第2話 性癖を治す」カテゴリーアーカイブ

性癖を直す(終)|恋愛ドクターの遺産第2話

第六幕
ゆり子はノートを閉じた。
(私は、みきさんのように「この人」と思い続けられるのだろうか。)ゆり子は思った。自分はみきさんのように、浮気されても相手のことを思い続けるなんてできないような気がした。
はぁ。ため息が漏れた。ゆり子は考えていた。私は本当に、主人のことを愛しているのだろうか。それとも、私にとって利用価値があるから一緒にいたいと思っていただけなのだろうか、と。

ここでゆり子はハッと我に返った。以前なら、このまま自分は本当に愛しているだろうか、ちゃんとできているだろうか、本当に頑張っているだろうか、と自分を責めたり、自分を追い込むような考えがぐるぐるめぐって、どんどん暗くなることがあったが、このノート「恋愛ドクターの遺産」を読むようになって、とくに前回ノートを読んだ後に見た夢の中で「ゆるしのワーク」が起きたからなのか、最近はこうして自分を責めるモードから我に返るのが早くなった。
ほんと、不思議な小説だなぁ。ゆり子は思った。未だに読まれている古典的小説というと夏目漱石の「こころ」と太宰治の「人間失格」が双璧だそうだ。でも、あのような典型的な文学を読むとゆり子は苦しくなった。無理やり自分の内面の「汚いところ」と向き合わされている気がするからだ。文学は「肩の荷を背負わされる小説」、恋愛ドクターの遺産は、「荷物を下ろさせてくれる小説」そんな気がした。

自分を責めすぎても暗くなるだけで、あまりプラスにならないな、そう思い直したゆり子は、今度は、自分が今の夫を選んだ理由について考えをめぐらせていた。
(私はどうして、幸雄さんを選んだのだろう?)

そんな風に考えていて、心に浮かんできたのは、ゆり子もノートの中のみきさんと同じように、年齢は中学校の頃だったが、学校でいじめられたことだった。誰にも言えず、しばらく毎日耐えていた。それに、いじめというのは、真綿で首を絞めるように、じわじわと始まり、気づいたときにはずいぶんダメージを受けているものなのだ。当時、親に相談して、担任も動いてくれて、それで問題は解決に向かったのだが、我慢した期間と、解決まで少し時間がかかったのとで、結局半年ぐらいは、ゆり子はいじめに苦しんだ計算になる。

(私、誰かに守ってほしかったんだ)ゆり子はふと気づいた。そうだ、自分は誰かに守ってほしかった。幸雄さんとの出会いは、大学時代のサークル活動で、だったが、ゆり子が周りのメンバーから、誤解に基づく中傷を受けそうになっていたときに、「証拠もないことで彼女を責めて、お前ら、後で間違いと分かったとき、ちゃんと今言ったことの責任を取るんだろうな?オレは誰が何を言ったか、今全部記憶したぞ。」と言って守ってくれた。そして実際「後で間違いと分かった」のだった。
その一件があって、ゆり子は幸雄さんに心惹かれるようになったのだった。

そのことを思い出したら、両目に熱い涙があふれた。そうだ、私は幸雄さんの強さに惹かれたんだ。守ってくれたから、本当に感謝していたんだ。

ただ、そのことは事実だが、共感力のない夫のおかげで結婚生活が苦しかったのもまた、事実だった。戦う場面ではとても頼りになるけれど、平和な世界の中では、いい話相手になってはくれないのだ。

「やり直した方がいいのかなぁ。でも、続けていく自信、全然ないなぁ。」
ゆり子はつぶやいた。
第二話 終

第三話以降も続きます。
第三話は、結婚できない、という女性の相談です。彼氏がなかなかできない、結婚できない、という問題は、原因が多岐にわたるため、実際の相談でもその「謎解き」に難儀します。謎解き力の低いカウンセラーだと間違った解決策に導いてしまうことも・・・

そんな「難問」を、恋愛ドクターは一体どう解決するのか・・・お楽しみに。

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性癖を直す(10)下|恋愛ドクターの遺産第2話

「あの、先生。」みきさんは少しためらいながら言った。
「実は、いじめは学校の先生が公認していたというか・・・」
「公認!?」
「いえ、もちろん、本当に公認しているわけではないのですが、先生も一緒になって私のことをからかったり、私をからかう生徒を黙認したりしていたんです。」
「なんと。それはつらかったですね。」
「はい。学校に行くのが毎日苦痛でした。」
「そうですか。よく頑張りましたね。そのことはご両親には話したのですか?」
「いえ・・・両親は、別に機能不全家族とか毒親、というわけではなかったのですが、わりと、自分のことは自分で解決しなさい、的な教えの親で、今思うとそのぐらいの出来事であれば相談しても良かったと思うんですが、ひとりで抱えていました。」

「当時の学校のことを思い出すと、どんな感じがしますか?」
「全体的に暗いです。」
「空気の温度とか、何か感じませんか?」
「あ、なんか寒いです。」

得意の質問だ。なつをは思った。先生が空気の温度を聞くのは、当時の孤独感を探るためだ。寒い場合、孤独感があった、ということになる。さびしかったですか、と聞くよりも明確に分かるのだそうだ。

「空気の重さは、どうですか?」
「少しだけ、重いかな・・・?」

「ということは、学校では疎外感を感じていた、という感じでいいのかな?」
「はい!『疎外感』まさにそうです。」

「疎外感の反対ってなんでしょうね?」

来た!なつをは思った。ここで並のカウンセラーなら、疎外感を感じてつらかったですね、と共感しながら話を聞いていくところだが、先生は違う。いきなり「反対って何でしょう?」と訊くことが、かなり多い。

「えっ? 疎外感の反対・・・自分に関心を持ってもらえる、ということでしょうか。あ、笑顔でこっちを見てもらえる、ということかもしれません。」

「人生の中で、笑顔でみきさんを一番見てくれた人、みきさんに一番関心を持ってくれた人は誰ですか?」

みきさんは、はっとした表情になって、そして答えた。
「主人です。」

「なるほど。そうですよね。そうおっしゃると思いました。つまり、疎外感を感じて生きてきたみきさんを、その、寒い世界から救い出してくれたのが、今のご主人さんってことですよね?」

「はい。そうです。」みきさんの目からぽろぽろっと涙がこぼれた。

「だから、色々あっても、ご主人さんのことが大切で、何とか続けていきたい、と思ってきたんですよね?」

「あぁ・・・そうなのかもしれません。」

「素敵な話ですね。」
なつをは、ついもらい泣きをしてしまった。しかしこの結論は予想外だった。みきさんの過去の問題を探っているのかと思ったら、先生は、ご主人さんのまいくんのことを、なぜみきさんはそこまで大事に思っているのか、その理由を見つけるために過去を探っていたのだった。すでに、みきさんは柔らかく、温かい表情に変わっていた。少し涙がにじんでうるうるしている両目も、キラキラ輝いているように見える。以前先生は言っていた。「過去のマイナスを発見することも、とても大事ですが、過去のプラスを発見することは、それ以上に大事です。」と。
「いま、どんな感じですか?」ドクターは尋ねた。
「なんだか、体も心も温かいです。私、自分の言いたいことが言えないから、主人の言いなりになっていたのではなくて・・・あ、少しはそういうところ、あるかもしれないですけど、でもそれ以上に、主人が本当に大切な人だから別れられなかったんだな、ということに気づいて良かったです。」

「そうですね。素敵な話をありがとうございました。」

「いえ・・・あの先生、言いたいことが言えない問題は、どうしたらいいのでしょうか?」

「どうします?」ドクターは笑いながら言った。

「いや、あの、一番気になっていた、キッパリと別れを言えなかったことについて、理由が分かったので・・・」

「そうですよね。そもそも、そこに『言いたいことが言えない問題』があったかどうかも、分からなくなった、ってことですよね? まあ、もしまたいつか、言いたいことが言えない問題がある、って気づいて、治したくなったら、改めていらっしゃったらどうでしょう?」
でた!今日何度目の感動だろう。なつをは感心するばかりだった。先生は以前、こう言っていた「優れたカウンセリングのひとつの形ですが、色々話しているうちに『そこに問題はなかった』と気づくパターン。そういう結論になると、本当に素晴らしい。」いままさに、目の前で「そもそもそこに問題はなかった」という結論が展開したのだった。(いやー、いいもの見せてもらったー)毎度ながら、なつをはそう思った。そして、忘れないように、頭の中でセッションを何度も反芻するのだった。

(つづく)

性癖を直す(10)上|恋愛ドクターの遺産第2話

「早速ですが、みきさん、自分の言いたいことを言えない傾向は、いつからですか?」
「小学生の頃は、わりと思ったことを口にする子でした。」
「そうなんですね。」
「はい。あぁ、思い出しました。中学校の頃に、父親が失業して、色々ありまして、その頃から、言えなくなったような気がします。」
「なるほど。」

先生さすがだ、なつをは思った。「(その症状・問題は)いつからですか」と問うのは、原因を探る質問の中でも、基本中の基本だ。そして今回も、もう問題の原因にたどり着いた。話し始めてまだ5分ほどしか経っていない。それでもう原因の当たりがついているのだから、今日も先生の質問の切れ味は最高だ。

「その頃に、お父様の失業で、家の中が大変なことになった、ということなのですか?」
「はい。というよりも、それまで住んでいた広い家を引き払うことになって、引越をしたんです。」
「あぁなるほど。それで、失業をきっかけに、お父様が不安定になって荒れたとか、家の中の空気が悪くなったとか、そういうことはありましたか?」
「いえ、それは・・・両親がお金のことで心配そうに話し合いをしているところを見たことはありましたけど、何か、家の中の空気が悪くなったというようなことは、なかったと思います。あ、休みに出かける行き先は、それまではハワイとか海外もあったんですが、だいぶ近場になりましたが。でも家族は仲良かったと思います。」

「お父様の失業前後で、家族の中で、みきさんが、言いたいことを言いにくくなった、ということはありましたか?」
「それはなかったんですが、両親にはとても言いにくかったことはありました。」

「なるほど。それは、いま、ここで言えることですか?」
「はい。もう昔のことですので。あの、実は、そういうことがあって転校したんですね。引越をしましたので。その転校先の学校で、いじめが・・・といっても暴力とかものを盗られたりとかそういうことはなかったんですが、チクチク、ネチネチ、イヤミ的な何かを言われるとか、微妙に仲間の輪の外側の方に置かれるとか、そういう精神的ないじめがずっとつづいたんです。」

「そうですか。それは苦しかったですね。」
「はい・・・先生、これって私の今の性格と関係あるんでしょうか?」
「関係ある可能性はあります。でも、まだ断定は出来ないので、もうちょっと色々質問させて下さい。より明確になっていくと思いますので。」
「はい。先走ってしまって失礼しました。」

なつをは先ほど、もう原因にたどり着いた、と思ってしまったことを反省した。まだたどり着いてはいなかった。親の失業は確かに大きいことだが、それがきっかけで家庭内の雰囲気が悪くなったわけではないのだった。先生はさすがに、早とちりはしない。しっかり質問を続けて、本当の原因に迫ろうとしている。

ドクターは続けて質問をしていった。
「では当時、転校を機に、言いたいことが言えなくなった、ということはありましたか?」そこまで言うと、「いや、質問の仕方が良くないな」とひとりごとを言って、質問を言い直した。
「では当時、転校した直後は、まだ相手のことも知らないから、色々自己主張はしにくいと思いますが、普通なら次第に打ち解けて自分の言いたいことも言えるようになると思います。たとえばみきさんが新学期で新しい友達になじむのと比べて、明らかに、転校後には自己主張できなくなった、みたいなことは、ありましたか?」

しばらく当時のことを思い出しているのだろう。目線を上の方に向けて考えているようだったが、やがてみきさんは言った。
「そうですね。転校した後は、私は自分を出せなくなったと思います。」
「なるほど・・・そうですか。」

「あの、先生。」みきさんは少しためらいながら言った。
「実は、いじめは学校の先生が公認していたというか・・・」
「公認!?」

(つづく)

性癖を直す(9)下|恋愛ドクターの遺産第2話

なつをが過去の思い出に浸っている間に、みきさんは、質問に答えていた。
「そうですね。実は、私にとって主人は大切な人で、だから今は、こうして取り戻すことが出来て幸せだと感じているのですけど、でも、ここに至るまでは、とてもつらかったです。友達にも色々相談して「なんで別れられないの?」「なんで『浮気はやめて』って言わないの?」と、色々言われました。私の友達は、主人のほくろフェチのことを知らないので、十分状況が分かった上でのアドバイスではないのですが、でも、キッパリ言えない、自分の主張が出来ない、怖くて別れられない、みたいな部分は、私自身の課題だと思います。」

「なるほど。結果的に別れずに夫婦がやり直せていることは、良かったことだけれど、でも、ここに至った理由の中に『ご主人さんが大切だから頑張った』以外の、『キッパリ言えない』『自分の主張が出来ない』『怖くて別れられない』といった、ネガティブな動機、というか・・・一般的な言い方で言うと消去法的な感じ? があったことが、気になっていらっしゃる、ということなのですね?」

「さすが先生。そうなんです。」

少し沈黙があったあと、ドクターは質問した。

「結果オーライ、ではありますよね?」
「はい。」
「ということは、今回の一連の『事件』というか、夫婦問題に関して、何か後悔しているわけではなさそうですね。」
「・・・たぶん、そうだと思います。」

「では、このタイミングで、わざわざ、ご自分の心のクセに取り組もうと思われたのは、どうしてですか? あ、いや、聴き方が分かりにくかったですね。えぇと、ご自分の心のクセに取り組んで、それが良くなったとしますね、そうしたら、生活や夫婦関係、仕事など、実際の生活で、何が良くなると思いますか?」

来た!なつをは思った。多くのカウンセラーは、自分の内面に向き合うのが好きだ。だから、内面に向き合って成長したい、変わりたい、というクライアントが来ると喜んで食いついてしまう。先生は少し違う。以前も、カウンセリングの技法を教わっていたときに、先生からこう言われた。「クライアントの中には、自分の内面的な問題をしっかり分析して、これを治したい、というような相談の仕方をしてくる人がいます。でも、それを鵜呑みにしてはいけません。」「えっ?間違っているからですか?」「いえ、大抵そういう人の分析は、かなり合ってます。」「ではどうして・・・」「それは、自己分析が趣味になってしまっている危険性があるからです。」そう、心理分析が趣味の人につき合うと、ずっと、延々、あんな問題もあった、こんな問題もあった、とやりつづけて行くことになるのだ。「まあ、そうやって趣味の人につき合うことで商売を成り立たせているカウンセラーもいるので、彼らを批判するつもりはないんですけどね。」と先生は言っていた。先生はあくまで、実際の生活の中で、何かが良くなる、ということに責任を持ちたいのだ。

みきさんは、しばらく考えて、こう答えた。「そうですね。友達関係とか、あと、最近少しずつ仕事を始めているのですが、職場の人間関係などで、ハッキリものを言えなくて、言いたい放題言われて、あとで悔しくなることがあります。主人は・・・色々ありましたけど、例のこと以外は、じっくり話を聞いてくれるし、とてもありがたいので・・・」

「なるほど。夫婦関係よりは、それ以外の人間関係で、自己主張ができるようになりたい、そんな方向性ですね。」

「はい。そうです。」

「では、その方向で、一緒にとり組んでいきましょう。よろしくお願いします。」
「よろしくお願いいたします。」

「早速ですが、みきさん、自分の言いたいことを言えない傾向は、いつからですか?」
「小学生の頃は、わりと思ったことを口にする子でした。」
「そうなんですね。」
「はい。あぁ、思い出しました。中学校の頃に、父親が失業して、色々ありまして、その頃から、言えなくなったような気がします。」
「なるほど。」

先生さすがだ、なつをは思った。「(その症状・問題は)いつからですか」と問うのは、原因を探る質問の中でも、基本中の基本だ。そして今回も、もう問題の原因にたどり着いた。話し始めてまだ5分ほどしか経っていない。それでもう原因の当たりがついているのだから、今日も先生の質問の切れ味は最高だ。

(つづく)

性癖を直す(9)上|恋愛ドクターの遺産第2話

第五幕 妻

それから一週間ほど経って・・・

「先生、どうして解決したのに、まいくんの奥さまがいらっしゃるんでしょうか?」
「さぁ。解決したというのは、こちらの勝手な思い込みなのではないでしょうかね。」
「では、何かまだ問題があるということでしょうか。一体何が?」
「なつを君、それはご本人がいらっしゃったときに聞けば済む話です。聞けば済む話を勝手に推測しない!」

また怒られた。なつをは思った。勝手に妄想して、勝手に推測して、ついつい先生に色々質問してしまう。いつもの悪いクセだ。先生のこの落ち着きを、1割でも自分にほしい、そう思った。

「なつを君、そろそろみきさんがいらっしゃいますよ。」
「みきさん・・・えぇと・・・」
「まいくんの奥さまです。」
「あ、そうでした。」

ノックの音がして、みきさんが入ってきた。本名は舞鶴美紀。ドクターは親しげに「みきさん」と呼んでいる。

「こんにちは。」みきさんは小柄で可愛らしい感じの女性だ。服装は全体的に地味だ。ダウンの入ったコート、というかジャケットを着ているが、落ち着いた茶系の色なので、街ですれ違っても、とくに記憶には残らないだろう。
コートを脱いで、壁のハンガーに掛けた瞬間、その印象は大きく変わった。胸の大きく開いた服を着ているのだ。冬でも鎖骨が見えるようにしているのだろうか。なつをはついそんなことを思ってしまった。

ドクターとみきさんが着席して、セッションが始まった。

「みきさん、本日はご相談ありがとうございます。」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。」

「今日こうして、ここにいらっしゃって、この時間を使って頂いたことで、何がどうなったら、今日は相談に来た甲斐があったな、と思いますか?」

これはスターティングクエスチョンだ。なつをは思った。セッションの始めに、今日の終わりにどうなっていたいのか・・・これを「ゴール」と呼ぶのだが・・・、それを問うことで、お互いに無駄な時間を使うことなく、有意義なセッションを行うことが出来る。これは、カウンセリング、とくに解決志向ブリーフセラピーという短期療法の教科書には必ず書いてある技法だ。でも・・・なつをは以前、先生に質問したことがある「セッションの方向性をきちんと決めるために、スターティングクエスチョンをするんですよね?」と。

先生の回答はこうだった。「まあ、教科書的にはそうです。なつを君も、始めのうちはそういう目的でスターティングクエスチョンを使って下さい。」と。なつをが「では先生は今は違うんですか?」と尋ねたら、「そうですね。今は少し違うかもしれません。なんと言うか、儀式ですよ、儀式。白衣を着ると気持ちがシャキッとするでしょう?そういうのと同じ。この質問をすると、さあ今からベストのセッションをするぞ、というモードに入るんです。そう、スポーツ選手でも毎回同じ動作をする人、いるでしょう?そういうのと同じですよ。」ベテランは言うことが違う、となつをは思ったものだった。

(づづく)

性癖を直す(8)|恋愛ドクターの遺産第2話

それから一週間後、ドクターがなつをを呼んだ。

「なつを君、まいくんの奥さまから手紙が来ているよ。」
「へぇ、そうなんですね。何ておっしゃっているんですか?」
「あれからすっかり、まいくんは奥さまを女として見ることができるようになったって。」
「えーっ、すごい・・・そんなことが起こるんですね。でもなんで、そういう変化が起きたんですか?」

「そうだね、学説ではなく、カウンセリング現場の知恵的なものですが、奥さまに対して感じるエネルギーと、『女』に感じるエネルギー、この場合は、鎖骨にほくろがあって性的に興奮する感じという意味ですが、それが、バラバラに解離してしまっていたのを、統合したわけです。これをすると、奥さまに対して感じなかった『女』を感じられるように変化することがあるんです。」

「そんなこと、あるんですか?」なつをはまだ信じられない気持ちでそう訊いた。
「そうですね。あります。」ドクターは淡々と答えた。
「今までも、そうやって解決した問題って、あったんですか?」
「えぇ、時々ありますよ。性的な嗜好の問題に関しては、よく使う技法です。」

なつをは、変えられるとはとても考えられなかった、性的な嗜好が、こんなにも簡単に変えられてしまうことに驚き、衝撃を受けた。

(人の生理的なもの、本能的なものまで、変えることが出来てしまうんだ・・・)スゴイと思う半面、本人の知らないところでこのスキルが使われたらと思うと恐ろしくもあった。

「なつを君、たい焼き食べませんか?」
「へ?たい焼き?」
「たい焼き、美味しいですよ。」
ドクターはまだほんのり温かいたい焼きを出して、自らひとつ取り、なつをにもひとつ勧めた。

「あぁ、じゃあ、いただきます。」
なつをはたい焼きを食べながら、先日のドクターのワークを思い出していた。確か、右手と左手に、それぞれ別の女性から感じるエネルギーを載せて、それを寄せていって合わせたのだった。あんな単純なワークでこんな大きな変化を起こせるなんて、未だに信じられなかった。

「そうそう。」たい焼きをかじりながらドクターは言った。「まいくんの奥さまからの、丁寧なお礼の手紙、読んでみますか。」
「はい、読ませてください。」
前略
恋愛ドクター A先生。
主人のカウンセリング、本当にありがとうございました。私達夫婦ふたりでは、どうにも行き詰まって解決の糸口が分からなくなっていた問題でしたので、本当に助かりました。
主人も、先生の、お噂通りの問題解決力に、感服しております。お恥ずかしい話ですが、女として見られなくなったと感じてから、本当につらく長い日々でした。それでも、主人は人間的に尊敬できる部分も多いし、家族のために働いてくれていますから、別れるという道は、考えたくなかったのです。
このような形で、みんなが幸せになる方向に解決できて、本当に良かったと思います。私自身も、女として求められるという体験を取り戻すことが出来て、日々、幸せを感じています。主人も、自分の中の「得体の知れない」感覚が消えて、私に気持ちが向かうようになったことで、「そんな自分が好きになった」と申しております。
何とお礼を申し上げてよいか分かりません。近々、私自身も、お話しさせて頂くかもしれません。このたびは、本当に、ありがとうございました。

草々

きれいな字で、手書きで綴ってある手紙だった。

なつをは手紙を読んでいるうちに引き込まれて、たい焼きを食べる手が止まっていたようだ。かじった端が、少し乾いて固くなっていた。
第五幕 妻

それから一週間ほど経って・・・

「先生、どうして解決したのに、まいくんの奥さまがいらっしゃるんでしょうか?」
「さぁ。解決したというのは、こちらの勝手な思い込みなのではないでしょうかね。」
「では、何かまだ問題があるということでしょうか。一体何が?」
「なつを君、それはご本人がいらっしゃったときに聞けば済む話です。聞けば済む話を勝手に推測しない!」

また怒られた。なつをは思った。勝手に妄想して、勝手に推測して、ついつい先生に色々質問してしまう。いつもの悪いクセだ。先生のこの落ち着きを、1割でも自分にほしい、そう思った。

「なつを君、そろそろみきさんがいらっしゃいますよ。」
「みきさん・・・えぇと・・・」
「まいくんの奥さまです。」
(つづく)

性癖を直す(7)|恋愛ドクターの遺産第2話

「温度や感触はありますか?」
「えぇと・・・生暖かい感じで、なんか、エロいというか、独特の感じがします。」
「なるほど。では、右手の上のエネルギーは、そのまま少し持っていてください。」
「はい。」
「では次に、今度は、奥様と一緒にいるときの感覚を想像してみてください。」
「はい・・・えっと、今度は、落ち着いていて、少し温かい感じですかね。」
「その時に感じる感情のエネルギーを、今度は左手の上に載せたとイメージしてみてください。」ドクターはそう言いながら、左手も、手のひらを上にして目の前に出した。
「はい。」まいくんもそれに倣って、左手を出した。そしてまた、その上にエネルギーを乗せたところをイメージしているようだった。
「今度は、そのエネルギーに色や形があるとしたら、どんな色や形をしていますか?」
「はい。白くて、丸くて、輝いています。あ、少しだけ黄色っぽいというか、暖かい感じの色です。」
「温度や感触はありますか?」
「えぇと、暖かくて、柔らかくて、フワフワしています。」

ドクターはここで、ふぅ、と軽くため息をついた。
「では、両方の手の上のエネルギーをもう一度しっかりとイメージして」そう言いながらドクターは自分の右手、左手、と順番に視線を送った。
まいくんも、ドクターに倣って、順に、自分の両手を見た。
「こんな風に、二つのエネルギーを近づけて、ひとつに統合してみてください。」そう言いながらドクターは、それまでそれぞれ別々に「エネルギーを持っていた」自分の両方の手を、両手で水をすくうような形に寄り添わせた。
まいくんも、ドクターに倣って、両方の手を、次第に近づけていき、水をすくうような形に寄り添わせた。そのとき、まいくんの顔に軽い驚きの表情が現れた。
「いま、何が起きていますか?」ドクターは尋ねた。
「えと、あの、うーん。」しばらく考えてから、まいくんは言った。「うまく説明できないんですが、なにか、混ざったというか、入っていった感じです。」
ドクターは、なるほど、というように、ゆっくりと三回うなずいた。

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性癖を直す(6)|恋愛ドクターの遺産第2話

「先生、依存症は、マイナス感情を持っているのに、それにフタをして、強い刺激を求めることで生じる。これは、心理学の本にも書いてありましたし、先生もおっしゃってましたよね?」なつをは例によってドクターを質問責めにしていた。
「まあ、一般的にはそうです。」

「でも、まいくんの場合、マイナス感情を解消するだけではダメなんですか?」
「まあ、たぶん、放っておいても、ある程度は自然に解消していくんじゃないかとは思うんですけどね。念のため、です。ちゃんと取り扱ってあげた方が解決も早いし、トラブルも少なくなります。」

「はぁ・・・」

「この際だから、依存症の出来る仕組みについて、ちょっと覚えておいて下さい。依存症というのは、喜びを感じる『正しい』感覚、というか正しい仕組みが機能しなくなって、その代わりに、社会的、あるいは健康的に問題のある方法で喜びを得ようとしてしまう状態のことです。」ドクターは早口で説明をした。
「社会的に・・・なるほど・・・」なつをは先生の考えについていくのがやっとだった。
「たとえば私たちは、美味しいお寿司のお店に入ったとします。食べて美味しかった、楽しかった。そういう体験をすると、またそこに行きたいと思います。」
「そうですね。」
「これは、自然な反応です。」
「はい・・・」
「喜びがあると、またその方法で喜びを得ようとする、というのが、我々人間の本能です。」
「そうですね。」

「確かに、依存症の背景には、たとえば幼少期の愛情飢餓や、何らかの心理的ストレスなどがあって、そこに、強い喜び、強い刺激が入ってくることで、その刺激に依存してしまう、という構図があるのは事実です。ですが、シンプルに、美味しいお寿司をもう一回食べたい、というのと同じような『その喜びをもう一度得たい』という基本的な反応も、そこにあるのです。」

「なるほど。では、まいくんの場合、過去のマイナス感情や愛情飢餓とは別に、女性の鎖骨にほくろがあって、それで・・・何か性行為というか、そういう喜びを得た経験があるから、それをもう一度得たい、という欲求が生まれている、ということなんですね?」

「そういうことです。そちらの、喜びをもう一度得たい、という欲求の方も、ちゃんと取り扱ってあげることが大事なのです。」

「でも先生、それって、どうやって消すんですか?」

「消しませんよ。」

「えっ? では、どうやって・・・」

「もうすぐまいくんがいらっしゃいますから、まあ見ていてください。」

「はい!」
ドアをノックする音が聞こえた。まいくんが来たのだ。「どうぞ」ドクターが答えると、まいくんが入ってきた。前回のセッションの時よりも、ずいぶん表情が明るい。

「先生、こんにちは。よろしくお願いします。」
「こんにちは。まいくん。今日もよろしくお願いします。元気そうですね。」
「はい。おかげさまで。ずいぶん気持ちが軽くなりました。」

まいくんが着席すると、ドクターは質問を始めた。
「奥さまとはどうですか?」
「一度、してみたのですが、まだなんとなく、やっぱり・・・ほくろもないですし・・・」
「なるほど、やっぱりまだ、奥さまを女として見る感じには・・・」
「なっていないです。」

「今日は、そのあたりを解決していきたいと考えています。」
「はい。ぜひお願いします。」まいくんは、ぺこりと頭を下げた。

そのあと、いくつか状況の確認のための質問をしてから、ドクターは本題に入った。

「では、これから、統合のワークをしたいと思います。」
「はい・・・?」
「まあ、分からなくても大丈夫です。順に誘導していきますので。」
「お願いします。」
「まず、鎖骨のあたりにほくろがある女性を目の前にしたときの感覚を思い出してみてください。」

「えぇと・・・はい。」まいくんの頬や、首のあたりがほんのり赤くなった。
「右手をこのように出して、そのときに感じる感情のエネルギーを、その手の上に載せてみたとイメージしてみてください。」ドクターは右手の手のひらを上にして、自分の前に出して見せた。
まいくんも同じように右手を目の前に出した。そして・・・手の上には何もないのだが・・・その手の上にあるエネルギーを想像しているようだった。しばらくして言った。「はい。」
「そのエネルギーに色や形があるとしたら、どんな色や形ですか?」
「えぇと。明るい赤紫色、ですね。まるくて、でも少しドライアイスの煙みたいに、輪郭がモヤモヤしています。」
「なるほど、赤紫で、丸くて、輪郭がモヤモヤしている・・・」
「はい。」
「温度や感触はありますか?」
「えぇと・・・生暖かい感じで、なんか、エロいというか、独特の感じがします。」

(つづく)

性癖を直す(5)下|恋愛ドクターの遺産第2話

「先生、これで治るんですかね?」

「今日のセッションだけでも、随分軽くなるはずです。でも、これだけだとまだ十分じゃないと思っています。」
「はい。」
「まず、あと、残りの時間で、『ゆるしのワーク」をやりましょう。」
「はい。」

ドクターは、なつをに椅子を持ってこさせると、ゆるしのワークを始めた。
「悪くないんだよ」
「よく頑張ったね」
「優しい子だね」
の三つのゆるしの言葉を、過去の自分にかけてあげるワークだ。
まいくんは、あの、小学生の時の衝撃的な体験をした、過去の自分に、何度も何度も、ゆるしの言葉をかけていた。

「先生、随分軽くなりました。こういう根っこを抱えていない方って、こんな風に軽い気持ちで毎日生きているものなんでしょうか?」

「私も、全ての人の感覚が分かるわけではないですし、他の人の感覚って、知るのが難しいですから、何とも言えませんが、たぶん、そうだと思います。」

「これで、治りますかね?」

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性癖を直す(5)上|恋愛ドクターの遺産第2話

「その体験は、今この場で話せますか?大丈夫ですか?」
「えぇ、大丈夫だと思います。」

その後、まいくんが話した内容は、かなり生々しかった。曰く、まいくんは小学生の頃、少し気が弱くて、クラスの女子からもあれこれ命令されるような、そんな児童だったのだそうだ。6年生ぐらいの頃、近所の、ちょっと不良っぽい中学生の女子グループに、下校中によく話しかけられるようになって、始めのうちはからかわれたりするぐらいだったのだが、あるとき、公園の裏の、ほとんど誰も来ない工場跡地に呼び出されて、裸にされて観察されたのだそうだ。
女子の方も、ひとり上半身裸になり、露わな胸でまいくんを抱きしめた・・・もちろんこれは、まいくんの反応を見て楽しむためだったのだが・・・という、当時小学生だったまいくんは、衝撃的な体験をしたのだった。

「その先輩(まいくんはそう呼んでいた)の、私から見て左側だから、右の鎖骨のところに、くっきりと大きなほくろがあったんです。」

「なるほど。ところで、今思い出した、その過去の出来事の中で、その『先輩』に対して感じた感覚と、最近不倫相手に対して感じた感覚、あるいは奥さまと出会った頃に少し感じた感覚・・・えぇと、「吸い込まれそう」とおっしゃってましたっけ・・・それは、似ていますか?」

「はい。全く同じです。」
「なるほどね・・・では、どうやら、まいくんのほくろフェチの『ほくろに吸い込まれるような感覚』の正体は、その、小学生の時の出来事から来る、未解決の感情だったようですね。」

「なるほどですね。こうやって解明してもらえると、納得です。確かに同じ感覚です。」

「その時のことを、誰かに話しましたか?」
「いえ、当時は恥ずかしくてとても言えませんでした。」
「じゃあ、ずっと、胸にしまって生きてきた?」
「いや、大学生ぐらいの時に、男子同士の飲み会で話したことがあったんですけど・・・」
「もしかして『お前うらやましいぞ』的な扱いだったとか?」
「そう!そうなんですよ先生!私としては、凄く恥ずかしかったし、ちょっと怖くもあったし、それでもその・・・アソコが勃ってしまった自分が情けなくてアホみたいで・・・そういうことは言えませんでした。」
「そうですよね。ずっと抱えていて、苦しかったですね。」
「今思うと、そうだったのかもしれません。」
「その苦しさを、フタして分からないようにした・・・無意識にですが・・・そのストレスが、ほくろフェチという形で表に現れてきたのだと思いますよ。逆に言えば、そこをちゃんと治してあげると、ほくろフェチの問題も、収まっていくはずです。」
「先生、これで治るんですかね?」