、大丈夫ですよ。お気遣いなく。」ドクターも言った。「湯水ちゃん、外してもいいですよ。」
湯水ちゃんが一旦席を外した。壁の向こうから咳き込む声が聞こえる。

「ところでなつをさん、こういう風に、自己中心的な人が寄ってきて、恋愛の始まりが難しい、というケースの場合、さらにさかのぼると、オレサマ的、自己中心的な人と交際してしまって、本当にしんどい恋愛をした、という経験をお持ちの場合が多いのですが、どうでしたか?」
なつをは図星を指されて少し驚いた表情になって、それから言った。「はい。おっしゃるとおりです。ここ一年半ぐらいは恋人がいない状態が続いているのですが、その前は、何もかも自分の思い通りにしないと怒鳴ったり、怒鳴らないときもとても怖い目でこちらを見ながら、理路整然と私の間違いを指摘し続ける、というようなことをしてくる彼氏で、交際が続くにつれてどんどん生気が無くなっていく私を見るに見かねて、友達が何人か介入してきて、それで別れることになったんです。私も始めは、辛くて苦しいのに更に別れが来るのが怖くて、友達にも抗議したのですが、今となっては、強制的に別れさせてもらって、感謝しています。あそこで別れたことはとても辛かったけれど、続けていたらもっと傷は深かったと思います。」

ここで湯水ちゃんが戻ってきた。
「大丈夫ですか?」なつをがやはり声をかけた。
「いえいえ、失礼しました。大丈夫ですよ。本当にお気遣いなく。」と湯水ちゃん。

 

そもそも、なつをが恋愛ドクターのことを知ったのは、友人から教えてもらったからなのだった。

・・・

なつをが恋愛ドクターのことを知るきっかけになったのが、この一件だった。暴君のような彼氏との交際で、日々心労が溜まり、どんどん生気が失われていくなつをを心配してくれた友達に、つい実情を話してしまったのだ。

「あのね、恭子」
「うん」
「私ね、彼に会うのが怖い。」
「どうしたの?なつを。」
「・・・・・怖い。」
なつをはただ涙をぽろぽろこぼすだけで、言葉が出て来なかった。

なつをの夏の物語(3)|恋愛ドクターの遺産第10話

「譲り合いすぎている、と私は今確かに言いましたが、もう少し違う気がしています。気を遣い合っている、というか、相手の出方をお互いにうかがっている、というか、そのあたりです。」
「あ、それ、ぴったりです。お互いの出方をお互いにうかがっている、という感じです。」なつをが先ほどより大きい声で答えた。
ドクターは、無言で数回、深くうなずいた。
「結局その時は、中華料理になったんですが、セットメニューにするか、好きな単品料理を頼んでシェアするか、という方針が決まるまでに10分ぐらいかかりました。」言いながらなつをは苦笑した。「私が『セットメニューにしますか?それとも、単品料理をいくつか頼みますか?』って聞いたら、彼は『なつをさんはどうしたいですか?』って逆に聞いてきて、食べたいもの次第かなぁ、みたいなことを色々言っているうちに、かなり時間が経ってしまったんですよね・・・」
「そうですか、ここでも、お互いの出方をうかがっている、という表現がピッタリですか?」ドクターはどんな話でも、極めて真面目に聞く。友達なら「早く頼めよ!」のひと言で終わりかもしれない話だが、こんな些細な出来事からも、二人を特徴付ける行動パターンを見つけられるかどうか、考えているのだ。
「はい。お互いの出方をうかがっている、という感じです。」なつをが答えた。
「なつをさんは、現在の、二人のこの距離感に対して、どう感じていますか?」
「ええと・・・なんかまどろっこしいというか、もやもやするというか、早く進んでほしいって思います。」
「そうですか。なつをさんとしては、先に進みたいという気持ちなのですね?」
「えと・・・基本、そうなのですが、いざ、自分から彼の・・・たとえば手を・・・握ってみようとか・・・考えたことはあるんですけど・・・」そう言いながらなつをは顔が真っ赤になった。「なんだか恥ずかしいというか、ちょっとためらってしまって、先に進めないのは自分の問題でもあるのかな、と思っているんです。」
「なるほどそういうことですか。確かに、一歩踏み出さない、踏み込まないのは、彼もそうだし、なつをさんもそうみたいですね。今回のご相談の中で、なつをさんの踏み込み問題については、扱った方が良いと思いました。」
「はい、お願いします。」

その後も、なつをと新しく知り合ったその彼との関係を色々ドクターは質問し、なつをは最近の出来事を答える、という形でしばらく話が続いた。

やがて、ドクターがひと言つぶやいた。「以前はもっと警戒心強かったよね。」
「えっ?」なつをは驚いた声を出した。
「確かに、お互いに踏み込みができず、足踏み状態になっているという様子ではありますし、そこは解決すべき課題だと思います。でも、昔は、そもそもなつをさんから気になる男性をデートに誘ったりすることさえ、なかったですよね。」
「ああ、そう言われてみれば、そうだったかもしれません。」

 

第三幕 オレサマとの過去

・・・
遡ること二年ほど・・・ドクターとなつをの初めての出会いは、こんな感じだった。

ノックの音がして、ドアが開いた。
「先生・・・あの・・・よろしくお願いします。」どこかおどおどした様子の女性が入ってきた。
「よろしくお願いいたします。」こんなとき、ドクターは必ず丁寧に応対する。以前、持論を語っていたことがある。「挨拶やマナーは、お互いに緊張感を持っていたり、警戒心を持っているときほど、安心感、つまりお互いに攻撃し合わないだろうという良い期待を作り出す効果があるものです。打ち解けてきたら丁寧すぎる必要はありませんが、最初は丁寧すぎるぐらいから始めて丁度良いものです。」と。

もう一人、ここには助手の湯川みずほ(通称「湯水ちゃん」)がいる。相談者が入ってきたときにドクターと共に起立して待ち受けていたが、挨拶が終わって、皆と同時に着席した。
着席して、セッションは静かに始まった。始めに口を開いたのはドクターだった。「さて、なつをさん・・・でしたね。今日はご相談ありがとうございます。出会いがあまりないということでお悩みだそうですね。」
「はい。でも、出会いが全くないというわけではないのですが、オレサマ系と言いますか、自己中心的な人が寄ってくることが多くて、もちろんそのような方はお断りしているのですが、そうすると今度は、恋人が出来ない、ということになってしまっています。」
「お友達にはひょっとして『高望みしすぎなんじゃない?』みたいなことを言われたりしましたか?」ドクターが優しく尋ねた。

(つづく)

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なつをの夏の物語(2)|恋愛ドクターの遺産第10話

第二幕 なつをの夏 つづき

「さて。」ドクターが言った。「なつをさん。今回のご相談は、ついに気になる男性と少しお近づきになれて、ここからどうしたらよいか、というお話でしたよね?」
「はい。おかげさまで、今度こそは長く付き合えそうな、いい人を見つけたと思ってます。でも、何だかそこから進展しなくて、それで思い切って相談に来ました。」
「なるほど。このタイミングで相談・・・こじれたり問題が大きくなったりしていない段階、という意味ですが・・・これはいい心がけです。今なら色々な手を打てると思いますので。」ドクターが自信ありげに微笑みながら、そう言った。
「では、最近どういう感じのことが起きているのか、ざっくばらんに、思い出した順で構いませんので、お話ししてもらえますか?」ドクターが訊いた。
「はい。実は、彼とは半年前に共通の友人を通じて知り合って、初めて会ったのは飲み会だったんですが、たまたま席が近くて、色々話しているうちに、科学の話や、心理学の話、それから好きなテレビ番組の話など、色々お話しして、それが、結構趣味が合うというか興味の方向が似ていて、話がとても盛り上がったんですよね。そこから、連絡先を交換して、よく会うようになりました。」
「なるほど。出だしは順調な感じですね。」
「はい。おかげさまで・・・でも、そのあと、全然進展しないんですよ。」
「全然進展しない、とは、どんな感じなのですか?もう少し具体的に『こんなことが起きました』的に説明して頂けますか?」
「先日、こんなことがありました。彼からお誘いがあって、一緒に横浜にお出かけすることになったんです。いわゆるデートコース、みたいな感じだったんですが、私たち、終始科学の話や、心理学の話、好きなテレビ番組の話などをしていて、確かにそれはそれで楽しかったんですけど、周りを見るとカップルがたくさんいて、みんな手をつないでいたり、腕を組んでいたり、もっとくっついていました。私たちは、肩と肩の距離が50センチ以内には近づかない感じで、どことなく距離感がありました。」

「なるほどそうですか。お互いに遠慮している感じ、なのかな?」ドクターが質問した。
「はい。そういう感じがします。でも、遊びにはどちらからも誘うんです。私から誘ったこともありますし、彼からもお誘いがあって、出かけたことは何度もあります。だから、消極的、という感じもしないんですけど、でも、このままずっと行ってしまうと、友達止まりのまま、自然消滅してしまったりしたら残念だなぁ、と思うんです。」なつをはしょんぼりした雰囲気でそう言った。
「そうですね・・・確かに、気の合う同士のようですし、進展したらいいですね。このまま消滅したらもったいないですね・・・」ドクターは少し考え込むような素振りを見せて、やがて言った。「具体的な話をもう少し聞きたいのですが、ほかに、どんなことがありましたか?」
「ええと・・・デートしていたときに、どこでお昼にしようか、という話になって、良さそうなお店が、和食と、中華と、イタリアンっぽい感じの洋食と、あったんですね。それで私が彼に『どこがいい?』って聞いたら、彼は『なつをさんが好きなお店で良いですよ』って。お互いにゆずり合いすぎているんですかね?」なつをが答えた。
それを聞いて、ドクターは何か分かったかのように深くうなずいた。「なるほど、そうですか。譲り合いすぎている、それはあるように思いますね。」
「それが原因、ということですか?」
「まあ、焦らないでください。もう少し問題をしっかり定義しましょう。」
「あ、はい。お願いします。」
「譲り合いすぎている、と私は今確かに言いましたが、もう少し違う気がしています。気を遣い合っている、というか、相手の出方をお互いにうかがっている、というか、そのあたりです。」
「あ、それ、ぴったりです。お互いの出方をお互いにうかがっている、という感じです。」なつをが先ほどより大きい声で答えた。
ドクターは、無言で数回、深くうなずいた。

(つづく)

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なつをの夏の物語(1)|恋愛ドクターの遺産第10話

第一幕 別れる前に婚活!?

「ゆり子さぁ、どうせなら今から婚活始めれば?」香澄が言った。
香澄はゆり子の友人だが、いつもハッキリとものを言う。相変わらず物事に囚われない自由な発言だ。
「それいいね。」割と慎重派の順子も、その案には同調した。
「えっ・・・それって・・・いけないことなんじゃ・・・」ゆり子は大胆な提案に、さすがに及び腰だ。そのまま、はいそうですか、じゃあやります、とはとても言えなかった。
いつもの面々で、いつものようにランチをしているところだ。ゆり子は既に、夫婦関係が冷え切っていることを言ってしまったので、こうして一緒に食事をしているときの話題に、ゆり子の夫婦関係のことや、今後のことがよく出てくる。始めは夫婦問題をカミングアウトしてしまったことに後悔していたが、最近では、ひとりで抱え込むよりも、この方が気が紛れていいのかも、と思うようになった。それに、香澄も放言しているように見えて、面白半分ではなく、結構ゆり子のことを考えて言ってくれているのだ。
それにしても、まだ離婚も成立していないのに次の相手を探すなんて、節操がないと思った。その昔「別れても〜好きな人〜」の替え歌で「別れたら〜次の人〜」というシニカルな歌詞があったけれど、それを地で行くみたいじゃないか、とゆり子は思った。
「まだ、離婚の話も進んでるわけじゃないし、気持ちも決まっていないのに、婚活って・・・」ゆり子はそう答えるのが精一杯だった。
「あ、いや、今すぐ相手を決めよう、って言うんじゃないんだけどね、ゆり子、結構美人だし、そういうところに出て行ってみたら、男性から交際を申し込まれたりして、自信がつくって言うか、少し夫婦関係の狭い部屋から出て、広い視点でものを見るようになるんじゃないかな、って思って。その上で、やっぱり旦那さんが大事って思ったら、戻ればいいわけだし。」香澄は軽い調子でそう言った。ハッキリとものを言うように見えて、ゆり子を傷つけないよう気を使っているのがよく分かる。こんな友達がいてくれてありがたいと思った。
「そうね・・・」順子も今回は同意見だ。「決して、離婚の準備のひとつとして次の相手を見つけておこう、というわけじゃないんだけど・・・なんて言うのかな・・・別れた後も、色々明るい未来がある、とか、そこで終わりじゃない、って思えると、いいと思うんだよね、色々な意味で。」
「そうそう、それが言いたかったの。」香澄が言った。
「そうね・・・でも、今すぐに始める気には、なれないのよね。」ゆり子は言った。
「まあ、ゆり子の人生だから、無理強いはしないけど。」と香澄。

そんな話をして、時間はあっという間に過ぎてしまった。
さくらのお迎えの時間が近づいてきた。それで、このランチもお開きになった。
娘のさくらを迎えに行って、そのあとはいつものルーティーンが待っている。バタバタと家事をこなし、さくらを寝かしつけて、一息ついたときはもう夜になっていた。

「また、ノートを開いてみるかな・・・」ゆり子はひとりごとを言った。

恋愛ドクターの遺産・・・父から譲り受けたたくさんのノート。古ぼけた段ボールにどさっと入っている。元々は恋愛ドクターと異名を取っていた祖父の手記だ。祖父から父に渡り、そして父から受け継いで今はゆり子が持っている。中は手記だけれど記録というよりは、小説風に書いてある。悩んだらランダムにノートを一冊取り出して開くと、不思議と今の悩みにピッタリの内容が書いてある。その使い方も父から受け継いだのだが、ゆり子は今もその方法を守っている。

今日もゆり子は、目をつぶって、ノートを一冊つかんで抜き出した。手に取った瞬間に「あっ」と声を上げてしまった。なんだか、その一冊だけ他のノートと比べても、ひときわ古い感じがしたのだ。一瞬、このノートでいいのか、戻してやり直そうかと考えたが、それではランダムに選び出している意味がないと思って、その、ひときわ古いノートを、今回は読んでみることにした。

 

第二幕 なつをの夏

コンコン。ノックをして、なつをが先生の部屋に入った。
「先生、ご無沙汰しております。その節はお世話になりました。今日もよろしくお願いいたします。」
「おお、なつをさん、お久しぶり。あの頃より、ずいぶん元気そうに見えますよ。」
「ありがとうございます。おかげさまで、色々進んでいます。」

そう、今回のクライアントは、なつをだ。
「えと・・・こんにちは・・・湯川さん・・・みずほさんでしたっけ?」なつをが助手の女性に向かって挨拶をした。
「はい、こんにちはなつをさん。湯川みずほです。湯水ちゃんでいいですよ。」助手の湯水ちゃんが答えた。「外は暑かったでしょう。ここに来るだけで、お疲れさまです。」
「はい、実はとても暑かったです。ここに入って、生き返りました。」
「まあお茶でもどうぞ。」ドクターが言って、冷たいお茶を勧めた。
「ありがとうございます。」そう言ってなつをはひと口飲んだ。
今はちょうど真夏。今日はカンカン照りの晴れ。外は猛暑だ。この部屋は空調が利いていて涼しい。ドクターたちは、なつをと軽い雑談をしながら、なつをの汗が引くのを待ってくれた。

(つづく)

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